1/マリアベル・アーネスト・エルダー
本日はまことにめでたい日だ、と朝一番に日記に書くのが私の日課である。
別に何かあるわけではないが、ただその日一日にとても良いことが起きますようにという願掛けだ。
後はもうこじつけも良い所で、やれお茶が美味しかっただの、誰それの恋が叶っただのと、とにかく良かったことで日記を〆る。
いつからこうなったのかは分からないが、いつの間にか私の日記は良いことで埋め尽くされ、読み返すたびに「あぁ、こんなこともあったな」と幸せな気持ちになれるのだ。
だからきっと、今日も良い一日になるに違いない。私は未だベッドに横たわりながらこれから起こるであろうちょっとした幸せに思いを馳せ、もう一度目を閉じて―――
「ベル様。二度寝はなりません」
と、低いながらよく通る声に邪魔をされる。我が家の家令、エドワードだ。
「あんたね…。いくら家令でも主人の寝室に無言で入るのはどうなのよ?」
二度寝を諦め、私はその慇懃無礼な態度で部屋の隅に佇む男を睨み付ける。
「私の主人はエルダー公であり、私は貴女の教育係ですので」
だから容赦はしない、とばかりに鋭い眼光で睨み返してくる。
あぁ、憎たらしい。
父に気に入られ、家の中でも信頼の篤いこの男は、わずか23にしてこの家の管理全てを任される家令だ。
もともと軍属として我が家に仕える武門の家柄の次男坊のくせに、それこそ私が物心つくことからこの家に出入りしていたものだから、はっきりいって亡き母より付き合いは長い。
「いつまでも家庭教師面しないでよね。ウェンディの世話でも焼いてなさい」
今年8歳になる妹を引き合いに出し、私は抵抗を試みる。
が、しかし。
「妹君はすでに起床され、朝食に就いておられますよ。我々使用人の手のかからないとても聡明な方ですので」
嫌味込みで倍返しを食らう。これももういつも通りなので、私は折れることにした。
一日の始まりがこの嫌味な家令のせいで憂鬱になるのも癪だ。
「聡明でなくて悪かったわね…。わかったわ。着替えるから先に行ってて」
「かしこまりました」
恐らく入ってきた時と同様に音もなく、エドワードは退室していった。
私はお気に入りの懐中時計を手元に手繰り寄せ、ねじを巻く。
朝の七時三十分。さして寝坊でもないんだけど…。
未練がましくそう思いながら、私はベッドを這い出て着替えをする。
修道服のような紺色の生地に、ほんのちょっとした装飾を付けただけのワンピースの上にストールを巻く。髪をいつも通り編み込んで上でまとめる。
うむ、いつも通り。くるっと回って足先から頭の先まで一通り確認する。
姿見に映る自分の姿は特に変わりはなく、同い年の子に比べてもとても健康に見える。
マリアベル・アーネスト・エルダー。
タータリアン王国エルダー大公領の領主の第二子にして、王立科学アカデミーにおける化学部門主任。
それが、私だ。