石階段
その坂道はきつかった。
「ねえ、まってよ。早いんだから」
「うん?あ!悪い、悪い」
僕の両親に会わせる為実家に初めて連れて行く婚約者を、僕は一時でも忘れてしまった。
なぜならば、この坂で起きたことを急に思い出してしまったからだ。
7年前の、あの日を……。
その日は、高校の卒業式前夜。
僕の進学は都会に大学に決まっていた。
この時期は授業もなく、卒業を待つだけの日々。
既に大学近くにアパートを借りて、荷物は運び込んでいた。
都会といっても、最寄の駅から特急に乗れば2時間も掛からない。
いつでも行き来の出来る距離だった。
その日もトラック輸送では心配なものをアパートまで大事に持っていった帰りだった。
辺りは夕闇に包まれ始めていた。
この坂の左手には神社があり、右手は竹藪になっていた。
ふと見ると一人の女の子が灯り始めた街灯の下に立っていた。
同級の和子だった。
「どうした?こんなところで」和子の家は町の反対側だ。
「ううん。なんでもないの……」僕に気づき和子は返事をしたが、声には元気がなかった。
「誰か待ってるの?」僕は馬鹿な質問をした。この先には僕の家と数件の民家しかない。
僕以外に会いに来る人など居ないのだ。和子は思い詰めた顔をしていた。
「ねえ、ちょっと良い?」そう言うと和子は神社への石階段を登り始めた。
「ちょっと、どこに行くの」実は和子が僕に好意を持っているのは知っていた。
しかし子供の頃からの幼馴染としか、僕には考えられなかった。
大学にも行きたかったし、高校時代は勉強とクラブ活動に明け暮れていた。
「なんだよ。もう暗いし、寒くなるぞ」
春とは言え、森に囲まれた神社は冷え冷えとしていた。
「見せたいものがあるの」僕の問いかけに和子は急に振り向いた。
境内の風が柔らかく二人を包んだ。
「なんだい?見せたいものって」
「うん。ちょっと後ろを向いて、目を瞑って」僕は渋々だが和子の言う事を聞いた。
卒業式が済めば、今まで通りには会えない。幼馴染でも和子とは仲が良かったからだ。
「良いよ!」和子の元気な声が聞こえ、僕は振り向いた。そして言葉を失った。
そこには全裸の和子が立っていた。両手を広げその身体に風を感じていた。
「な、な、なんだよ!」僕は目をそらし怒鳴った。
「知ってるでしょ、私が好きだったのを。だから、最後に私を見て欲しかった、全てを……」
和子の声は涙で途切れた。僕はなるべく見ないように和子に近づき、
脱ぎ散らかした衣服を拾い上げ、そして押し付けて怒った。
「だからって、こんなところで急になんだよ!、誰かに見られたらどうする!」
「見られても平気でしょ?直ぐに引っ越すんでしょ?」
「色々準備が有るからね……」和子は差し出した衣服を受け取らず、境内を走り始めた。
「ねえ。覚えてる?小さい頃、良くここでかくれんぼしたよね!」
「良いから、服をきろよ!」
「だって、ちゃんと見てくれないんだも〜ん」和子は笑っていた。
「解った、見たら着るか?」
「うん」和子は走るのを止め、僕に近づいてきた。
僕は大きく息を吸うと、和子の身体を見た。正直言って、僕にはまだ経験がなかった。
薄暗い闇に浮かぶ和子の身体は美しく見え、
それだけで僕の股間は熱くなり激しく鼓動を始めた。
「もっと良く見て!」和子の目は潤んでいた。
僕は思わず手を伸ばし、豊かな胸に触りたい衝動に駆られた。
しかし和子はその手をあっさりとかわし、衣服を拾って胸に抱えた。
「だめよ!遅かったのよ。もっと早ければな〜」
「どういう意味だよ!」恥ずかしさを誤魔化すかのように、僕は怒って見せた。
「もっと早かったら、あげても良かったのに……」
「え?」
「ねえ、最後にキスしてくれる?」和子は衣服を着ながら僕に言った。
僕は下着をつける和子をじっと見つめ、小さく頷いた。
スカートをはき、ブラウスを羽織り、ジャケットに腕を通した和子が不意に僕にキスをした。
それからまた直ぐに僕から離れ、境内を走り始めた。
「あ〜、夢が叶った〜」和子は笑っていたが、その目からは涙が流れていた。
「ちょっと、とまれよ!」僕は和子に駆け寄り腕を掴んで引き寄せた。
僕の興奮は歯止めが利かなくなっていた。
和子に唇を押し付けようとしたが、風のようにあっさりと逃げられた。
「もう、早く行っちゃえ!」そして和子は大粒の涙を流し、
神社から逃げ出すように走り去った。
和子の行動を理解できないまま、僕は家路についた。本当は神社でもっと待っていたかった。
もしかしたら戻ってくるのではと、考えたからだ。
僕は股間の疼きが納まるのを待ってから神社をあとにした。石階段では何度も振り返った。
そして和子の行動の意味を知ったのだ。それは夕飯の時だった。
「和ちゃん、卒業したら直ぐ結婚だってね〜」その後の母の言葉は覚えていない。
卒業式のときも教室に戻ってからも、和子は僕と顔を合わせなかった。
結局は、僕にはなにも出来なかったし、話しかける言葉も持ってはいなかった。
片親で育った和子は、早くから結婚話が出ていたらしい。
大学に行かないのなら早くに結婚することと、両家の間で取り決められていたらしい。
父親の事業を存続させるための政略結婚。
かなり後から聞いた話だが、今では幸せに暮しているそうだ。
その話が僕の救いとなり、今の彼女とも付き合い始めることが出来た。
そして結婚への意志も固まったのだ。神社は昔ながらの面影を残していた。
『僕も幸せになるよ』そう言って神社への石階段を僕は見つめた……。