第7話 全ては未来のために
「……何ていいタイミングなんだ。感謝しなきゃな」
一人で考えても解決策が思い付かないときは、誰かに愚痴を吐いて、相談するのが一番だ。なぜ彼が今までそうしようと思わなかったのか不思議なくらい、当たり前のことだ。
スイチャオは、自分から相談相手を見つけようとしなかったことに軽い自省の念を抱きつつ、ナツメへ了承のメッセージを送る。
※
数分後、こちらへぱたぱたと駆けてくるナツメの姿が視界に入った。すぐにハンモックから降りる。
「こんばんは! お久しぶりですね、会えて嬉しいですっ!」
「お久しぶり。夜でも元気だな」
「仮想世界なんだから、全然眠くないのは当然ですよ~」
心なしか、ナツメは以前より明るくなったような気がする。
なおQOでは時刻が現実世界と対応している。
「で、今日はなにしますか? クエストに行くのもいいですし、夜の散歩というのもロマンチックだと思います。あっ、でも、私はスイチャオさんの行きたいところならどこでもついていきますよ」
「そうだな……散歩にしよう」
「では、早速行きましょうか」
二人、連れだって夜の街へと消えていく。
……いかがわしい意味ではないのだ、断じて。
※
ユレミーの町外れをゆっくりと歩いているスイチャオとナツメ。
たわいもない話をしながらこの時を過ごしたいところなのだが、今のスイチャオには話したいことがある。
少しの遠慮をのぞかせながら、おもむろに口を開く。
「……ちょっと弱音を吐いてもいいかな?」
「もちろん構いませんが、何かあったのですか……?」
「ああ。実は、つい最近会社で大きなミスをしてしまったんだ。それも1回じゃなくて2回だよ。だから今月の給料は減額されることに決まった」
必然的に職業とミスの詳細についてはぼかすことになるが、それ以外はありのままを話す。
「そんな大変なことが……」
「最初に起こしたミスの事後処理がうまくいったから一安心してたら、こんなことになってしまったんだ」
「なるほど……」
「 今の仕事が好きで、全力で取り組んできたと思ってたんだけど、実は全然ダメだったんじゃないかって思ったりもする。俺、どうすればいいのかな……」
思わず歯を食いしばって少し泣きそうになっているスイチャオの手を、ナツメが優しく取る。
彼女は遠くのほうを指さして言う。
「あんな人気のない場所にベンチがありますよ。答えるのはそこに行ってからでもいいでしょうか?」
「……いいよ」
※
小さな公園のベンチに並んで座る。辺りには一つの人影も見当たらない。
「さっきの相談に答えますね。……行動で」
そう言ったかと思うと、ナツメはスイチャオの肩をつかんで自分のほうへとゆっくり倒した。
「え……!? 何してるんだ、ナツメ……?」
「見ての通り、膝枕ですよ。今のスイチャオさんにはこうやって、誰かに心ゆくまで甘えることが必要だと思います。次のことを考えるのは、それからでいいんじゃないでしょうか」
スイチャオの頭を優しくなでながら、聖母のような笑顔で言うナツメ。
「それも……そうかもしれないな」
「 実は心配してたんですよ? 私にとってスイチャオさんは、優しくて真っ直ぐでやる気にあふれていて……でもそのうち無理がたたって壊れてしまいそうな、そんなイメージがありますから」
「心配かけてすまなかったな」
「いいんですよ。心配をかけまいとして無理されるほうが、私にとっては嫌なことですから。それに……」
「ん? 何だ?」
「親が子供を心配するのと同じくらい、子供も親を心配するものだと、私は思ってるので」
ナツメが少し照れくさそうにして言う。
「俺はお前の親ではないからな? 少しは肩代わりするけど、あくまでそういう存在は現実世界に求めるべきものだと思うんだ。ここは現実じゃないぞ」
発する言葉とは裏腹に、口調は慈悲にあふれている。
「余計な負担までかけちゃいけませんね。でも、私は少し肩代わりしてくれるだけで十分満足です」
「満足してくれるのなら嬉しいよ」
「えへへ、ありがとうございます。私はそろそろ寝ようと思うのですが、少しでも気は楽になれましたか?もしそうなら、今日ここに来た価値があると思えます」
「ああ、だいぶ気が楽になった。こちらこそ、こんなしがないサラリーマンの愚痴につき合ってくれた上に励ましてくれて、本当にありがとうな」
「そうですか、本当に嬉しいです! 暇なときならいつでもお話につき合いますし、私のほうからも話がしたいときは連絡させていただきますね」
「分かった。では、おやすみ。……あっ、そうだった……」
「まだ膝枕したままでしたね……すみません」
お互い気恥ずかしくなりながらも立ち上がる。
「では改めて、おやすみ。今日は本当にありがとうな」
「おやすみなさい。私こそ、突然連絡入れたのにこんな遅くまで一緒にいてくださってありがとうございます。スイチャオさんにはとてもお世話になっていましたから、少しでも恩返しができたようで嬉しいです。では!」
2人は笑いあってから、同時にログアウトした。
※
その2週間後、良人は正月明けに予定されている大型アップデートの企画を会社に提出した。
レギネスクイーンのバグが発生する数日前から企画書の作成がどうにも滞っていたが、ナツメとの会話後は、今までの光景が嘘のように筆が進んだ。
今の良人は、確かなやる気と自信、そして地力を兼ね備えた状態である。
『ナツメには本当に感謝してるよ』
そう思い、小さく笑う。
3日ほど前にも話した。仕事が順調だと話すと、我がことのように喜んでくれた。
職場の同僚や、ナツメを含む全てのQOプレイヤーなど、自分が関わった多くの人たちのためにも、願わくはこの企画が通りますように。良人は強く願った。
※
企画書を提出した3日後。
「寒川くんおめでとう! 君の提出した企画が通ったよ!」
満面の笑みを浮かべた吉川から吉報を知らされる。
「寒川くん良かったわね!」
「先輩やりますね!」
栗山や小松原たちも祝福してくれる。みんな自分の企画が通らなかったわけだが、その恨みを良人にぶつける様子はない。
「みんな本当にありがとう! 俺頑張るわ!」
吹っ切れた様子の良人。本当によかったな。
※
とは言ってもまだ始まったばかりだ。これから乗り越えて行く必要があることも、挫折を経験することも多くあるはずだ。でも、もう良人はそれを悲しむのではなく、次に繋げることを考えるだろう。
なぜなら、昨日まで生きていて培ったものは、今日を生きるために必要なチュートリアル。今日まで生きてきて培ったものは、明日を生きるために必要なチュートリアル。
そう考えられるようになったから。
それが分かった彼は、もう止まらない。例え遠回りしても、成功に向かって着実に進んでいく。
全ては、今まで自分に関わってくれた皆のおかげだ。それを噛み締めて、寒川良人は今日を全力で生き抜く。