三話 食物と化け物。
翌朝。
少しの仮眠を取った俺は空腹感に呼ばれてリビングのソファから身を起こした。長い間使われてない姉の部屋で泊まってもらった沙凪ちゃんはまだ起きてないらしく、家の中は朝の静けさに包まれ、
「ウァアァアア……。」
包まれてないな。感染者たちの唸り声がうるさい。
そう言えば昨晩、沙凪ちゃんを入れるために風の結界解いちゃったんだっけ。良く寝てる間に侵入されなかったな。
「ひ、ふ、み、四人か……。」
俺は他の感染者の気配の数を数えた後どうするか考えてみた。退治するのは難しくないはずだ。あちらの世界でも少なくないない人数を殺していて、いざっと言う時には戸惑いなく殺せられる。後味は確かに悪いけど人間ってのはいや生命体ってのは結局、我が身可愛さで生きるものだと思いながら適当に最悪感を紛らわせられる。でもこちらの世界に戻ってくれば人を殺さなくっても生きて行けると、そう期待していた俺にとっては意識もなく蛻の殻の様になり人間を襲う感染者を、邪魔だからと言うことで片っ端から処理して行くのは正直気が引ける。
今の俺なら感染者たちと接触することなく移動できるのだ。さっさと沙凪ちゃん起こして移動しちゃお。でもその時、少し気になることが頭を過ぎった。
感染者たちの気配ははっきりするのに全く動きがなかったからだ。
『あ、ハルキ。起きた?』
『フェーヤ。お前なんかやったのか?』
『外の変な人達がこっちに来る気配がしたから、【土縛】で縛ってきちゃった。』
【土縛】は、縛り系の魔法の中でも魔力の消耗が少なく、一度か縛ってしまうと自力もしくは他力で意図的に解かないとそのまま維持できる優れた魔法だ。短所は場所を移動できないことだが今回のような場合は最適の選択だ。
『良くやった、フェーヤ!』
『へへん!偉いでしょう?すごいでしょう?ハルキはあたしがいないと何も出来ないどしょう?』
『最後のはない。』
自慢気に回りを飛び回るフェーヤに軽いチョップをかます。
『いた~い。ハルキの暴力亭主ぅ~。』
『誰が亭主だ、誰が。』
一体精霊の基本常識ってどうなってるんだ?
その時、階段を降りる音が聞こえてきた。沙凪ちゃんも目を覚ましたようだ。
「おはようございます。晴稀お兄さん。」
「おはよう。寝る時間短いね、沙凪ちゃん。もう少し寝ても良かったのに。」
「ゾンビの声聞きながらですか?安全が確認されてないところで熟睡するって自殺願望持ってる人しか出来ませんよ。生憎私はまだ人間諦めてませんから。」
うわ。朝っぱらから刺々しいな。
「沙凪ちゃんってさ。もしかして俺のこと嫌い?」
「いいえ。好きですよ。」
ガーーーーーーン!!!!
な、な、な、な、なに今の発言?!!なんの前触れもなく爆弾投下ですか?戦場のルールは無視ですか?
「ま、正確には世界中の存在が殆ど嫌いですから、’相対的の意味での好き’ですけど。」
ですよね。そんなオチだと思ってましたとも。ええ、勿論予想ぐらいはしていましたよ。本当だよ? 信じてくれるよね?
ああ、誰に言い訳しているんだ、俺。
「取り敢えずそろそろ動こうか。でもその前なんか食べなきゃな。あ、沙凪ちゃんは今何処に暮らしてるの?」
「まさか、私の食料を奪う気ですか? チーム結成数時間で晴稀お兄さんは私の敵になる訳ですか。」
沙凪ちゃんが背中の散弾銃に手を掛けながら俺を睨んできた。
「いや、違う違うって。俺の食料は俺が用意するけど料理とかして食べるには沙凪ちゃんが安心できる場所でしたほうがいいから、聞いただけだし。移動するには沙凪ちゃんの荷物とかも準備しなきゃだめだろう?」
「そうですか。分かりました。」
疲れる。普通の会話が恋しい。
「じゃ、ちょっと待っててくれ。着替えて来るから。」
そして数分後。
着替えました。凹んでいます。
5年間、背丈はそこまで変わってないから大丈夫な筈だと思っていた自分が憎い。確かに背丈は問題なかったけど、問題は筋肉でした。もともと相当細い体型だったせいで、無理やり着込んだジンズとTシャツは千切れ、弾け、丸で緑色の巨体に変身するバーサーカー博士の様な状態。結局ズボンとTシャツはほぼ全滅。
自分なりには細マッチョって感じになったと喜んでいたけど、昔と比べれば思いの他幅がかなり太くなっていた様だった。特に胸板と肩幅が。
幸い下着だけは問題なく着れたが、他の服は何処かで何枚か手に入れる必要があると思う。でもこんな世の中で金で買うことも出来ないし、柄にもない泥棒に転職しなきゃならないなんってあんまりな気もするけど……。
結局ジャージーパンツに袖なしフード付きのTシャツ。そして白黒のウィンドブレーカーに着てリビングに戻る。
「遅くなってごめん。」
『ハルキ。なにその格好?変な服。』
むっ、不思議力で服作ってる精霊なんかに服装で突っ込まれるとは。でもこっちの基準ではそんなに可笑しくないんだぞ。
「いいえ。そんなに待ってませんから。それより外のゾンビ達は晴稀お兄さんがやったんですか?」
あ、そう言えばフェーヤのこと紹介してなかったな。どうするか……。
『それはあたし~!』
だからそんなに自分でアピールしなくっとも、
「え?今変な声が……?」
あれ?精霊の声は聴こえないはず、ってこの反応は
『フェーヤ。お前今【念話】使ったろう?』
『うん。使った。』
はぁ、仕方ないな。いつまでも隠しておくのも何だし。紹介しちゃおう。
「その声は俺の側に飛んでいる精霊の声だよ。外の感染者を魔法で縛ったのもこいつ。」
「精霊ですか?」
俺は【幻影】魔法を使い俺に見えるフェーヤの姿を本当のフェーヤに重ねて見せてやる。
『フェーヤ。【念話】使って自己紹介してくれ。』
『フェーヤだよ。ハルキのフィアンセだよ。』
「誰がフィアンセだ。誰が。」
「本当……に精霊?」
「そうだよ。普通の人には見えないし、声も聞こえないけど、今は紹介の為に魔法使ってるから。」
「普通の人って……。じゃ晴稀お兄さんは……?」
「フェーヤは俺の血を媒介に作られた精霊だし。俺は精霊王から加護も貰ってるから。普通に見えるし会話もできるし触ることも出来るぞ。」
『フェーヤとハルキは一心同体なの~。』
「そんな嘘言ってるとまた二本指アイアンクローかますぞ。」
「触れるってやらしいですね。」
『いや~ん。ハルキのお・照・れ・や・さん。』
「照れてねぇ!!!やらしくもねぇ!!!」
ああ、ずっと隠して置いたほうが何倍も楽だったかも知んねぇ。
何処かで『その時、晴稀は中大な選択ミスをしたのに気づいた。だが流れてしまった時間は戻らない。』と言うナレーションが聴こえた気がした。
◇
「魔法に精霊……ここまで来ると流石に全否定は出来ませんね。」
沙凪ちゃんは必要な荷物を部屋に並びながら、溜息を吐くように言葉を溢した。
今俺と沙凪ちゃんは沙凪の家に来ている。勿論フェーヤも一緒だ。
家と言っても懐かしき弁当屋【井波】の2階。俺の家から徒歩で1分も掛からなかった。
移動中に目に掛かった感染者たち13人を全部【土縛】で縛るゾンビムービーを馬鹿にする所業で移動した為、全否定放棄を宣言せざるを得なかったのである。
一応信じると言っておいても流石に信じられないよな。魔法とか精霊とか異世界とか。俺でも逆だったら信じてないんだと思う。
多分沙凪ちゃんも俺が何か言い訳代わりに使ったネタだと、一旦置いておくことにしていた様だけど魔法で一気に硬いコンクリートが生きた生物の様にゾンビを縛っていく光景は、自分がいつも避けて動くしか出来なかった存在が簡単に片付けられる光景は驚愕に与えするものだろう……。
でも、幸い怖がれてはないみたいだし、いいってことにしておこう。遠くないうちに自ずと全肯定するようになるはずだし。
「それよりさ。何処かで食料品調達出来そうな所ない?」
「……食べ物は自分で何とかするんじゃなかったですか?」
「いや、せっかく戻ったのに異世界の物食べるのもなんか違うと思ってね。アッチではコーラとか焼きそばとか現代の日本の食べ物が無いからめっちゃ恋しかったんだよ。だから場所さえ分かれば自分で取りに行けるんじゃないかな~って。」
そろそろ俺の食欲くんと味覚くんの勝負が味覚くんの負けで終わりそうだ。持っている異世界の材料で料理すれば腹は満たされてそこそこ味はいいんだけど、俺が今欲しているのは日本の食物なのだ!!
でも、もうこんな世になってから1年半経ったんだ。殆どの物は非感染者たちが溜め込んだ可能性はある。でも急速に感染が進んだから。感染者たちを避けるために手付かずになっている場所も少なからずあると俺は睨んている。
「この近くはほぼないと思いますよ。私も食料の問題でそろそろ拠点移そうかと思ってましたし。あ、でもあそこなら……。」
「あそこって?」
「電車駅近くに三年前出来た倉庫型ショッピングモールがあるんです。でもあそこ、はっきり言って地獄ですよ。」
地獄……ねぇ。俺ならなんとかなると思うけどな。
『ねぇねぇ。ハルキ。コーラって美味しいの?』
『まぁ。一応こっちではポピュラな飲み物だな。俺は好きな方だし。』
精霊は食事をしない。理屈はわからないけど精霊の存在自体がエネルギ源だから食べないのだと精霊王は言っていた。でも精霊たちは味を知っている。食物に興味も持つ。満たされない好奇心だと不憫に思われるかも知らないが、人間と契約を交わした精霊達は契約者が食べる時の感覚を共有出来るので味が分かるようになるそうだ。それか俺たちが感じてるのと同じなのかはわからないけど。
「荷造り終わりましたけど、本当に行くつもりですか?」
「行くつもりだけど。沙凪ちゃんはここで待ってる?って荷物少ないね?」
なんつーか少し小さめのバックパク一つと、ショットガンとクロスボウでオシマイって拠点移す割には少なすぎるよな。
「車とかで移動するわけじゃないしごれぐらいが限界ですよ。」
あ、そう言えば先に説明してればよかったな。
「俺のこの腕輪な。亜空間収納の魔道具なんだわ。要するにアイテムボックスな。制限なく入るし、状態も完璧に保存される。だからもっと増えても俺が持てるぞ。」
「……。」
まだ疑いの目で俺を見てる。何時までもそんなんじゃ精神が持たないぞ。
俺は沙凪ちゃんのパックパックに右手をかざし【収納の腕輪】に魔力を流す。アッという間に光の粒と変わったバックパックが腕輪の中に吸い込まれた。
「だから、早いとこ全肯定してしまえば楽になりますよ。沙凪ちゃん。へへへ。」
冗談交じりにアチラで出会った強盗さんの振りをしながら言うと、沙凪ちゃんの目付きが疑いの目からシド目に変わった。
おお、やっぱり美少女はシド目でも可愛いね~。期待通りの反応ごちそうさまでした~。くく。
『ハルキ。今のあれは似合いすぎて変態みたいだった。』
「……ですね。」
え?マジ?
◇
元になる強盗のセリフは「抵抗しなければ、楽にしてやるぞ。へへへ。」だった。あの時はあまりにテンプレで吹き出してしまうぐらいに面白かった。ただソレの真似して面白おかしく言ってみただけなのに、変態呼ばわりとは……。
大の男が拗ねるのは見苦しいを通り越してキモいと認識しているけど今は思いっきり拗ねてみたい。でも俺はそんな見苦しい真似はしない。
元々飛べるフェーヤでもずっと飛び続けるのは厳しいだろうと右手にしっかり拘束……いや補助して沙凪ちゃんを左脇に抱えできるだけ高速に目的地であるショッピングモールの屋上まで移動した。沙凪ちゃんは風圧に少し息苦しがっていたけど、高速の移動の為右手に少し力が入り過ぎていたけど、けして俺は拗ねたわけじゃない。ないのだ。
「ぐはぁ……死ぬかと思いました。」
『フェーヤはもう死んじゃったよ。ああ、精霊王様が呼んでる声が聴こえる。』
死んでないし、死なせるつもりもない。君ら俺を何だと思ってるんだ?
「うむ。やっぱり屋上は誰もいないな。そんじゃこっそり入って食物を頂戴して来るから二人はここで待っててくれ。」
無理な飛行にぐったりしている二人を連れて行くよりは俺一人の方がいいよな。食料だけ確保するだけだから手当たり次第に収納してチャチャッと戻ればいいわけだし。むしろ誰か側にいる方が面倒だ。フェーヤは『これなに?これなに?』と騒ぐだろうし。
「一人で、行くつもりですか?」
「なんか問題ある?」
「さっき言ったでしょう、中は地獄ですよ。化け物の巣窟です。」
「感染者なら戦いですらならないから問題ないよ。」
「だから本物の化け物がいるんです。」
『そう言えば気配違うね。なんか覚えがある気配かも。』
ん? 覚えがある?
俺はフェーヤの視線に釣れられ下を向いて気配探知を行う。そして感じられた気配でフェーヤの言葉の意味を理解した。それは確かに感じたことある気配だった。あちらの世界で。
「まさか、これ【オーガ】……か?」