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瑞穂草子  作者: 長谷川
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肆.春巳将軍

 それから七兵衛ら一行は、騒ぎを聞きつけて現れた奉行衆に引っ立てられ、そのままずるずると緋淵城あかふちじょうへ登った。

 引っ立てられた、と言うと語弊がある。が、奉行衆は内心七兵衛の傍若無人な振る舞いに辟易し、可能ならしばらくの間土牢にでもぶち込んで今回の所業を猛省させたいと切望していたことだろう。


 が、彼らがそうしなかったのは、七兵衛がこれでも一応、


「賓客」


 という扱いだからである。

 それも主君が直々に招いた賓客となれば、嫌でも下手に出なければならなかった。


 無論、七兵衛もそれを分かった上で好き勝手をやっているのだからたちが悪い。


(この俺が厳しい残暑にも耐え、遠路遥々緋淵くんだりまで来てやったのだ。ならばこれくらいの気晴らしは許されて然るべきであろう)


 などと心中で納得し、始終すました顔をしているあたりが、奉行衆にしてみればますます憎たらしかった。

 だが七兵衛が上のような乱行を許されたのもそこまでである。


「上様の御成おなり


 緋淵城の本丸御殿、その白書院へ通された七兵衛たちは、将軍近習の上げる声を聞いて畳に手をつき、深々とこうべを垂れた。

 途端に四人が背にした絢爛な金襖がからりと開き、足袋を履いた足音が一つ、するすると七兵衛の脇を抜けていく。

 が、七兵衛は、形の上ではその足音の主に礼を取りつつも内心、


(何故俺がもののけ・・・・などに)


 と悪態をついていた。

 元来自尊心の強い男なので、自分が苦々しく思っている相手に平伏するという行為が耐えられない。

 そんな七兵衛の心中を知ってか知らずか、足音の主はついに上座へ上り、悠然と打ち掛の裾を払って腰を下ろした。


「面を上げよ」


 やがて書院に響いたのは、澄んだ春風のような声である。それでいてその声には凛とした張りがあり、持ち主の気性の強さを物語っているかのようであった。

 その声に導かれ、頭を上げた七兵衛らの見やる先。

 そこで赤い敷物の上に端座しているのは、桜色の小袖に緋の打ち掛をまとった一人の若い女である。


「久しいな、吉村きちむら。遠方からの参向、大儀である」


 春巳野はるみの蓮香れんか

 それが、七兵衛が内心おろち・・・と呼ぶこの女の名前であった。


 蓮香は倭王の崩御より二百年以上の歴史を持つこの瑞穂において、古今唯一の女将軍である。

 その見目は美しく、すっと鼻筋の通った顔立ちが、いかにもこの将軍の気丈さを物語っていた。


 齢、わずか二十六。


 何の因果か、七兵衛と同じ歳である。


「楽にせよ。直答を許す」

「元よりそのつもりだが」

「ほう。相変わらずその図々しさは健在か。まあ、貴様が今更殊勝になったところで気味が悪いだけだが」


 脇に置かれた脇息に肘を預け、蓮香はからからと不敵に笑った。すると、その黒髪に挿されたかんざしの金細工がさらさらと揺れて涼やかな音を立てる。

 鮮やかなほど緋い打ち掛の下に畳まれた、松葉色の袴がよく映えた。蓮香の髪もまた腰に届くほど長く、今はその一部だけを結い上げて、残りは肩から垂らしている。


癸助きすけもよくぞ戻った。そちらにいるのは利吉か? 前に会うたときよりいくらか痩せたな。いや、やつれたと言うべきか」

「あはは、そうかもしれません。何せ七兵衛さんのお世話をしてると、体がいくつあっても足りませんから」

「それはまた気の毒な。大方またそやつのくだらぬわがままに振り回されておるのだろう。そなたもたまには日頃の鬱憤をぶつけてやれ。私が許す。でないとそなたの身が持たんぞ」

「ありがとうございます。蓮姫はすひめ様にそのように仰っていただけると、おれも心強いです」


 蓮香の言ににこにこと答えた利吉は、終始上機嫌であった。主の七兵衛とは違い、自らの日頃の苦労を思いやってくれる相手と話ができるのが嬉しくて仕方がないらしい。


 その利吉は昔から蓮香のことを、


「蓮姫様」


 と呼び、仰慕の念を寄せていた。

 〝蓮姫様〟というのは巷でも多くの民が親しみを込めて使っている呼び名であり、当人もそう呼ばれることをことのほか気に入っているようだ。


「ところで義兄上あにうえから話は聞いたぞ。何でも我が城下をずいぶんと賑わせてくれたそうではないか、吉村」

「何、それなら礼には及ばん。ただお前の侍女のお志乃しのに今度一献、この俺とささを愉しもうとことづけてくれたらそれで良い」


 ぬけぬけと言った。これには供の利吉の方が青い顔をしている。

 そもそも一国の主である蓮香のことを、


「お前」


 などとぞんざいに呼ばわっていることが問題だった。これがもし他国の将軍の前ならば、書院の隅に控えた家来衆が総立ちになり、すわ、こやつ無礼討ちにすべしと口角泡を飛ばして鞘走っていたに違いない。


 だが当の春巳の家来衆はと言えば、いずれも涼しい顔で中座に座り、眉一つ動かさずにじっとしていた。

 つまり、慣れている。

 七兵衛に限っては蓮香をそう呼ぶことを許されていると知っているため、いちいち御為顔をして騒ぎ出すようなことをしないのである。


「良かろう。ならば今度、奥にある私のねやを訪ねてくるが良い。そのときは志乃の代わりにこの私が貴様の相手をしてやる。有り難く思え」

「慎んでご遠慮申し上げる」

「何だ。私では不足だと申すか」

「お前の言う〝相手〟とは、酒だの徒事あだごとだのことではあるまい。悪いが俺には生きたまま巻き藁になる趣味はないのでな」

「ほう、よくぞ見抜いたな。実は先頃、当家家宝の『銀雪ぎんせつ』に次ぐ業物が手元に届いたのだ。貴様でその試し斬りをしてやろうと思ったのだが、いやか」

「厭に決まっている」

「仕方がない。ならばそれは次の機会としよう」


 これにはさすがの七兵衛も苦い顔をした。何ともふざけた言い草だが、蓮香のそれがただの冗談ではないことをこの男はよく知っている。

 ならば今はただひたすら、蓮香の言う〝次の機会〟が永遠に訪れぬことを祈るしかなかった。この女将軍は隙あらばいつ斬りかかってくるとも分からぬゆえ、油断はできない。


「それはそうと、さゆ。此度の騒ぎの原因はそなたにあるそうだな。いきさつは既に衛士えじより聞いた。何でも符術を用いて衛士どもの目を欺き、城の外へ脱けようとしたとか」


 ところが七兵衛がそんな心構えをしている間に、話は本題へ移っていた。

 七兵衛よりやや後ろに控えたさゆへと注ぐ、蓮香の眼差しはひどく冷たい。その眼差しに射抜かれているせいか、畳に手をついたまま静止しているさゆの緊張が七兵衛にもまざまざと伝わってくる。


「それについて、何か弁明はあるか」

「……いいえ、ありません」

「そなたの術に化かされた衛士どもは、武士の面目を潰されたと騒いでおるそうだぞ」

「……」

「まったく、これはまたとんだ平壊者がおったものよ。そなたもずいぶんと厄介な娘を連れ込んでくれたな、癸助」

「申し訳ございません。さゆには上様のお心の潔白なこと、よくよく伝え聞かせたつもりでおりましたが――」

「癸助さんは何も悪くありません。私はただ一人で九嵋山くびざんへ行くと言っただけ。それを姫様にお許しいただけなかったから、あのような手段に出ただけです」


 突き放すような口調であった。その声音には蓮香に対する畏怖が滲みながらも、同時に彼女を拒絶する強い響きがある。

 昨今、戦乱続く瑞穂国みずほのくにで最も恐れられていると言っていい蓮香に対し、このような態度を取れる人間はよほどの剛の者か愚か者かのどちらかであった。

 蓮香の表情は、変わらない。ただなおも豪奢な脇息に身を預け、冷ややかさを湛えた目をわずかに細めただけである。


「ときに蓮香。この娘は先程から九嵋山、九嵋山とそればかり申しておるが、あの山が一体何だというのだ」

「ああ、そう言えば、貴様はまだ事情を知らぬのだったな。癸助にはどこまで聞いた?」

「このさゆという娘が符術師で、何者かに狙われているというところまでだ。それと先刻、〝禁術の書〟がどうこうと申しておったようだが」


 試すように七兵衛が言えば、背後でまたさゆが身を硬くする気配があった。

 先程の癸助との会話は、聞かれていないと思っていたのだろう。何しろかなり声を低めていたから、七兵衛ほどの地獄耳の持ち主でなければ確かに聞き逃していたに違いない。


「そう、その禁術の書のことよ。そこにいるさゆは、秘術の里と呼ばれる隠れ里の出身でな。その里には世にはぐれた符術師のみが暮らし、さゆはそこの長夫婦の娘であった。が、その秘術の里が半年前、とある男の差し向けた手勢によって滅ぼされ、わずかな生き残りを除いて里人は皆殺された。そのわずかな生き残りの中の一人がさゆというわけだ」

「ほう。しかし、とある男というのは?」

鴉土国あどのくに将軍、玄田くろた右幽うゆう

「く、玄田右幽!?」


 途端に頓狂な声を上げたのは、緊張した面持ちで座していた利吉であった。

 玄田右幽と言えば、目下瑞穂国に広がりつつある反春巳野勢力の中で最も力を持ち、その中心的位置を占めている有力武将である。その玄田が治める鴉土国はここ春巳と南の封境を接し、互いの領土を巡って幾度も戦戈を交えていることは既に述べた。

 とすれば、蓮香とさゆはこの玄田右幽を仇としている点において立場が共通していると言えるが、それならばさゆのこの頑なな態度の理由が分からない。


「け、けど、玄田は何でまた符術師の里を襲ったりしたんです?」

「玄田右幽はこのところ、幕下にしきりと妖術師を招いておってな。どうもまともに戦をしたのでは、到底この私に力及ばぬと判じたようだ。そこで雑兵の代わりに妖術師を戦陣に加え、その力でもって我が軍に対抗しようとしておるのよ。まったくさもしい考えだが、それが此度の暴挙を招いた」


 言って、蓮香は脇息にもたれたまま、ぱっと手元の銀扇を開いた。

 そうしてぱたぱたと風を送る姿は雅でありながら、どこか気怠げにも見える。


「秘術の里には古来より〝禁術の書〟と呼ばれる奥義書が存在し、それを守るのが里の符術師たちの使命であった。ところがその話がいずこからか洩れ出て玄田の耳に入り、やつはその奥義書欲しさに里を襲ったのだ。それまでにも再三、里に禁術の書を譲り渡すよう催促の使者を送っていたそうだが、それをことごとく拒まれたのでついに乱心したのであろう。それでなくともあのぼんくらは気が短い」

「なるほど、鴉土もそこまで逼迫ひっぱくしたか。だがそれもこれも、お前が情け容赦なく玄田の軍勢を打ち払ってきたせいではないのか?」

「馬鹿を言え。先に我が領分を侵したはあの玄田づれよ。それを己が無能を棚に上げ、罪もなき民草に当たり散らすとは閻魔王も呆れ果てるわ。ついては私が直々に天誅を下してやりたいところだが、その前にやつが禁術を手にしてはその願いも叶わなくなる」


 倦怠気味にそう言って、蓮香は一つため息をついた。このような些事にいちいち煩わされるのが面倒でならないといった様子である。

 だが幕下に戦力として妖術師を引き入れているという玄田の計略を、ただ浅ましいと言って捨てるわけにもいかなかった。

 実際のところ、瑞穂中の妖術師を掻き集めたところでそれがどれほどの戦力として期待できるのかは不明だが、幻術や呪術といった妖しの術は市井の者にはあまり馴染みがなく、それらが大量に用いられれば春巳軍の士気に関わるであろうことは明白である。

 更に聞けば、玄田は自らの召集に応じた妖術師に賜姓し帯刀まで許しているというから、その待遇に目が眩んで馳せ参じる妖術師の数も決して少なくはないだろう。


「しかしな。玄田が追い求めているというその禁術の書とは、そこまでして手に入れる価値のあるものなのか?」

「〝禁術〟とはすなわち〝禁忌の術〟よ。あの書の中には、使えば国一つ簡単に滅ぼせてしまうような術がいくつも記されている。あんなものがあの男の手に渡ったら、この国どころか瑞穂一円が滅びるわ。だから私は、この命に代えてもあの書を守らなきゃならない」


 答えたのは蓮香ではなくさゆであった。これには思わず七兵衛も背後へと視線を送る。

 さゆは依然こちらと目を合わせようとはしなかったが、その表情にはひどく思い詰めた気色があった。

 しかし分からないのは、それとさゆの言う〝九嵋山〟との関係である。


「禁術の書は、今は九嵋山に隠してあるの」


 とさゆは言った。


「さっきあなたが言ってたように、あの山には今も妖狐の伝説が残ってて、まったく人が近寄らない。私たちはそれを利用して、玄田の手先が攻めてくる前に禁術の書をあの山へ移したの。その事実を知っているのは里でもごく一部の符術師だけだけど、もしそのうちの一人でも玄田に捕らえられたりしたら、禁術の書の在処が暴かれてしまう可能性がある。そうなる前に私が九嵋山へ行って禁術の書を回収し、やつらの目の届かないところへ封じる……つもりだったんだけど、玄田が放った追っ手を撒くことができなくて……」

「それで半年間方々を逃げ回り、ついに力尽きて倒れていたところを、たまたま通りがかった癸助に拾われたというわけだ」


 最後は上座の蓮香が引き取って言い、さゆは己の無力を恥じ入るようにうつむいた。

 しかしそれならば、この娘が癸助にはやけに心を開いているのにも頷ける。初対面の七兵衛たちとは目も合わせようとしないのに、癸助と言葉を交わすときだけはその表情が豊かさを取り戻すのだから、七兵衛は内心癸助を呪った。妬心というやつである。


「そこで、だ。聞いてのとおり、さゆには今なお玄田方の追っ手がかかっている。その状況下で九嵋山へ赴き、禁術の書を回収するとなれば、それ相応の危険が伴う旅になるであろう。かと言って書が玄田の手に落ちる可能性があるのを、ただ指を咥えて眺めているというわけにもゆかぬ」

「なるほど。それでその道中の用心棒として俺たちが呼ばれたわけだ」

「――私は一人でいいと言ったのに」


 そのとき、納得しかけた七兵衛の言葉を遮って、冷たいさゆの声が響いた。

 これには利吉がぎょっとしている。一方、上座の蓮香は露骨な呆れ顔である。


「さゆ。そなた、まだそのような戯れ言を申すのか」

「いくら癸助さんの知り合いと言われても、やっぱりよろず屋なんて胡散臭すぎます。そんな得体の知れない人たちと行動を共にするくらいなら、私一人で九嵋山へ行った方がいい。私だって自分の身くらい自分で守れます」

「そう言って半年も路頭に迷い、結局九嵋山へは辿り着けなかったのであろう。そうして行き倒れていたところにもし癸助が現れなんだら、そなたは今頃玄田めに拈り殺されておったやもしれんのだぞ」

「だとしても同じ轍は踏みません。これ以上誰にも迷惑をかけたくありませんから」

「迷惑と言うなら、そなたが玄田に捕らわれて、禁術をやつに譲り渡してしまう方が迷惑だ。何度も言うが、そなたをつけ狙っている連中はそなたが思っている以上に手強い。だから私はこの二人を呼び寄せたのだ」

「それでも、私は」

「小娘」


 と、ときに蓮香が、ぴしゃりと扇を閉じて言った。その語気の鋭さに、さしものさゆもびくりと肩を震わせる。

 蓮香の表情はいくらか険しく、彼女はついにゆらりと脇息から身をもたげた。

 この女将軍は幼少の頃より数多の戦場で采配を振るってきただけに、苛立つと自然、殺気を滲ませる癖がある。


「私のことが信用ならぬと言うのならそれでも良い。だがそなたのその肩には、我が春巳の一六〇万の民の命が乗っておるのだ。そなたには未だその重みが分かっておらぬと見ゆる。玄田への憎悪に固執するあまりにな」

「私は」

「これ以上はかくて申すな。そなたは黙ってこの二人に守られておれば良い。多少横暴な物言いに聞こえるやもしれぬが、これもそなたと春巳のためだ。貴様もそれで異存はないな、吉村」


 険のある口調でずけりと言い、蓮香は睨むような視線を七兵衛へと移した。

 しかしそのとき七兵衛は、書院の壁に描かれた見事な松の絵に目を奪われている。

 一面金箔を塗された壁、襖に堂々と躍る松の絵は、いつ見てもため息の出るような秀作であった。

 その松に目を向けたまま七兵衛は言う。


「蓮香、表を見たか? 今日は実に良き日和だ」

「何?」

「こんな日には、茶室でのんびり茶でも喫するのが良かろう。俺は喉が渇いた」


 ゆったりと腕を組み、七兵衛は陶然と松を見つめる目を細めた。その何の脈絡もない七兵衛の言を聞いた一同が、揃って怪訝な顔をしている。

 が、ただ一人、上座の蓮香だけは顔色を変えず、


「左様か。では、そのようにしよう」


 と言って、再びぱちりと扇を開いた。

 そうして自身に風を送る横顔は、普段の怜悧な主君のそれに戻っている。

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