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瑞穂草子  作者: 長谷川
19/21

拾捌.大博奕

 一方その頃七兵衛は、利吉の催促に追い立てられ、再び奥の広間へとやってきていた。

 既に春巳軍はるみのぐん諸将による評定は済んでおり、七兵衛が引き戸をくぐったときにはまたしても蓮香れんか一人が上座で七兵衛を待ち受けている。


「来たか、吉村きちむら。傷の具合は?」

「大事ない。で、評定ひょうじょうの結果はどうなった」

「どうにもならぬ。私に逃げよと申す者、攻めよと申す者、双方怒鳴り合ってろくに話し合いもできぬ有り様だ。いずれも可愛い我が忠臣どもだが、春巳侍はるみのざむらいはどうも気性が荒くて敵わぬ」

「なるほど。この主君にしてこの家来あり、というわけだな」

「何か言ったか?」

「いや、何も」

「とにかく事ここに至っては、春巳野はるみの家当主である私の一存にて国の行く末を決めるしかあるまい。そこで、決めた。禁術の符を取り戻す」

「ほう。して、方策は?」

「狙うは北の一点のみ。禁術の符は、五枚の内一枚でも揃わねば術を発動させることはできぬのであろう。ならばむやみやたらに兵力を分散させるより、一枚の符を奪うことに専念した方が良い。こちらには春巳軍三百の精鋭と、新堂一門の人数をつける」

「果たしてそれで上手くゆくかな」

「ゆかねばここで滅びるまでよ。鴉土軍あどのぐんは既にこちらが放った夜襲の軍を押し返し、その勢いに乗じて七千の軍を繰り出したらしい。それがこの城へ攻めかかってくるのも時間の問題だ。恐らく玄田くろたはその七千の軍に我らを足止めさせ、その隙に五枚の符を所定の位置に置き、月が中天に差し昇るを待って一気に禁術を叩き込むつもりであろう」

「それで、北の符か」

「左様。我が春巳野の誇りに懸けて、鴉土の軍勢は一兵たりともこの城より北にはやらぬ。我らがそうして敵を防いでいる間に、何としても禁術の符を取り戻すのだ。今ここで逃げたところで、あれが玄田の手にある限り、我が覇道は常に障風に悩まされることになる」

「だがもし禁術を阻止できなければ、覇道どころの話ではないぞ。せめてお前だけでもこの城を離れ、身の安全を図った方が良いのではないか?」

「この私に、玄田のごとき下郎を恐れて逃げよと申すのか?」

「そういうお前の性格も玄田は利用していると見た方がいい。玄田は恐らく、お前が敵に背を向けて逃げ出すなどという恥辱に耐えられるはずがないと読んでおる。その裏を掻くには、お前がこの城から姿を晦ますのが一番だ。何より俺に言わせれば、お前の言うその策は、甘い」


 板敷の上に胡座をかいた七兵衛がきっぱりと言えば、蓮香はたちまち顔色を変えた。先にも述べたが、この女将軍は幼少の頃より数々の戦場に出てその軍才を振るってきただけに、己が戦の采配にはそれなりの自負を持っている。

 それを始末屋崩れの道楽者に〝甘い〟と一蹴されたのでは、自尊心が傷つくのも無理はなかった。

 が、そこは蓮香も将軍の器である。


「では、具体的に何がどう甘いと申すのだ?」


 すっと冷静になって言った。広間の外では南から攻め寄せる鴉土軍に備え、春巳の武士たちが慌ただしく駆け回っている。


「まず一つ。敵があの北原一門を従えているということを忘れている。厄介なのは足止めの軍ではなく、あの一門が使う烏操うそうの術だ。お前には五枚の符を仕掛けにゆくのが、間違いなく人間であるという確証でもあるのか?」

「まさか」

「先刻馬上でさゆから聞いた話によれば、符を仕掛けるのは何も術師でなくとも構わぬという。ただ禁術を行使するそのときに、五枚の符が所定の場所に置かれておればそれで良いのだ。ならば北原一門が五羽の烏に符を背負わせ、時が来るまで宙を舞わせていたら何とする。この暗闇の中、残り二刻足らずの間に、山野の烏を狩り尽くすのか?」

「それは」

「更に一つ。お前はとにかく符の一枚さえ奪ってしまえば事は済むと考えておるようだが、それも甘い。玄田がそれを見越して予備の符を用意させていたらどうするつもりだ」

「確かに禁術の符と言えど、見様見真似で作れるのならその可能性もなくはないが……」

「たとえわずかでも可能性があるのなら、用心しておくに越したことはない。よってお前がここに留まることは、無謀だ。俺の見立てでは、今の状況で玄田から禁術の符を奪い返すことはほとんど不可能に近い。まずはあやつを討って鴉土軍を混乱させ、時間を稼ぎ、然るのちに禁術の符を奪うのが上策であろう」

「つまり貴様は守りの戦を捨て、全滅覚悟で鴉土の陣を攻めよと申すのか」

「お前がここを離れた上でな」

「どうあっても私をこの城から追い出したいようだな」

「〝ならば貴様は生きて苦しめ。そして私に天下を取らせよ〟。そう言って、死にたがっていた俺に無理矢理命を貸したはお前であろう。ならばお前には意地でも天下を取ってもらわねば困る。でなければ俺はただのいびられ損ではないか」


 言っている内容はふざけているが、しかし七兵衛は大真面目であった。ここで蓮香にたおれられては、七兵衛がこれまで彼女からの執拗な嫌がらせにも耐え、その覇道を健気に支えてきた意味がなくなってしまうのである。

 が、蓮香も強情であった。玄田ごときに背を向けて逃げるという屈辱が、どうしても呑めないという様子であった。

 蓮香はこれまで国に何か大事があれば、常に自ら先陣に立って戦ってきた気性の持ち主である。

 しかもそういう戦では、大抵どんな劣勢であっても状況を覆し、幾度となく華やかな勝利を飾ってきた。


「その戦歴に傷がつく」


 ということを、この誇り高い女将軍は認められない。

 何より家臣を身代わりのようにして自分一人が逃げ延びるということを、肯んじられる性格でもなかった。それが一国の存亡に関わると分かっていても、即座に非情な判断を下すことができないのである。


 そういう主君であるから家臣団はかえって彼女を慕い、主家のために死力を奮って戦うことを誓っていると言っても過言ではなかった。

 しかしここぞという局面で非情になりきれぬということは、一国の主としての美徳であると同時に致命的な欠点であると言ってもいい。


「ならば、吉村」


 と、そこで蓮香は次の折衷案を持ちかけた。


「貴様の言うとおり、春巳軍はこれより南の鴉土の本陣を攻める。狙うは玄田の首一つだ。が、やはり私はこの戦場いくさばから逃げるわけにはゆかぬ。これが春巳の命運を懸けた一戦となるのなら、私は家臣らと生死しょうじを共にする」

「蓮香」

「ゆえに貴様は私を守れ。共に戦場に出て警固せよ、と言うのではない。貴様の下には、我が新堂一門の人数をつける。そやつらを使い、何としても後顧の憂いを断て」

「つまり、禁術を阻止しろと?」

「やり方は貴様に任せる。生憎ながら目下一門の当主を務める我が義兄あには、貴様ほどの才覚を持ち合わせてはいないのでな。本人もそれは認めている。ゆえに貴様に新堂の者たちを預けることを、頑なに拒みはしないだろう」

「むごい女だ。この俺に、今更始末屋に戻れと言うのか」

「一夜限りだ。それも貴様が直接手を下すのではなく、新堂の者たちに指示を与えるだけで良い。私も相応の償いはする。この依頼、受けてくれぬか」

「受けぬわ」

「吉村、貴様」

「――お待ち下さい、蓮姫はすひめ様!」


 そのとき、七兵衛が背にした引き戸ががらりと開いたかと思えば、廊下から血相を変えたさゆが飛び込んできた。

 後ろには利吉の姿もある。どうやら二人は七兵衛のあとを追い、広間の前に至って聞き耳を立てていたようである。


「そういうことなら、禁術の阻止には私が行きます。元はと言えば今回の事態を招いたのは私です。その責任は取らなくちゃ……こんなことになったからには、持てる符術の限りを尽くして、何としても玄田の企みを止めてみせます」

「しかし、さゆ。そなたとて玄田に狙われている一人なのだぞ。再び捕まれば、今度こそ何をされるか分からぬ」

「それも覚悟の上です。私は死んだ両親から、何があっても禁術を守り抜くようにと里の使命を託されました。その両親との誓いを果たすためにも、玄田に禁術を使わせるわけにはいかない。だから、お願いします。どうか私を行かせて下さい」


 言って、さゆは素早く床に膝をつくや、上座の蓮香へ向けて深々と頭を下げた。それを見た蓮香がちょっと閉口したような顔をしたのを認めたのか、ときに利吉がさゆの隣へ進み出て言う。


「おれからもお願いします、蓮姫様。どうかさゆさんに、過ちを償う機会を与えてあげて下さい。何ならおれたちがさゆさんの護衛についても構いません。元々おれたちは、さゆさんの用心棒として雇われたんですから。ね、七兵衛さん」

「そうだな。あるいはさゆが無防備になったと知れば、北原一門が再び集まってくるやもしれぬ。そちらにやつらの注意が引きつけられれば新堂一門もいくらか動きやすくなろう。その隙に何とか玄田の策を妨害できれば良いが」

「待て、吉村。ということはやはり、貴様が新堂一門の指揮を執るということか?」

「いいや。俺は始末屋には戻らぬ。ただよろず屋の仕事をするまでよ。よって、お前のことまで守ってやれる保証はない。あとはお前が春巳国を賭け代に、本気で博奕ばくちを打てるかどうかだ」


 七兵衛はけろりと言った。対する蓮香は脇息へわずかに身をもたせ、眉間に皺を寄せている。

 開き直った七兵衛に、怨念を飛ばしているわけではなかった。家臣たちが起こす外の騒ぎを聞きながら、何事か思案している。

 その思案の中身は言わずもがな、石高百六十余万石という大国を双肩に負った我が身の処し方である。


「私は勝てぬ博奕は打たぬ」


 やがて蓮香が発した言葉は、それだけであった。

 七兵衛の返した銀扇が、蓮香の手中でぱちりと開く。


 日衡城ひばかりじょうに拠る将士七千、ひいては春巳国の命運が決定した瞬間である。


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