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瑞穂草子  作者: 長谷川
11/21

拾.秘術の里

「徒労であった」


 と、七兵衛は嘆いた。


 無理もない。拠点としていた井ノ子いのこから百二十里(四八〇キロ)も離れた緋淵あかふちへ差し上り、山海さんかいを渡って遥々九嵋山くびざんへと赴き、そこから更に秘術の里を目指すに当たって七兵衛は落胆すべき事実を知った。

 さゆの話によると、彼女の故郷である秘術の里は井ノ子の真北、たった十里(四〇キロ)先の山中にあるというのである。

 十里と言えば正確な場所さえ分かっていれば、かちでもたった一日で移動できる距離だった。


「ならばこの一月ほどの旅は何だったのだ」


 と、このひどく物臭な男は南西へ進路を取る間、終始童のように拗ねている。

 九嵋山の麓の里から秘術の里までは、およそ六十里(二四〇キロ)ほどの道のりだった。途中何度か雨に降られたものの、最も厄介な北原の追跡はやはりない。

 さゆが本物の書の在処を知らぬ上、当主の紫幻斎しげんさいが片手を失ったとなれば、それも至極当然の成り行きであった。

 おかげで秘術の里を目指す道中は気楽なもので、道々に垂れる稲穂やそれを刈り入れる農夫たちの姿を、歩きながらゆったりと眺める余裕がある。


 が、旅路にそんな慰めを見つけたのはどうやら七兵衛一人のようで、さゆは相変わらず黙々と道を急いでいた。七兵衛が預けた脇差を腰に帯びるようにはなったが依然心は閉ざしたままで、一刻も早く故郷へ帰り着き、この得体の知れない男どもから解放されたいという主張が正直に顔に書いてある。

 加えて九嵋山麓での一件以来、利吉も極端に口数が減り、さゆの心をこじ開けようという無謀な試みはしなくなった。


 ゆえに三人は、ひたすら黙然と南西を目指す。

 端から見れば、彼らは非常に奇妙な一行であるに違いない。


「利吉。お前までこの間から何をふてくされておる」


 その道中、途中の宿での、朝餉あさげの席でのことだった。向き合った七兵衛と利吉の間には、質素な朝飯を乗せた膳が二つ鎮座している。

 利吉はそこに並んだ膳部を、黙々と食っていた。

 顔は不機嫌そのものである。さゆも今頃隣の部屋で、同じような顔をしながら膳をつついているに違いない。


「別に、誰もふてくされてなんかねぇっすよ」

「左様か。ならばもっとうまそうに飯を食え。目の前にお前の不景気な面があると、俺まで飯が不味くなる」

「……」

「いや、しかし、この魚はうまいな」


 塩焼きにされ皿に並べられた小魚を、七兵衛はばりばりと頭から噛み砕いて言った。

 安宿ゆえ出てくる食事もどこか味気ないが、この魚だけは七兵衛もいたく気に入ったらしい。


「……秘術の里まで行って、どうするんすか」

「何?」

「さゆさんを秘術の里まで送り届けたら、おれたちは緋淵に戻るんでしょう。それで、どうするんすか。結局禁術の書は見つからなかった、なんて言ったところで、蓮姫はすひめ様が納得して下さるとは思えませんけど」

「まあ、それは、そのときが来たら考える」


 と、魚の身を口に含んだまま、七兵衛は至ってのんきに言った。

 それがまた利吉の感情を逆撫でしたらしく、眉間に皺を寄せた利吉の箸がざくりと哀れな焼き魚に突き刺さる。


「おれだって納得いきませんよ。七兵衛さんはあの晩、呪いに殺される危険を冒してまでさゆさんを守ったんですよ? なのに礼の一言もなく、開口一番に〝人殺し!〟だなんて、いくら何でもあんまりじゃないっすか」

「かと言って、さゆは俺の事情を知らぬしな。あのときもさゆが要らぬと言うのを聞かずに俺たちが勝手に助けたのだ。ならばそれに礼を求めるのはお門違いというやつであろう」

「だとしてもあの言い草はないっすよ。七兵衛さんは腹が立たないんですか? あそこでおれたちが助けなきゃ、さゆさんは間違いなく北原に殺されてたはずです。そもそも七兵衛さんが飛沢とびさわの当主になったのだって」

「利吉」


 いつになく鋭い声が飛んだ。途端、魚の身を引き裂いていた利吉の箸がぴくりと止まる。

 次いで聞こえたのは、大儀そうな七兵衛のため息だった。

 目の前に、真っ赤な梅干しが一つだけ乗った湯漬けがある。申し訳程度の塩味がついたその湯漬けを、無造作に掻き込みながら七兵衛は言う。


「阿呆めが。だからお前は半人前なのだ。女の癇癪には逆らわぬのが男の美徳。あれしきの戯れ言も笑って聞き流せぬようでは、あっという間におなごに愛想を尽かされるぞ」

「ご忠告は有り難いんですがね。おれは七兵衛さんと違って、好い仲の女性にょしょうなんかいませんし作る暇もありませんから」

「嘆かわしいな。十六にもなって未だ筆下ろしも済んでおらぬとは、お前はそれでも俺の弟子か」

「余計なお世話っすよ!」


 思わず声を荒らげ、利吉は引き裂いたばかりの魚の身に勢いよく箸を突き刺した。

 まったくむごい八つ当たりである。が、七兵衛は取り合わず、梅の味が効いた湯漬けをなおもせっせと掻き込みながら言う。


「とにかく俺は決めたのだ。まずは秘術の里へ行き、そこで次の展望を考える。さゆは一刻も早く俺たちから離れたがっているようだ。ならばそれをいつまでも連れ回すのは酷であろう」

「珍しく消極的な意見っすね。いつもなら目をつけた女性にょしょうは落ちるまでしつこく追い回すのに」

「押して駄目なら引いてみよ、という至言があるのを知らんのか。おなごを落とすには様々な駆け引きが要る。さゆの場合、これ以上押せば更に心を閉ざすのは目に見えているであろう。ゆえにここは一度引き、俺たちの関係に一区切りつけようというわけだ」

「なるほど。要するに、あれだけ拒まれてもまだ懲りてないってことっすね」

「俺に落とせぬおなごはいない。俺はその矜持を懸けて秘術の里へゆく」

「その矜持をもっと恥や外聞に向ければいいのに」


 痛烈な皮肉であった。しかし七兵衛は相変わらず痛くも痒くもないという顔をしている。

 それどころかそんなすまし顔のまま、ひょいと利吉の膳に箸を伸ばし、何とか無傷でいた魚を一尾奪って勝手に食べた。

 あっと声を上げる暇もなく朝食を奪われた利吉は抗議したが、七兵衛はやはり悪びれもしない。


 そんなことがあってから、利吉はすっかりいつもの調子を取り戻した。

 街道を、ぐちぐちと悪態を垂れながらゆく。三人の旅路はそれだけでとみに賑やいだ。

 たださゆだけがそんなよろず屋の口論をうるさそうに聞きながら、口を閉ざしてさっさと行く。


 次なる山へ入ったのは、九嵋山の麓の里を発ってから六日目のことだった。

 二日前に降った雨の名残で、せ返るような草木の匂いが湿気の中に満ち満ちている。

 ここ数日、瑞穂では夏がふと忘れ物でも思い出し、駆け戻ってきたかのような気候が続いていた。

 それが山の匂いを濃くしている。緑はまだ鮮やかで、さゆはそれを掻き分けながら七兵衛らを先導してゆく。


「着いた」


 やがてはたと足を止めたさゆがそう呟いたのは、山に入って一刻と半(およそ三時間)が過ぎた頃のことだった。

 山の中腹を巻くように進み、一行は下りの斜面に差し掛かっている。

 そこから、勾配の下に広がる小さな盆地が見えた。四方をなだらかな山に囲まれたその盆地は、ちょうど緑の椀の底のように見える。


「あれがそなたの生まれた里か」


 椀の底は、一面の焼け野原であった。

 ここから見ても、半年前に里を滅ぼしたという北原一門の襲撃が、いかに酸鼻を極めるものであったのかが窺える。

 燃えるものには何でも火を放ったという風に見え、田畠まで灰を被っていた。さゆはその椀の底へ、無言のままで下りてゆく。


「こんなところに、本当に手がかりなんてありますかね?」


 里に入ると、あちこちで焼け崩れた家屋を見やり、利吉が気弱な声を上げた。例の事件以来この里に立ち入る者は誰もいなかったのか、今も物陰には里人のものと思しい亡骸が転がっている。

 異臭がしていた。里全体が死の臭いに覆われている。

 風は淀み、この里だけが周囲の時の流れから隔離され、濁った沼の底のように静止していた。されどさゆは凄惨な事件の爪痕など何一つ五感には触れていないかのように、すたすたと里の中を突っ切っていく。


「ここは?」


 そのさゆがやがて足を止めたのは、一軒の家屋の前だった。家屋と言ってもやはり他のそれと同様、跡形もなく焼け崩れてしまっている。

 が、見たところその家屋は他のものよりも一回りほど大きく、場所も里のほぼ中心に位置していた。

 さゆはその焼け跡の前に、しばしの間立ち尽くしている。


「ここが私の家だった」


 ややあって、さゆがぽつりと言った、やはり、と七兵衛は思ったが口にはしない。

 かつてさゆが両親と共に過ごしたというその家は、今やただの炭の山だった。

 原形を留めていない。燃えるものはことごとく焼け、ここから何か禁術の書の手がかりが見つかるとは到底思えない有り様である。


「壺やなんかも、全部割れちまってますね。落ちてきた天井の下敷きになったのかもしれませんけど、あるいは……」

「北原が先に入って手がかりを求めた。が、結局何も見つからず、腹いせに家を燃やした、とも考えられるな」

「どちらかと言うと、そっちの方が正解なんじゃないっすかね。北原も手がかりを見つける前に、いきなり火を放つなんて馬鹿な真似はしないでしょうし」

「ということは、ここには何もない可能性が高いな。さゆ、他に思い当たる場所はないか?」

「……」


 さゆは答えない。答えられない、という風に見えた。

 今はこの家で両親と共に過ごした記憶が、まざまざと胸に甦っているのであろう。

 そこに問い重ねることを、七兵衛は諦めた。そんなことをしても、今は壁に話しかけるようなものである。


 が、ときに七兵衛は、さゆの生家からほんの少し離れた場所に一本の松が佇んでいるのを見つけた。

 背は低いが、太い幹が数頭の龍のごとくうねり、その先に青い葉を湛えた堂々たる古松である。


(ほう、これは)


 と、思わず緋淵城の書院で見た名画の松を連想し、七兵衛はそれへ歩み寄った。これだけ里が激しく燃えたにもかかわらず、松は何か神聖な力によって守られたかのごとく無傷である。

 ところがその松の幹には、一枚のこもが巻かれたままになっていた。冬が来る頃に巻き、木を枯らす虫の子が寒さを凌ぐためにそこへ集まるのを捕らえるための菰である。


 通常、菰巻きと呼ばれるそれは春の訪れと共に外して焼いてしまうのだが、里が襲われたのはちょうどその頃だというので外す間もなかったのであろう。それを今外したところで虫の子は既に成虫となり、卵を産んでしまっているに違いない。

 しかし七兵衛は、あまりにも見事なその松を隠す菰の存在が気に入らず、己の一存でそれを剥がした。

 その七兵衛の気まぐれが、露わにしたものがある。


「何だ、これは?」


 菰を剥がされた松の幹には、一枚の符が貼りつけられていた。

 紙面には流れるような線で文字とも紋様ともつかぬ何かが記されている。

 その七兵衛の声に気づいたさゆと利吉が、揃って松に目を向けた。

 途端にさゆが顔色を変え、我に返った様子で走り寄ってくる。


三賢さんけんの松……! 良かった、これだけは無事だったのね」

「三賢?」

「この里を開いた三人の符術師のことよ。その三賢が、里をおこす前にこの松の下で一晩語り合ったっていう伝説があるの。だけど、この符紋は……」


 言って、さゆは七兵衛を押しのけるように松の前に立ち、そこに貼られた一枚の符へ手を伸ばした。

 その白い指先が微かに震えながら、墨で描かれた奇妙な紋様をなぞってゆく。


「間違いない……母さんの符だ」

「分かるのか?」

「人の字にもそれぞれの癖があるでしょう。それと同じよ。私たち符術師は、符を見ればそれが誰の作だか一目で分かる。それに、この符は雨風に曝されてもまったく紋が流れてない。力のある術師が作った証拠だわ」

「なるほど。で、これは何の符だ? 虫除けか?」

「違う。念像幻伝ねんぞうげんでんの術」

「ねんぞうげんでん?」

「口で説明するより見せた方が早い。どいて」


 無愛想に言うと、さゆは今度こそ視線で七兵衛を押しのけた。

 七兵衛は逆らわない。腕を組んだまま数歩下がり、お手並み拝見といった具合に構えている。

 一方のさゆも、視界からよろず屋が消えてようやく集中できるといった様子で伝説の松と向き合った。

 母の符をじっと見据え、一度深く息をつく。それからすっと右手をかざし、符に向かって何事かぶつぶつと唱えている。


 やがてさゆのその詠唱が終わるや、不意に符の紋様が青白く輝き、日の下でもはっきりとそれが分かった。光はさゆに向かって放出され、ゆらゆらと妖しく蠢いている。

 その不思議な光の中に、七兵衛は小さな人の姿が浮き上がるのを見た。

 おお、と思わず声を上げ、腰を屈めて目を凝らす。浮かび上がってきたのは、三十がらみの一人の女の姿である。


「母さん」


 さゆの口が唱えた。それを聞いた利吉がえっと驚き、宙に浮かぶ女の幻とさゆとを見較べている。

 なるほど、符の中から現れた女はさゆとよく似た人相で、特に目元がそっくりだった。

 どうやらその女こそが、さゆの母親であると見てまず間違いないらしい。


「さゆ。お前がこの符を見つけたということは、里にはやはり難が降りかかったのでしょう。ですがお前ならきっと、この符を見つけ出すだろうと信じていました。やはりお前は父さんと母さんの子ね。本当に立派な符術師に育ってくれました」


 更に驚いたことに、符から浮かび上がった幻はさゆに向け滔々と語り始めた。

 さゆはそれを、ただ黙って聞いている。その様子を見る限り、母の幻は一方的に話すばかりでこちらとの会話はできないらしい。


「お前がこの符を探し当てたということは、きっと禁術の書を探しているのでしょう。母さんたちはあれを九嵋山に隠したと言いましたね。ですが、あの言葉は嘘です。里長の娘であるお前が、禁術の書を求めて九嵋山へ向かえば玄田くろたの目を欺くことができる。そう思って私たちはお前を騙しました。ひどい親だと思っているでしょう。ごめんなさい」

「……」

「本物の禁術の書は、里の西にある池の底に沈めてあります。お前にはそれを見つけ出し、守り抜いて欲しい。それが私たち、秘術の里の符術師に課せられた使命です。お前ならきっと、分かってくれるわよね」

「……」

「この符がお前に見つかる頃には、里は滅びているのかしら……もしもそうなら、お前はきっとつらく寂しい思いをしていることでしょう。守ってあげられなくてごめんなさい。傍にいてあげられなくてごめんなさい」

「……」

「さゆ。お前がもし母さんたちを許してくれるなら、どうか私たちの跡を継ぎ、いつか秘術の里を再興させて下さい。秘術の里は、世を追われた符術師たちが最後に辿り着く安息の地。彼らからその地を奪っては駄目よ。何故なら彼らもきっと、今のお前と同じようにつらく寂しい思いをしているに違いないのだから」

「……」

「だけどこれは母さんのわがままね。お前がその生き方を拒むならそれでもいい。お前はお前の望むように生きなさい。そしていつかきっと幸せにおなり」

「母さん」

「さゆ。お前は私たちの自慢の娘でした。何があっても負けては駄目よ。たとえ彼我の地に魂を分かたれようと、母さんたちはいつまでもお前の幸せを祈っています」

「待って、母さん。行かないで……置いていかないで、母さん」


 それまで固い沈黙を守っていたさゆが口を開くうちにも、母の幻はすうっと色を失くし、やがて消えた。

 それきり松の木に貼られた符は静まり返り、直前までの出来事は白昼夢であったかと思うほどの静寂が里を満たしてゆく。

 その静寂の中でにわかにさゆの肩が震え、嗚咽が聞こえた。そのまま母の幻が吸い込まれた符に額を預けて泣き、さゆは力なく松の木の下にうずくまる。


「利吉。西の池だ」

「へい」


 そのさゆの背に目を落としながら、七兵衛が言った。それを受けた利吉が飛ぶように西へ駆けてゆく。

 が、七兵衛は動かない。


「さゆ」


 抱えた膝に顔を埋め、声を殺して泣くさゆに、七兵衛は背後から手を伸ばした。

 しかし途端にぱん!と光が音を鳴らし、激しく手を弾かれる。一度は北原に破られた結界の符を、さゆがまた懐に入れていたためである。


「あっちへ行って」


 さゆは顔を上げずに言った。その肩は未だ震えている。

 声も、思わず憐憫の情を掻き立てられるような涙声だった。それでもさゆは頑として七兵衛を拒み、彼を振り向こうともしない。


「一人にして……お願い……」

「……。相分かった」


 七兵衛も無理強いはしなかった。珍しく分別顔で言い、さゆを一人松の下に残して背を向ける。

 今のさゆに下手な慰めの言葉など通用しないことを、七兵衛は身をもって知っていた。

 脳裏に甦る声がある。



喜与丸きよまる……あなたは、生きて……幸せに……おなりなさい――』



「――大丈夫ですか、七兵衛さん」


 気がつくと、池の前にいた。

 何のことはない、幅五ひろ(およそ十メートル)はあろうかというほどのごく小さな池である。

 その池の真ん中に利吉が立ち、手を泥に塗れさせてこちらを見ていた。どうやら池の底をさらい、禁術の書を探している最中らしい。


「はて。何のことだ?」

「……いえ。平気なら、いいんです」


 やけに神妙な顔で言い、利吉は再び腰を屈めた。そうしながら池の底へと手を伸ばし、右へ左へと泥を掻き分けてゆく。

 池そのものは澄んでいたが何かが沈んでいる様子はなく、ならば件の禁術の書は池の底に埋められているのだろうと七兵衛も判じた。

 が、判じただけである。それを利吉が見つけ出すのを、池の畔でのんびりと待ち侘びている。


「利吉。まだ見つからぬのか」

「へい」

「それ、そこ。もっと右も探したらどうだ」

「へい」

「掘り方が浅いのではないか。もっと深くまで掘り起こしてみよ」

「へい……って、そう思うなら七兵衛さんも手伝って下さいよ! 禁術の書がどこに埋まってるかなんて、端から掘っていかなきゃ分からないんすから!」

「厭だ。そんなことをすれば着物が濡れる」

「あんた、自分の着物とさゆさんのご両親の形見、どっちが大事なんすか」

「俺にとってはどちらもかけがえのないものだ。ほれ、喋っている暇があったら手を動かせ」


 既に短着の裾まで濡らして禁書探しに没頭している利吉に対し、七兵衛はあくまで横柄に言った。利吉はそれにひどい渋面を浮かべ、またぶちぶちと文句を垂れながら、仕方なく単独で禁術の書の捜索に当たる。

 その間、七兵衛は立っているのに疲れたのか、ついには地べたに胡座を掻き、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。どんな状況でもところ構わず眠れるのがこの男の取り柄の一つである。


 そのうち頭を前に垂れながら、ぐう、と寝息を立て始め、利吉はいよいよ憎たらしげに七兵衛を睨み据えた。

 が、そのとき、池の底を掻いていた指先に、何か硬い感触がある。


「あ」


 慌てて泥を掻き分けてゆくと、水中に濛々と巻き上がった砂の下、そこに漆塗りの箱が見えた。

 利吉はそれを更に掘り出し、箱の全貌が露わになったところで引き上げる。黒塗りの蓋に金のすすきなびいた、縦長の見事な文箱ふばこである。


「あった! 七兵衛さん、ありましたよ!」


 利吉はそれを大急ぎで岸へ持っていき、両手を池の水ですすいで早速蓋を開けようとした。

 が、どんなに力を込めても開かない。何か強力な力で蓋と容れ物がぴたりとくっつき、多少の力では開かぬようになっている。


「貸して」


 と、ときに頭上から声が聞こえ、渾身の力で文箱と格闘していた利吉は顔を上げた。

 そこに、さゆがいる。目元が微かに腫れている以外表情に変わりはなく、地に膝をついた利吉を見る目は相変わらず冷ややかである。


「さゆさん。これ、ちょっとやそっとの力じゃ開きませんよ。水が入らないようにするために、何か細工がしてあるのかも……」

「いいから貸して」

「何か開ける方法があるんすか?」

「ここをどこだと思ってるのよ。貸して」


 ずいと催促の手を出され、利吉は仕方なく文箱を渡した。ちらと目をやれば、七兵衛はよほど陽射しが心地好いのかまだ寝ている。

 利吉はそれを横から蹴飛ばしてやりたくなったが、ぐっと堪えた。

 その間に文箱を地面に置いたさゆがしゃがみ込み、白い手をすっと蓋の上にかざして言う。


かい


 途端に波紋のような光が弾け、一発の烈音が耳朶を打った。さしもの七兵衛もその音でついに目が醒めたらしく、やおら寝ぼけ眼を上げる。

 その先でいとも容易く箱を開けたさゆが、中から一巻の巻物を取り出していた。

 どうやら箱には符術による封印が施されていたらしく、箱の底に一枚の符が貼られているのが見える。


「やっと見つけた……」


 それだけを言い、さゆは細い両腕で大事そうに巻物を抱えた。

 そうして再びうずくまったまま、しばらく声も上げない。

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