乗務員区画
静かな船内を、黒髪のドレス姿の少女が歩いている。
一般的な人間の身長のみを語るならば十代なかばか後半であろうか?烏の濡れ羽色と日本語で言うところの黒髪、そして黒曜石の色の瞳を持つ。まとっているドレスはこの星域ではあまり見ない性格のもので、その重厚さはおそらく宇宙文明のものではない。派手さはないが、随所にある白地に銀色の異国の文字の刺繍といい、装飾のためのドレスというより神事のためのドレスを思わせる。だから異星の巫女さんだと判断する乗客が多く、若い娘であるにも関わらず、変なちょっかいをかける者もあまりいなかった。
「ここかな?」
連邦公用語と現地語と思われる両方で、従業員入り口とたぶん書いてある。しかもご丁寧に正装姿の従業員が警備にもついている。
ああ、お嬢さんダメだよと従業員が言いかけるのだが、腰にあるカードを見て「おや」といい留まる。
「それはクロのカードだね?彼に借りたのかい?」
「クロ?」
「ん?白髪入ってるバーテンに借りたんじゃないの?それ」
ああ、と黒髪の少女ことメルは、ぽんと手を打った。
「あの人クロっていうのね。ごめん、名前は覚えてないから」
従業員はうんうんと頷いた。
「僕も君たちは見たことがある。まぁ本当はダメなんだけど通っていいよ。でも従業員用の区画だから気をつけて」
「あぶないの?」
「一般区画よりはね。調理場やエンジンルームにもつながってるわけだし」
「あーそっか」
顔には出さず、あーそうか面白そうよねとにんまり笑うメル。
顔には出さず、しまった失言した、余計な知識をと冷や汗を流す従業員。
「気をつけてね?本当に危ないからね」
「わかった。注意するよ」
するだけだけどー、と内心にやにや、しかし顔には出さずにメルは中に入って行った。
「……やれやれ」
残された従業員は、胸の通信機をオンにした。関係者に注意喚起の連絡をするためだった。
昔のSF映画によくあった光景として、乗員区画は綺麗で最新式だけどエンジンルームなどの運用区画はボロボロというものがある。
この古い船もその例に漏れなかった。
だがそれは運用要員が差別されているためではなく、そういう要望が挙がらないためであった。運用要員の多くは綺麗な設備なんかより最新のマシンや設備を要求し、見た目は二の次であった。本船の場合もその例に漏れず、ボロい機械こそないがやっぱり見た目はおんぼろだった。
「へぇ」
メルは見た目の汚さにちょっと驚いた。
だが竣工年度や仕様などが書かれたパネルを目ざとく発見すると「お、これ銘板かな」と安心したように何度も頷いた。そしてその後はのんびりと設備の見物に戻った。「そういうもの」だと理解したようである。
「ここが『エンジンルーム』ね」
先ほどと同様、二ヶ国語で書かれたプレートがそこにあった。
締め切る事などないのだろう。開けっ放しのうえに荷物を立てかけて閉まらないようにしてあるのが何とも言えない。その扉の「間に合わせっぷり」を見てまた笑うと、メルは『エンジンルーム』の中に踏み込んだ。
「え?」
しかし、その部屋の中で不思議そうにキョロキョロする。
「これがエンジンルーム?どのあたりがエンジン?」
そこにあった設備は、メルの記憶にある、いかなるエンジンのそれとも異なっていた。
それはジェネレータと言われればそうかもしれない。しかし噴射口やクランクのような伝達系・伝導系のようなものがどこにも一切見当たらない。メルはムムっと唸りキョロキョロと見渡していたが、
『何かお探しですか?』
唐突に流れた声に、ぴくっと反応した。
発信源は通信設備のようだ。どこかに警備室でもいて、そこの担当の目に止まったのだろうか?
(いや違う。これは)
しかしメルは、それが人間でなくコンピュータである事を何故か認識していた。
メルは少し迷ったが、思ったまま答えた。
「ここエンジンルームって書いてあるんだけど……でもエンジンが見当たらないなって。どれがエンジンなのかな?」
メルの質問にスピーカーの向こうの何者かは少し困惑したのだろう、ちょっと声が途切れた。
そして、ああと質問の意図に納得したように語りだした。
『つまり、あなたの知っているエンジンのイメージと違うという事ですね?よろしければ簡単にご説明いたしますが?』
「うん、お願い」
『単刀直入に申し上げますならば、そのエンジン……いえ、この言い方が誤解の元だとするならば、ジェネレータという言い方の方がよいでしょうか?ちなみに、そこに設置されておりますジェネレータは「銀河潮汐機関」というものです』
「銀河潮汐機関?」
耳慣れない言葉にメルは眉をよせた。
「あー……そのキーワードで少し情報あるね。島宇宙の中で使われる汎用エンジンのひとつかぁ。
あ、でもごめん、根本的なところがわからないんだけど」
『どういう点でしょう?』
「銀河潮汐って部分がどうにも。潮汐の意味はわかるけど、銀河の何が潮汐するのかな?」
よくある質問なのだろう。声は得たりと返してきた。
『潮汐力はご存じなのですね?海や衛星のある惑星にお住まいで?』
「今は住んでないけど、生まれ育った星は表面の七割が海だったかな」
ふむふむ、と声はかみ砕くようにメルの言葉を飲み込んだ。
『海のある惑星の場合、母星の、あるいは近隣にある星などの影響で潮の満ち引きが発生します。これは星と星の間の綱引きの結果、発生するいわゆる潮汐力というものが元になっております。ここまではわかりますね?』
うんうんとメルはうなずいた。
『実はですね、同じことが銀河規模でも発生するのです。
もっともその存在こそ古来から知られておりましたが、その力を推進力として利用するという発想はやはり最初ありませんでした。基本原理としてはわかるとしても、そんな大きな力を得られるとは誰も思ってなかったわけですね』
「うん、私もそれ同じ意見。いったいどうなってるの?」
『やはりですか。まぁ、そういうものかもしれませんね』
ここで、声はいくつかの重力制御に関する原理を簡単にかみ砕いてメルに示した。
『……とまぁ、そういうわけなのです』
「なるほど、そりゃそうよね。恒星系の中じゃ惑星間の力の方がずっと大きいもんねえ」
『それも少し違うのですが……しかしまぁその理解でも実用上は差し支えありませんね。そんなわけで、これは外宇宙航行用エンジンとして使われているのですよ。まぁ、今あなたの目の前にある第三エンジンは現在調整中なのですが』
そっかぁ、とメルは大きくうなずいた。
「じゃあ最初の質問に戻るんだけど……どうして力を取り出すための装置がないの?」
『ふむ?ああ、そういう事ですか』
声は一瞬だけ困惑し、そして納得したかのように突如として口調を変えた。
『この手のジェネレータは通常、特別な噴出口や伝達系は持たないのですよ。何しろ、この船全体をいわば「落とす」事で推進するのですからね。
強いて言えば、果てしなくがっちりと船体のフレームに固定しておく事が噴出系や伝達系の代わりになっていますが。でないと最悪、飛んでいる船からエンジンだけが外れて飛び去ってしまう可能性もありますので』
「……なるほど」
冷静に考えると笑えない話ではあるが、メルはちょっぴり想像して笑ってしまった。
『ちなみにスラスター系の装置も一部にございますよ。その手のものは効率が悪いですが構造が単純なもので、小さなものには今でもよく使われます。しかし、何しろ小さいので見た目のインパクトには物足りないかもですが』
「そりゃそうか」
あははと苦笑するメルに、いえいえと楽しそうに声は返した。
と、その時だった。『ん?』と声が少し変わった。メルはその変調にわずかに首をかしげたが、
「え、侵入者?あっちにいるの?」
『え?あ、いや』
声には出してないのにどうしてだ、と声の主は驚いたようだった。
だがこれはシステム側の問題ではない。単に今のメルの特殊能力のせいなのだから。
メルは既に連邦時間で十年以上も巫女の修行を続けている。独学と大差ないうえに本来あるべき神殿にいるわけでもないので伸びはあくまでマイペースなのだが、既に中座になってから何年かが過ぎており、その間に順調に蓄積してきた瞑想時間のせいか、中級から上級巫女に移る際の現象である、いわゆる『夢へのきざはし』が、じわじわとメルに現れようとしていた。
船のシステムは賢いが、さすがにそんな配慮まで求めるのは酷というものだろう。
この時もそうで、コンピュータ(そう、この声の主は人間ではない)の声の変調に何かを察した彼女は「心を滑らせ」て、その向こうに面白そうなものを見つけたというだけの話なのだから。
「うん、ちょっと行ってみるね。答えてくれてありがとう!じゃ!」
『あ、ちょっと待ってくださいお嬢さん……あらら』
にこにこと手をふりさっていくメル。
その背後で、特別警戒体制を意味する赤い灯火がパイロットパネルのひとつに灯った。
メルの行動に対するものか、それとも前述の『侵入者』に対するものかは今となってはわからない。
とにかくこの瞬間、『リンガム・リンター』号は特別警戒体制に切り替わったのである。