ゲルカノ教団
ゲルカノ教団。
宇宙空間に住み、全長四キロを超える八つ首の大蛇『ゲルカノ』を神と崇める古代宗教である。実はエリダヌス時代から存在するともいわれ、その成立はエリダヌス教よりも古い。銀河にある土俗宗教のひとつでもある。
彼等がゲルカノを信仰するようになったのは、古代の宇宙戦争のおりだと言われている。
その時代、彼らの祖である四人の少年たちは巨大な八つ首の怪物に助けられた。
宇宙空間でも死なず異様な能力をもつゲルカノを彼らは怪物と恐れたのだけど、銀色に輝く少女がその怪物と話しているのを見て考えを改め、失礼を詫びた上で命をたすけられた礼をいったのだという。
ゲルカノは怪物そのものの容姿とは裏腹に、話し好きで気のいい神だった。彼らはゲルカノ当人に『召喚権』をもらった。四人が揃ってひとつの儀式をするとき、いつでも呼び出しに応えようというものだった。
ゲルカノ教団のはじまりである。
ちなみに、ゲルカノ教団の教義が面白い部分は色々あるが、最大のものがこの『銀色の少女』である。その名も銀色と記されているが、エリダヌス教でメヌーサ・ロルァと呼ばれる女神の事である事もしっかり併記されているのである。
もちろん、ある宗教の神が別の宗教の教典に登場するのは珍しい事ではない。地球の宗教史でもよくお目にかかる現象だ。
しかし、言うまでもないがメヌーサ・ロルァは実在の人物であり、しかもゲルカノと友人なのも事実なわけで。
しかも、実際に彼女は何度となく教団の歴史に姿を現している。
まぁ、ユニークなのはゲルカノ教団も同じだろう。彼らは銀色の小さな異教の女神を自分たちの主神の友人と普通に認定、客人としてもてなしているのだから。
その、大らかなゲルカノ教徒たちの事をメヌーサも気に入ったのだろう。彼らの歴史にメヌーサの名と姿はちょくちょく姿を現している。それどころか、時には運営に手を貸してもいる。宗教団体にはあまり積極的に関わらないのがメヌーサの基本姿勢である事を思えば、これは本当に珍しい事。
さて。
いくつかの通りを渡り、少しうらぶれたダウンタウンの様相を呈してきた。現代連邦文字の看板や標識が減り、同時に古い通商文字のマークや看板が増えてくる。
「あれね」
中でも一番古そうな、しかしよく手入れされているっぽい建物をメヌーサが指さした。
「へぇ、これまた年季入ってるねえ」
「もう土台以外は別物ね。でも見た目は昔とそんな変わらないかも」
「前に来た事あるの?」
「あるわ。テンドラモンカの大神殿が健在だった頃だから……えっと、七千年くらい前かしら?」
「連邦時間でだよね?」
「そうよ?」
「……そりゃまぁ、土台以外全部別物でしょうね」
呆れたようにメルはためいきをついた。
近づいてみると、ボロいはボロいがよく手入れされているのもわかった。おそらく壁面は定期的に綺麗に塗られているようで、そういう意味のボロさも全くない。建物全体の古めかしさはどうしようもないが。
「すごいね。手入れが大変だろうに、なんで建て替えないんだろ?」
「たぶんだけど、寄進代わりに壁塗りしている人がいるからじゃないかしら?」
「そうなの?」
「想像だけどね。そういう人がいる場合、たとえ非合理でも可能な限りそのままにするの」
「へぇ」
そのままトコトコとメヌーサは玄関に近づくと、入口のところにある金属製のノッカーに似たものを掴み、コン、コン、コンと三回叩いた。
少しして、ふたりの頭に直接声が響いた。
『はい、こちらはゲルカノ教団支部です。可愛らしいお客様、何か御用ですか?』
どうやら幼女認定されたらしい。メヌーサは苦笑した。
「あいかわらずねここは。わたしの名前はメヌーサ・ロルァ。あなたたちにはメヌアの方が通りがいいんだっけ?」
『!?』
何やら通信の向こうで、ドタバタと慌ただしい音がしはじめた。
「お?」
「大丈夫、すぐ通してくれるから」
「そうなの?信じてもらえないとかそういう事はないの?」
「普通はあるかもね。でも問題ないわ」
「そっか」
何か対策しているのだろうとメルは思ったが、とりあえず追及はしなかった。
そうこうしているうちにも扉が開いた。
扉の向こうには、明らかに責任者らしい男女が数名いた。メヌーサの姿を見た途端に「おおっ!」「記録の通りだ!」などと口々にささやきあい、そして代表らしき頭髪の寂しい男が一歩前に出た。
「ようこそ、いえ、おかえりなさいメヌア様、ゲルカノ教団へ。私はヨンカ支部責任者のナダレと申します」
「ありがとう。忙しい所悪いわね、教団のみんなは息災かしら?」
「はい、おかげさまで。一時期は連邦関係の弾圧がひどかったのですが最近はそれも落ち着きまして。おかげさまでまったりとやらせていただいております。
それよりメヌア様、ちょうどお昼が近づいておりますが。どうでしょう?」
「あら悪いわね、でもお客様扱いはダメよ、わたしは邪魔をしにきたんじゃないんだから普通の食事にしてちょうだいね?」
「はい、もちろん承知しております。ではこちらへ」
そういうと、ナダレはメヌーサを見、そしてメルを見た。
「あらごめんなさい忘れてたわ。この子はメル。メル・ドゥグラールよ」
「なんですと!?」
団員たちの間に「なんと!」「はじめてみた」等の声がザワザワと響き渡った。
「えっと、これは……!?」
「よくぞいらしてくださいました、母にして父様」
「いやいやいや、メルでいいですメルで!」
あわててメルは訂正した。
母にして父というのは、メルが例の鍵の遺伝子データ提供主である事を意味している。しかし同時にメルが元男だと言いふらしているのも同然であり、非常にやりづらい。
誰が言い出したあだ名か知らないが、最近の寄港の際に何度かそう呼ばれており、恥ずかしい思いもしている。せっかくメヌーサの強い勧めで女の子らしい立ち振る舞いを練習し、あまり目立たないようにしているというのに。
妙な呼び方は勘弁してほしいものだとメルは思った。
ちなみに余談だが、食文化というやつはあまり合理性で生まれるものではない。
というよりむしろ、食文化に合理性を持ち出すとろくな事にならないというのは、地球人のメルならよくわかっている事だろう。世界中の人間が同じものを食べ、同じものを飲み、同じ方向を向いている世界なんて、守銭奴か狂人の頭の中にだけあればいい。そんなものが実現してしまった社会なぞ、きっと極度の肥満やら医療崩壊の果てに人の住めない場所になるに決まっているのだから。
いろんな土地があり、いろんな人がいて、いろんな食べ物がある。それがいいのではないかと。
で、目の前にあったのは。
「うどん……いや、クエティオかな?んんん??」
なんでもいいが、とりあえず麺類だった。
「これはルーと言います。意味はそのまんま麺ですね」
「ん、ホントに単刀直入だね。ちなみに食べる時のマナーとしては、音をたてていい方?立てちゃいけない方?」
「なんですかそれは?」
メルは地球の食事のマナーで、麺類によって音をたてるかどうかで正反対の印象を与えるケースについて話した。
「なるほど。ルーは庶民の食べ物ですから、音をたてろとまでは言いませんが、立てても全然かまいませんよ」
「わかった、ありがとう」
メルは安堵のためいきをついた。
実はメル、音をたてて食べるのが苦手なのである。友達とラーメン屋に入ると一人だけ静かなので、むしろ奇異の目で見られた事があったりする。
で、食べながら話を再開する。
「それで聞きたいんだけど、教団は無事として祭壇の方はどうなの?確かテンドラモンカの祭壇は星ごと破壊されたって聞いたけど?」
「はい、遺憾ですがその通りです。しかしヤンカの祭壇が無事ですので」
「え、ヤンカ?あんなとこにも祭壇あったの?」
「?」
メヌーサたちの会話内容が理解できないのか、メルが首をかしげた。
それに気づいたメヌーサが補足する。
「ヤンカは大昔に文明があったけど、滅びちゃった星なの。でもね、このヨンカは元々『ヤンカの盟友』っていう意味から生まれた国で、両者は歴史上とても深い関係にあるの」
「へぇ……」
地球にもペンケとパンケのように必ず対になっている地名がある。これらは陰陽のようにペアでひとつの意味を持っているものが多いのだが、どうやらヨンカとヤンカも似たようなものなのだろう。
「ヤンカの祭壇ですが、なまじ放置されていたのが良かったのか、遺跡状態のまま健在でして。六十年ほど前にお色直しをして復活させました。
現在は各地から生き残った祭器なども置いてありまして、観光名所にもなっているのです」
「祭器もあるの!?」
メヌーサの目が、明らかに上機嫌なものに変わった。
「ねね、それ借りていい?」
「は?」
「もう鈍いわね、彼を召喚したいの。
三十年ほど前に何もないところに喚んじゃったからね、そのおわびもかねて」
そういうとメヌーサは少し神妙な顔をして、そして、
「ね、どうかな?」
「もちろん結構ですよ。他ならぬメヌア様ならば」
ナダレはにっこりと笑った。
「もちろん、私たちもお手伝いしましょう。いえ、是非ともお手伝いさせてください」
「ありがたいけど、いいの?」
「ははは、それはむしろ私たちのセリフですな。
せっかくメヌア様が久方ぶりにいらして、しかもご自分の召喚権で召喚をなさるのでしょう?むしろ参加希望者が殺到して大変な事になりそうなのですが」
「なるほど」
「じゃあ、そうですね。さっそくですが現地までのアシを」
「定期便出てるんだっけ?」
「はい、しかも明日の出航となっております。
ただし明日ですと我々の準備は間に合いませんので、こちらは後から教団の船で追いかける事になります」
「そっか。ヤンカまでの日数は?」
「定期航路は片道二週間ですな」
「なるほど……そうね、メルは定期便乗った事ないから、いいチャンスかも。先にゆっくり定期便で行かせてもらおうかしら」
「了解です」
「……」
ちなみにメルはというと、そんなメヌーサたちの話を聞きながら、
(うわ。なんだかんだでまた船に乗るの?)
ちょっとだけ引き気味になっていた。




