ヨンカの町にて
宇宙旅行から帰ってみたら、三十年と少し経っていた。
それほどの時間のズレの原因は色々あるが、最も大きいのはふたりの容姿が変わらなかった事だろう。そもそも骨が石になるほどの時間そのままの姿のメヌーサ・ロルァはともかくとして、メルの身体もドロイドのもの。宇宙文明では食事などの関係で自然で暮らすより平均寿命が伸びるのだけど、当然、それに仕えるドロイドも長命に耐えるよう作られている。仕様にもよるが、あまり年齢問題は意味がなかったりする。
もちろん、中身の人間の精神がその歳月に耐えられるかは全く別の問題だが。
さて。
陽気なアルダーの酔っぱらいに町まで連れてきてもらった二人はお礼を言って別れると、
「とりあえず、ルドじいさんに連絡とってみる」
「ルドくんに?なんで?」
「いや、あのね」
メルは困ったように苦笑した。
「メヌーサと旅に出た時点では、まだ、じいさんとこの臨時社員扱いのままだったの。さすがに三十年じゃ除籍されてるっていうか、じいさんも鬼籍かもしれないけどね。連絡なしで行方不明だったのは謝らないと」
「きせき?」
「ああごめん、もう死んでるって事」
メルは田舎のしかも昭和世代なので普通に鬼籍という表現を使うが、どうも鬼籍の部分を日本語のまま言ってしまったらしい。
ふたりはアルカインで出会った頃と同じく連邦標準語で話しているが、時々キマルケ語が交じる。もちろん、もうない国の言葉が混じっているのは現在進行形で巫女の勉強をしているためだ。メヌーサが持ち込んでいる教材や資料にはキマルケ語がたくさん書かれているため、その気がなくとも少しは覚えてしまう。
だがキマルケ語にも、そして連邦共通語にも鬼籍を直訳できる言葉はなかったらしい。
「そっか。じゃあどうするの?連絡とるにしても」
「どこかに連邦式の通信会社があればいいんだけど」
いくらメルでも、身体ひとつで何万光年の向こうと通信する事はできない。
「営業所や支社はどうかしら?でも通信端末ならあるんじゃないかしら?役場あたり」
「そうなの?」
「確かに田舎だけど、一応ここも連邦系国家群のひとつだもの。最低でも役場には端末が置かれているはずよ」
「なるほど。じゃあまず役場かな?」
「わかった、行きましょうメル」
「メヌーサはなにか予定ないの?」
メルの言葉に、メヌーサは「ん?」と首をかしげた。
「今のところはないかな。でも、もしかしたら、これからできるのかもしれないわね」
「……あ?」
「ねえメル。今、メルはどうしてそんなにルド君に連絡したいのかな?」
「それは……」
ちなみにメヌーサがルド君と呼ぶのと、メルがルドじいさんと呼ぶのは同一人物である。メヌーサが問題のご当人に出会ったのは九百年も昔の事。当然、当時はリアルでちっちゃな男の子でメヌーサは彼と遊んだりしたのだけど、メルが知るルド氏は年季の入った堂々たるお年寄り。そして雇い主。
外見も違えば話した中身も、そして共有した経験も違う。
はっきりいって、もし名前も違ったら同じ人とはわからなかっただろう。
「まだ実地での経験が浅いから自覚ないかもだけど、それも巫女の能力だと思う」
「そうなの?」
「ええ。中座から上級に向かう巫女は次第に夢見がちになってね、無意識にその啓示にそって動くようになるの」
「へぇ……」
あまり自覚がないメルは、それを不思議そうに聞いた。
「よくわからないけど、わかった。とりあえず、今ルドじいさんに連絡をとりたいっていうのはヘンな事じゃないんだね?」
「もちろん。だから行きましょう?」
「わかった」
ふたりはそういうと、歩き始めた。
歩いていると、ところどころにプシュタリーという標識があった。それがどうやら町の名前らしいと気づくのにも、特に時間はかからなかった。まぁ、それが市なのか、単なるストリートの名前なのかまではわからなかったが。
プシュタリーは決して美しい町ではない。
どうやら何度も壊されたり修理されたりしているらしく、改装後の目立つ建物があったり、明らかに色んな時代の意匠が混じっている建物があったりする。統一性がなくて、しかも、つぎはぎだらけだった。
人間も同様。どうやらアルダーとアルカインの混成のようだけど、アルカインも尻尾の生えてる人とない人がいたり、アルダーも赤、青らしき種族が混じっていたり。メルたちを乗せてきてくれた酔っぱらいは茶アルダーなわけで、これもまた別種族。
混沌とした混ざりもの。
しかし、この「美しくなさ」に、地に足のついた人間の生活が伺える。
街角を見ても活気がある。決して人口密度は高くないが、店頭で陽気に話す人々の姿があったり、総じて顔も明るい。
いい街だなとメルは内心思っていた。
そんなふたりだったのだけど、
「……あれ?」
何かの看板を見つけたメヌーサが、珍しく眉を寄せた。
「どうしたのメヌーサ?」
「あれ……まさか」
メヌーサはメルの質問に答えず、トテトテと看板に寄っていく。
「え、なに?」
「そんなまさか……うそでしょ、本当に?」
「?」
驚きの顔で看板を見ているメヌーサ。
そんなメヌーサを珍しげに見たメルだったが、そして看板に目をやった。
「ん……読みにくい字だね。これなに語?」
「何言ってるのこれは……ああ、そういう事。メル、これは飾り文字なの」
「飾り文字?」
「むかしの商業文字で、初期の連邦も使ってたものよ。縦長の羽ペンみたいなもので描いたのがルーツとされていて、だから線が縦長なのよね」
「なるほど」
地球の文字にもこういう、縦長の線でできたと思われる文字群があるのをメルは知っていた。だから驚くような事ではない。
「そういわれてみれば、なんかわかるような……ちなみに何て書いてあるの?」
「ちょっと待ちなさいメル、解説してもいいけど、飾り文字を読めないのは問題だわ」
そういうとポケットから何かをまさぐり、取り出した。メルの手にポンと渡す。
「なにこれ?あめ玉?」
「チップドロップ。それ舐めなさい」
「え?」
「いいから」
言われるままにメルはドロップを口にいれ、そして舐め始めた。
そして、なんの気なしにもう一度看板をみて、
「え、なにこれ?」
「どう、面白いでしょ?一時的に飾り文字が読めるようになったと思うけど?」
「あ、うん。でもどうして?」
「能書きはいいの、で、何て書いてある?読んでみなさい?」
「あ、うん……あれ?」
その時、メルの脳裏にひとつの情報が流れた。
『チップドロップ』
ドロップの形をしているが、実は特殊なタンパク質の塊。普通のあめ玉としてもおいしく食べられるが、ドロイドが食べると中の情報が開放され、取り込まれる。
連邦が共通語方式を採用する前に行われた試みのひとつで失敗作。本来は現地の人に食べてもらう事で一時的に言葉が通じるようにして、それで商取引ができないかという目的で開発されたが、人が食べても単なるおいしいアメにしかならなかった。
「……ああ、そういう仕組みなんだ」
メルの身体が普通のドロイドのものなら、その情報も一時的に流れて終わりだったろう。
だけどメルの身体は特別製である。
たちまちのうちにメルの身体は、ドロップの情報から未知の言語や文字を理解するための体系を自動的に組み上げ、さらにドロップがどういうものかの情報もメル自身の頭脳にもたらしてしまった。
「なに、どうしたの?」
「え?あ、うん。今のアメのおかげで飾り文字の語彙が登録されたみたい」
「はぁ、腐っても七型ってことね。このアメって本来、一時的なものでしかないんだけど?」
「ごめん」
「謝る事じゃないわ、むしろ好都合だもの。で、改めて読んでみて。なんて書いてある?」
「うん。えっとね」
改めて看板を読んで、そしてメルは首をかしげた。
「ゲルカノ教団?ゲルカノって……あの、ヤマタノオロチみたいな巨大なあいつの事?」
「ええそう、あのゲルカノの事よ」
「するとこれって……あいつを崇拝する宗教って事なの?」
「ええそう。ゲルカノ教団が書いたものらしいわ」
「へぇ……」
まじまじとメルはその看板を見返した。
「人材募集って書いてあるね?」
「信者の募集でないのが驚きよね。つまり充分な数の信者がいて、むしろ運営用の人材が足りないって事になるもの。
……びっくりしたぁ。まさか教団が生き残って活動しているなんて」
「なるほど。メヌーサがびっくりした理由はソレだったんだ」
ふむふむと看板を再び見たメルだったが、
「ねえメヌーサ。ここ顔出してみようよ」
「え?」
驚いたようにメヌーサはメルの顔を見た。
「ここって……教団の支部に?」
「うん。何となくだけど、役場にいくよりこっちがいいような気がする」
「そうなの?」
「うん」
「……そう。わかったわ」
メヌーサはなぜか真剣な顔でそう言うと、改めて看板を読み返した。
「えっと、現在位置はここなのね。それで支部はどこかというと……ああ、これね」
町と地図を見比べつつ情報を整理し、そしてポンと手を打つと、
「いこうメル。こっちらしいわ」
「うん」
そういって、ふたりは静かな町を歩き始めた。