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とある旅路の日記  作者: hachkun
21/21

悲しい予感

本作はこれが最後です。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


 

「お」

「!」

 山の中を進む一行。巨大な狼が引く不思議な馬車に蜥蜴の老人、そして異星の巫女姿の少女。朝の明るい日差しの中、ゆっくりと進んでいく。

 そんな時だった。

 突如として、爽やかな空気の中に凄まじいばかりの『どーん』という音が響き渡った。

 とんでもない迫力だった。空気そのものがドーンと叩かれたに等しい強烈な衝撃(インパルス)だった。あまりの衝撃の大きさに山が揺れた気がするほどだった。

「な、なんじゃ?」

 鳥達が一斉に飛び立った。ぎゃぎゃ、キャーキャーとたくさんの生き物の声が響き渡った。

 どーん、どーん。一定のリズムをもって、何かを宣告するかのようにそれは響く。

「どうやら武器でなく太鼓か何かのようじゃな……しかし何事じゃ?いやそもそも一体どこから」

「ゲルカノ神殿」

 ぼそ、と背後の荷台でメルがつぶやいた。

 メルは杖を持ったままだった。何か思案だか瞑想だかに没頭していたようで、この大騒ぎにも特に動じてはいなかった。

「……」

 沈黙する。その瞳はいつもの黒のようでもあれば、赤のようでもある。ちろちろと定まらない。黒点の裏側で炎が燃えているかのようだ。

 焦点の定まらない瞳は、虚空をただ見ている。

「ゲルカノ召喚を始めたのね。たぶんゲルカノ教団の人たちが仕切ってて、メヌーサも手伝ってるんだわ」

「手伝い?」

 老人が腑に落ちないと首をかしげる。

「メヌーサ・ロルァといえばエリダヌスの神ではないか。本人の気持ちがどうあれゲルカノ教団から見れば異教の神であろう?なぜ異教であるゲルカノ神殿の神事に関われるんじゃ?」

 メヌーサの気持ちがどうあろうと、一般に彼女はエリダヌスの神として認識されている。これは良くも悪くも事実だ。

 それに対してメルは「そうだけどね」と頷く。

「彼女、ゲルカノとお友達で教団ともおつきあいがあるらしいの。異教の神というより、時々遊びにくる客人神(まれびとがみ)って扱いらしいわ。神事の記録も過去にいろいろあるみたいで、大神官の代わりをした事すらあるんですって」

「……そんなものかの。ずいぶんと変わった連中なんじゃの」

「そう?」

「うむ」

 そもそも神様として崇められる存在という時点で普通じゃないとメルは考えたようだが、老人にそこまで突っ込む事はしなかった。それよりも今のメルは別の事に意識の大半が持ち去られていて、老人と会話しているのはほんの一部の意識だけのようにも見えた。

 さて、もう話は終わったとばかりに再びメルは顔を伏せた。

 そして、その口がゆっくりと動いた。

「……(あや)

「?」

 老人には、メルの悲しげな顔の意味がわからない。

 アヤという名前は確かに聞こえているのだが、実のところ老人たち銀河の人の『アヤ』の発音は日本語のそれとはだいぶ違っていた。知らない人が聞けば、それが同じ名前とは気づけないくらいには。

 だから当然、老人にはそれがあのドロイド・アヤの事だとは気づけなかった。

 メルは空を見上げた。

 空はただ青かった。今はまだ山あいの細道を進んでいるのだが、あとふたつかそこらの角を曲がって小さな隧道(ずいどう)を抜ければ目の前にはゲルカノ神殿の景色が広がっているはずで、メルたちがそれを見るころには、そこには巨大な八首龍(ゲルカノ)が降臨している姿を見る事もできるに違いない。地図に形が写るほどの巨大な神殿であるにも関わらず、それが普通のヘリポートか何かに見えてしまうという途方もないスケールで。

 だが、今はそんな事よりも背中のぬくもりにすがりたかった。

 背中の仔猫が「みぃ」と鳴いた。ん?とメルは首を回そうとしたが、のそのそと背中のリュックから這い出した仔猫は、まるで慰めるようにメルの顔をなめた。「元気だせ」というかのように。

「ふふ、ありがと」

 メルは微笑み、そして一人と一匹は横顔をすり合わせた。仲良しの人と動物がよくやるように。

「綾が来る、か……ただの幻ならよかったのに」

 それが幻でない事をメルは知っている。

 そう、今回の件がきっかけで銀河に何かが起きるのだ。取り返しのつかない、何かが。

 メルは特殊な諜報能力など持たない。

 しかし彼女の職業である異星(キマルケ)の巫女には特有の皮膚感覚があり、いわゆるトランスに近い状態で危険などを明確に嗅ぎとる事ができる。

 その皮膚感覚が、空前の危機が近づいている事を訴えている。

「もう避けられないって事か。ソフィアと完全に敵になっちゃったんだから、いつかはこの日がくるだろうとは思ってたけど」

 微笑みながらも、その顔は次第に泣き笑いになっていく。

「うん、もう逃げない。……たとえそれが、過去と永遠に決別する事を意味するとしても」

 どのみち、もう帰れないのだから。

 もともとメルは、ただの日本人の少年だった。そのまま生きれば普通に生きて、普通に死んだろう。それだけはおそらく間違いない。

 それが突然、あまたの宇宙文明と関わる羽目になった。生まれながらの肉体と持って生まれた性別すらも奪われ、故郷から引き離されて。

 その後にやってきたのは、まるで子供の頃に読んだSF小説のような、スペースオペラも真っ青の、混沌とした巨大銀河文明の世界。

 だけど。

 その中でメルは自分だけひとり……そう。まるでズラリと並ぶ銀幕の大スターの中で、ひとりだけ、みすぼらしい東洋人の田舎のガキが混じっているような居心地の悪さも感じていた。

 ここは本来、自分のいるべき舞台ではないんだと。

 最初に知り合ったのが銀河の王女様だっていうのが間違いの始まりで、億年に渡る超巨大宗教の教祖様やら、あるいは銀河系の裏通りを仕切る影の大ボスなんてのに人生を狂わされ続けた。そもそもメルの元となった少年はただの凡人だったから、そんな宇宙レベルの濃すぎる面々を目の前にしてうまく渡り合う事など到底無理。結果としてメルは振り回されるだけ振り回された。悪く言えば主体性のない半生だったと言える。

 だが、そろそろけじめだけはつけておくべきだろう。

「……」

 左手に持つ、銀色の杖を知覚する。

 メヌーサと居る時間の長さもあろうが、もともとメルの思想は非常にエリダヌス寄りであった。遺伝子の螺旋に異常にこだわり、民衆を腐ったみかんのように選り分けて「あなたは遺伝子が汚染されているから子供を残してはダメ」なんて言い放つ連邦の有様がメルは嫌いだったし、メヌーサが時々話してくれるエリダヌスの考え方や昔話がメルは大好きだった。

 ある日、あの宇宙(あま)駆ける天翔船の中でのメヌーサの言葉を、ふとメルは思い出した。

 

『人はもう、惑星を汚して生きるのはやめるべきなのよ。

 その星で生きる権利を持つ生物は無数にいるし、環境を破壊してそれらを滅ぼしてしまう知的生命は、いつまでも惑星上にとどまってはいけない。

 惑星上の世界は彼らに返却し、ひとは宇宙に適応して旅立つべきなの。少なくともわたしたちはそう考えた』

『それがエリダヌスの目的?』

『そうよ……これがエリダヌスが最終的に目指している地平。かつての賢者たちは「惑星からの卒業」と言ってたわね』

『惑星からの……卒業』

 

 旅をはじめたころ、そんな会話をした。メルはその考えに驚き、そして諸手を挙げて賛同したはずだ。

 そしてそれは同時に、ソフィア姫と(あや)……つまり、メルを二十世紀の地球から銀河系宇宙の世界に誘ったふたりを完全に敵に回してしまう事でもあった。

 ソフィアはともかく、ドロイドである『綾』は本来は味方である。

 しかし『綾』は大変古風なドロイドであり、主人の命令をそつなすこなす事を自らのアイデンティティとしている。それが彼女の美点でもあり、メルが……正しくはメルがメルになる前の存在、すなわち野沢誠一少年が好きになった黒髪の美少女の本質でもあった。

 だから、ソフィア姫が主人である限り彼女はもうメルの味方にはならない。激突は避けられない。

 ソフィアと綾。

 今の自分をもたらしたルーツとも言えるふたりの女。それと戦う事になる。

「……」

 その事を考えると、メルの心は沈む。

 メルにとり綾は愛しい存在だった。当時のメルは男の子であり、見たこともないほどかわいらしく、そして凛とした女の子に夢中になってしまった。ただそれだけだったのだ。

 その想いは一度は成就したはずだった。

 だが今のメルは知っている、それは本当は違うのだと。

 綾だってドロイドだ。メヌーサが目をつけたように綾も自分を『鍵』にしようとした。つまり綾は、メルを宇宙に引きずり出すために自分自身を餌にしたのだろう。

 悲しい事だがそれはおそらく事実。

 客観的に見てどうかはわからないが、少なくとも当時の少年だった自分が魅力的な存在だったとはとても思えない。それなのにああも綾は積極的だった。それはつまりそういう事なのだろうと。

「……」

 

 だけど。

 だけど、それでもメルは覚えている。

 人間からサイボーグになり、少年から少女になり、そしてさらに時を重ねた。

 それでも。

 それでも、忘れられるわけがない。

 

 だって。

 彼女こそがメルの、初恋の相手なのだから。

 この胸が張り裂けるような悲しみだけは、決して嘘じゃないのだから。

 

 それは正しい。そして間違いでもあった。

 だがその悲劇を知るのは今ではない。後悔するのは全てが終わってからの事なのだろう。

「おじさん」

「ん?あとどのくらいかかるか、かの?」

「うん」

 老人は目を細めて「既に急いでおるよ」笑った。

「何が待っているか知らぬがそう()くな、落ち着くがいい。おそらくいい結果は生むまいぞ?」

「……そうね。ありがと」

 メルはそういって笑い返し、そして杖を仕舞い込んだ。

「おいで」

「みー」

 仔猫は「まってました」とばかりにリュックから出て、メルの腕の中にすぽんと入り込んだ。そして、ぬくもりを確かめるようにして丸くなり、そのまま寝てしまった。

「……」

 それをやさしい目でみるメル。

「……」

 そんなメルの姿に、いつしか緊張していた目線を緩めた老人。

 空はただ青く、そして穏やか。

 

 こうして馬車(?)にゆられている間にも、ゆっくりと銀河は回転を続けていた……。

 

(『出陣』に続く)


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