猫の民・アマルー
メルは夢を見ていた。
それが夢である事にはすぐに気づいた。あの定期便の中の部屋と同じ、夕闇の中にメルは立っていたからだ。
「おいで」
みーみーと鳴く仔猫を抱き上げる。抱きしめて頬ずりしてやると、黒い仔猫は寝入った。
「……」
そしてそのまま、メルは顔をあげた。
「……」
そこには真っ黒なアマルーが立っていた。
全身黒ずくめだった。あの白い女王とやらが黒い王になった、それを思わせる風貌だった。
それを見た時、ああやはりここは夢だとメルは思った。なぜならその者は地球でよく見かける黒いスーツに黒い帽子までかぶっていて、オーダーメイドだろう黒いサングラスまで身に着けていたからだ。メルが地球時代に好きだった映画に出てくる、黒づくめのブルース兄弟のようで、なんとも懐かしかった。
まぁ、さらに言うならば黒いマントまで身につけていて、そちらは何というかドラキュラ映画風味でもあったが。
地球にアマルーが行くわけがない。そんな話は聞いた事がない。順当にいけばそろそろ地球も二十一世紀のはずだが、今も銀河と交易どころかその存在も知らず、この宇宙に知的生命体は自分たちのみなどと痛い妄想の世界に生きているはずだ。
だから、地球のスーツをまとうアマルーなどありえないわけで、だから夢だと思ったわけだ。
だがなぜだろう?メルはその雄々しい黒猫を知っている気がした。
「……ネクォイ?」
メルの口をついて出たのは、懐の中にいる小さな黒猫と同じ名だった。
相手にメルの声はうまく届いていないようだった。何か言おうとしているようだが、彼の言葉もこちらには届かない。おそらくはそれが『会ってはならない邂逅』だからだろうとメルは考えた。
だが、会話はできずとも何か伝える事はできるのだろう。
メルは首をかしげ、ただ黒猫を見つめた。
黒猫の姿は頼りなく揺らぎ、消えはじめた。だが彼が消える前にはっきりと示した表情は、少なくともメルにも納得のいくところではあった。
「ちゃんと伝わったみたい」
雄々しき黒猫の姿が闇に消えてしまった瞬間、
「みい」
懐で、いつのまにか起きた仔猫が小さなあくびをした。
一連のドタバタも終わり、メルたち一行は再び旅の空に戻った。
先刻までの山道はもう使用不能になってしまっていた。だが「ロルよ、どこかに迂回路はあるかの?……ほうそうか、ではそちらを回るとしよう」などという会話が交わされたかと思うと一行は少しだけ道を外れた。そしてしばらくガタガタと揺れたかと思うと先刻と似たような杣道に再びメルたちはいた。こういう小さな……あまりに小さすぎて狩猟の民やロルのような者にしかわからないような道が、この地域にはたくさんあるのだった。
「……ふむ」
老人は時折、ちっとも動かなくなったメルたちを見ていた。
先刻の事件からメルはすっかり寡黙になっていた。元々口数は多くないのだが今やほとんど口をきかず、どこかから取り出した銀色の杖をもち静かに座っている。むしろメルの背にいる仔猫の方が退屈しているようなのだが、その仔猫にしても決してメルから離れようとしない。面倒がないと言えばそのとおりなのだが。
「気にするな、じいさん」
「ほう、おぬしが人語を使うとは珍しいの」
声の主はロルと呼ばれた巨大な狼だった。
もとより彼は口がきけないのではない。ガレオン族の男はあまり饒舌ではない、ただそれだけの話だった。
「その娘は単に夢を見ているだけだ。気にする事はない」
「夢じゃと?どういう事じゃ?」
老人はこの手の事をよく知らないらしく、話せとロルに促した。
ロルはやれやれとためいきをついた。
もちろんその間も歩みはまったく弛みがない。おそらく彼の場合、このペースなら荷物の重さなど無にも等しいのだろう。
「俺は巫女というと一種類しか知らない。実際に見るのは初めてだ。だが間違いないと思う。巫女とは、そういうものらしい」
「よくわからぬ。もう少し詳しく話してくれぬか?」
「……わかった」
困ったようにロルは頷いた。
「俺の故郷が昔、環境汚染で滅亡しかけたのは知ってるよな?」
「ん?ああもちろん知っておる」
「星を何とか生き返らせる必要があった。俺たちの種族はまだ宇宙に出始めたばかりで、みんなを宇宙に逃す事なんかできなかったからな。
で、よその星に助けてくれと要請を出したらしい。
反応はいくつかの国からあったんだが、通信などでなくいきなり人を送ってきた国があった。もちろんどこの国よりも早くだ」
「それが巫女か。どこの巫女だと?」
「よく伝わってない。ただ巫女は『風渡る巫女』だと自己紹介したらしい」
「……ふむ、それで?」
老人はその呼称について少しだけ知っていた。だがあまり重要でないと考え、先を促した。
ガレオン族が一度滅亡しかけたのは結構有名な話だ。何しろこのロルが巨大な狼の姿なのも滅亡から避けるための苦肉の策だったのだから。本来彼らは、獣耳を持っているもののアルカイン族、つまりヒトに近い容姿なのだ。
だが、その細かい事情はほとんど知られていない。老人も知らなかったようだ。
話は続く。
「やってきたのはその娘ひとり、荷物も何もなかった。そして彼女は、自分は使節ではなく実行部隊であると明言した。
皆待ち焦がれてたろうから驚いたというよりむしろ怒ったらしい。娘ひとり、なんの道具もなしで何ができるんだと。
だけど間違ってたのは当時のご先祖たちの方だった。
その巫女は……たったひとりで俺の故郷を死の星から緑あふれる星に変えちまったんだ。それこそあっというまに」
「……大気組成も、緑化もか」
「それどころか。河川や海にも自然が戻っていたらしい。まぁ、精密機械がコケやカビにたくさん壊されたってオチもついたそうだが全部じゃないし、滅亡しなくてすんだ事を思えば上等だろう」
「そうだな」
老人は現役時代、技術将校を長く勤めていた。その時の知識が老人に、ロルの言葉の意味を教えていた。
つまりその巫女は道具もなくただひとり『惑星改造』をやってのけたのだ。それも住民に影響を一切与える事なく、大気組成や生態系までもリアルタイムで書き換え、彼らの星を救ったのだ。
なんという凄まじい能力なのか。
(あの頃わしが生き延びたのは……つまり運にすぎぬという事か)
「ロル、すまぬが今夜は夜通し動けるかの?」
「行けるとも。あの猫の女王様が妙な気起こす前に事をすまそうってんだろう?わかってる」
「すまぬ」
「いいって、気にすんなよじいさん」
ふたりの意見は一致していたが、思惑には少しズレがあった。だがこれは仕方ない。
数十年前。アルカインの大気圏内での対決。数千隻にもなろうかという艦船の攻撃をひとっからげにひん曲げてくれたあの時のメルの記憶は、今もなお老人の脳裏に鮮烈だった。
そして、先刻の戦闘。
老人には、メルの能力のどこまでがドロイドとしてのもので、どこからが巫女としてのものなのかはわからなかった。だがそんな区別には老人にはあまり意味のない事でもあった。彼からすればメルは「不気味な存在」以外の何者でもない。それを先刻の戦闘によって改めて思い知らされてしまったのだ。
(……この娘は危険だ。悪いが早く別れるに限る)
メルが老人の心の声を聞いていたら、嘆いたろうか?
否。それはむしろ銀河における普通の応対だった。半端に事情がわかる地域では化け物扱いや忌避されるケースが非常に多く、悲しい事だがメルはそういうのに慣れてしまっていた。
ゆっくりと、しかし確実に車は進む。
空はただ青かった。
ゲルカノ神殿は直径2kmにも及ぶ巨大な広場を持つという。その理由は実に簡単で、ご本尊である神獣ゲルカノが降臨できるよう大きく作られているからである。ゲルカノはその身体をのびのびと伸ばすと4kmに達するのだが、もちろん地上でそんな事をするわけがないから、普通に着陸して話す程度なら2kmもあれば事足りる。
広場には祭壇があるが、これはこの手の原始宗教にありがちな『生贄の祭壇』ではない。ゲルカノはその巨体に似合わず話し好きの神であり、神官や信者たちが身の回りの小さな事をあれこれ話すのを楽しげに聞いたり時には意見すらくれるという。連邦などの学者たちは眉唾と笑うのだが、もちろんメヌーサ・ロルァはそれが事実だと知っている。彼女はゲルカノより一億年以上も年下ではあるが、それでも数千万年にも渡る友人だからだ。まぁ時には一方的に嫌っていたりもしたのだが。
そんなメヌーサであるが、てっきり滅びたと思っていたゲルカノ教団が無事だと知った時の驚きは大きかったし、未だヤンカに神殿があると聞いた時には非常に喜んだ。すぐにヨンカ支部の教団の者たちに友を、つまりゲルカノ当人を召喚してもよいかと尋ねた。
メヌーサはもちろんゲルカノ教団の信徒ではない。しかし、この小さな銀色の客人神がゲルカノ神の友人である事、その召喚権を個人で持っているのも知られていた。ヨンカの教団支部では長らく久しぶりの銀色女神訪問を非常に喜んだがすぐにはチャーター機の手配ができない。そこで「早く現地に行きたい」とメヌーサはメルだけを連れてヤンカに先に渡り、後から教団メンバーが追いかける事になっていたわけだが。
「それにしても幸運だったわねえ。まさか定期便が撃墜されちゃうなんて」
「まったくです。まさか連邦の船が撃ち落とすなどと……それでメヌーサ殿に被害はなかったのですか?」
「わたしはね。でも、よくしてくれた乗組員の人たちもみんな亡くなっちゃったわ」
「そうですか……しかし貴女がご無事だったのは不幸中の幸いです」
メヌーサと話しているのはゲルカノ教団ヨンカ支部の人間である。つい先刻、追ってきたチャーター機がようやく到着したのだった。
彼らはメヌーサたちから定期便撃墜の話を聞き文字通り仰天した。民間機の撃墜事件という事でヨンカ政府への報告を現在行っており、ヤンカ時間で今日のうちにも正式な非難声明が流れる事になっている。
既に実行犯である連邦軍の兵士はアマルーの船により拿捕されている。しかしもとより指示に従っただけの軍人に罪を着せるはずもないし、指示したのは連邦である。ヨンカは連邦を許すつもりはないらしい。
「連邦はあくまで通商連合であって強権をもつ国家ではない。多数の民間人を犠牲にするというのなら最悪でもヨンカ政府を通して筋を通すのが基本です。頭ごなしで数千人を独断で消すというのは人権以前にわが国の主権を完全に無視している。田舎星となめてかかったのかもしれませんが、到底許す事などできませんよ」
「……そ」
メヌーサは「でも連邦を敵に回して大丈夫なの?」なんて事は訊かない。それは自分の範疇ではないと知っているからだった。
そして実際、ヨンカはこの後テロ支援国家と報道され叩かれる事になる。
しかしそれは歴史の転換点でもある。
アマルー連合をはじめ多くの国々がヨンカの味方に回る事になる。それは反ドロイド政策で連邦が、正しくはソフィア姫が銀河全域で恨みを買ってしまっていたからでもあった。子細はともかくこれにより、歴史は連邦消滅に向けて急速に舵をとる事になる。
いやいや、それはまた別の機会に語られるべき事だろう。少なくともメヌーサはそんな可能性や未来予測などに興味はなかったし、ゲルカノ教団の人たちも久しぶりの神事の事しか頭にない。教団の人間はメヌーサに昔の事や古い道具類の事について色々と尋ねたり、それに対してメヌーサが「細かい事は気にしなくていいのよ、彼はそんな事気にしないから。でも甘い匂いはとてもいいわね」「はぁ、なるほど」なんて会話をしていた。
そうこうしているうちに、祭壇の広場に何やら古くさい巨大な太鼓が現れる。それを見たメヌーサがパアアッと笑顔になった。
「まぁ、召喚の大太鼓じゃないの!ヨンカに移してたのね!」
「さすがご存知で。はい、革の作り方が失伝していて解析と復元に手間取りましたが、ちゃんと叩けます」
おお、とメヌーサはうなった。
「やっぱりこれがドーンと鳴らないとね。まじない師の追儺式じゃあるまいし、山よりでっかい神様相手に手のりのベルなんてありえないわ」
「まったくです。まぁテンドラモンカが滅ぼされたからこちらに運ばれたわけで、素直に喜べる話でもないのですが」
「ばっかねえ。ゲルカノだって複製作るのダメとは言わないわよ。作っちゃえばいいのに」
「いやまぁ、そうかもしれませんが。今回その事について許可もいただこうかと」
「うふふ、律儀ね」
「そりゃあもう。何しろ私たちの神様ですから」
「そっか」
メヌーサだってゲルカノだって別に神様でもなんでもない。無闇に長生きだったりおかしな能力があったりした結果、皆が神様と祭り上げてしまっているだけだ。
だが宗教なんてそもそもそんなものと言えばその通りだろう。メヌーサは特に突っ込まず、ただ微笑んだ。
「メヌーサちゃん」
「ん、なに?クリン?」
ふとメヌーサと教団の人間が振り向くと、そこには白猫が立っている。優雅なドレスでなく教団来訪者用の簡素な訪問着をまとっていた。
「おおクリンさん、よくお似合いですよ」
「ふふ、ありがとう」
ちなみに余談だが、彼女はアマルーからの訪問者と名乗っているがまさか女王様とは名乗っていない。まぁ訪問者というのも確かに嘘ではないのだが。
背後では王宮関係者がハラハラしていたりするのだが、そんな北の辺境銀河にアマルーの聖女王本人の顔を知る者などいるわけもない。王宮にコネのあるセレブの奥様くらいに認識されているようで、教団の人間が彼らに「大丈夫ですよ」などと笑顔で説明していたりもする。
メヌーサ同様、この白猫様も余計な騒動を起こすタイプのようだ。
「これがゲルカノ召喚のはじめと終わりに使う大太鼓なのね?」
「あら知ってるの。アマルーの方は失伝してたかと思ったわ」
クリン・アマルーは「うふふ」とちょっと残念そうに笑った。
「いいえ、残念ながら民間レベルでは失伝しているわ。ただ神殿遺跡がまだ残っていてね、それを調査した結果なの。もうそろそろ内部調査も終わって、教団の方にもご意見を伺うレベルになると思うのだけど」
「そっか……」
「ええ。ごめんねメヌーサちゃん」
「別にあなたが謝ることじゃないでしょう?」
クリン・アマルーはそれには応えず、ただ目を細めて静かに笑った。
「メヌーサ殿!祭壇の方にいらしてくださいませんか?クリンさんは招待客のお席に!」
「はーい。じゃあねクリン、また後で」
「わかったわ」
異教の神様なのに神事の音頭なんて取っていいのかしら?なんてクリン・アマルーは思った。だが普通の小娘のようにパタパタと走っていくメヌーサを見るにつけ、なるほど彼女にはそういうのが似合っているようにも思えた。
「……ほんっとに猫体質なのね。かわいいったらもう」
うっふふふと白猫は笑った。
どこにでも我が物顔で顔をだし、あちこちで餌をもらったり可愛がられたり追いかけられたりするような行動をとる者の事を、アマルーでは子猫とか猫体質と呼ぶ。
なるほど、確かにメヌーサ・ロルァによく似合っているが、こんな言葉が別途あるのでもわかるように、アマルー族のしかも大人は、この手の猫体質の人間を子猫に似たものと認識して好む。
少なくとも、白猫の女王様には大変気に入られたようだ。
そしてきっとそれは、メヌーサ・ロルァにとっても悪い事ではなかった。好奇心は猫をも殺すというが、数千万年を生きて星をも砕く一撃すらも跳ね除ける神のごとき存在にとってすら、退屈とは自らを滅ぼしうる猛毒だからだった。




