あれから何年たったのだろう?
連続投稿ですが、第一話は設定資料なので、本文だけならこちらでOKです。
突然だが『宇宙は孤独とヒマでできている』という言葉を知っているだろうか?
これは、とある太古の銀河冒険家の苦言と言われる。
その人物は宇宙の最果てを目指し、何百億光年と旅を続けたという。この宇宙ではじめて広域宇宙図を作った男でもあり、あまたの危険を乗り越えて多大な功績をあげた凄まじい人物なのだが、そんな彼をも殺してしまったのは、おそろしい敵でもなければ超絶スペクタクルな天変地異でもなかった。
とある星系の旅路の際、ちょっとした計算違いから何百年という退屈と孤独地獄に閉じ込められてしまい、ついにはトチ狂って本来自動で使えるエアロック装置をわざわざ手動で使おうとして失敗、真空に投げ出されて亡くなったという。
これは当人の英雄譚とは別に一種の笑い話として知られているが、現実はこの通り。
偉大な冒険家ですら孤独には勝てなかったというわけだ。
宇宙はあまりにも広い。
確かにハイパードライヴ航法などで広大な距離を縮める技術もできてはいるのだけど、速度があがったぶん結局は距離が広がっただけであり、むしろ行き来にかける平均時間は長くなったという統計もある。
たとえば、ポンコツのピアン型宇宙船で貨物業をしていたとしよう。今まで二週間かけて二百光年先の星と取り引きしていたのだけど、どうやらいい稼ぎができたので、同じピアン型でも年式のグッと新しい中古に買い換える事ができた。
ご存知のようにピアン型はロングセラーモデルであり、大昔の初期型と現在の最新型では性能が段違い。これにより二週間かけていたところを十日で往復できるようになったわけなのだけど。
しかし現実には、もうひとつ隣の星系まで足を伸ばす事になった。
そして何とか今まで通り、二週間と少しで戻れるように途中の予定を削りに削ったのだが、今度は現地でゆっくりする事ができず、慌ただしくて困る……とまぁ、こんな感じである。
その道のプロですら、こんな状況なのだから。
長生きしているメヌーサはともかく、中身も青少年と大差ないメルには到底耐え切れるものではなくて。
「だぁぁぁぁもうっ!」
「あ、また壊れた」
それは、果てしない漆黒の宇宙のどまんなか。
大銀河系のどことも知れない宙域のどこかで、何やら不穏なやりとりをする少女ふたりの姿があった。
ふたりは『森』の中にいた。
といっても、どこかの惑星にある森ではない。この『森』は、実はそれ自体がなんと宇宙船であり、ふたりはそれに乗って旅をしていた。
星から星へ。
小宇宙から小宇宙へ。
辺境から中央へ。
……え?いったいどのくらいかって?残念ながら、それは二人にもわからなかった。
考えてみてほしい。
まず、惑星によって公転周期も自転周期も全く異なっている。
次に、移動中は亜光速や超光速を併用するため、船内時間と外の時間はあまりにもずれまくりである。
で、とどめに。
彼女たちは現時点で既に、何十という経済圏の何百という星を渡り歩き、大切な『届け物』を続けていた。
そう。
現在時刻など計算しようにも、いったいどこを基準に計算するのか?
また、現在時刻がわかったとしても、ふたりの体内時計とのズレはどう考慮するのか?
ちなみにメルは当然、現在の日時を知りたがった。しかし、頭がパーになるから無駄な抵抗はやめときなさいとメヌーサに釘をさされた。
それでも知ろうとしたのだけど……空間偏差がどうのウラシマ補正がどうのと山のような計算式を見せられてとうとうフリーズ。「だからよしなさいって言ったのに」と何故か楽しそうに笑うメヌーサの横で頭を抱えるにいたり。
とうとう、メルも匙を投げたのだった。
だけど。
現在時刻がどうだろうと、どうしても避けられないものはやってくる。
そう。メルは、果てしない移動の連続に完全に飽きてしまったのだ。
もちろん世の中はよくできたもので、多くの船では安眠システムを持っている。これはいわゆるコールドスリープとは違い「適度に刺激のある夢を見ながら眠る」という心理面のためのもので、長旅をする船ではよく利用される。で、ふたりの載っている『天翔船』にもそれは装備されている。
しかしメルの場合、メヌーサが「ダメ」といってこれらを絶対使わせなかった。天翔船がストレス警告までしたのだけど、それでもメヌーサは許可しようとしなかったのである。
ちなみこの時に交わされたのは、こんな会話だった。
『修行中なんだから眠るのはダメよ』
『しかしこのままでは危険と思われますが?』
『大丈夫よ。居眠りを始めたら耳元でそっとささやいて、夢の中まで追いかけてやるんだから』
『……』
『まぁ仕方ないわね、そんなに刺激が必要なら、わたしが与えてあげるわ。こういうのは本当は、わたしでなく姉さんの得意技なんだけどね』
などと、不穏な会話が繰り広げられたという。
なお、この事件の後、何があったのかは不明だが、メルはメヌーサに対して低姿勢になったらしい。また口調が格段に女の子らしくなってくるという等の副作用もあったりしつつ、それでもストレスだけは一時的にとはいえ、綺麗に解消されていたのだけど。
しかし、それでもさすがに限界がきたらしい。
「ねえメヌーサ、どこかの星に降りようよ。たまには地上でゆっくりしようよ。ね?」
「しょうがないわねえ……」
自分より小さいメヌーサにしがみつき、どこかに降りようと懇願するメル。困ったように首をかしげるメヌーサ。
『……』
だが、天翔船はというと、それがメヌーサの作戦通りなのにしっかりと気づいていた。
気づいていたので、声にせず、こっそりメヌーサに話しかけた。
【それでは予定通り、ですか?】
『まあね。メルは教えてないけど種まきの仕事も終わってるわけだし、どうやら教育成果もあがったようだしね。
あなたは本当に素晴らしいお船だけど、わたしたちの他に人がいないっていうのはどうにもならないしね。いくら素晴らしい環境でも、ここに何年も閉じ込められたら、そりゃあ外に出たくなるのも無理ないわ』
【で、そのストレスフルな状態も利用して洗脳を進めたと。鬼ですねメヌーサ様】
『人聞き悪いわねえ、そこは教育と言ってくれないかしら?』
【言葉を取り替えても事実は変わらないでしょう】
実際、メヌーサの施した教育方法は限りなく洗脳に近い方法だった。
刺激の少ない環境にメルを閉じ込め、一方的に情報を送りつけて学習させ、そしてそれを活かした訓練というサイクルを延々と続けていたからだ。もし人権にうるさい第三者がふたりの修行風景を見たら、間違いなく激怒したに違いない。
だけど、メルの性格にはその方法は的確だったようだ。
まず、巫女としてのメルは中座にあがった。それもかなりよい成績を上げており、このままいけば上座に達する日も遠くないかもしれない。
それから人格面も変化した。
メヌーサが徹底してメルを女の子として扱い、時にはしつけも行った。
その結果、メルの雰囲気や態度から少年的なところが消えてしまった。言動などだけでなく、とっさの反応までも内股に平手というありさま。現状、下手な女性よりも女の子らしくなってしまったといえる。
さらに心境にも変化があったのか、視線や空気といったメンタルなものからも少年時代のものが抜け落ちた。
もはや誰かどこから見ても、メルは完全すぎるほどに女の子だった。
まぁ、それでもメヌーサに言わせれば「どこかで完全女性化を拒んでいるっぽい」のだが。
だがそもそも、実は人間の男女差というのはゼロイチのデジタルでなく、時計の針のように連続的でアナログなものなのだ。
肉体、精神、過去の生活史。抱えてきた心の遍歴に強いトラウマ、幼少期の学習結果などなど。人を男に、女に割り振ろうとする要素は実にたくさんあり、それらの総体として男女は分かれ、棲み分けが行われている。
だからこそ「すごく少年ぽく凛々しい女子」だの「こんな可愛い子が女の子のはずがない」な少年も存在するわけだ。
その点において、既にメルは立派に女の子であろうと、少なくともメヌーサは考えていた。
(うん、なかなか悪くない仕上がりじゃない?)
さて。
すっかり女の子らしくなったメルを内心、丹精した盆栽を見るように眺めているメヌーサだったが、もちろん顔には出さない。人間は草花よりも繊細でグレやすく、好きな形に育て上げるためにはココロの栄養が大切なのだ。
だから、そろそろ閉じ込めるのをやめ、地上を歩かせたほうがいいとメヌーサは思った。
「そんなに地上に降りたい?」
「降りたい!」
一瞬で言い切ったメルに苦笑すると、メヌーサは口頭で天翔船に尋ねた。
「じゃあ、そろそろかしら」
『そうですね。こちらもそろそろ地上が休息を欲していたところです』
「うん、そうね。今回も本当にお世話になったわね」
『いえ、とんでもありません』
「え?」
ひとり、話についていけないメル。
「えっと、なに?」
「何って、地上に降りるのよ。今度は寄港じゃなくて本当に降りるの」
「え、でもお仕事は?」
『その事なのですが、実は先日、予定にあった残りの星系から連絡がきたようです。どうも隣接する地域から鍵をもらったそうで、無理していらっしゃらなくとも構いませんという辞退の申し出だったのですが』
「え……」
メルは一瞬、その言葉の意味が理解できなかったようだった。
しかしだんだん意味がわかってくるにしたがって、目が爛々と輝きはじめた。
「そ……それってもしかして、お仕事終わりってこと!?」
『はい、そうなりますね。……本当に長いことご苦労様でした、鍵の子』
「……ほ、ほんとに?」
『はい、本当です』
「……」
メヌーサたちは一瞬、メルが子供っぽく「やったー!」と叫び飛び跳ねるところを想像した。
しかし実際にはメルは見る見る涙ぐみ、声もなくエグエグと泣き始めてしまった。
「ああ、こらこら。何よもう子供みたいに……っ!」
思わずもらい泣きしそうになったメヌーサは、あわててメルを抱きしめた。涙が見えないように。
【なんだかんだいって母親代わりなさってますね。あのメヌーサ様が慈母の相を持つとは、なんとも】
天翔船は精神波を出さないように、自分の中だけでそう、ひとりごちた。
しばらくしてメルが泣き止んだところで、今後の打ち合わせに入った。
「結論からいうと、天翔船とは次のヨンカ星系でお別れになるわ。荷物を忘れちゃダメよ?」
「わかった。あれ、でもじゃあ」
天翔船はどうするの、というメルの問い合わせに天翔船が答えた。
『はい、ヨンカの森でしばらく休眠につこうと思います』
「休眠?」
『はい。長旅で森がずいぶんと疲弊してしまいましたから、自然の森の一部になって休養をさせます。あと、現地の生き物を取り込みリフレッシュしたいですね。およそ二十年ほどかかるかと思われます』
「銀河中飛んでもらったものねえ。本当にありがとね」
『とんでもありません』
なごやかに三人(?)は話し込んだ。
長いつきあいだが、いざ別れが近いとなると話題が尽きないものだ。
この晩は結局、夜なべになってしまった。
ヨンカ星系。
ここはメルの太陽系、地球の賑わいに近い星。かろうじて星間文明を持っているのだが、繁栄はそれほどでもない。場所的にも田舎星であり、連邦とか何だとか、そういう喧騒には巻き込まれにくい平和な地域でもある。
さて。
これから地上の森となる天翔船に別れを告げたふたりは、郊外に唐突に放り出される事になった。この星の携帯端末の類は何も持っていないし、誰かが通りかかりそうな雰囲気でもない。
「じゃあメル、頼める?」
「うん、ちょっと待って」
そう言うとメルは杖にもたれかかるようにして立つと、目を閉じた。
「……ああ」
しかし、いくらもたたないうちにメルの目が再び開いた。
「あれ、もう連絡ついたの?」
「いや、連絡の必要なかった」
「は?どういうこと?」
「あっちからクルマが来るから乗せてもらうよ」
「は?乗せてもらう?乗り合い車か何か?」
「いんや、ただの個人」
「はあ?ちょっとメル、ヨンカは田舎だけど、そんな簡単に他人を乗せてくれるような土地じゃ……」
メヌーサが呆れたようにメルの無鉄砲を諌めようとした時の事だった。
確かにメルが言った通り、向こうから何か乗り物が迫ってきた。
それは、ひどいポンコツだった。長方形の鉄の箱が浮いて飛んでいるようなもので、しかしあまり高く浮遊できないらしく、時々ゆらゆら揺れたりもしている。
「揺れてる……慣性制御システムかな?」
「よく動いてるわね。むしろ無事に走れてるのが驚異かも」
そうこうしている間に箱はゆっくりと減速し、ガタピシ言いながらメルたちの横で止まった。
乗っているのは茶色アルダー、つまりトカゲ型の人類の一種だった。傍らには酒らしい瓶があり、そして当人も酒臭い。
「よっ、ハダカ人の子供たち!こんなとこでどうしたね?」
「こんにちは踊る蜥蜴さん。実は上のステーションからスクーターごと落ちちゃってね」
「ほえ?なんとなんと、そりゃ大変だ!」
ちなみにハダカ人とはヒト系を形容する言葉のひとつ。で、踊る蜥蜴というのは要約すると、陽気な酔っぱらいトカゲさんという意味である。
「ウシシ、このトラックは運転いらねえからよぅ、飲んでも大丈夫なんだぜ?」
「あら、ヨンカの法律じゃそれでも飲酒運転じゃなかったかしら?」
「まぁまぁ、そんな硬い事言わないで。
ねえトカゲさん、私たちを町まで乗せてくれる?お金あんまり持ってないけど」
「あーあー気にすんな、困ったときはお互い様ってやつよ。ほれほれ」
酔っぱらいトカゲは名前通り、とても気さくで陽気だった。
「おじゃましますー」
「……失礼します」
ちなみに堂々と乗り込んだのはメルで、ちょっと遠慮するように乗ったのはメヌーサである。
「乗ったかい?じゃ、いくぜえ!」
その言葉とともにポンコツの『箱』は、再びガタピシと動きはじめた。
「いやぁ、いい陽気だねえ。しかし空から落ちてきたって嬢ちゃんたち、怪我はないのかい?」
「そっちは問題ないわ、おかげさまでね」
メヌーサが答え、それにメルもウンウンと答えていた。
「あっそうだ。そういやおじさん、聞きたい事があったんだけど」
「お、なんだい?わかる事なら、何でもいいぜ?」
陽気に答えてくる酔っぱらいにメルはちょっと苦笑いすると、おもむろに尋ねた。
「あのね、今日って何日かわかる?連邦日でもオン・ゲストロ製綱歴でも何でもいいんだけど」
「ほう?ああそうか、ステーションから落ちてきたって事は、船で来たってこったな?そりゃそうか。
よしよし、ちょっと待ちな?」
そう言うと酔っぱらいは「うむ……ここがこれで、よし」と何やらコンソールをいじっていたが、
「ほれ、コンソールを連邦時刻に切り替えてやった。合ってるはずだから見てみな?」
「ありがとう!……って、あれ?」
コンソールに目をやったメルだったが、何やら数字を見てフリーズしている。
「あの……おじさん?この時計って本当に合ってる?月も年も?」
「ん?おお、合ってるぞ。秒単位はわからねえが月や年なら間違えようがねえしな」
「そ、そう……」
メルの顔がひきつっていた。
「ねえ、メヌーサ」
「なに?」
「私たちがアルカイン出てから……連邦時間で十六年経ってるんですけど」
「あー、うん。そんなものかしら」
「そんなものかしらって」
メルは絶句した。無理もない事だった。
「いち連邦年って、地球のだいたい二年なんだよ?つまり十六年って事は……」
ふらふらと頭をふり、そして、
「地球は西暦2017年…………21世紀って、マジで?」
呆然とした声が、その口からこぼれた。