文明の道
「足が痛い……」
見知らぬ異星の野山をさまよい出したメルだったが、すぐに困ったのは靴だった。
彼女が履いていた靴は標準的なものだったが、それは宇宙船やステーション用に作られたものだった。リノリウムやコンクリート・金属などの平らな床で使うには最適な宇宙文明のハイテク・シューズなのだけど、当たり前の話だが、そんな靴が野山を歩き回るのに適合するわけもない。瞬く間に靴には穴が開いてしまい、メルの柔らかい小さな足では歩き続ける事が困難になってしまった。
ヒグマと引き分けるほどの戦闘力を誇りながら、山歩きごときであっさりと動けなくなる。
なんというかマヌケというか、情けない話であろう。信じられない人もいるかもしれない。
だが、想定されるものが全く違うのだから仕方ない。
メルの肉体を構成しているのは本来、宇宙文明で活動する汎用高級アンドロイドの肉体だった。人間の少女の柔らかさと機能を持ちつつも軍隊と戦えるほどの強烈な能力をメルは持っている。野生のヒグマもどきの猛獣ごときに、彼女の身体を壊す事はできない。
だが、いくら世界最速を誇る鳥だって、海に入ればあっさり溺れ死ぬ。
メルの肉体のもつ戦闘力はあくまで空間戦闘のためのもので、山野の行軍は全くの想定外だった。ようするに、まともに野山を歩くための装備すら生身のメルにはなく、機能も持たなかった。
さらにいえば、メルの中身が人間であるがゆえの問題もあった。つまり肉体がいくら高性能であろうと、頭であるメル自身が人間である以上根本的に使用できない能力も多々あったわけだ。
真空中でも死なないのは確かに凄い。だが本人が着弾の衝撃で失神してしまっては反撃もへちまもない。
ヒグマの一撃で無傷なのは確かに素晴らしい。だが攻撃をさばく事もできずに吹っ飛ばされてしまっては、それは実用性があるとは言い難いだろう。
悪く言えばメルの能力は完全に宝の持ち腐れであった。メヌーサの強い勧めで異星の巫女としての学習をしたものの、自分自身の肉体を全く使いきれてないという情けない現実の方は、今になっても全然変わらなかった。
今もそうだ。
重力制御ができるのだから浮いて進めば問題ないのだが、うっかり気を抜くとどこに飛んでいくかわからない。情けない話だがこれは事実で、だからこそ、悪意の何者かに発見されないようにいくには歩くしかなかったのである。
そも、メルの前身は地球人、それも昭和中期、高度成長期生まれの日本人である。
彼女は重力制御という概念は知っているものの、それを言葉以前のイメージとして理解も利用もできなかった。だからこそ、車両感覚のないドライバーが毎回車庫いれに苦労するように、彼女の重力制御技術もまた、何十年たとうと全く進歩する事がなかったのである。悲しい事ではあるが。
話を戻そう。
メルは見知らぬ山の山頂にいた。別に登山をしたかったのではなく、山の稜線がもっとも障害物が少なかったからだ。
そこは草木もなく歩きやすく薮こぎもほとんどいらなかったが、反面そこを歩くという事は事実上の山岳縦走と同じだった。もちろんメルは登山経験などなかったわけで、本当に彼女が生身の人間だったらとうの昔に遭難していただろう。
まぁ、裸足で歩く限り、岩肌がちゃんと見えるだけ森の中よりもマシだろうが。
それにしても。
「ものの見事に何もないわねえ」
この星には山男はいないのだろうか?縦走路どころか目印ひとつない稜線を見てメルはつぶやいた。
日本アルプスか四国山中かと言うほどの山々だった。メルのいる近辺はそうでもないようだが、はるか北の山々の稜線は雪に埋もれているのがここからでも見えた。ずっと西の方には海があるのも見てとれたが、内蔵センサーを駆使して限界まで視界を広げてみたところで、そこには山道どころか人の入った痕跡すらないのだ。
こんな場所で、素人がこんなペースでテクテク歩けばいったい何日かかる事やら。
いや、そもそもこの足では……。
「ここから降りられないよね。これじゃ」
既にメルは素足。そして眼下はというと、底も果てもわからないレベルの深い深い薮の海。
これはもう、装備もなく歩くのは無理だとためいきをついた。
「仕方ない。やってみるか」
メルはためいきをついた。背中で「みぃ」と鳴き声がした。
山歩きをはじめてから「危ないから」という理由でメルは子猫を背中に入れていた。幸いなことにリュックは柔らかく、しかもかなりの空間があったしタオルなども入れられていた。だから子猫はおとなしく入ってくれたし、時々そこから顔を出して耳元でみーみー鳴き出すのもメル的にはくすぐったくて心地よくもあった。
「ちょっとびっくりするかもだけど、暴れちゃだめだよ?」
背中の子猫にそう言った。言語理解できるとは思えなかったがニュアンスだけでも伝わればいい、そうメルは思った。
そうして呼吸を静めて、
「……『杖よ目覚めよ』」
そうつぶやいた途端、メルの左手には銀色の長い杖が握られていた。
「?」
杖が出た瞬間、何か未知の波動のようなものが自分の周囲で蠢いたような気がした。メルは周囲をぐるりとみたが、特に何も見当たらない。
「まさかあんたじゃないよね?」
子猫にまでつい聞いてしまうが、もちろんニャアという返事しか来なかった。ふむ、と少し考えたが悩んでも仕方ない。
杖にもたれかかるようにして、杖の先を額につけた。
「迂闊に飛び回ったら発見されちゃうからね。まずよさげな場所を探さなくちゃ」
いつものように心を滑らせる。
その瞬間、視界が急激に広がった。
彼女の人工の肉体でも望遠鏡のように拡大して見たりする事はできるが、こうすると山の反対側の視覚になっている場所すらも透かしたように見る事が可能だった。その拡がった『目』をもって周囲を徹底的に探りはじめる。
「あら」
ほどなくして、非常に細いが辛うじて道のようなものをメルは発見した。
「これは……杣道かな?」
杣道というのは、木こりなどの山岳作業者が用いる非常に簡素な道のことだ。素人目には獣道よりマシな程度にしか見えないのだが。
しかし、これはちょっと興味深いとメルは思った。稜線には全く道がないのに入山用の杣道はあるというのか。
「林業はするけど、山男みたいな存在はいない?うーんそれも違う?」
ようするに入山する理由が違うのだろう。そうメルは思った。
日本のように山奥まで営林している気配もないし、河川にひとも入っていない。釣り人もいないし、ましてや登山している人など、とんと見かけない。
では、あの細い痕跡のような道はなんのためにある?そう思いつつ視線を巡らせたのだが、
「あら」
その視線の先に動くものを見つけた。
「馬車?」
馬とは明らかに違う生き物なので馬車というのも変なのだが、まぁそれに類する乗り物だった。乗っているのはアルダー人の年寄りがひとり。
それは沢づたいに進んでいた。
メルの追っていた細い杣道を辿り、沢沿いに伸びるすさまじいばかりの山奥だった。ちょうど奥にある素彫りの隧道から出てきたところで、ちょうどメルの視線と交差したらしい。
「?」
だがメルはその光景に違和感を感じた。
杣道はどう見ても歩道サイズだ。どこをどう見ても馬車道サイズではない。何せ人間の肩幅もあるか、という程度の道なのだから。
なのに、どうしてそんな細道を『馬車』が進んでいる?
「……直接聞いてみるか」
杖を掴み、そしてメルは立ち上がった。ブツブツと小さくつぶやくと、きゅっと杖を握り締める。
次の瞬間、メルは『馬車』の前方の曲がり角に立っていた。
「おっと!」
いきなりのメルの出現に『馬』の足が止まった。その場で足踏みをして身体を揺らし、御者へと警告を伝えた。
「どうどう、わかってるわかってる。ありがとよ」
御者が『馬』に礼を言うと『馬』の動きが止まった。どうやら言語理解か何かわからないが、意志が通じているらしい。
なかなか風変わりな姿だった。
まずは御者。青アルダーの老人だった。青アルダーというのは文字通りボディが青いアルダー族なのだが、白い羽毛で包まれているので遠目には水色がかった白に見えるのが特徴だ。まぁ老人なので白色はくすんでしまっているが。
老人は時代がかったチャンチャンコのような衣装を着ている。中身がアルダー、つまり爬虫類型人類である事を除けばまるで時代劇のようだとメルは思った。
次に『馬』。
遠目には水牛か何かのようにも見えたが、こうして目前にしてみると違うとわかる。そこにいたのは、子牛よりも大きなサイズの、どでかい『狼』のような生き物だった。メルはそれをはじめて見た。
そう、メルは知らない。見た事がなかったし知識もなかった。
その生き物は『ガレオン』という。
四本足の獣に見えるが、これは歴史的なもの。本来は獣型どころか、むしろアルカイン型に近い高度知性体である。
最後にメルは『馬車』本体を見て……そして固まった。
「……なに、これ?」
他にコメントのしようもなかったのだろう。メルは唖然としてしまった。それはそうだろう。
その『馬車』は、二輪だったのだ。それも左右ではなく前後に。
まるでそれは、荷馬車の下が自転車になったような奇妙極まる乗り物だった。
なるほど、確かにこれなら獣道と見紛うばかりの杣道でも移動可能だろう。どういう理由か知らないがロクに道もないわけだが、こういう乗り物が使われているのなら確かに納得がいく。広い道はメンテナンスに手間がかかる。むしろ不要なのだ。
だが、荷台が異様に広いのはどういうわけだ。普通の四輪の荷車とほとんど変わらないのだ。
こんな車両で、本当に安定して荷物が詰めるのか?いやそれ以前に、牽引役の動物が倒れたらどうなるのか?
メルの感覚では、常識以前に意味のわからない乗り物だった。
だが事実、このヘンな乗り物は動物が引き御者をのせ、ここまで旅してきているわけで。
想定外のカルチャーショックに、メルは内心頭を抱えた。
「こんなところに人間かね。狩猟民ではないようだな」
メルの衣服と長い杖を見た老人は、ふむと頷いた。
「道に迷ったかね。それとも変化の類か」
老人は少し疑いの混じった目で見ているようだった。
これが同種族ならば男と若い娘という事で性的な意味もあるのかもしれないが、そもそも爬虫類型人類である老人と人間であるメルは種族的に違いすぎる。では何を疑っているかというと、単にこの山奥に立っているにしては、あまりにメルの姿が異様だからだった。
無理もない。
まぁそれでも、いささか小娘過ぎるメルの容姿と実用的とは言い難い異星の巫女装束が、別の意味で老人を警戒させなかったのであるが。つまり「悪意をもって配置されたにしては珍妙すぎる」という事だ。いかにも後付けで拾ったようなリュックと、そこから顔を覗かせた子供らしい小動物が、さらにその変な意味での違和感を増幅していた。
「……道に迷ったっていうのは正しいんだけど。変化って」
苦笑するメルに、老人はカッカっと笑った。
「まぁ仕方あるまい。このような深山幽谷にただひとり、しかもそのような山歩きに全く向かぬ容姿ではのう」
なるほど、それもそうかとメルは頷いた。
「私もよくわからないんだけど……ぶっちゃけ言うなら『乗ってた船が落ちた』よね」
「ほう」
老人の目が開かれた。
「定期便か?確か宇宙で消息を絶ったとラジオで言っておったが?」
「うん。あれたぶん重力破砕砲だねえ。撃ち落とされたみたい」
「はぁ?ちょっと待て若いの」
老人は呆れたように言った。
「そなたの言葉が正しいのなら、そなたは定期便ごと撃墜されたのに生き残り、あまつさえ宇宙からこのヤンカに到達したという事になるぞ?どういう事情かは知らぬが、いくらなんでもソレを信じろというのは無理があるのではないか?」
「え、ヤンカ?」
メルはその名を頭の中で反芻して、ああと手を打った。
「惑星ヤンカか……あら、じゃあちゃんと目的の星には着いてたんだ。よかったぁ!」
ティーダー星系の国際空港は、惑星ヤンカにあるはずだ。少なくともメルはそう記憶していた。
だが老人の言葉に、メルは眉をしかめた。
「そなた、わしの話を聞いておらんな……まぁよい。
その反応と会話の雰囲気で、わしも少々思い出した事があったわ」
「?」
メルが首をかしげると、老人はにんまりと笑った。
「つまり、そなたは連邦軍の探しているという娘じゃな?たったひとりで銀河を滅ぼそうとしたという超危険人物、だったかの?」
「!」
メルはじり、と一歩下がった。裸足に尖った石が当たり、一瞬眉をしかめた。
だが老人はそんなメルを見て笑った。好々爺を思わせる笑いだった。
「やれやれ、困った娘じゃなぁ。こんな年寄りを連邦の下っ端扱いとな?」
「……」
じっとメルは老人を見ている。老人はというとそんなメルを気にした風でもなく、ただクックっと笑った。
だが、後に続いた言葉にはさすがのメルも驚いた。
「ま、強いて言えばわしも昔は軍におったがの。アルカインでの戦いを覚えておるか?」
「アルカイン……!?」
記憶の中をかき回したあげく、その名の意味するものにメルは目を丸くした。
対する老人はにっこりと笑った。それは非常に楽しそうでもあった。
「久しいのうアヤの娘。あの時おまえさんと通信して投降を勧めたのは何を隠そうこのわしじゃよ。まぁ、あの頃はさすがにこんなじじいじゃなかったんじゃが」
「……」
あっけにとられたメルを見て老人はまた笑い、
「まぁそんなわけでな、わしはおまえさんをよく覚えておる。テロリスト扱いが冤罪なのもな。なに、生き証人のわしが言うのじゃから間違いないわい。
しかし、ここで会ったのも何かの縁じゃ。旅の話など聞かせておくれでないかな?ん?」
そう言って、ちょいちょいと手招きするのだった。
ガレオン族について。
唐突にポンと名前だけ登場するのは、昔の名残です。
実は彼、最初期の旧版『α』では主人公の立場でした。「メル」になるのはシリーズ終盤で、地球を去る時は狼タイプのドロイドの姿だったんですよ。
色々事情があって動物タイプのパートがなくなり、第四版でメルのパートナーに。
さらに第五版で無関係の第三者となり、今の形になりました。
同時にガレオン族の故郷に行く逸話の話が消滅し、代わりに古代遺失文明をキマルケ文明として設定変更……とまぁ、そんな感じです。
ちなみに当時はメヌーサ・ロルァはおらず、彼女はもともと「メル」になった主人公に手を貸す古代遺失文明の巫女さんでした。
なお、メルの巫女設定は当時も今も変わらず、メヌーサがメルに教育を施す設定も(人物名や立場が違うだけで)最初期のままとなっています。




