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とある旅路の日記  作者: hachkun
10/21

ねこ

 暗い空の向こうで男ふたりが不吉な会話をはじめるよりも少し前。

 エンジンルームを出たメルは、見えないガイドに導かれるように船内をすたすたと歩いていた。

 この船『リンガム・リンター』号は定期便としては一般的なサイズである。航海日数が長いので大きめのものが選ばれているとはいえ、銀河の大区画を結ぶ長距離船のようなものものしさはないし、数十万人収容の超大規模船(ギャ・ガ・ランダル)のバカバカしいほどの壮大さも持ってはいない。あくまで普通の船である。

 だが、それでも数千名を眠らせもせずに三週間、しかも二百光年向こうまで届ける事のできる船である。全長といえばキロ単位の長さがあるし、一般人の区画だけでも決して小さなものではない。だからそのちっぽけな『侵入者』とやらに遭遇するのも本来なら簡単なことではないはずだった。

 だが。

「ねこ?」

 どこからだろう。

 みー、みーと子猫のような声がするのにメルは気づき、足を止めた。

 それは奇妙な事だった。

 ここは宇宙文明の世界であり、地球の動物である猫は存在しないはずだった。強いて言えばアマルーという猫タイプの異星人の存在は知っていたが、なぜか今までの旅路の中でアマルーは見た事はなかった。

 もっとも、その理由を少しだけメルは知っていた。というのも、メヌーサはどうも妙にアマルーの話を避けたがる傾向があるからだ。

 たぶんだが、彼らの勢力圏の星を意図して避けているのだろうとメルは思っていた。

 ちなみにアマルー族であるが、彼らはもちろん地球の猫科動物との関係はないだろう。それは単に進化の必要性で猫のような特徴を得たにすぎない。なぜならアマルー族というのはトカゲ型のアルダー族がそうであるように、ひとのように二本足で立つ「人型の猫」だからだ。

 なのに、その鳴き声は確かに子猫のものだった。

 メルは声の主に引きずられるように、そちらに向かって歩いていた。

 廊下はずっと半永久型の埋め込み式の灯火で照らされていた。そこをメルは延々と歩き続けていたが、とある分岐点から左に入った奥が、何やら別の灯火になっているのに気づき、興味をひかれた。

 入っていくと、いくつか並ぶ入り口のひとつが開いており、そして、その向こうだけはまるで夕焼けのように赤かった。気配は特にないが、誰かいるのだろうか?

 近づいてみた。

 入り口には『風景展望室』という意味の連邦語が書いてある。一種のバーチャルルームで部屋全体に風景を作り出すものだ。鳴き声もその中から聞こえている。

 メルは一瞬だけその赤にためらい、そして中に踏み込んだ。

 

 

 風景は地球の夕焼けによく似ていた。

 正しくはメルがメルになる前のずっと小さかった頃の景色に似ていた。遅くまで遊びほうけて「叱られるぞぉ」などと冷や汗たらたらに帰宅していた頃の、あの頃の夕焼けにも似ていた。

 それはメルの脳裏にある、幼い頃の誠一少年の原風景にも似ているものだった。

 ざわざわ、とメルの中で何かがうごめいた。

 この風景は不吉だ、とメルは思った。

 こんな宇宙の果てに、狙いすましたように彼女の琴線に触れるものがある。偶然なのかもしれないが、狙ったものであろうとなかろうとこの風景は自分にとって不吉なのだ。それは忘れかけている記憶をほじくりだし、メルの理性や感情をかき乱すものに違いなかった。

 やっとこの身体にも、宇宙での生活にも馴染んできたのに。

 面倒ごとはごめんだ。

 小さく頭をふり、メルは視界を回した。

「……」

 だがそのとき、メルは気づいてしまった。

 ニャーという小さな声。

 ホログラムの木陰に小さな黒猫が鳴いていた。

 子猫も子猫、相当に幼い猫だった。

 目が開いているのかどうかも疑わしいほどだった。少なくとも母猫の庇護なしには生きられない年代である事だけは間違いなく、そしてその母親の気配はメルの知覚の範囲には全く認められなかった。

 映像ではない。そして人間(アルカイン)トカゲ人(アルダー)のように二本足っぽい雰囲気もない。

 前足の指が五本あるがこれは地球の猫も同じはずだ。ご丁寧に肉球の形まで猫であった。まぁ日本の子猫よりは少し大きいようだが、虎やライオンの仔のように大きいわけではないし、この程度ならば地球の猫と並べられても区別がつくか疑わしい。

 結論。やはりどう見ても猫だ。

 だがしかし、どうしてこんなところに?

 手を伸ばすと、黒猫はミーと鳴いてメルの手にしがみついた。見えてないわけではないようなのだが、全くメルを警戒もしていない。

 そして、全てがフニャフニャで柔らかい。

 やはり子猫、それもかなり初期の子猫なのだとメルは納得した。

「いい子。ね、どこからきたの?」

 もちろん返事などあるわけがない。だがその刹那、何かに怯えるように黒猫はキュッとメルにしがみついた。

「……そっか。わかった、もうこわくないよ」

 メルはその黒猫を見て何かを感じた。そしてそう言って猫をだきしめた。

「さて、いこっか。何か食べなきゃね。猫ミルクあるかな?」

 黒猫を見ると彼はもうそれに答える事もなく、安心したかのようにメルの腕の中で眠りはじめていた。

「……あはは」

 なんとも現金な黒猫の赤子っぷりに、思わずメルは小さく笑った。

「とりあえず戻ろっか」

 そう言うと、足早にもときた道を戻り始めた。

 

 

 再び場所は移り、バーの二人である。

 相変わらず客は誰もおらず、バーテンとメヌーサの二人だけであった。メヌーサの飲んでいるものが完全に大人用の強烈な酒である事を除けば風景は全く変わる事がない。またメヌーサの顔にも酔いの気配すらない。

 とはいえ、これは別に彼女が酔ってなかったというわけではない。実際彼女つい先ほどまで幸せそうな赤ら顔だったのだ。外見が子供っぽい事もあり、彼女の本当の年齢を知らない者が見たら怒り出したかもしれない。

 ではどうして今醒めているかというと、つまりメヌーサは自分の酔いを制御する事ができるわけだ。もちろん普通の人間にできる芸当ではないが、彼女にとってはたやすい事だった。

 だが、まだ飲んでいる最中なのに唐突に酔いを醒ましてしまうというのはおかしい。当然バーテンは首をかしげた。

「メヌーサ様?酔いを覚ましてしまわれたのですか?」

 バーテンの問いかけに、メヌーサはウンと答えた。

「どうやら何か起きたみたいなの。メルもこっちに戻ってくるわ」

「おや、そうですか。じゃあ彼女のために何か用意しないと」

 しかしメヌーサは首を小さくふると、違う指示を出した。

「いえ待って、ミルクを用意してくれる?」

「ミルクですか?」

「そうミルク。アマルー用のやつあるかしら?」

「アマルー用ですか?」

 少しバーテンの顔が下に向いて、

「ありますね。保存用のものになりますが」

「保存用?」

「このあたりの宙域には近年、アマルー族のお客様がいらっしゃいませんので。新鮮なものは積んでないんですよ」

「ええ知ってるわ。それでもいいから出しといて、たぶん使うから」

「わかりました。ちなみにワケを伺ってもいいですか?」

 レンジに保存用ミルクを入れ、解凍にセットしながらバーテンが質問してきた。

「メルからアマルーっぽいニオイがするのよ。なんか拾ったんだと思う」

 どういう意味かとバーテンは言おうとしたが、それは飲み込んだ。おそらく匂うというのはメヌーサ独特の表現なのだろうと彼は考えた。何しろ匂う以前に姿も見えていないのだから。

「レンジ解凍タイプか。ねえ非常用パックはある?水溶性のやつ」

 地球で言えば粉ミルクにあたるもので、もちろん簡易的なものだ。なお粉末でなく固形で売られている事が多いので『粉』ミルクとは言わない。あえて言えば石鹸ミルクだが、日本人が聞くとミルク石鹸と間違えそうでややこしい。

「あります。しかし不味いですよこれ」

「ないよりはいいわ。ひとつもらえる?できれば……あら」

 メヌーサがリクエストするより前に、それは小さなリュックに入っていた。

「アマルー式の育児リュックだったかしら?……またずいぶんと準備がいいのね」

「昔のお客様の忘れ物です。何しろ百四十年も前のものですし、エリダヌス教徒の方のものですからね。かりに取りに来られたとしても、他でもないメヌーサ様がお持ちになられたと言えば納得してくださるでしょう。

 あ、ちなみに中身は今入れたものですから。ご心配なく」

「そ。ありがと助かるわ」

 メヌーサは躊躇なくそれを受け取った。

 程なくしてロビーにメルが現れた。その腕に黒い小さな動物が抱かれているのを見てバーテンは驚いた顔をし、メヌーサは「きたきた」と特に驚きもせずに微笑んだ。

「ただいまー、猫拾っちゃっ……た?」

 メルの語尾がおかしくなったのは、バーテンが哺乳瓶らしきものを持っていたからだ。

「さ、これどうぞ。おなかすいてるだろうからね」

「……えっと、どうも」

 なんで?と不思議そうな顔をしつつもメルはしっかりと哺乳瓶を受け取り、さっそく動物に飲ませる事にした。

 ミルクのニオイを感じていたのか、動物はそれを咥え、夢中で飲み始めた。

「あはは、ペコペコだったんだねえ」

「……」

 メヌーサはその黒い生き物をじっと見ていたのだが、なぜかとても優しい目をして微笑んだ。

「懐かしいなぁ。まだ生きてたのねソロン」

「?」

 なんだろう、とメルがメヌーサの方を見た。メヌーサはそんなメルを見てうふふと笑った。

「この子アマルーじゃないのよ。いえ正確にはアマルーだけど、現在のアマルーとは少し違うっていうか」

「へ?アマルー?この子、猫じゃないの?」

 どう見ても猫に見えるんだけど、とメルが首をかしげた。

 その腕の中の生き物はというと、もちろん一心不乱にミルクを飲んでいる。

「ネコって……ああ、前に話してたメルの星の生き物の事ね?

 ああ、そういう意味では確かにネコでしょうね。動物好きのメルが見間違えるほど似ているのなら、おそらく生態系の同じニッチを占めているわけだからね。多星系分類動物学的にいうとこの子は確かにメルの言うネコなんでしょう」

 ふむふむ、とメルはメヌーサの言葉に頷く。

「メル。確かメルの言っていたネコという生き物は、なかば人工的に繁茂した種類よね?当然原種がいるんでしょう?」

「あー、うんいる。ヤマネコの類らしいんだけど」

 地球の猫はただ一種、リビアヤマネコである事がわかっている。ここから世界中にいるあの猫が生まれたのだ。

 ただし、実はこれが判明したのは猫のゲノム解析の結果であり、もちろんつい最近の事。メルが日本にいた1982年までの段階では当然、これは証明されていないのだが、リビアヤマネコは家猫にそっくりな種であるため、観察学的、あるいは民俗学的観点から、この当時もリビアヤマネコだろうと推測されていた。

 メルがその話をすると、メヌーサもうなずいた。

「この子はね、そのアマルー族における原種(リビアヤマネコ)にあたる存在なのよ。まぁ正しくは、その始祖から分かれた第一世代なんだけどね」

「第一世代?」

「メル。『|アマルーに至るただ独り(アマルダンキィ・ソロン)』って知ってる?」

「ごめん、知らない」

 メルは正直にそう言った。だが背後にいるバーテンの方が驚いた。

「まさか……このちびすけがですか?」

 メヌーサはふたりの反応にそれぞれ満足したようで、うんうんと頷いた。

「メルは知らないみたいだから簡単に説明するね。

 まずわたし、つまりメヌーサ・ロルァがアルカイン族、メルの言うところの『ニンゲン』の祖なのは知ってるわね?」

「うん」

 確かにメルは知っていた。目の前の幼げな銀髪の少女が、実は数千万年という途方もない時間の旅人である事を。

「この子のお母様が、そのアマルーの祖なのよ。見ればわかる、これは彼女(ソロン)の子供だわ」

「へぇ」

 あ、とメルがつぶやいた。あっさり理解したようだった。

「この子がアマルーの第一世代ですか……はじめて見ました」

 バーテンが感心したように子猫を見た。

「しかし、まさかですが……その、アマルーの長の方は未だにお子様を自ら作られていると?」

「未だにっていうか……わたしたち『原種』は保全されるべき存在で本来、自らのお腹で自然出産はすべきじゃないんだけどね。

 まぁ、ソロンは私の知る中で一、ニを争うほどに奔放なところがあったからね。そんな野暮言っても意味ないっちゃあそのとおりなんだけど」

 クスクスと笑う。遠い昔を思い出しているのだろう。

「そんなユニークな方なのですか?」

「ユニークっていうか、無法者かしら」

 笑いが止まらない。少し苦笑いも混じっているようだが。

「とにかくルール無用で自分本位なのよね彼女。気に入ったら実の息子でも手を出すわ、気に入らないってだけでアルダー原種のひとりを食べちゃうわ。逆にわたしの事なんか、ちゃんづけで子猫扱いだし。いろいろと滅茶苦茶っていうかもう、とんでもないトラブルメーカーだったわねえ」

 そのトラブルメーカーにおそらく彼女は好意的だったのだろう。メヌーサは実に機嫌よく笑った。

 だが、とんでもない逸話を聞かされる方は当然たまったものではない。

「食べたって……アルダー族は知的生命体ですよ?爬虫類系ったってトカゲじゃないのに!」

「だ・か・ら。そういう(ひと)なんだってば」

 引いているバーテンを見てメヌーサはまた笑った。

 

 その瞬間だった。

 

「!」

 その瞬間、メルが何かを感じたかのようにピクッ!と反応した。

 そして、それをめざとく見つけたメヌーサが声をかけた。

「あらメルどうしたの?いきなり顔色変えて」

「わからない、わからないけど……でも何か変」

「?」

 メヌーサはメルのそういう表情を少し眉をしかめながら見ていたが、

「メル。あんたこのリュックしょいなさい」

「え?」

「ほら早く」

「う、うん」

 言われるままにリュックを背負うメル。それをウンウンと頷きつつ見たメヌーサだったが、

「バーテンさん」

「はい?どうされましたかメヌーサ様?」

 何が起こったかわからない、という風情のバーテンにメヌーサは微笑むと、にこやかに告げた。

「わたしにもよくわからないけど『何か来る』ようなのね。手遅れになる前にお礼言っておくわ。いいお酒をありがとう」

「ま、またぁ。不吉な事言わないでくださいよ~」

 ひきつった笑顔をバーテンは浮かべた。

 無理もあるまい。自分たちの教祖であり伝説の『神様』に突然、死に別れるような事を言われたのだから。

 だが、メヌーサは困ったような顔で続けた。

「この船にソロンもその従者もいないのよね。アマルー族のお客様はひとりも確認されていない。

 なのにメルはこの子を拾ってきた。この時点で既に何かおかしいでしょう?」

「それは」

 確かにそのとおりではある。

 だがしかし、と言い返そうとしたバーテンにさらにメヌーサの言葉が続く。

「アマルー式に言えば、この子はおそらく『生き残り(ネクォイ)』って奴だと思う。きっとソロンからこの子を託された古アマルー系の世界のどこかから送り出されてきたんだと思うけど、もちろん無益に赤子を殺すような真似をするはずがないわ。偶然か必然かは知らないけど、この子はここに来る必要があった。そしてたぶん、メルに拾われる必要があったのよ。

 で、最後のとどめがメルよ。この子は半人前とはいえ『キマルケの巫女(キマルキーネ)』で上級にかかりかけている存在なのよ?メルが危機を感じたという事は、おそらくもう災厄は絶対にさけられないわ」

「で、では」

 次第にその不吉の意味を理解しはじめたバーテン。ウンとメヌーサも頷く。

 思わず周囲を見回したバーテンだったが、

「……」

 そこはいつも通りの静かなロビーだった。時折退屈そうな乗客が通るのだが、代わり映えのしないバーに寄り付く者など全くいない。

 もちろん警報など出ていない。通り向こうには船員の姿も見えるが、いつもと何も変わらない。

「急いで緊急通報を!」

「いえ、もう遅い……!?」

 その瞬間だった。

 完璧な重力制御でビクとも動かないはずの客船ロビーが、突如としてビリビリと小刻みに振動しはじめた。

「な、なんだ?」

「……」

 メヌーサはその意味を知っていた。だから彼女は慌てず、ただ言葉を告げた。

「重力破壊砲かぁ。その程度のものじゃわたしもメルも殺せないわよ?マヌケな軍人さん?」

「!?」

 バーテンの顔色がみるみる蒼白になっていく。メヌーサの顔が生気を失い、可憐な乙女の顔から悪魔を思わせる風貌に変わりはじめたからだ。

 それは、メヌーサ・ロルァの『神』としての顔。世界を箱庭として見る超越者の視点をもつ者の顔だ。

『にやぁ』と嗤った。

 そこにはもう、多少浮き世離れしているが普通に女の子だった顔の面影は全くなかった。ひととは根本的に異質なるナニカ。ひとの手におえない者を総称するところの(カムイ)に相応しい貌だった。

 その凄まじいばかりの変貌にバーテンの腰が抜けそうになったまさにその時、

 

 世界は突如として空間ごと捻れ、暗黒の闇に捻れ飛んだ。


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