美冬編 最終話「銀色の粉雪」
銀雪は、あの後どうやって家に戻ったのかも、いつのまに眠りについたのかも覚えてはいなかった。
目を覚まし、美雪のいない朝を迎えて現実を知る。
美雪の部屋に行き、布をかぶせてある遺体を見て、現実と、もしかしたら何事もなかったように目を覚ますのではないかというあり得ない幻を交錯させる。
だが、わかっている。そんなことはありえないと。
美冬はまだ眠っているのだろう。銀雪は美冬を起こすことなく、服を着込み、なにも持たずに家を出た。
雪はまだおさまることを知らない。季節はもう、春を迎えているというのに。
視界さえ白くする吹雪の中、銀雪は社へと続く山道に向かって歩いていた。
「……社にいくのか?」 銀雪の背後から源一が姿を見せる。
銀雪は一瞬足を止めたが、返答することなく再び歩き始めた。
「社までは一本道だ。道を踏み外さないよう気をつけていけば、この吹雪の中でもたどり着けるだろう」
返事のない銀雪対して、源一は言葉を続ける。
「俺では竜神様の声を聞くことは出来なかった。だが、あの時の冬弥によく似たお前なら、あるいは声を聞かせてくれるかもしれない」
深く息をつく。この後に続く言葉が言いづらい言葉なのだろう。
「――銀雪。お前がもし竜神様を憎み、御神体を破壊したとしても誰もお前を責めないだろう。だが、竜神様を憎むのは少しだけ待ってくれ。俺はいまでも竜神様を信じている。そして、お前に伝えたいことがあってお前を待っていると、俺は思っている」
銀雪が山道に差し掛かると、一定の距離を保って歩いていた源一は山道の手前で足を止める。
「……冬弥は御神体が光を放ちながら語りかけてきたといっていた。――もし、お前が行っても何の反応も示さなかったら……、その時は――」
銀雪にそれ以上の言葉は聞こえなかった。
しっかりと地面を踏みしめながら、銀雪は社に向かって進んでいった。
銀雪が社に向かってから三十分ほどが経過した時だった。
突然に雪がやみ、雲間から日がさしてきた。
自分の家に戻ってきていた源一だったが、窓からこの光景を確認するなり、慌てて家の外に飛び出した。
「まさか、本当に竜神様に――」
「同じだね、冬弥の時と」 慌てて飛び出した源一を心配してか、涼子も外に出ていた。
「銀雪を迎えに行こう。これならすぐに社から戻ってこれる」
社に続く山道の手前で、銀雪が戻ってくるのを待つ。
源一と涼子がこの場所に来てからしばらくして、山道から銀雪が戻ってきた。
「銀雪っ」
源一が銀雪に駆け寄っていく。
「竜神様に会えたんだな?」
「……いえ。竜神、様には会えませんでした」 銀雪の様子がおかしい。
銀雪の声には覇気がなく、その表情は暗く沈んでいるようにも見える。
「じゃあ、なんで雪が止んだんだ?」
「……社で、竜神の使いと名乗る声を聞きました」
「! 冬弥の時と、全く同じじゃない? ――ねぇ、銀雪。なんでこんなことになったかは聞けたの?」
「おい、涼子。今は――」
「……詳しい理由は聞けませんでしたが、いまは竜神、様は力を失っているらしいです。今日の夜にまた雪が降りますが、明日には全て元通りになるそうです」
「また、雪が降るの? ……でも、明日には完全に元通りになるんなら、まぁいいか」
「……銀雪。お前、なにがあった?」
「……すみませんが、今は一人にしてもらえませんか?」
そういうと、銀雪は源一と涼子を置いて自宅の方へと歩いていった。
「ちょ、銀雪?」
「……涼子。今は一人にして置いてやろう。それより、皆に今雪が止んでいるのは一時的だということを伝えておかないとな」
銀雪が家に戻ると、まっすぐ自室に向かっていく。
朝に出かけた時のままとなっている布団に倒れ込むと、枕に顔を押しつけた。
「……こんなのって、アリかよ?」
泣いているのだろうか? うつ伏せになっているので、銀雪の顔は確認できない。
「銀雪? 戻ってきたの?」 部屋の外で美冬の声が聞こえたかと思うと、美冬は部屋の扉を叩くことなく銀雪の部屋に入ってきた。
部屋に入って、銀雪の姿を見た瞬間、銀雪が泣いていた事に気づいた。
「銀雪……」
「……悪い、美冬。今は一人にしてくれないか?」
「あ、うん。……ゴメン」
そういって部屋を出ようとした美冬だったが、扉を閉めようと手をかけた時、そこで美冬は動きを止めた。
「ねぇ、銀雪? ――銀雪は突然にいなくなったりしないよね?」
……今の銀雪にとって、この質問は酷だった。
銀雪は動揺を悟られないように、ただ一言「ああ」と言って話を合わせた。
美冬が部屋の扉を閉める。
すると、銀雪は誰に向けて言うわけでもなく、一人、小さな声で呟いた。……すまない、と。
その夜、村は銀雪の言ったとおり、雪に包まれていた。
だがそれは、荒れ狂う猛吹雪ではなく、冬の訪れを知らせる時に降るような、静かで周りの音をかき消すような穏やかな雪だった。
その雪は、夜明け前には完全にやみ、日の出とともに太陽が白く染まった村を照らし出していた。
美冬が目を覚ましたのは、日の出からしばらく時間が経過してからだった。
「うん。今日はちゃんと一人で起きれた」
布団を畳み、部屋を出て銀雪の部屋に向かっていく。
「……私はお姉さんなんだから、お母さんがいない今、私が銀雪の支えにならなくちゃ」
銀雪の部屋の前に着くと、扉を叩くことなく、その扉を勢いよく開けた。
「銀雪っ、いつまでも落ち込んでないでさっさと起きなよ。これからは――」
これから二人で力を合わせて暮らしていく、そう言うつもりだったのだが、その言葉が途中で消えた。
部屋の中に銀雪の姿はなかった。
部屋にあったのは、きちんと折り畳まれた布団と、その上に置かれている美冬宛の一通の手紙だけだった。
美冬へ。
こんな形でしか別れを告げられない俺を許してくれ。
俺は昨日、竜神の社に行き、竜神の使いと言う者と話をしてきた。
美冬にも、話の内容を知る権利がある。
だから、包み隠さずにその内容をここに記しておこう。
吹雪の中――
吹雪の中、俺は山道を登り竜神の社までたどり着いた。
社は中から光を放ち、まるで俺がその扉を開けるのを待っているかのように思えた。
「お待ちしておりました」 中にあった、水晶玉のような御神体が語りかけてくる。
「! アンタが、竜神様か?」
「いえ。私はあなた方の呼ぶ竜神という存在ではありません。……昔にここにいらした方の言葉を借りれば、竜神の使い、ということになるのでしょうか」
「だったら竜神様に会わせてくれ。俺はこの仕打ちに納得がいかないんだ」
「それは出来ません」
「何故だっ!?」
「我が主は今、いるべき場所におらっしゃらないからです」
「……だったら、アンタでもいい。この仕打ちの納得のいく説明を聞かせてくれ」
「……この場所はもともと、季節に問わず雪に埋もれてしまう性質がある場所なのです。我が主は春の季節と夏の季節にそのお力で雪が降らないようにしてくださっています」
「じゃあ何故春になってまた雪が降るんだよ?」
「秋の季節には毎年、動物の子供の姿を借りて山に降りていかれます。昔はそんな主が帰ってこれなくなるのを防ぐため、村には掟があったそうです」
「昔は?」
「今ではその掟はなくなり、村人の方たちが自主的に保護した動物が我が主ではないのかをここに報告しにくるようになりました。それにより、主が戻ってこないという事はなくなっていきました」
「でも、今年は竜神様が戻って来ていない。だから、この雪を抑えられないというのか? ――村の誰かが、竜神様とは知らずに動物を保護しているとでもいうのか?」
「主を保護した方はすでにわかっています」
「だったら――」
「ですが、その方は先日お亡くなりになられてしまいました」
「先日、亡くなった? ――! まさか……」
「主を保護してくださったのは、美雪という女性の方です」
「ふざけるなっ! 美雪さんとはずっと一緒にいたんだ。山で保護した動物なんていない」
「まだ、おわかりになりませんか?」
「何をだ?」
「美雪という方は、秋の終わりの頃に山道で倒れていた主を保護しました。そして、保護した主の親を捜しましたが見つからず、主の親代わりになられたのです」
「……」 銀雪が言葉を失った。
「しかし、その時の主は記憶をなくしており――」
「もういいっ。……なんだよ、ソレ。じゃあ、アンタの主――竜神様ってのは――」
「はい。それは、あなた様なのです」
それを聞いたとき、俺は自分が自分でなくなるような感覚に襲われた。
そして、竜神を憎んでいた感情が全て自分に返ってきてしまった。
「そろそろ、戻っていただけますか、我が主?」
「……もし、俺が竜神に戻ったら、今の俺――銀雪はどうなるんだ?」
「今の主は全てを忘れてしまっているご様子。ですから、主のお力を戻す代わりに、器の記憶は全て消さねばなりません」
「全部、忘れてしまうのか? 村の人々のことや、美雪さんのこと、そして、美冬のことも」
「全ては、お力を取り戻すため。――あなた様が戻らねば、山は雪の中に消えてしまいます」
「……一日だけ、時間をくれ」
「わかりました。全ては御意志のままに」
――竜神の使いは、最後の力を使い、半日の間だけ雪を抑えてくれると言ってくれた。
お前がこの手紙を読んでいる頃にはもう、銀雪という人間は存在しないだろう。
本来なら、こんな形で伝える言葉ではないのだが、最後に言わせてほしい。
いままでありがとう。そして、一緒にいられなくて、本当にすまない。――銀雪より。
「……約束したじゃない。突然にいなくなったりしないって。……これから私一人で、どうやって生きていけばいいのよ」
涙が手紙と布団の上に垂れ落ちる。
美冬は畳まれた布団に泣き崩れていた。
麓から馬車が一台、足場の悪い山道を登っていた。
馬車を操舵する源一と、その馬車に乗っている雪子にいつもの明るさはなかった。
「……そうですか。美雪も、銀雪くんもいなくなっちゃったんですね?」
「いずれ、こんな日がくるとは思っていました。だけど、これじゃあ美冬は可哀想過ぎます」
「美雪の葬儀を終えたら、美冬ちゃんは私の家につれていきます」
「その方がいいでしょう。今の美冬があの家で暮らすというのは、あまりにも酷です」
「源一さんにひとつ、お願いしていいかしら?」
「あ、はい」
「冬弥くんの家を、またいつでも住めるように管理していただけませんか?」
「そのことですか。それは、雪子さんに言われなくてもそうするつもりでしたよ」
「すいませんね、大変なことだろうに簡単に言っちゃって」
「なに、冬弥の時に六年もやってたんだ。もうなれたもんさ」
……夢を見ている時の独特な感覚。美冬はいま、その感覚の中にいた。
「ただいまぁ」
「ただいま戻りました」
外から美冬と銀雪が帰ってくるいつもの光景。
「おかえり。――おやつの用意が出来てるよ」
そして、二人の帰りをやさしく迎える美雪の姿があった。
食卓にはおやつのケーキを乗せた皿が四つ並べられていた。
「あれ? 皿が一つ多くない?」
「なに言ってるの、美冬? 今日は――」
「ただいま」 玄関から、懐かしい男の声が聞こえてきた。
そして、その男が食卓にやってくる。
「おかえり、冬弥くん」
「あ、おかえりお父さん」
冬弥は真っ先に銀雪の元へ。
「帰ってきたぞ、銀雪。ほれほれ」
銀雪を自分の体に押しつけて愛情表現。
「ちょ、やめてくださいよ、冬弥さん」
「なんだぁ? まだお父さんって呼んではくれないのか?」
「もう。お父さんはいっつも銀雪ばっかにかまって」
「なんだ美冬、嫉妬か? いいよ、じゃあお前も来い」
「やった。じゃあ――」 そういって美冬も冬弥のそばに。
「なあ、美冬。悲しいとは思わんか? お父さん、一生懸命父親と認めてもらえるようがんばってるのに、銀雪はまだお父さんって呼んでくれないんだぜ?」
「待ってください。俺は冬弥さんのことを父親って認めていますよ。認めていますけど、ただ――」
「ただ?」
「なんか、恥ずかしいんですよ。――第一、俺が冬弥さんのことをお父さんって呼ぶ前に、美雪さんが冬弥さんのことをあなたって呼ぶのが先でしょう?」
「だって、お母さん。銀雪、お母さんがお父さんのことをあなたって呼べば、自分もお父さんって呼ぶんだって」
「も、もう。ほら、そんなこと言ってないで、早く食べましょう」
「あー、話をそらしたぁ」
美雪の埋葬を終え、源一の操舵する馬車は、雪子と美冬を乗せ、麓を目指していた。
「ところで源一さん。涼子さんの出産、もうすぐなんですって?」
「あいつは自分が妊娠中って自覚していないから大変でしたよ」
「子供の名前はもう決めてるんですか?」
「……最初は冬弥の名前でももらってつけようと思ってたんですけど、いまはもうあいつの名前しか考えられませんね」
馬車の荷台で毛布にくるまれて眠っている美冬が笑みをこぼした。
「ふふ。美冬ちゃん、いい夢を見ているようですね?」
「そりゃ、いい夢が見れますよ。だって――」
源一の馬車を包むかのように、山は銀色の粉雪が降りしきっていた。
「これだけの銀色の粉雪に包まれているんだから」
銀色の粉雪……それは山に降りた竜神が、世話になった者に贈る小さな奇跡の恩返し。
いまはただ、なにもかもを忘れてゆっくりと眠るといい。
銀雪が贈る、最後の贈り物――美冬の望む、最も幸せな幻に包まれながら。
――六年後。
「急げ、涼子。早くしないと美冬が帰ってきちまうぞ」
六年間無人だった冬弥の家の前に、源一と涼子、そして今年で六歳になる二人の息子の姿があった。
「ねぇ、お母さん。麓の美冬お姉ちゃんがここに帰ってくるってどういうこと?」
「美冬はね、昔、この家に住んでいたんだよ。……大切な家族のみんなと一緒に」
「涼子っ、さぼってないで少しは手伝えっ」
家の雨戸を急いで解放している源一が声を上げる。
その時、村の入り口の方から成長した美冬がこちらに向かって歩いてきた。
「あ、美冬お姉ちゃんっ」
少年が美冬に駆け寄っていくと、美冬は少年の頭を軽くなでる。
そして、やさしく笑みを浮かべながら少年に向かってこう言った。
「ただいま。――銀雪」




