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白のエルザ  作者: 森乃
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第五話 願うということ

 朝靄漂う純白の樹海の中、しっとりと水気を含んだ空気を吸い込む。少し冷たい空気はまだ眠気の残る頭に心地よい刺激を受け取り、オデッサは小さく欠伸した。

僅かに涙の浮かんだ視界では、小さな動物が可愛い動きでぴょこぴょこと跳ねていた。まるで逃げ水のように、一歩こちらが足を踏み出せば一歩遠ざかる。背を向けて一生懸命走る姿に心がほんわかと温かくなる。時折、伺うようにちらりとこちらに目線を向けてくれば一気に駆け寄り抱きしめたい気持ちがあふれてしまいそうになる。

 白い毛皮が良く似合う兎だった。

 かあいいなぁ。

 小さく動く口をみて、オデッサの心はほっこり温かい。

 自分が住んでいたタワードの中ではあんな野生動物はあまりみないからなぁ。

 都市タワード。

 オデッサが樹海を訪れるまで住んでいた町の名前だ。居住期間は長く愛着もあるから、甘い評価になってしまっているかもしれないが、瘴気汚染と戦いながら生きているいくつもの町や村や国々の中ではそれなりに発展した町だと思う。魔獣の被害などもあり、大きく領土を拡大することが難しい時代だ。多くの種族を抱え、様々な文化を呑み込みながらも大きな問題も無く生活できる環境は稀有だとオデッサは思う。自然が少なく無計画に建て増しを続けたような町。混沌とした町並みは整然と整えられたそれとは違い不規則の固まりのようだが、多くの人の意思と文化が交じり合った姿と思えばなかなか味がある町だ。

 人に住むにはいい所だと薦めることが出来る町。

 まあ、裏側では様々な問題があるんだけどねえ。それでも住むにはいいところだったなぁ。

 ただ、この樹海の一割ほどの自然も望めないのが惜しい所だ。

 そういえば、こんな透き通った空気もなかったなあ。

 深呼吸をして肺に空気を送り込む。息をしておいしいと思ったことは随分久しぶりだ。

 思えば遠くへ来たと、自分の立っている場所を見てしみじみ思う。

 タワードからストラ樹海までは当然ながら短い距離ではない。一日二日で来れるような場所じゃない。普通なら行こうなどと考えることもしなかっただろう。よくもまあ、こんな所まで移動できたものだと自分に呆れる。

 町を思い返す間も視線は兎を追い続ける。

 戯れのような追いかけっこが続く。

 巨大な樹木や草花を陰にするように兎が逃げる。兎からすれば、自分の何倍もの大きさの生き物が自分を追っている状況だ。あんな愛くるしい顔をしているが、もしかしたら必死になって形振り構わず逃げているのかもしれない。

しかし、オデッサから見れば、捕まえてごらんと誘っているような愛らしさだった。


「ああ、もう持って帰りたい」


 持ち帰ってもふもふしたい。

 脳内では布団にあの兎と一緒に包まりごろごろと転がっている妄想が始まっている。


「……? 持ち帰るよ。当然でしょ」


 ヒンヤリとした空気がオデッサの横を通過した。

 落ちた。

 兎の首がころりと落ちた。つぶらな瞳はじわじわと濁り、その視線がオデッサと重なる。

 妄想の中ではオデッサのベッドは血まみれだ。

 先ほどまでの愛らしさは何処に行ったのか。切断面から間欠泉のように血が噴出し、切り離された胴体はピクピクと命の残滓を使い果たそうとしている。生々しい血肉の動きはまったく別の生き物に見えた。

 うわあ。

 兎の突然の変わり様に笑顔が引きつる。


「なんで、そんなショックな顔をしてるのかしらね。お肉を捕るだけで、いちいちそんな辛そうな顔してたらご飯食べられなくなるわよ」

「だって兎なんですよぉ、オリビアさん。もふですよ」

「もふが何なのかわかんないけど……そうね、兎よ。あれが今日の食料、それが?」


 涙目で振り返り文句を言うオデッサ。

 文句を言われた彼女はオデッサの横に立った。

 頭の位置が高い。頭一つ分以上の高さ。見上げれば美しい女性の顔がそこにあった。

 人の上半身と蜘蛛の下半身を持つ守護獣が一体、白氷蜘蛛オリビアが彼女の名前だ。鋭角の目は力に溢れ、短く揃えた黒髪も合せて活動的な印象を覚えた。整った顔立ちに透き通る青白い肌は見るものを魅了することだろう。

 守護獣っぽくないんだよね。話しやすいし。服装かな?

 身に着けた質のよさそうなシャツが生活臭を漂わせており、森を守る立派な守護獣というよりも近所のお姉さんといった風情を醸し出していた。

 物語では彼女は強靭な糸と氷を操る守護獣だと言われている。その武勇伝は聖樹を利用しようと襲い掛かった軍隊をその糸と強靭な肉体を利用し、僅か一体で倒しきったという。

 その証拠に彼女の下半身、蜘蛛の部分には見ただけで力というものを感じさせる。

 樹海の風景を映し出す光沢のある黒い足は、まるで騎士の鎧のように頑強そうだった。生半可な武器では断ち切ることは難しいだろう。


「さてと、回収回収。ここの兎はおいしいわよ。楽しみにするといいわ。どうせ、ここに来るまでちゃんとした料理、食べてなかったでしょう?」


 彼女の伸ばした指先から、一筋の白い糸が伸びる。粘着性の糸が兎の胴体を捕まえる。昆虫の蜘蛛の糸とは比べ物にならない強度の糸はあっさりと兎をオリビアの手の中へと導いた。

 兎からはまだ血が滴っている。

 うう、持って帰りたいってそういう訳じゃないんですよお。

 死んだ兎を持ち帰りたいのではなく、もふもふで愛くるしい兎ちゃんを持ち帰りたかったのだ。

 愛玩動物としての兎と食料のしての兎。

 どちらも兎には違いないが、違いすぎる。

 町に住んでいたオデッサにとって食肉とは既に解体されている肉塊であり、湯気を立てて血が噴出す動物の死体ではない。

 ここへ来て何度目なのか数えるのも馬鹿らしくなるくらいの生活習慣のギャップに頭を悩ませるオデッサだった。


「はは……、楽しみにしてます」

「腕によりをかけて作ってあげるわよ」


 肘を曲げ力瘤と清々しい笑顔を見せるオリビアに、何とか笑顔を返した。若干引きつっていたが。

 いろいろと、イメージが崩れるなぁ、と知らぬうちに天を仰いだ。

 最初に驚いたのは彼女の、白氷蜘蛛のオリビアの家を見たときだ。守護獣の巣というとオリビアは昆虫扱いされているようで気に食わないらしく、家と表現するように注意された。それはさておき、物語の知識しかないオデッサにとって守護獣の住処は大自然に根ざしたものだと勝手に想像していた。聖樹を守る守護獣だから、当然自然と共存した生活をしているのだろうと。

 森の樹木の間に通された巨大な蜘蛛の巣にたたずむ巨大な蜘蛛。森を荒らす不届き者が彼女の巣に一歩踏み出すと、その身体を忽ち凍てつかせ糸で絡み取る。そんな勝手なイメージを持っていた。


「想像以上に快適だった……」

「何をぶつぶつ言っているのよ、ほらほら、あそこにもう一匹兎がいるわよ。次はオデッサの番よ。一人でやってみなさい。見ててあげるから」

「え、ああ、はい」


 目の前には兎が一匹、草をはむはむと食んでいた。小さな口を細かく動かしはむはむと食べていた。こちらに背を向けている兎はどうやらオデッサたちには気付いてはいないようだ。

 回想を中断し、腰から短剣を抜き放つ。

 これも、驚いたことの一つですねぇ。

 しみじみと陽光を反射する短剣を見る。とてつもなく軽い短剣。今まで使ってきた短剣とは比べ物にならない。軽いから脆いということも無く、強度は十分。鋼の剣と切り結んでも簡単に折れることは無いだろう。切れ味もいい意味で比べ物にならなかった。

 まるで力の無い女子供の為に作られたような短剣、それがオデッサの印象だった。

 力が無くとも相手の喉を掻っ捌ける。自分に掴みかかる指先を切り落とすこともこの剣なら簡単だろう。後必要なのは相手を切る度胸と覚悟、ほんの少しの技術だ。

 買えばそれなりの額はする筈だ。

 くれるって言ってましたね。

 貸すのではない。

 くれると言った。

 うわ、ラッキーと思わなくもないが、こんなものをぽんとくれていいものだろうか。

 しっかりと手入れされた短剣。どう見ても散歩して拾った物ではないだろう。

 旅の中で手に入れたのだろうか。

 頭の中で、短剣をめぐる物語を妄想する。冒険が始まった所で、いきなり上から声がかかった。


「ぼんやりしない。逃げられるわよ。もし逃がしたら食材が兎から熊に変更になると思いなさい」

「いやいや! 流石に熊は無理、死にますって」

 

 小さく叫びながら、兎へと視線を戻す。

 オデッサは兎に背後からゆっくり近づく。出来るだけ足音を抑えて慎重に進む。土を踏む音は風にまぎれて聞こえていないだろう。

順調に兎との距離は縮まっていく。あと少しで捕獲できる。もう少しもう少しと思う内に心臓が早鐘のように鼓動する。

 しかし、兎は突然逃げ出した。

 何故と疑問が浮かんだ。まさか心臓の音が聞こえた訳ではあるまい。もしや、殺しに来ていると野性の本能でわかるのだろうか。

 兎は特徴的な長い耳を震わせると、こちらに顔を向けることなく脱兎の如く、逃げ出した。


「……あ」


 逃がしちゃったか。


「ま、いいや」


 すぱんと頭を叩かれた。

「よかないわよ。ほら、獲物が逃げるわよ。さっさと追いかけなさいな。言っとくけど、わたしは自分の獲物を分けてあげるなんてやさしくはないわよ。捕まえられなかったそれまで、寂しい食事か熊肉を覚悟なさい」


 私の手料理を食べたいんでしょ、と発破をかけるオリビアに答えるべく、オデッサは駆ける。

 足を前に出し大地を蹴る。一歩のストライドの違いは大きく、直ぐに兎との距離が詰まる。

 熊狩りだけは避けたいんですよお。

 オリビアの顔は本気だった。きっと、逃せば兎狩りが熊狩りにレベルアップするに違いないと、オデッサの走りにも力が入る。

 しかし、兎も命が懸かっていることを理解しているのだろう。細かく左右に動き、草花に隠れるように逃げる兎をなかなか捕らえることが出来ない。

 かわいいと思っていた動物だが、簡単に捕まらないことに次第に苛立つオデッサ。

 地の利では兎が上ですか……。


「これでも、タワードの町では配達屋として足には自信があるんですよ」


 もう、先ほどの抱きしめたいという感情はどこかにいっていた。

 何が何でも捕まえてやる……。

 熊と戦うなんて絶対にいやだ!


「……へぇ」


 オリビアの感心するような声を背中に受け、オデッサは加速した。風の動きではない草木の動きを見極め兎の進路を予測する。

 果たして、オデッサの予測通りに兎はその姿を現した。

 オデッサは一気に近づき、低い位置にいる獲物に対し滑るように短剣を振るう。

 刃は弧を描き、兎の身体に赤い線が走る。

 やわらかい兎の首、まるでチーズを切るようにあっさりと切り落とされた。

 別れた首に眉をひそめながら、兎を拾う。

 まだ暖かいそれを掴んで振り返る。


「捕まえました」

「ま、初めてならそんなものよね。それにしても結構速いのね」

「町では配達屋してましたから。速ければその分、仕事が多く出来て儲けに直結するんで――」

「配達屋? 手紙とかかしら」

「手紙も、ですね。頼まれればなんでも運びますよ。住んでいた町は無計画に組み立てた積み木みたいな所で、何から何まで複雑で住人でも生活圏から外れるとすぐに迷ったりするんです。だから、急ぎの配達物とかは自分達みたいなのが代わりに運びます」

「そんな仕事があるの、大変そうね」

「大変ですけど、色々と楽しいですよ」

「短剣の使い方は……どこかで勉強した」

「まあ、護身程度には……人様から預かったものを運んでいますし。治安の悪いところもあるので」


 仕事について話しながら獲物を片手に樹海を歩く。

 目の前では蜘蛛が歩いている。鼻歌交じりに八本の脚を動かし慣れた様子で樹海を進む。

 フレンドリーだなあ。

 僅かな時間だが、共に過ごしたオリビアへの感想だった。

 ストラ樹海は排他的な場所と聞いていた。

 けれど、オデッサはオリビアと共に雑談を交わしながら同じ道を歩いている。

 樹海を荒らすものは容赦しない。それがストラ樹海というものだと、そう思っていた。動物だろうと殺せば守護獣の報復を受ける。不可侵の領域。だからこそ、ここへ向かうと決めた時、特に食料は万全に準備した。狩りで獲物を手に入れるのは最終手段となるように。

 樹海で狩りをすることは守護獣を敵に回すと同義だと懸念したからだ。

 けれど、自分の手の中には樹海の兎肉がある。

 自分で追いかけて自分の手で仕留めた獲物。

 これはルールに抵触しないのだろうか。

 どうにも、差がありますよね。

 オデッサの想像する樹海の規則と比べると、現実は思ったより厳しくない。

 その疑問をぶつけると、守護獣の蜘蛛は笑った。


「別に食べる為の狩りまで文句を言うつもりはないわよ。樹海も自然の一部なのは変わりないからね。それに狩りが出来なければ樹海の生き物は皆飢え死によ」

「食べない狩りは駄目?」

「別に食べることに限定してはないわよ。簡単に言えば、無駄な殺生は許さないってことね。ただ徒に殺すのもね。樹海の植物の伐採も駄目よ。樹海を傷つける行為だからね。昔は白い樹木が珍しいみたいで大勢がやってきたわ。なんでも珍しくて高値が付んだってね。今はそんな連中は滅多にこないけど」

「やっつけたんですか」


 もっと直球な表現が頭に浮かんだが、オブラートに包んだ。


「追い払ったり、殺したり。状況次第よ」


 包んだ意味が無かった。


「例外なくですか」

「……たまに、子供が綺麗な枝を拾って帰ることがあったわね。きゃらきゃら笑って。どんな種族でも子供はかわいいわよ。無邪気でね、熊を見つけて追いかけそうになって慌てた大人達に捕まってたわ。その程度なら見逃すわね」

「子供がこんな所に来ることがあるんですか……」

「大人達と一緒にね。昔、浄化に対する信仰みたいなものがあったのよ。それで聖樹詣でに来る集団が時折樹海に来たわ。その時にね」

「そんなことがあったんですか」


 聞いて、それも当然かもしれないなとオデッサは思った。

 二人の浄化の旅は、多くの物語になった。物語を読んだ人や、実際に救われた人達やその子孫達、感動した人が聖樹ストラを一目見ようと、ここへ来ることもあるだろう。

 雑談を交えて移動を続ける。途中、果物なども採集し食事に栄養のバランスと彩を加えつつ、オリビアの住処へと向かう。

 たどり着いたのは巨大な洞窟。

 ごつごつした岩のトンネルを抜けると、吹き抜けの広い空間に出た。

 空から日の光が洞窟まで届き、暗いトンネルに慣れたオデッサはまぶしさに目を細める。

 巨大な蜘蛛の巣に目を奪われた。

 透き通る白の糸で作られた巣。冷気を纏わせたそれは日光を受け煌く。自分が虫になってしまったと勘違いするほどの巨大な蜘蛛の巣だった。糸の放つ冷気が洞窟内の気温を下げる。オデッサはぶるりと身体を震わせた。

 雪の結晶のようだと、初めて見たときにオデッサは思った。

 触ると危険ですけどねえ。

 うっかり触ってしまい、抜け出そうとして余計に絡まり身動きが取れずにオリビアにため息混じりに助けられたのは忘れたい思い出だ。

 それを見たオリビアが「食べちゃいたい」と呟いたのは気のせいだと思いたい。


「また引っかかったりしないでよ。解くのも面倒なんだから」

「大丈夫です。流石に何度も不用意に触りませんって」

「だといいけど」


 巨大な巣を通り過ぎる。

 初めてここに来た時もこうして巣を通り過ぎた。

 その時は、オデッサは蜘蛛が蜘蛛の巣を通り過ぎ、オリビアと巣を何度も見比べた。

 ここに住んでるのではないのかと。

 白氷蜘蛛のオリビア、当然蜘蛛の巣にすんでいるのだろうと。


「不便でしょ、蜘蛛の巣に住むなんて。ベッドもキッチンも無いのよ。クローゼットも置けないし」


 何というか、蜘蛛として色々間違っている気がしたが、上半身は人だしそりゃそうかと納得した。

 イメージが崩れるなあ、これ。

ストラの全裸といい、今回の巣といい、オデッサのストラ樹海に対する印象が変わっていった。

 オリビアの家に着いた。

 落ち着いた雰囲気のランプに照らされた、見事な部屋があった。

 洞窟の壁をくりぬいて作られた部屋だ。壁はごつごつした岩の荒さは微塵も無く、滑らかに加工されていた。汚れも無く清潔に保たれていた。定期的に掃除もしているのだろう。

 家具も完璧にそろっており、ベッドにクローゼット、浴室にキッチン。更に川の水を引き込んでプールまで備えていたことには驚くよりも呆れた。

 何処の金持ちの家?

 本当に樹海の中なのか。

 樹海の中なのに、何度見ても、タワードの自分の家よりも広くて豪華なことに泣きたくなる。

 勝っている点といえば、日の入る時間が短いくらいだろうか。

 プール部分などは洞窟の外に作られており、明るいが部屋自体は洞窟の中、当然窓は無くランプの明かりが頼りだ。


「そもそも、これって樹海を荒らしてるんじゃないのかな」

「自分の住処なんだからリフォームくらい問題ないわよ」


 そういうものなんだろうか。

 オデッサは首をかしげる。

 どう考えても自然の状態とはいい難いように思えたが、考えても意味が無いこともあると自分に言い聞かせ深く考えないことにした。

 樹海に来て考えないことの大切さをしみじみと感じる。

 オリビアに仕留めた兎を渡す。キッチンに入ったオリビアを見て椅子に腰掛ける。 

 木製の椅子。色は白い。塗料を塗った人口の色合いではなく。樹木そのものの色だと一目で理解できる。

 樹海の樹木を材料に作られた家具だよね、これ。

 ……いいの、これ?


「自然って、何だろう?」


 荒らすってなんだろう?

 本日何度目かわからない疑問に、またオデッサは首を傾げた。


 食事は自信たっぷりに言うだけあり、文句無くおいしかった。

 素直にそう告げるとオリビアは「当然よ」と当たり前だと平然としていたが、食器を片付ける姿はどこか嬉しそうだった。


 旅の準備……か。

 食後の満腹感にぼんやりしていると、そんな疑問がオデッサの頭に浮かんだ。

 食事も終え、オデッサは向かいに座るオリビアに訊ねた。

 ゼフにオリビアの家へ連れて行ってもらったのは昨日のこと。聖樹ストラは出発まで一週間程度の予定とオデッサに告げた。その言葉通りなら、残りは五日。昨日は家に案内されるなり眠ってしまった。今日は起きてすぐに食料を獲りに行こうと誘われ狩りに出かけ兎を捕まえた。

 よく考えれば、旅に出ることは決まっているが、旅の詳細は何も決めてないことに気付く。

 ただ、あの時点で旅の詳細を詰めることは難しかっただろう。

 オデッサは樹海という広く深い場所を歩き続けてようやく聖樹ストラの元にたどり着いた。長旅での肉体的精神的な疲労は本人が自覚している以上に蓄積していた。証拠に、横になった瞬間に眠気が津浪の様に襲ってきた。

 五日という時間は正直ありがたいと、オデッサは思う。

 それだけあれば疲れも抜ける。

 オリビアが淹れてくれた食後のお茶に口をつける。何の茶葉か聞いていないが、鼻を通り抜ける柔らかい花の香りは、自然と疲れた心を癒してくれる。

 体調さえ戻れば、あとは食料と水の確保さえ出来ればいつでも旅に出ることが出来る。

 もともと旅の準備をしてここへ来た、改めて用意しなくてはいけないものはそう多くない。

 では、聖樹ストラとエルザの二人はどのような準備をするのだろうか。

 特に聖樹ストラ、人でなく樹木である彼にどんな旅の準備が必要なのか。服も自由に作り出せる存在、水も食料も樹木である以上必要だとは思えなかった。

 そう言えば、聖樹ストラは食事をするのだろうか。

 草花と同じように水と日光があればいいのか。

 人型の姿を取り、会話もする常識外の存在だ。

 どうでもいいような疑問が浮かんでは消えていく。

 疲れも少しは抜け、おなかも膨れた。余裕が出来ると色々と思考がいろんな方向へと飛び回る。


「旅の準備? あれでもストラとエルザはこの樹海の管理者よ。急に、じゃあ旅に出ようと出発する訳には行かないわよ。この樹海も色々な種族が、ストラの加護の下で生活してるんだから。旅に出ることの説明や不在の間のここの管理のこととか色々と済ませないことがあるの。もちろん、旅に必要な物資の確保もあるでしょうけどね」

「色々面倒なんですね」

「面倒なのよ。浄化の旅の影響で多くの種族が移住をしたからね。放置しておくわけにも行かないから」

「移住ですか?」

「二人が救った連中の中には故郷を捨てて、瘴気の心配の無いここに住みたいって連中もいるのよ。ストラも、荒らさなければ争わなければ問題ないって、結構安請け合いするのよ」


 言われてオデッサは納得する。

 確かに、瘴気に汚染される恐怖と瘴気の心配ない生活を天秤にかければ、故郷から離れても樹海生活に傾くだろう。

 浄化によって、ましになったとは言え、瘴気汚染は消えていない。瘴気に呑まれ新しい魔獣が生まれ人々を苦しめている。

 都会の利便性にこだわりさえ無ければ、ここはそれなりな優良物件かもしれない。

 けど、樹海での生活は大変だろう、とオデッサは考えたが、この部屋を見てそうでもないかと改めた。


「だから、ストラとエルザがここを離れて問題無い様にきっちり言い聞かせるのよ。その分時間がかかるの」

「あー、もしかして……迷惑でしたか?」

「なに、急に?」

「いえ、自分が故郷の瘴気を払うように願ったから、二人やオリビアさんに迷惑をかけてるんじゃないですか?」


 オデッサにとって、ここへ来たのは神頼みと同じだった。

 祈り、願いを叶えてもらう。シンプルに考えていた。

 どこか、物語と同じようだと信じ込んでいた

 願い。

 叶う。

 願えば奇跡のようにあっという間に実現する。あの二人はそんな奇跡を簡単に起こせるのだと、根拠のない信頼を持っていた。その行間にどれだけの手間があるか深く気にしていなかった。

 現実は行間を省けない。冗長な物語のように続く。省略も簡略も無い。

 一から十には飛ばない。一の次には二があるのだ。

 そう考えると怖くなった。

 自分の願いは迷惑にしかならないのでは。

 数百年、樹海の中で生活をしてきた二人を引っ張り出し、何の報酬も約束できない中に請い願った。それは親鳥がえさを与えてくれるのを口を開けて待っている雛鳥のようで、救いという餌を欲しいと鳴いているだけではないのだろうか。

 オデッサの心に暗い影が落ちる。願いを聞いてくれたという安堵の中に、自分勝手な自分への嫌悪が混じった。

 断るべきなのか。

 悩むオデッサの頭にふわりと暖かなものが触れた。


「あの二人は何を考えて、浄化の旅をしたのか知ってる?」


 いつの間にか隣に座っていたオリビアが、オデッサの頭を撫でている。

 姉が妹を愛でるように優しく。

 オデッサは想う。

 聖樹ストラと白のエルザが世界を救った理由を。


「あの二人は、全てを救おうとしたわけじゃない」

「はい、あの方達は――」


 万能な神様じゃない。

 だから、手の届く場所を幸せに。

 それが始まり。


「自分達の手が届く場所を幸せにしたいと旅にでたんです」

「正解。そう、それが始まり。けど、欲張りなのよ。多くの人を助けたいと思っていないわけじゃない。だから、あの二人は一生懸命に手を伸ばすの。助けて欲しいって叫ぶ人の手を取るためにね」


 だから、とオリビアは続ける。


「オデッサ。貴方は自分の足で彼女の手が届く所へとたどり着いた。だから臆することなく彼らの手をとりなさい。あの二人にとって差し出した手を払いのけられるほうが苦痛よ。手を取って願いを叶えてもらいなさい。あの二人はそれだけで満足するわ」


 オリビアが優しく、しかし力強く語る姿をみて、オデッサは「わかりました」と答えた。答えに満足したようにオリビアは顔を綻ばせ、キッチンへと向かった。

 一人残ったオデッサは、エルザへ願ったときを思い出した。

 全裸が行き成り自分の目の前に……

 いやいやいや、そこじゃないよ!

 思い出すのは、自分が故郷を救って欲しいと願ったときだ。あの時、心の願うままにかなえて欲しいことを告げた。エルザが引き受けてくれてとても嬉しかったのを覚えている。

 これで大丈夫だ。故郷の瘴気はこれで消える、と。

 それじゃ、駄目なんだよ。

 それでは自分のオデッサの旅はここで終わってしまう。この先を全て聖樹ストラとエルザの二人に丸投げしてしまっている。

 人任せだ。

 ここへ来るまで、一生懸命に旅をした。本気だった。それは間違いない。自信を持って言える。

 救いたい気持ちは本物。けど、覚悟が足りなかったのだろう。

 願うということに対して、叶えて貰うことに対しての覚悟だ。

 親鳥が戻ってくるのを待つだけじゃいけない。

 聖樹ストラとエルザは自分の手を取ったのだ。

 その手を離さないように最後まで掴み続けないといけない。

 願ったのだ、願いを放り出さず、最後まで願い続けよう。

 この旅は聖樹ストラとエルザ、そして願ったオデッサのものだ。

 決意の火が心に灯る。

 胸でこぶしを握り、小さく気合を入れる。

 この瞬間、初めてオデッサはエルザが伸ばしてくれた手をつかむことが出来たと感じた。

 オリビアがお茶を淹れて戻ってきた。


「お茶、今度は頭がすっきりするわよ」

「あ、いただきます」


 礼を告げ、お茶を口にするオデッサ。

 その表情はどこか晴れやかだった。




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