第三話 手を伸ばして
白のエルザ。
彼女は聖樹ストラの物語を語る上で外す事のできない人物だ。
その関係は騎士と姫の様であり、父と娘の様であり、兄と妹もしくは姉と弟の様でもあった。
聖樹ストラと白のエルザによる瘴気の浄化。
数百年前の真実を基にした物語は、希望と願望、そして娯楽としての演出が加わり様々な美談、悲劇、喜劇が数多く作り上げられてきた。
人々はそれを架空の創作物と割り切り楽しんだ。神様に対する様に信仰するものもいた。数百年前に作られた出任せだと信じず鼻で笑う物もいた。話の数だけ人の数だけの受け止め方があった。
星の数程作られた物語。
物語の真偽はともかく、多くの人の記憶にその名が残されることとなった。
世界を救った女性として。人が、命が生きる為の希望を生み出した女性だと。
そこまで聞いて、我慢できなくなった。
「……恥ずかしくて悶死しそうなので、その辺でやめてください」
白い樹木煌く昼間。場所は聖樹ストラの大地にむき出しの根。
巨大な根に腰掛けた純白の女性、エルザ・プロトスは目の前で自分達の事を熱く語る女の子を片手を挙げ制した。彼女の頬が僅かに赤みを帯びているのは疑うことなく恥ずかしさが原因だ。
他人から自分の賞賛を受ける。それだけでも十分聞いていて恥ずかしい。加えて、自分達の行いが物語としていたるところで語られ、描かれていた。何でも場所によっては壁画として絵に残っているところもあるらしい。
まるで神様扱いなんですよ、と笑う少女にエルザは苦笑を浮かべた。
嬉しさもある、忘れていた記憶がよみがえり懐かしいという思いもある。だがそれ以上に聞くのがつらい。聞けば聞くほど背中にむずかゆい何かが這いずり回るような感覚がする。このまま悶えて転がりまわりたい。
当然、そんなことはしませんが。少女の前でそんな醜態を晒すわけにはいきません。
エルザはゆっくりと息を吐き、火照った体と心を落ち着かせる。
樹海から遠く離れた場所で自分達がどう捕らえられているのかあまり気にしていなかった。あの頃は、そんなことを気にする必要もなかった。
ただ、自分達のやりたいことをやりたいようにしてきただけだった。結果、感謝されることもあったが、これ程とは思わなかった。
それが間違いだったらしいと、エルザは今更ながら知った。
「もう少し気にするべきでした」
今からでも壁画を砕きにいくべきか? 半ば本気でそんなことを考えたが、仕方がないことだと思う。誰だって自分の知らない間に壁画にされ崇められていたら困惑するはずだ。
それはさておいて、エルザは目の前を見る。
赤毛の少女が、緊張の面持ちでこちらを見ている。彼女はオデッサと名乗った。苗字も何もない、ただのオデッサ。年齢はおそらく十五、六位だろう。
運がいい少女だと感心する。
その顔に疲労が浮かんではいるが、体は擦り傷程度。大きな怪我もしていない。
ストラ樹海に普通の人間が来ることは珍しい。
大陸の東端にあり、気軽に観光できる距離ではないということ。瘴気の心配は無いが、それでも樹海には獣が生息し危険があること。そして、たまに訪れる人は、純白の樹木や獣など樹海を荒らす連中くらいしかいないことが理由だ。
オデッサのような少女が樹海を訪れ、こうして会話できる程度に元気もある。
人にも獣にも襲われることなく、そして遭難することも無くたどり着いた。十分幸運だ。
「さて、オデッサさん」
「は、っはい!」
雷に打たれたように即座に背筋を伸ばすオデッサの初々しさにエルザはやさしく笑う。
「緊張する必要はありません。もっと肩の力を抜いてはどうです?」
尋問するというわけではない。白のエルザを前に緊張しているとしても堅くなりすぎな気がした。小首を傾げ、エルザはオデッサを観察する、ちらちらと動く視線の先は彼女の横。
「ああ、大丈夫ですよ。身体は大きいですが、彼らは噛み付きませんよ」
「ほ、本当ですか?」
オデッサの隣には、竜と狼が座っていた。共に人を丸呑み出来る程の巨大さを誇っている。彼らはただ一緒に話を聞いているだけなのだが、そうは知らない彼女にとってはいるだけで威圧感を感じることだろう。
「……触って見ます」
「え、触ってもいいんですかっ」
オデッサが隣に座る巨狼を見て、エルザに視線を向ける。エルザは、許可を与えるつもりでうなずいて見せた。オデッサは少し嬉しそうな顔をして、白い毛並みをした狼に向かって恐る恐る近づいていく。
怖がる割に、積極的ですね。
はて、と疑問に思い、すぐに心当たりが浮かぶ。
あの狼も旅に同行していた。おそらくオデッサの知る物語の中に彼の話もあるのだろう。そう考えると、緊張していたのは恐怖ではなく、単に有名な存在が近くにいるから、そんな理由かもしれない。
「で、では……し、失礼しまっす」
赤毛をプルプル震わせ、彼女の手が狼に触れる。
エルザからは表情が見えないが、身体も震えているのは感動からじゃないかと思う。
白狼ゼフの毛並みは気持ちいいものです。
この季節、彼を枕にしての昼寝は正直心地いい。
彼はその間動けないので、機嫌のいいときしか頼めないがのが残念なのだ。
しばらく毛並みを堪能していたオデッサだが、ゼフが身体を動かしたことで、毛並み堪能タイムは終了した。
「ああっ……」
その手はわきわきと動き、未練たっぷりなのは誰の手にも明らかだった。
「どうです、おとなしいでしょう」
「はい、ありがとうございます」
戻ってきたオデッサは、緊張が解れた様で自然な笑顔を浮かべていた。これで緊張でぎこちない会話しか出来ないなんて無いだろう。これで本題に進める。
だから、早速聞いてみた。
「で、オデッサさん。どうしてこの樹海に?」
オデッサの背筋がまた延びた。
やめてくださいよ、そんな無限ループ。エルザは本気で思った。
選ばれなかった竜が大きく欠伸をした。オーボエの様な低い音を響かせる長い長いあくび続く。欠伸を聞き終え、オデッサは語り始めた。エルザの心配は杞憂に終わり、余計な中断も無くスムーズに話が進む。
「故郷が瘴気に飲み込まれた……ですか」
「はい、わたしは故郷を出て別の町で暮らしてたから、瘴気汚染に巻き込まれなかったんですが。急に高濃度の瘴気が噴出して、故郷を覆いつくしたそうなんです」
「被害は?」
「住人は全滅、というのが多くの人の予想です。一帯が高濃度の瘴気汚染に晒されたので、確認を取れないんです。けど、それ程の瘴気なら無事なものはいない、生きていても変質してまともな状態ではないだろう、と……」
「でしょうね」
高濃度の瘴気。生きていても生まれた魔獣に殺されるか、自分自身が魔人となって危険な存在と化しているか。
どちらにしろ、幸せな結果ではないことは確実ですね。
エルザ達は世界全ての瘴気を消していない。消せなかったのだ。消しても時間が経てばまた噴出す。瘴気とはそういうものだった。
完全に消すには世界全てを一度に浄化する。もしくは瘴気が生まれる原因を排除するしかないだろう。
しかし、それはエルザには出来ないことだ。浄化の力はあるが世界全てを浄化する能力など、一人と一本の樹木の手に余る。
私の手の届かないところです。
せめて、手の届く範囲を助けたい。そんな願いで始めた浄化の旅。経験を積み、手の長さは伸びた。しかし世界を抱えるほどには長くなかった。
出来るだけ、自分が聖樹ストラの手が届く範囲だけ浄化して旅を終えた。
後悔は無いといえば嘘だろう。
救えるのならば全てを救いたい。けれど、エルザにはそれ程の能力は無かった。
エルザもストラも勇者でも英雄でもない。万能の存在ではない。人に出来ないことも出来るが、出来ないことは出来ない。
物語の様に全てがうまくいくことは無いのだ。
「ここに来たのは、故郷の浄化のためですか」
オデッサはうなずく。
「故郷の家族を救いたいのですか」
もし、そうならエルザには出来ることは無い。
瘴気に侵され完全に変質したものを浄化しても元の姿には戻らない。
残酷ですけどね。
どう足掻いても指の間からこぼれるものがあり、拾えないものがある。
それでもエルザはオデッサがそれを望めば告げる覚悟は出来ていた。白のエルザなのに、聖樹ストラなのに。そう責められても受け入れるつもりがあった。
しかし、オデッサは首を横に振る。
「違うのですか」
「自分も両親が生きているとは思っていません。真面目な両親だったから、むしろ瘴気に汚染され魔人になるよりも、死んでいたほうが人に迷惑を掛けずに済むと考えていると思います」
「立派な両親ですね」
「小心者なだけですよ。けれど故郷を取り戻したいんです。自分が育った場所、帰れる場所が欲しいんです。今のままじゃ、両親の墓を作ることも出来ません。もしですけど、あそこにまだ両親の遺体が残っているのなら、野晒しのままじゃかわいそうじゃないですか」
両親を弔いたいんです、とオデッサは言った。その目はまっすぐにエルザを見据えている。
似ていると、エルザは思った。
昔、エルザも赤毛だった。無論、外見が似ているだけではない、家族を失ったこと。この場所へと訪れたこと。
そして自分以外を救いたいと願ったこと。
「だから、村に溜まった瘴気を浄化して欲しいんです。また緑の生い茂る故郷を見たいんです。両親に綺麗な故郷で眠って欲しいんです」
エルザ・プロトスは家族を失った。
そして、自分の手の届く範囲を助けたいと願い、旅をした。
今、自分達に向かって手が伸ばされている。その手は、自分達が手をとってくれることを願っている。
どうするのか考えて、どうするのか決めた。
考えるまでもありません。
たった一人の少女の願い。その程度掴めずして世界を旅できるわけが無い。
久しぶりに、旅に出ますか。
エルザは笑みを浮かべ、少女の手を取ることにした。