第二話 赤毛の少女
定期的に投稿って難しいです。
とにかく、完結まで何とかもっていきたいなぁ。
センタリア大陸の東部にその樹海はあった。
四季の存在する大陸東部。寒さに震えスープの温かさに安堵する雪の季節は過ぎ、暖かさを孕んだ心地良い風が樹海を通り抜けていく。風は樹海に生きるものを優しく撫で動物達は活発に動き始める。
春だ。
生い茂る巨大な木々、その枝葉の隙間から漏れる光に蒸すような不快な暑さはなく、ぽかぽかと身体の心を優しく包んでくれる母親のような心地良い暖かさだ。それは照らされる者の心を落ち着け、身体に癒しを与えくれる。
樹海。本来であれば緑の樹木に覆われた世界を示す言葉だ。
しかし、この場所ではその表現は通用しない。
白が支配する樹海。
樹海に緑は無く、美しく白く染まっていた。残雪に覆われている訳ではない。雪は既に溶け大地へと捧げられている。樹木全てが無地のカンバスの様に、ただただ白という色だけがそこにあった。
巨大な白い樹木は人が十人手を繋いでも幹を囲む事が出来ないほどに巨大で、自然に作られた回廊を思わせる。鬱蒼と樹木生い茂る普通の森とは比べ物にならず、巨大な竜すらも余裕で樹木と樹木の間を通り抜けることが出来る広さを持った回廊。純白の枝葉の屋根を持った樹海は、木漏れ日の幻想さと相乗し初見の人に感動を与える事だろう。
そんな純白のカンバスに一色、緑色が落とされていた。
樹木ではない。
自然物でもない。
それは人工物で、樹木ほどは大きくないものだ。
深い緑色の鞄だ。鞄が上下に揺れ森の奥へと動いている。無論、鞄はひとりでには動かない、鞄とは誰かが背負い歩くものだ。
少女だ。
背中が隠れる程の大きさの鞄を背負った少女が一人、樹海を歩いていた。樹海を移動する事を考慮して肌の露出を極力抑えた動きやすい服装。つばの広い帽子から覗く髪の色は赤、短く一見少年の様でもあり中性的な雰囲気を感じさせた。
観光の為に樹海に足を踏み入れた赤毛の少女。一見その様に見える。しかし、雰囲気はそんな牧歌的なものではない。
少女の顔には疲労が色濃く表れていた。呼吸は荒く、いつ鞄に押しつぶされてもおかしくない。迷子の子供のようにその視線は忙しなく左右に動いている。
風が強く吹いた。
「……ひっ」
鳥の鳴き声と共に葉擦れの音が森に木霊する。少女はその音に驚いたように肩を震わせ、音の方向へと顔を向けた。
「な、何……魔獣?」
赤い瞳が怯えに震える。
鳥の姿は見えない。風音が鼓膜を震わせる。視線は樹海を不規則に行き来している。後ろを振り向きまた前を向く。少し風が吹けば空を見上げ、何か自分を襲うものがないのかを探す。大きな鞄がその度に大きくゆれガチャガチャと中の荷物が音を立てた。
……何も出てこないみたいだし。大丈夫、かな。そもそもここに、魔獣なんていないよね。
魔獣とは瘴気に汚染され変質した獣の総称だ。例外はあるものの、その多くは元になった獣を遥かに超える能力を持つ。そして多くは凶暴であり、少女のようなものは格好の餌といえる。
しかしこの場所で魔獣が出てくる事はまず無いだろうと少女は知っている。だが、初めての場所で不安は残ってしまう。万一、目の前に魔獣が出てくれば、少女に出来る事は無いのだから。
神経質なほどに周囲を見渡す。とりあえずは安全だと判断した少女は、恐怖で忘れていた呼吸を再開した。肺に溜まった空気を吐き出し新鮮な空気を取り込んだ。美味しい空気が体中をめぐり、不安が浄化され薄くなっていくような錯覚を覚えた。
少女は眼鏡の太いフレームに手を添えて暫し瞳を閉じる。視界に広がる白が黒に切り替わる。深呼吸を三回。不安に激しく鼓動していた心臓が次第に落ち着きを取り戻す。少女は目を開き、再び前に向かって足を動かす。
「……大丈夫、怖くない」
自らに言い聞かせるように、少女は呟く。
「大丈夫、まだ明るいし、疲れも動けないほどじゃない。きっとたどり着ける」
少女の足取りはしっかりとしているとは言えない、時折バランスを崩したようにふらつく不安定なものだ。いつ倒れてもおかしくない、このまま目的地までたどり着けずに、道半ばで倒れ、広大な樹海で朽ち果て、養分として自然に還るかもしれない。
この場に第三者が居れば、きっと休む事を提案するだろう。
そんなふらふらで樹海を歩くべきではない、と。
けれど、その場には少女に休息を提案するものは誰も居ない。止めるものも支えるものも居ない。
少女はそれでも進む。進む。
時折聞こえる獣の声に怯え、涙を浮かべながら、樹海を進む。
何の為に、こんな所を歩いてるんだろう。
頭の中に浮かぶ疑問。しかし、今は考える余裕なんて無かった。
どれだけ進んだのか、わからなくなった。広い樹海はどれだけ進んでも回りは綺麗な白い樹木ばかり、目的地までの距離を伝える看板なんてあるわけも無く、当然、後どれだけ進めばゴールなのかも分からない。
変化が無いというのは、とても辛い。進んでいるという実感が全く無いのだ。
もしかして、同じところをぐるぐるとまわってたりしないよね?
少女は山や森で遭難した人が真っ直ぐ進んでいるつもりなのに同じ所をぐるぐると回り続けたという話を思い出した。
樹海、遭難。二つの言葉が合わさりとても不吉な想像が膨らむ。樹木に目印をつけておけばよかったと今更ながらに後悔した。
そして、後ろ向きな思考は体力を一気に奪う。
もう、休んでもいいんじゃないかと、自分を納得させかけた。
しかし、
「……?」
最初は幻聴かと思った。
しかし、耳を澄ませば確かに聞こえた。
少女の耳に笑い声が聞こえたのだ。
「……人?」
声は一人ではない、複数の声が聞こえる。
少女は声に誘われるように、歩を進める。
この先に知られていない集落でもあるのか。
それとも旅人を誘う妖精達の罠でもあるのか。
そんなとっぴも無い事を考えつつ、少女は声に惹かれるように身体を動かす。
「わぁ……広い」
樹海を抜けた先には草原が広がっていた。正確には樹海の中なのだろうが、そこだけ樹木が茂る事を遠慮したように円形にスペースが空いていた。
見上げれば青が広がっていた。
雲ひとつ無い空だ。
草原の奥、そこに彼女の目的があった。
巨大な樹木で作られた樹海の中、更に巨大な樹が一本、聳え立つ。
首を精一杯見上げて漸く樹の頂上を確認できるほどの高さ。壁のように巨大な幹と大地から顔を覗かせる太い根。
枝葉は他の樹木と同じく純白。落ちる葉に日が当たり、季節外れの雪が降っているかのようだった。
それを見て、息を呑んだ。身体の奥から湧き上がる震えは疲労ではない、歓喜だ。
少女は眼鏡の位置を直す。じっくりとそこにある大樹を見つめる。
本に書かれていた通りだ。
本当に神様まで届くのではないかと錯覚しそうになるほどの巨大さ、偉大さ。
笑みと涙が零れた。
「これが聖樹ストラ……」
ストラ樹海に生まれた、瘴気を浄化し、世界を救った意思を持つ大樹。
聖樹は大陸中で数々の物語が生み出されている。
舞台や本では、聖樹は瘴気に汚染されていた数多くの人と動物と植物を救い人々に安寧を与えたとされている。瘴気に混乱した国や町を復興に導いたとされている。
真実味を持った話から荒唐無稽な話まで、枚挙に暇が無いほどに。
物語が何処まで真実なのか分からない。けれど聖樹瘴気を浄化したと語られ始めて数百年を経た現在でも、樹海の水は瘴気汚染に有効だと考えられ薬として出回っている。そのことを考えれば、全てが作り話ではないと信じたい。
聖樹は救ってくれる。
そう信じているからこそ、ここまで来たのだから。
漸く辿りついたことに胸が一杯になり涙がまたこぼれそうになる。
駄目だよ、まだ何も始まって無いんだから。やっとスタートが見えただけだから。
少女は浮かんだ涙を袖で拭った。
静かな樹海の中、涙を拭い去った少女は、樹海が静かなことに気付いた。
先ほどまで聞こえていた笑い声が消えていた。
声が聞こえていた方向に視線を向ける。それは巨大な聖樹の根本。
「あれは……」
少女は目を見開いた。
腰まで伸びた純白の髪、透き通るような白い肌の女性が少女を見つめていた。周囲には巨鳥や巨狼、そして竜など様々な魔獣達が彼女を囲い護るように立ち、同じく少女を見つめていた。
魔獣達が人を守る。外ではありえない光景。襲っていると考える方が自然なはずだったが、少女には魔獣達があの女性を守っているのだと分かった。
そもそも、あれは魔獣なんでしょうか。
あれほど巨大な獣は居ない。だから普通の獣ではないはず。しかし、その疑問は少女自信の記憶が答えを出した。頭の中に浮かんだのは以前読んだ御伽噺。
母親が子供を寝かしつける時に読むような絵本に描かれた絵物語。何でそんなものが浮かんだのか、考えるまでも無い。
純白の聖樹を背に、巨大な魔獣と共にある純白の髪を持つ女性。
まるで御伽噺の一ページを見ているようだと少女は思った。
少女は絵本で読んだ、聖樹と共に生きたという女性の名前を思い出した。
「貴方は、白の……エルザ」
赤毛の少女は、御伽噺と出会った。