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白のエルザ  作者: 森乃
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第一話 始まりは御伽噺から

 昔、世界は清浄な空気に満ちあふれていました。

 人は笑い。

 動物は自然を駆け巡り。

 植物は咲き誇る。

 まさしく、生命の楽園と言える時代でした。

 しかし、永遠に続くものは存在しないように唐突にその楽園は終わりを告げました。

 世界に悪しき気が溢れたのです。

 人はその悪しき気に『瘴気』と名づけました。

 最初は体調が崩れるだけでした。ちょっと病気が流行っている。その程度の認識でした。

 けれど、一年もしない内にそれは謝りだと気付いたのです。

 人も獣も植物さえも、瘴気に汚染され正しい姿を保つ事ができなくなってしまったのです。

 人は魔人に。

 獣は魔獣に。

 植物は魔草に。

 元の存在が歪められ新しい種として変質してしまいました。

 多くの命が瘴気に奪われました。

 瘴気に当てられ病にかかり、治療する事もできずに命を落としました。

 魔人に襲われ体を引き裂かれ零れた腸に絡まりながら殺されました。

 魔獣に襲われ村ごと焼かれ死に行く家族の血を浴びながらその身体を破壊されました。

 魔草の吐き出す毒に犯され呼吸を奪われ喉を掻き毟りながら死にました。

 魔法使い達は瘴気を如何にか対抗策を見つけるべく、様々な方法を試しました。その中には禁忌と呼ばれる犠牲を強いる方法もあったといいます。それでも、多くの犠牲を払っても瘴気を消し去ることはできませんでした。

 人も動物達も絶望の海に沈む事となりました。彼らにできる事は少しでも瘴気の薄い場所へと逃げるだけなのですから。故郷をすて生きる事への希望を失い、新たな命を紡ぐ事は地獄へと誘う残酷な行為だと考えるものもいました。子供をこの地獄へ送り込む事は出来ないと生む事を拒否したのです。

 このままでは世界が終わる。

 誰もが何もかもが苦しみ、解決の方策が見つからないまま、多くの命と時間ばかりが浪費されたのです。


 楽園が永遠に続かなかったように、地獄も永遠には続きません。

 御伽噺は人里から遠く離れた樹海から始まりました。

 きっかけは一人の少女。年齢は十四か十五と言う所でしょうか。

 腰まで伸びた長い赤毛を揺らしながらただ足を動かします。綺麗な赤毛は土と脂で汚れていて、長い間洗われていない事は明白でした。

 しかし不潔に眉を顰める人もも、叱る人もいません。

 父親も母親も姉も弟も友も恩師も失いました。悉く亡なりました。少女は未来を儚み、辛い思い出と残酷な現実から逃げる為に、あの世に逃げる為に遠い樹海へと入りました。あまりに深い樹海。彼女は家族から注意されていたのです。あの樹海は子供が入ったら二度と出る事が出来ない。勝手に入ったら家族に会えず植えて死ぬか魔獣の餌になってしまうと。危険な場所に生かせたくないという親心なのでしょう。しかし、もう少女にはどうでもいいことでした。

 いないのですから。

 誰も。

 彼女は救いを求めた気高い少女ではありません。

 彼女は救いを諦めた小汚い少女でしかありません。

 最初は白いワンピースだった、汚れた襤褸切れとなった服を着て、赤毛の少女は森を歩きます。靴は擦り切れて捨ててしまいました。少女は裸足で樹海を歩きます。足には草葉で切った傷が幾筋にも出来上がり、うっすらと血が浮かんでいました。少女は痛みに顔を歪める事も無く、振り子の様に揺れながら死に行くためにリズムを刻みます。

 右にふらふら。

 左にふらふら。

 倒れた所が彼女の墓標。

 そうして彼女は前へと進む。生きるつもりは無いけれど、少女は止まる事だけはしません。

 あの世への旅立ちを望んでいるのです。何処で倒れようが何処に落ちようがどうでもいいのではないか。

どうせ死ぬのに、と少女は思います。ここで止まり適当な枝で首を括ってしまえば直ぐだろうと。

 それは違うとも、少女は思います。

 ただ、ここで死ぬのは違う。ここじゃない。分からないけれどここではない。なら何処だと聞かれても、さあ、としか返せない。けれど、違うと少女は思うのです。

 そして、よくわからないまま行き続け、生き続けて歩き続けて樹海を進む少女。既にどれだけ歩いたのか分かりません。

 続ければ何かしらの結果がでます。

 少女の移動の結果、樹海の奥へ到達しました。

 到着したのです。

 彼女の足は止まり、見上げました。

 ぼんやりと口を開けて見上げる彼女の目の前には、一本の大樹がありました。樹海の中でも跳びぬけて巨大な樹。雲をつき抜け空を越え神に届くのではないかと錯覚するほどの巨大な樹です。目一杯首を上に上げて漸く枝葉を確認できるほど。少女は大樹を見上げ呆然としていました。

 少女は大樹を見て、故郷のご神木を思い出します。神が宿り、皆の願いを叶えると言い伝えられてきたご神木。故郷が瘴気に汚染される中、両親や祖母も祈りを捧げ、皆が救われる事を祈り続けたことを。祈る者が一人減り二人減り、ご利益がないと分かっているのに願い続けた家族の事を。

 大切な時間を叶わない願いの為に無駄にした事を。

 救いを諦めた少女の中で怒りの感情が湧き上がります。

 何故、救ってくれなかったのかと。

 あんなに祈っていたのに。

 皆が言っていた。

 いつか、祈りが届く。

 いつか、世界が救われる。

 いつか、幸せになれる。

 今日が駄目なら明日。明日が駄目なら明後日。一月が駄目なら一年。きっといつか叶うから。

 いつか、いつか、いつか……。そんな、いつかは来なかった。

 祈りは届かず、世界は救われず、共に幸せになりたい家族はもういない。

 脱力していた少女の手が拳を作る。爪が食い込み手から血が滴る。

 爆発するように少女は叫んだ。

 救ってくれと。本当に神様がいるのなら、見ていないで助けてくれと。瘴気に苦しむみんなを助けてくれと。

 大樹に縋りつき、少女は何度も何度も大樹を叩きます。

 手の皮が剥がれ、肉が見えても少女は止まることなく感情をぶつけ続けました。

 どれだけ叫んでも、喉がつぶれ声がかすれるまで叫んでも、神様からの返事は届きませんでした。

 そんな少女を嘲るように膝が笑います。力が抜け森にぺたりと腰を落としてしまいました。長く伸ばした自慢の髪は大地に広がり土に汚れます。少女は大樹を見上げたまま、その瞳から涙がこぼれます。一滴二滴と留まることなく涙が頬を伝い大地に涙の染みが広がっていきます。

 ふと、少女は何かに気付いたように周囲を見回します。声が聞こえたのです。誰も見えないけれど確かに、聞こえたのです。彼女を気遣う声が。

 誰? と、少女は問いかけます。

 その声は応えました。自分は目の前の大樹だと。

 神様? と、少女は問いかけます。

 違うと大樹は応えます。自分は神なんて大層な者ではないと。

 大樹は言います。自分は長い長い年月、数え切れないくらい月と太陽が昇り沈んでいくのを感じながら眠っていたのだと。

 そして、少女の願いを聞いて目が覚めたと。

 少女に問います。救って欲しいか、と。

 少女は問います。救えるのか、と。

 大樹は応えます。全ては救えない、救えるものだけだと

 大樹に答えます。それでも構わない、自分の両手に抱えるだけでも救いたいと。

 大樹は喜び宣言します。

 ならば救おう。自分は全知全能の神などではない、全てを救うには力が足りない。多くが失い、手に入れることができなかった自分たちでこの世界を、目の届く所だけでも救おう、と。

 少女の手がそっと大樹に触れます光が溢れだしました。

 白い光でした。柔らかく暖かい光でした。

 光は少女の視界を満たしました。不思議と眩しさを感じませんでした。

 少女の世界が白一色に染まります。

 その光は樹海を越え、はるか遠くまで届きました。

 光の柱が天へと昇るのを見た。そう語る人もいたといいます。

 柱は粒子となり、たんぽぽの綿毛のように遠くまで飛んでいきました。

 光を見た人々は、奇跡だとよろこびました。

 光は瘴気を浄化し、瘴気に病んだ人々から瘴気を取り除き健康を取り戻したのです。

 光が収まった時、少女と大樹にはある変化が起きていました。

 少女と大樹が純白に染まっていたのです。

 少女の赤毛は無垢な白色に、大樹は枝葉も根も全てが白く変化していました。

 聖樹と白の少女。

 世界を浄化する奇跡が生まれた瞬間でした。


 それから……。

 白の少女と白の大樹は、何度も世界中で浄化を行いました。

 瘴気の全てが浄化されたわけではありません。今も瘴気は溢れ人々は苦しんでいます。

 彼らは神様ではありません。全てを救う事なんてできません。

 救えるものだけを救うのです。

 けれど、多くの人々を助ける事ができたのです。人々は彼らに感謝しました。失うはずだった家族や友人を助ける事ができたのだから。

 救われた人々は行動を起こしました。自分たちも人々を救おうと、自分の両手に抱える事ができるだけの人々を助けようと。

 助け方は人それぞれ。皆が良かれと思い誰かを助ける為に何かを始めました。一つ一つが積み重なり、一人が二人に、二人が三人に、そしてみんなが互いに助け合い、世界に希望が溢れました。

 いつかきっと、世界全てが救われる日が来ると信じて。

 今日も世界のどこかで誰かが苦しむ人へ救いの手を差し伸べるのです。


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