第七波「一天万乗の意志決定」
「ほら」
と。
一枚の書類は、珍しくハイセンスな格好をした島津センセイの手によって、切絵と天佳の前に置かれる。
「この島に点在する養護施設の一覧だ。何に使うのかはしらんがな」
「あー……えっと。それはー……ぁ」
チラリと、切絵は脇目で少女を見た。
水族館から歩いて十分の位置にある、学生寮前。
長期休暇に入った今となっては、いるのは帰る家のない切絵だけだ。
町の方からも少し離れていて、この辺りになると、迷った観光客ぐらいしか人影はなかった。
その交流スペースであるベンチで、鈴目天佳は食い入るようにそれを読んでいる。
そんな彼女を二人して見ている。
今この場の、奇妙な関係とバランスに、切絵はわけもなく緊張していた。
「しかし、ここ数年で島の分布図は大きく変更されたからな。それの中でも暗黙のうちで取り潰された施設もある」
そんな島津の言葉は、彼女の耳に入っているのかいないのか。
呆れるほどの自負に見合った、整った顔に、わずかに落胆の陰が顔に差すのを切絵は見た。
未だに「児童養護施設ない?」と言った彼女の真意は汲めず、ただ顔色を窺うしかない。
そして少女は、すべての資料に目を通す。
「邪魔したわね」
立ち上がり、いつもより三割増しほどささくれた、ぞんざいな口調で言った。
そのまま切絵を気にすることなく離れていく天佳の名を、切絵は一度だけ呼んだ。しかし止まらない。
露骨に徒労感を滲ませ、ため息をつく島津に、まず手を立てて見せた。
「……悪いなっ! ってセンセイ、なんか、仕事中だった?」
身なりもこぎれいだが、顔にはめたメガネも、いつもの分厚いレンズの仕様ではなく、薄いフレームとレンズの、スリムなブランドものだった。
彼女は、すらりとした脚を組みながら、書類をかき集めている。
確かに豊満さでは天佳には負けるかもしれないが、シルエットの美しさでは、同等以上の勝負ができるのではないか。
切絵はそう思ったが、今はそれどころではなかったのであえて口にはしなかった。
「なんか、じゃない。絶賛仕事中だ。こんな時こそ、お前の手でも借りたかったんだがな」
非難がましい声と共に、カメラマンはカメラケースを爪先で小突いた。
「あっ、ははは……また今度お手伝いすっからさ。今日のことはそれまで貸しってことで!」
「……あぁ。楽しみにしてる」
珍しく、素直な言葉、柔らかい表情。
おや、と引っかかるところを感じつつ、切絵はもう一人の連れを追う。
~~~
「お、いたいた」
天佳の居場所は、なんとなく切絵には見当がついたし、事実その直感は正鵠を射ていた。
海岸、砂浜、そして空。
飛行機の残骸は……既に撤去作業は終了していた。
すなわち、その地点こそ彼女とこの島の、接点だった。
ヒザを抱え、物憂げに表情を曇らせる美少女は、いつにも増して儚げで、そして切絵の接近にも気がつかなかった。
そのまま、
背中に回って、
分厚いポンチョをめくりあげて、
その美巨なる双乳を揉みしだきたい。
などという衝動に駆られたが、この場においては煩悩を振り払い、隣に腰掛けた。
――座ってから、怒濤のような後悔と、『ヘタレ』という自責の念がやってくる。
欲求が一端リセットされるまで、冷たい砂を掴んで、それから、彼女の頭に手を伸ばした。
……抵抗なくふわふわとした髪に触れることは、切絵にとって純粋で、新鮮な喜びだった。
「何探してんのか知らねーけど、ほれ、あの人に忙しいところを頼んじゃったし、リサーチ不足ってこともあるべさ。……あ! なんなら図書館行くか! あそこ蔵書量少ないけど……マンガ『火の鶏』と『ぅおーい龍馬』しかないけど! でもまぁ、島の歴史とか、新聞とかは置いてあるんじゃねーの?」
「私さ」
唐突に天佳が話しかけ、ビクリと切絵は身を震わせた。
「昔、この島来たことあるのよね」
ざぷん、と、波。
「……正確には、そう『記憶していた』」
「……記憶って、まさか俺の言ったこと気にしてんのか? 『キャラバン』の奴らが本当の標的である、ぉえ……『X』がいるこの島へ、偽の記憶掴まされて来たとか、まさかそんなこと思ってんのか?」
「あんたって、ほんっとどーでも良いことだけは冴えてんのね」
――どうでも良くはないだろう。
天佳はそう目を細めるが、いつもの力強さはない。
自分は強い。自分は賢い。自分は優しい。自分は正しい。自分は美しい。
おそらくはそう唱え続けることで、鈴目天佳はその細い両脚で踏ん張っていたのだろう。
……そして今、ちっぽけな矛盾がその足下が、崩されようとしている。
「で、自分の記憶がウソがどうか、実際その施設とやらで探そうとしてたってわけか。お前さんの記憶違いってことは?」
それはありえない、と彼女はすぐにかぶりを振った。
「大切な記憶なのよ。少なくとも、私にとっては」
「……話したら、場所の見当つくかもよ」
と切絵は自分の聞きたい方へと誘導する。
そんな切絵をじっと見つめていたが、やがて、重い口を開いて、過去を拾い上げていく。
~~~
私の両親、とっくの昔に死んだって聞いてる?
あの後、親戚の家を転々、たらい回し、遺産は横取り……ま、よくある話で、最終的にこの島の孤児院にブチ込まれた。
そこでもなじめなかった。ほら、私が絶世の美しさだったから、異端視されたのよ。
――なによ、その顔。
でも、当時の私は親も、親戚縁者も、そして孤児院の奴らも自分から離れていくのか、わかんなかった。
……で、思った。
ひょっとして自分が、かわいくないからじゃないか、って。
――だから、何、その顔。
そんな日々が続いて、つくづく自分がイヤになった時、その孤児院に、一人の男の子が来たの。
……トンガリ、いやトガリっつってたっけ? 私より年下、だったかな?
それがどこの誰で、どういう目的でそこに預けられたのかはしらないけど。っていうか聞いてなかったし。
で、私に会うなり言ったのよ。
泣きじゃくって、もう涙も鼻も垂れてた時に、
「うわっ! カワイイ子だなぁ!」
……正直、向こうも自分も、今となっちゃ、神経を疑うわ。
でも、その時の笑顔は覚えてる。
お日様みたいな、笑顔。
「でも、きっと泣き止めば、もっと可愛くなる」
~~~
「それだけの話だけど、私にとっては自分の美に目覚めたきっかけなのよ」
……来栖切絵は、頭を抱えていた。
「誰だ。そんな無責任なことを言ったバカは……」
「厳然たる事実を認める男が、一人現れただけの話よ」
そしてあくまで天佳はブレなかった。
長い息をつき「分かった分かった」と切絵は手を振る。
「よーするに、だ。施設っつーか、その初恋のトンガリ君とやらを探せば良いんだな?」
「初恋じゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「ファン一号」
「……まぁでも、臆面もなく初対面相手に、んなこと言えるなんて、ジゴロ、ジゴロに違いない。……あぁ『技の一号』ってそういう……」
「結局それは、幻想かもしれないけどね」
少し寂しげな天佳の微笑に、手を頭に置いたままの切絵からもまた、表情がほんの一瞬だけ消える。
すぐに笑みを引き戻し、「らしくないな」と切絵は言った。
「らしくないってなによ。こーゆー私の人格だって、ニセモノかもしれないってのに」
「ニセモノだから、どうだっていうんだ?」
「え?」
目を見開く天佳から手を離す。
「ウソだろうとなんだろうと、それがあったからお前は強くあろうとしてたし、ここまでがんばってきたんだろ? その外見だって、見れば手入れを怠ってないことぐらい、分かるべさ」
切絵は地を掴み、波の音を聞き、天を仰ぐ。
何ひとつとして不純物のない、美しい調和だった。
「大事なのは今ある自分を、今あるお前がどう思うか。だろ?」
天佳の浅い呼吸が潮騒に紛れて聞こえてくる。
「好きに決まってるじゃない」
強い目で、明るい目で、美しい目で、生きた目で、つまりいつもの目で、
「そっか。俺もそういうお前が大好きだ!」
「でさ」
「歯牙にもかけない!?」
「あんたはどうなのよ。言うからには自分のこと好きなんでしょうね? てか、好きじゃなきゃあんな恥知らずな言動の数々、できないよね」
「人を変態みたいに」
と切絵は苦笑するが、お互い否定はしない。
「まぁ、好きだよ。嫌いな時の方が多いけど」
天佳は石でも誤飲したような、面食らった顔をする。
きっと、彼女の過去話の要所要所で、自分が見せた顔なんだろうな、と切絵は思った。
「ほら、こー見えて俺、結構ヤな奴だし? ネクラだし?」
「不愉快な人間ではあるけれど、ネクラ?」
「そーゆーとこ見せないってのが、俺の好きなとこ。少なくとも身内にゃ、この顔のおかげでイヤな思いはさせないし」
笑みを弾けてみせると、未だに納得がいかないと、天佳は露骨に左眉を吊り上げた。
「でも、変えたい自分がある。そこから目ぇそらしちゃいけない」
「ふぅん」と、ぞんざいに天佳は相槌を打った。
「『トライバル』以外ことごとく完全無欠な私には分からない感傷だわ」
「でしょうとも」
ほろ苦く笑う切絵に、「でも」と彼女は、難なく、とんでもないことを告白してきた。
「でも私、あんたのこと好きよ」
「……!?」
唐突なその告白に、パクパクと、切絵は口の開閉を繰り返すほか、術はなかった。
そこから先の続きはない。じっと見つめてくる天佳に、
「す、すすす、好きって……どういう、好き?」
うわずる声で、かろうじて尋ねた。
うーん、と。
天佳はアゴに手をやり、暫時の思考の後、「例えば」と切り出した。
「スライムで言うならしびれクラゲ!」
「!?」
「自由惑星同盟で言うならリンチ!」
「!?!?」
「カレーの具で言うなら大根!」
「なんか割と底辺っつーか、カテゴリに当てはまるかすら微妙じゃねーか!」
――要するに、からかわれただけなのだ。
二割ぐらいは期待していた切絵はね落胆し、とぼとぼと波に向かって歩き始める。
……ほんのちょっとだけ、唇に本当の笑顔を取り戻して。
「あ、そうだ天佳。一つ思いついたんだけど」
振り返る。
凍り付く。
――いなかった。
冷たい潮風が頬を射る。
砂浜の上にお尻の形を残して、少女の姿は消えていた。
そこからさらに続く形で、足跡がついている。
二人分。
一人は、靴のサイズや底のデザインからして、男のものだった。
……そして、まるで自然にうち捨てられたかのような野球ボールには、紛れもない、『車輪』の刻印。
だがそれは切絵の掌で、青い焔が包んでしまう。
「……っ!」
反射的に手を放すと、地に落ちるよりも早く、それは真っ白な灰となって砂と一体化してしまった。
不自然的であり、反面、神々しくもある炎の揺らめきに抱かれた『火種』は、消える寸前、狼のような刻印を浮かび上がらせていた。
だがこの有様では、どちらも破壊はできない。よって刻印の回収は不可能だ。
残骸を強く掴み、掌に食い込ませる。皮膚の裏で、血管が切れたかもしれない。
天佳に見せた呑気さも、明るさも、すべて消し、氷のように無表情で塗り固める。
「……Mixing No.1×No.9」
静かな怒りを孕んだ低い呟き。
次の瞬間、切絵の長身は刻印と、次いで赤銅に包まれた。
鉄槌を携え、彼は跳び、駆ける。
超人じみたその全速を、視認できるものはいない。
何故の疾走か。何のための武器か。
――この力の使い方、ようやく分かった。
あの気丈ながらもたった一人、意地だけで巨悪に立ち向かう少女。
それをあざ笑い、玩弄する敵を、除くために。
今回は早めにキリがつけられました。
これで大体半分過ぎたかな、という感じです。
やっぱりある程度予想していましたが、チート主人公使いづらいです。
というか、敵が弱すぎて小物過ぎて……
宿命と言えば宿命ですが、その辺り、主人公周辺以外のキャラのアクの強さ含めて、バランスとれてないなー、と力量不足を痛感します。
まぁ、最後で帳尻合わせる予定ではありますが、それもどこまで押し戻せるやら。
不安でもあり、少しだけ楽しみでもあります。