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第六波「変幻夢幻の心象」

 一年前の元日、

 空も、海もひたすら青かった。

 雲は白く、小粒の砂が浜を満たし、凪は優しく頬を撫でる。


「……」


 少年は、病室にいた。

 貼り付けられた心電図に何の意味もないことも、

 通されたMRIに何の異常もないことも、

 注入された薬品に何の効能もないことも、

 ……それがかえって奇異の目を向けられた結果となったことも、


 少年は、知っていた。


「……」


 左手の表裏を交互に見る。

 奇跡の子、全乗客死亡は確実という事故から無傷で生還した少年、

 記者にもてはやされたのも、最初のうちだった。


 ――なにが、奇跡だ、何が、幸運だ……


 唯一の親を失い、家や財産は親族に乗っ取られた。

 ……分離した一本の右手と、二本の足が、トカゲの尾のように生え替わることを、奇跡とは呼ばない。

 そして彼は本能的に、自分の身に何が起こったかは知っていた。

 さながら人が生まれながらに泣くことを知るが如く、その一切の機能を掌握していた。

 その呼称は、知らない。

 ただ彼が望めばそれは鎧となり、剣を作り、槍を生やし、城を築き、毒を吐き、愛馬を産み、翼を伸ばし、槌を喚び……あらゆる全てを、飲み喰らうだろう。

 同時に、それは彼の感情を蝕むしまうものだという予感があった。


 ――まぁ要するに、ヒトじゃなくなったのか。


 そう思うも、どこか他人事だった。

 いや、中身はもう既に、この得体の知れない力によって別のモノになっているのかもしれない。


 ――ならば、いっそのこと。


 うつろな少年の手が、フォークを掴む。


「その程度で、ヒトは死ねんよ」


 甘くも、錆びた女性の声が、彼の手を止めた。

「……島津、さん……」

 バケットいっぱいの見舞いの果実に、分厚いメガネをかけた女性が、面白くなさそうに突っ立っている。

「……放っておいて、ください」

「そう言うってことは、誰かに止めてもらいたかったり、慰めてもらいたがってる証拠だ」

 少年の前を素通りし、窓を開け、一言。


「良い風だな」


 そう言われて思わず、顔を上げる。

 潮風が目に入る、涙腺を刺激し、ほんの少しだけ少年は涙ぐんだ。


「結局のところ空は青いし、海も青い。他人は死に、お前は生きた。お前が今さら何を思おうが、それは変わらん。悼みたければ悼むがいい、苦しみたいのなら苦しむがいい、嘆きも、後悔も、激情も、悲哀も……希望も、恩義も、前に進もうとする意志も、すべてお前が感じることしかできないし、お前が選ぶしかない。……好きに、生きるがいい」


 ――空のような人だった。海のような人だった。

 険しくも優しく、

 排他的なのに寛容で、

 冷たいはずなのに、暖かい。

 そんな、気分屋。


 ――でもこれってひょっとするとこの人なりの、励まし、なのかな?

 少年、来栖切絵は、そんなことを思った。


~~~


「『ベリアル』?」

「そ」

 水族館の向かいにある、古民家カフェのオープンテラス。

 天佳と切絵の目の前には、二人分のモーニングセットと、一枚の紙切れがあった。

 そこには揺らめく炎のようなあいまいなタッチで、車輪が描かれている。

「この『トライバル』が、そうだってのか」

「そう。この刻印を見た人間の記憶、精神状態、諸々を、その人間の都合の良いように歪めて改竄するの」


 ため息交じりに腕を組んだ天佳の脳裏にふと、蘇る。ある人物の現在と、かつてとが。


「それって、あの伯耆ってのとか、小山田かすみもか?」

 やはり、自分の旧友の名は切絵の記憶にも新しいらしい。

 忌々しさに顔を歪めてみせて、天佳は言った。

「それだけじゃない。多分団長副団長以外の『キャラバン』構成員はみんな少なからず精神を汚染されているでしょうね。さながら自分が救世のヒーローのように思い込んで、上役の利益向上に務めている」

「ってことはさ、現在進行でこれをガン見してる俺ら、ヤバくね?」


 懸念を素直に口にする切絵だったが、カラクリを知ってる天佳は、


「あぁそれはない」


 いたって冷静に、それを否定した。

「『保管者』が対象を選ばなければ、発動しないから。要するにヤツが見ていない以上、かかることはない」


 例えば、と。

 天佳は先日撃破された伯耆輝彦を引き合いに出す。


 彼自身は引っ込み思案の、いわば目立たぬ少年だった。

 そして、『トライバル保管者』になっても――といっても天佳はそれ以前を知らないが――変わらなかった。


 そんな彼が加入して数日経った後、『ベリアル』の『保管者』とすれ違った。

 その時、ひらりと写真が落ちた。


「おい、写真を落としたぞ」


 と、男は拾って言う。

 ……車輪の刻印が入った、何もないインスタントの写真。


「重要なものなんだろう? これは妹さんだったかな? 不治の病と聞いた。オレで良ければいつでも力になるよ。それじゃ……」


 以上。

 たったその一言二言で、洗脳は完了する。

「…………暗示ってやつか」

「そ。あとは、自分で勝手に記憶を改竄して、奴らの都合の良いコマのできあがり。不都合な部分の細かい調整も、本人が自覚しないままに行われたでしょうね」

「……ふーん」

 切絵の手が、不用意に写真に伸びるのを、天佳は先に奪い取って、二つに裂いた。

「あ」と、マヌケな声、フヌケな顔。

「確かに無害だけど……ムナクソ悪い話したばかりだってのに、よくそんなの持つ気になれたわね、あんた」

「……いや、俺も破きたいなー、なんて」

「なに、義憤に駆られた? らしくないわね。小市民のクセに」

 切絵は病気のニワトリのような、弱々しい声を出して笑い、肩をすぼめただけだった。


「でも、お前さんよくそんなこと知ってんな? 普通そーゆーの、トップシークレットだろーに」

「……かすみが教えてくれたのよ。みんなの異変に気がついたのは、最初あいつだったから。で、調べるウチに」

「ミイラとりがミイラになっちゃった、っつーわけか」

「何しろ、どこにヤツと『車輪』があるか分かんないからね。守りようがないのよ。……このパンケーキにだって、密かに潜伏したヤツが既にどこかで刻印を埋め込んでいて、今ここであんたの喉にバターナイフを突き立てろ! なんて命令が」

 切絵はとっさに首を庇うようにして、両手を重ねて覆った。

「ないわよ」

 手が解かれる。

「あるよ」

 手で守る。

「ないような、あるような……」

「だから人で遊ぶのやめろ!」


 ――ほんと、打てば響くヤツ。

 頭の方も。


 面白がる一方で呆れ、呆れる一方で心配にすらなってくる。

 そんな切絵は、からかわれたことが気に召さないらしく、不満げな視線を投げかける。


「はっはーん……。でも、これでようやく理解できた」

「? 何がよ?」

「お前さんのそのひねくれっぷりと、異様なまでの自分への自信は、その『ベリアル』ってのにおかしくされたせいだって」

「……あー『ベリアル』がこのナイフであんたの髪を剃れとー」

 やや棒読みで、

 ナイフを振り上げた天佳に対し、切絵は慌てて手を振った。

「ウソつけ、その殺意は明らかにお前のもんだよ!」

「それに自信じゃないわよ。厳然たる事実」

「……誰が証明すんだ? それ」

「私自身」

「自称以外で」

「生きとし生きるすべての生命」

「なんで真顔で壮大なファンタジーにするの!?」

「あと、最初にそれを言ったヤツ?」

「そーそー! そーゆーこと! ……どした? 天佳」


 ――でもそれは、本当の記憶? 本当に切絵の言うとおり、『ベリアル』の力によるものだったら?


 ふとそんな言葉が頭の中に浮かぶ。そしてそれは、紛れもなく自分の声で再生された。

 もしこの『記憶』が正しければ、その答えはこの島内にある。

 けどそれが『ベリアル』によって、この島に来るよう仕向けられた暗示だとしたら?

 ……自分ではなく、自分をエサとして本命の『X』を引きずり出すために。

 過去をねつ造し、事実を歪曲させ、自分が目につく行動をするよう仕向けられている可能性だって、ないとは言い切れない。


「ねぇ」


 震える唇を手で覆い隠し、天佳は、そっと差し出すように切絵に聞く。


「この島、児童養護施設ない?」


~~~


 黒米金充は荒れていた。

 狭い室内をせわしなく歩き回り、時々、壁がまるで自分の親の仇であったことを思い出したかのように、ブーツの底で叩いた。

 『マルコキアス』はそれを、冷たい嘲りを含めた目で見ている。


 黒米の厳しい眼光はそのまま、壁にもたれた副団長へとシフトする。

「なんで伯耆を援護しなかった!? お前とヤツが組めば、すぐにカタがついたはずだ!」

「理由その一。共闘はしない。二。組んだところで勝算は少ない。三」

 壁から身を離す。

 腹の底から来る笑いを、隠しきれずに口の端に乗せて、狼の名を持つ副団長は獰猛さのままに行った。


「十全のあいつと戦わなければ、ヤツを見殺しにした意味がないだろう?」


「……お前っ!?」

「まぁそう怒るな。現場で即興劇は時に名作を生み出す、と日常的にお前が語っているじゃないか? それに、こちらの好きにさせる、というのが我々の契約内容だったはずだ。そもそも伯耆を援護するなど、一言も口にした覚えはないのだがな」

「モノは言いようだな」

「それでも『トライバルX』の能力だけは、ある程度判明したから教えてやる」

 黒米は再度、周囲を苛立たしげに巡る。

 まるでそ徘徊によって、怒りを拡散させるように。

 最後に壁を一蹴り。それからその足跡のついた壁にもたれて、

「聞こう」

 と言った。


 『トライバルX』は三つの機能に分けられる。

 本人が外殻のようにまとうエネルギー体。

 それを細胞のように分裂させて生み出す八の基幹部分。

 ……そして、保管部分。

 もっとも重要視されているのがこの領域で、破壊した異能を『トライバル』としてすべて収容している。

 例えそれが断片的な部分、能力の影響の余波や残留物であっても、あの魔物はすべてそれをラーニングして完全に再現してしまう。


「が、おそらく基幹部分にしろ保管部分にしろ、ヤツは単独でそれを発現させることはできない」

 という『マルコキアス』の見解を、『バルバトス』の男半信半疑に聞いて、率直に疑問を呈した。


「……何故そうだと分かる?」


「今までの戦闘がそうだったからさ。『フルフル』、『バール』そしてそれ以前の対『トライバル』、非対『トライバル』の戦闘においても、アレはオーバーキルとすら思えるほどの高威力の攻撃を多用している」

「……単独だと威力が弱すぎるから、ってことか」

「いや、その逆だ」

「逆だと?」


「……おそらくは、そうおそらくは、『X』は完全にコピーしてしまうが故に、本来我々は本能的にセーブしている部分まで引き出せてしまうのさ。つまり我々『保管者』から抽出したと言っても、それはオリジナルの性能を超える。まさに劇物だ。故に、ヤツは互いの『毒』を以て力を減殺したうえでしか、自身も力を使えないのさ」


「……そんな複雑怪奇な生き物に、オレ達が劣ってるってのか。そんな、ハイエナ野郎に」

 こみ上げる熱に浮かれて説明する『マルコキアス』に、黒米は忌々しげに吐き捨てた。

 口汚く罵る姿に、歳不相応の若々しさはなく、欲に張った分厚い面の皮が、醜くひしゃげてシワを作っている。

「だが、この怪生物ほど飼い慣らせば有益な生き物もいまい。……これの中身と同じでな」

 と、副団長は艦内最奥に位置する、分厚い扉を叩く。

 退役したこの軍艦は、ところどころ朽ちて赤錆びているが、その扉だけはお役御免となって以降に増築されたものだ。。

 『保管庫』と呼ばれる内部に繋がる、その門扉を開けられるものは、未だに存在しない。


 黒米は腕を組む。鷲のクチバシにも似た鼻を鳴らす。

「どうやって飼い慣らす? オレンジのマーマレードをエサに釣るか?」

「あるいは釣れるかもしれんな。が、そんなことをしなくともあいつがいるだろう」


 格納したその部屋の外から足音が聞こえる。

 バタバタと、いくつもの人のものが重なり合っているが、『マルコキアス』はすぐさまそれが、四人分の重音だと気がついた。


 ――だが多すぎる。


 この船の価値の九割九分を占めるこの最奥の場所は、自然立ち入りを憚るような風潮となっていて、例えそこがなんたるかを理解している者でも、足を踏み入れることは滅多にない。


 そんな場所へ、何に対しても憚ることなく、多人数を連れてやって来られる者を、『マルコキアス』は『一人』しか知らない。


 ――すなわち、あいつだ。


「ちょっと、待ちなさいよ!」

 という、甲高い少女の声に、ひときわ重い足音が追い立てられている。


「あーあー! 分かった! 今度な! また今度な!」

「そんなこと言って、また約束すっぽかす気じゃないでしょうね?」

「んなことあるかって。幼なじみのお前との約束、俺が破ったことがあるか?」

「まぁ、曲輪(くるわ)サマ! わたくしとのお約束はお忘れですか!」

「そーだよっ! アタシとのデートも、すっぽかしたのにぃ~!」

「わかったよ。……じゃ、こうしよう。みんなまとめて一緒に」

「曲輪さん!」

「……やれやれ」


 一団は部屋の前で立ち止まった。先頭を切って走っていたのは、青年だった。

 顔は十人並みでパッとしない、背も高いわけではない。が、彼を慕ってやってきた女性は、

 あるいは金髪のツインテールのツリ目だったり、

 あるいは黒髪と白肌の美しい清楚な女性だったり、

 あるいは日に焼けた肌のスポーティーな少女だったり、

 皆タイプこそ違えど美形揃いだった。


 そんな彼が顔を近づけると、彼女たちが一斉に頬を染めて目を潤ませる。

 平々凡々な青年に、二十にも満たない美しい少女たちが、大した理由もやりとりもなく欲情するさまは、『マルコキアス』にとっては異様で、おぞましいものにさえ見えた。


「……おい」


 その光景に対して口出ししたのは、黒米だった。

 その彼の声に反応し、女性たちは気まずそうに目をそらした。

 だが、首を向けた青年は、ニヤニヤと、まるでそのハーレムを見せつけ、誇るような笑みを浮かべていた。


「いい加減、茶番は終えたらどうだ?」


「そうすね。まぁ、そうします」

 え、と少女たちから声が漏れる。

 戸惑う彼女たちの前で、曲輪と呼ばれた青年の右の親指と中指が、頭の高さまで持ち上げられ、交叉する。


 ぱちん


 指が鳴る。

 それが合図。


 ぐるん、と娘の目が白く剥く。

 そのまま、身体を支える力を失って、上半身から傾いて、折り重なるように倒れる。

 まるで、人形のように。


 ――いや、人形そのものだな。


 この男、曲輪行人(ゆきひと)の『ベリアル』によって、彼にとって都合の良い記憶をねじ込まれた、傀儡。


「いやぁ。すみませんねぇ。ついハーレムってものを味わってみたくて。でも、思ったよりめんどくさいですねぇ」

 間延びした声で、そう言った。

「……その力でさっさとあの小娘も洗脳できていれば、こちらも面倒はなかったがね」

「まぁまぁ。これぐらい見逃してくださいよォ。オレとダンナの仲じゃないっすか。……そのドス黒い本性とカラクリを知り尽くした、ね」

「貴様!」

 黒米の手に、『バルバトス』の刻印が展開する。

 曲輪はその手から逃れるように、哄笑と共に室内を飛び回る。


「勘違いするなよクソガキ! お前の力なんぞ、その車輪の『刻印』が見えない人間にはなんの意味もない! 『キャラバン』内でしか、その力が活かせないってことを忘れるなよ!」

「ダンナこそ、忘れてないスか? ……ダンナにも、俺の『ベリアル』は通用する。……ほらっ」

 と、曲輪はジャケットのポケットから何か球体を取り出し、黒米へと投げつけた。

「っ!」

 黒米は目を逸らして、それをはたき落とす。


 ぽん、

 ぽん、


 軽快な音を立てて、それは地面を転がる。

 海上、揺れで傾く船内。

 ……はたき落とされたゴムボールは、右往左往する。


「はははははっ! 能力なんてかけてねぇっつーの!」

「ぐっ……!」

 額に青筋を浮かべる、この組織の最高権力者を手で制し、『マルコキアス』はため息を交えて言った。


「とは言え、お前は船内で『アリアンロッド』を操縦することに失敗したようだが」

「だからぁ、それは」

「能力をかけようとしたよな? だが失敗した。そうだろう?」

 青年の顔から線を引くようにして笑みがかき消える。

「色好みのお前が、自他共に認めるあの美少女殿を放っておくはずないものな」


 薄ら笑いを引っ張って強がる『ベリアル』の青年の背後、積み重なった哀れな少女達を睨み、『マルコキアス』は言った。


「仕方ないでしょ? どこかのイナズマ女が変な入れ知恵したせいで、警戒して近づかなかったんだから」

「……はっ。もしもの時は『ベリアル』に彼女を洗脳させようかと思ったが、その様子じゃ無理だな」

「……さぁ? それはどうでしょうねぇ?」

 皮肉をぶつける団長に対して、あくまでこの青年は強気だった。


「記憶や人格ってのはね、言わば積み木と同じなんスよ。記憶を積み上げた上に、今の人格がある。だったらその根底から揺らがせば……人はいともたやすく崩れる。『どこかで接触していないか』『すでに自分は洗脳されているのではないか?』……そういう疑念こそ、俺の思うツボってヤツです。俺ならあの傲岸な女でも、しおらしく褥で股ぐら開かせることだってできる」


「……そうか。じゃあ、次はお前が行ってくれるのか、曲輪」

「……あぁ? お前、何勝手に決めて……っ」

「そうか? 適当な人選だと思うがな。筆島での騒ぎがこれ以上大きくなれば、本土の『親会社』が動き出すぞ? ならば早急に、穏便に、『X』なり、『アリアンロッド』なりをこちらに引きずり込む必要がある。曲輪、お前にしてもその大魚、みすみす逃す手はないだろう?」

 ニンマリと、口の端を大きく拡げ、魔性の刻印を宿した青年は嗤い、壁に手をさまよわせた。

 わざとらしく、やれやれ、と息をつく。

 まるでその余裕こそ自分の秘めたるポテンシャルの表れだと、顕示するように。


「めんどくせぇな……」

「曲輪……っ!」

「でも……あなたが、俺のこと守ってくれるんですよね?」


 細めたその目は蕩かすようで、

 声は蜜のように、ねっとりとしていながら甘美で、

 同じ力を持つそれの心を、侵そうとした。


「あぁ、そうだ。今日掃除当番だったでしょう? そこのゴミ、片付けといてくださいよ」

「あ、あぁ……」

 青年に差し出されたモップ。

 その柄に、何かが描かれていた気もした。車輪のような、燃える刻印。

 だが特に気にかけることもせず、『マルコキアス』は清掃用具を受け取った。


 重いため息をつけながら、二人の背後で、二人の上司は「良かろう」と断を決する。


「それじゃこの一件、今度こそとっとと始末をつけろ。曲輪。……新野(にいの)


 だがその言葉は、もはや新野には聞こえていなかった。

 海は無情に波を立てるだけで、そこに何を感じるか、など『キャラバン』の人間は考えたこともない。

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