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第五波「怪刀乱魔の錯乱剣士」

「……というわけで! 本日はこの『ふぉとぎゃらりー 鉄鍋』にやって参りました!」

「まるで土日の朝番組の前口上ね」


 店の前で切絵が得意げに言うと、まるで慣れたように冷たく天佳が会話のボールを返してくれる。

 古民家が再生されて生まれ変わった家屋の戸に寄った。


「なんだよー。俺がせっかく島津センセに部屋貸してもらえないか、頼むってのに」

「あんな女と一つ屋根の下で暮らせってのも、シャクだけど」

「じゃ、俺のところで暮らすか?」

 チラリ、後ろに続く天佳をそれとなく窺うも、

「それはムリ。部屋狭いし、それに」

 と、厳しい視線にさらされる。ギクリとしつつ、動揺が顔に出るのをぐっとこらえ、切絵はあいまいな笑みを見せた。

「あー、大丈夫だって。襲わねーべ?」

「そんなことは分かりきってる」

 きっぱり、

 腕組みし、脚組しながら軒下に取り付けられたベンチにどっかり座り、少女は言った。


「そこだけは、信頼してるから」

「い、いやぁ……なんか、こそばゆいな……」

「美女の裸体を拝んでなお手を出せない、あんたのヘタレっぷりをねぇ!」

「うわーん! センセー! 天佳が俺をイジめるー!」

「あんたの業界じゃご褒美じゃない」

「俺ドMじゃねーよ!?」


 最高に美しく、最低に意地の悪い笑みを浮かべて、いびってくる天佳に、泣き喚きながら切絵は戸を叩く。

「やかましい!」の一言とともに、

 島津センセイが店から飛び出て、

 切絵の顔面にサンダルを履いた足でキックを叩きつける。


 ……なんてことはなく、

 反応がない。


「あれ?」

 戸を叩くのではなく引いてみると、ガタガタと音が鳴るだけで開く気配がない。

「……鍵かかってんな。留守かな」

「……仕方ないわね」

 天佳はゆっくりと腰を上げる。

「だな。ここは一度引き返して」

「そうじゃない」

 脚は直立、けれど腕は分厚い一枚布に覆われた、山の如き膨らみの下で組んだまま、少女はさも当たり前のように、言った。


「ブチ破る」

「ブチ破る!?」

「あんたが」

「俺が!?」

「頭突きで」

「なんで!?」


 抵抗する間もなく、切絵の後ろ髪は背後に回りこんだ天佳に掴まれた。

「せー」

 気のない顔、気のないかけ声と共に、ガラス戸に顔面が押し当てられる。

「ちょちょちょ、ちょい待ったぁ!」

「……」

「……」

「せー」

「ほんとにちょい待つなや! お前、扉開ける力あるだろ!? 『アリ……『蟻とキリギリス』!」

「『アリアンロッド』ね」

 彼の顔を戸に押しつけたまま、彼女はもう一方の手をガラス戸に当てる。

 すると戸をキャンバスにするように、真円が描かれ、内から鍵が解ける音がして、

「わぶっ!」

 戸は開かれ、それに合わせて解放された切絵は、前のめりに倒れて地面とキスをする。

「最初から使えよ!」

「イヤよ」

「……まさか、何か使用する度に副作用があるのか?」

「いや、使うだけじゃつまらないから」

「お前人生楽しんでるなぁ!?」

「ただでさえハードだもの。ちょっとは遊ばなくちゃね」

「俺で遊ぶな!」


 切絵は起き上がり、内部を見渡す。

 物音一つせず、外の波音がゆるゆると流れ込んでくる。

 くるりと身を翻した天佳が、指を添え戸を引いて、ちゃんと閉める。

 確かに中には誰もいない。

 昼寝している可能性も考えられたが、先日天佳を介抱した際は開けっ放しで寝ていたはずだ。

 欲や執着心とは無縁の、あのどこか虚無的な女カメラマンはサイフや撮影機材どころか自分の下着が盗まれても、眉ひとつ動かさないだろう。

 むしろ今、施錠されていることこそレアな気さえして、切絵は首を傾げた。


 そんな彼の横をすり抜け、天佳は、島津が愛用しているチェアーに無許可に、私物の如く腕組み脚組み、小ぶりな尻をつける。

 手すりにヒジをつけ、頬杖ついて、

「で」

 と、切絵に問いをぶつける。


「肝心のあの女は、ここ私の宿代わりにすること、許可したんでしょうね?」

「いや、してねーべさ。というか、話すらしてない」

「ほんと大丈夫なの? あいつ、かなり変人で、気むずかしそうで、めんどくさそうだけど」

「はは、お前さんには言われたくないと思う」

「……全力で投げた一眼レフにブチ当たって人死ぬ可能性って、どれぐらいかしら?」

「ウソウソ、ウソですっ! まー心配しなさんなって。あの人、見かけより面倒見良いから。俺も昔、死にそうなとこ助けられたし」

「……え?」

「…………気にすんなって! ああ見えて機嫌が悪いってワケじゃ」


 ドガン!


 戸が壊れるほどに乱暴に、しかも足で開かれた。

 その音で振り返って見てみれば、家主、島津が荒れた様子で立っていた。

「……思い切り、不機嫌なようだけど?」

 彼女の迫力に気圧されてさしもの天佳も驚いて席を譲るかと思えば、

 腕組み、

 脚組み、

 微動だにしない。

 そんな唯我独尊の塊のような少女の前に立ち、

「どけよ」

 と島津は言葉ではなく全身にみなぎらせた怒気で脅しつける。

 スジモンもかくやという迫力に、天佳は気圧されることも、揺らぎもせず、黒目がちな瞳で睨み返すだけだった。

 島津の舌打ちが、家の外の、波の引き際に聞こえた。

 それから方向転換、来客用のソファに、身投げのような思い切りの良さで、身体を預けた。ギシリ、と年季の入った骨組みが歪む。

 互いに、無言、平静。だが険悪、だが冷戦。

 オドオドしているのは、間に立たされた切絵だけだ。


「えーと、島津センセ、なんかあった?」

「別に何も、ない」

「また本土の編集者の人にコキ下ろされたとか? それとも、モデルとまたケンカしたとか?」

 見当外れ。

 そむけた横顔が、切絵に対する返答を簡潔に教えてくれる。

 重く、長く続くため息。

 その後で、


「……ラーメンがまずかった」


 意外な理由が、返ってくる。

「……は?」

 聞き返したのは、天佳だった。


「だから、ラーメンがまずかった。好きなチェーン店だったんだがな。やはりフランチャイズ展開も考え物だな。本店は『こってり』『あっさり』なのに、なんだ? 『ハリキリ』と『スタミナ』って? まったく違いがわからん。しかも無料トッピングもなしときた。加えて勝手にアレンジ。何故チャーハンにグリーンピースを入れる? どうしてスープの中にワカメとコーンが入ってる? そういう中途半端な工夫と中途半端なプライドが、大手のブランドと味に頼らざるを得ないほどに凋落させたんだろうに」


「さいですかー……」

 ――意外に簡単な理由だったことに、切絵は安堵し、間延びした相槌を打つ。


「しょーもない理由だったわね」


 ――せっかく回復しかけた場の空気も、どこへやら。

 天佳の情け容赦ない一言が、淡々と響いた。

 ギクリとして島津の顔色を窺う切絵だったが、特別怒った様子もない。

「ほう?」

 と、その表情はどこか挑発的でさえある。

「ならばお前は、そういう場合どう対処する?」

「そーね。まぁ考えられる限りでは……切絵、実践するからちょっと来て」

「やだよ!」

 手招きする天佳を、切絵は己が身に降りかかる災難を予期して拒む。


~~~


 会話する少年たちを民家の屋根から窺う影がある。

 三つあった影のうち、もっとも小さな一つが消えて、後に残ったのは二つ。

「どうだ? 『アリアンロッド』はやれそうか? ……『バール』」

 ノッポな方……『マルコキアス』が平坦な声で問うと、「問題ない」ともう一方、『バール』が答えた。


「おれは仕事をこなすだけだ。敵の魂の置き場がどこにあれ、手は抜かない」


 それもまた、少年だった。

 短い黒髪に、小柄な背。黒いロングコートを身に纏い、蝋塗りの黒鞘に、反りの浅い長刀が収まっていて、ベルトに突っ込まれている。

 指ぬきタイプの黒い革グローブをはめた手をポケットに突っ込むと、一枚の写真を取り出した。


「……病気の妹のためにもな」


 その独り言にしてはやたら大きいその言葉に、『マルコキアス』は特別思うこともなく、またそんな自分をどこか病んでいると感じつつも、無視して身を翻す。


「副団長、あんたは、参加しないのか?」


 背にぶつけるように向けられた問いに、振り返り、肩をすくめる。


「未熟な少女の輪姦なんて、お前らで勝手にやっていろ。我が目標はただ一つ、最高の状態の『X』のみ」

「……スタンドプレイの戦闘狂め」

 舌打ち混じりにそう言われるが、もう『マルコキアス』の耳には入らなかった。


 自らの足で帰路につきながら、誰にともなく語る。


「……そう。まだあれは、最高の状態ではない。もっと供物を飲み喰らえ、『X』。そちらの始まりはそこにしかなく、こちらの終わりもまた、そこにしかないのだ」


~~~


 互いが互いを連れ歩くような、そんな距離と、歩幅だった。


「あー……結局、お前さんの件、切り出せなかったべさー」

「あの機嫌で『文無しに家貸してくれ』なんて、頼めるわけがないでしょ」

「しゃーない。また機嫌が良いときに頼むか」

「良いときって、いつ?」

「……お前さんがいない時」

「人間って、どの程度で殴れば頭蓋が陥没するのかしら」

「ジョークだよ! さらっと恐ろしいこと言うなっ!」


 とても会って数日とは思えない、慣れた調子のやりとりをしながら、露天と店舗が交互に並ぶ感じの海沿いの通りを歩く。

「ねぇ」

「んー」

 冬の磯風に横から顔を張られるようだった。

 厳しい強風の中、立ち止まった天佳はあえて問う。


「……あんた、死にかけたことあるの?」


 切絵は、足を止めた。

 彼はちらりと遠くのビルの方を見る。

「どうすればそこまで最短ルートで行けるのか」

 なんてことを、空想でもするように。


 それから真っ直ぐ直り、また数歩、歩き始める。

 気に障っただろうか、踏み込み過ぎたか。

 柄にもなくそんな不安を覚えた天佳だったが、向いた横顔は海のように穏やかで、それが杞憂に過ぎないことを教えてくれる。

 ひょいと軽々、堤防に飛び乗ると、ポンポンと隣を叩く。

 仕方ないとため息混じりに、天佳もまた、示された場所に腰を落とし、ヒザを抱える。


「……俺がこの島にやって来たのはちょうど一年前のクリスマス、飛行機事故がきっかけだった」

「事故?」

「あぁ。高度一○○○メートル以上。そこで機体が突然コントロールを失ってな。海面に向かって真っ逆さま。運良く俺は助かったけど、母ちゃん始め、乗客・パイロットは全員即死ときてな。……かく言う俺も、実際死にかけた。落下は助かっても、海に揉まれて、助かりたくて必死にあがいて、もがいて、苦しんで」

 それでも振りかざすその手は空を切り、水を切る。

 暗い海の中で、光を求めてさまよう切絵の姿が、目を閉じれば不思議と浮かぶ。


「もうダメだーって時に、島津センセが乗った釣り船が、ちょうどその海域に来たんだ。……伸ばされた手の暖かみも、頼もしさも、今でも覚えてる。あの時あの人が必死に呼びかけてくれたから、俺は命をつなぎ止めることができた」

 しみじみと、まるで島津にではなく、天に感謝するかのような感慨深さで、切絵は目を細めて語る。

 天佳はヒザに顔を埋めながら、

「空から、海へ。……つくづく、妙な縁があるのね私たち。だから、助けてくれたの?」

 と、真っ直ぐ問う。切絵ははにかむように白い歯を見せ、髪を潮風にさらした。

「あぁ見えて、お前が落ちてきた時結構必死だったんだぜ?」

「……ほんとにそうは見えなかったけど」

「そーゆー苦労を見せないとこが、俺の良いところだよなぁー」

 あっけらかんとした笑い声だった。

 今までの重さと湿り気を、払拭するような、

 語っていた過去が、まるでウソか幻であったかのような、


「……『トライバル保管者』が覚醒した大部分の共通条件、言ってなかったわね」

「なんだ?」

「傷よ。それも、命に関わるような重傷」

「傷……」

「その傷口が『トライバル』の入り口、刻印となり、まるでクッキーの型抜きのように、個々の特質を形成する。その反応を感知した表向きは貿易会社である『キャラバン』が、保護の名目で保管者を確保する」

 説明しているうちに、自然、笑みがこぼれる。

 例えジョークであっても決して口にしないような、このあまりにも荒唐無稽な事実が、自分にとっての現実なのだと、再認識できたから。


「私の場合は、火事だったけど。……ひょっとしたらあんたに『トライバル』が見えるのも、いずれ覚醒する素質があるからなのかも。……いえ、ひょっとしたら、もう目覚めてる?」

 冗談めかしく天佳は言ったが……切絵の目の、刺すような鋭さに思わず息を呑む。


「…………気づいていたのか」


 この数日間、今に至るまで聞いたこともなかった低い声。

「…………まさか」

 震える声でかろうじて、天佳はそれだけ呟いた。

 海からの波濤が地を打つ音が、聞こえてくる中、切絵は真剣な表情で、重々しく頷いた。


「……この力が『トライバル』なのかは知らない。けど、気がついた時にはできるようになってた。この力に、目覚めていたんだ」

「……力」

「そう。俺のこの手は……俺の手は……」


 潮が、強い勢いを伴って引いていく。

 その静けさは、一番強い流れが打ち付ける前兆か。

 一度開いた拳を再び握り固め、天佳を見つめ、切絵は、身を乗り出して、高らかに宣言した。




「……相手に気づかれずにブラのホックを外せるんだッ!」




 ザッパーン……

 と、

 間の抜けた大波が落ちて、霧のようなしぶきが、二人の顔に少しだけ届いた。


「ヒキが長すぎ。三点」

「驚かれないうえにダメ出しされた!?」


 もちろん天佳は、この少年の、いわゆる「ギャグ言いそうな兆候」というものを、その微細な雰囲気の違いを、繊細に、かつ的確に感じ取っていた。

 そんなわけで、もうこの時点で既に、マトモな返答が返ってくるとも、九割方信じていなかった。


「切絵……そういうのをね、屠龍の技っつーのよ。ただでさえ普通に脱がす機会は一生ないってのに」

「ヒドイッ! つ、使う時はあるんだ! そう信じてる!」

「じゃあそのままいつ来るかも分からない明日を待ってなさいな……ッ!?」

 天佳はそう言って、ヒザを立てて立ち上がって、


 ブルン


 という、上半身の違和感に気がつく。

 今まで圧迫していた感触が弾ける泡のように消えて、ある種爽快な開放感が、身体を、というか胸を満たす。


「……」

 わずかな無言の思考の後、天佳は迷わず、十中八九犯人であろうそいつを、睨み据えた。

 彼は誇らしげに己の顔に向けて親指を立てて、


「いつ来るかも分からない明日? ……今でしょ!」


 ……天佳は己の服に手を突っ込むと、留め金を外されたブラジャーを、迷いなく引っこ抜いた。

 鞭のようにしならせ、切絵の顔面に叩きつけると、逃げだそうと立ち上がった切絵の臀部に、連蹴りを放つ。

「ちょ、ヒザ入ってる! 尻はやめて! 尻はカンベンッ!」

 切絵の悲鳴は、十数回繰り返された後に、ようやく止んだ。


~~~


 『バール』の見下ろす二百メートル先では、一組の少年少女がじゃれ合っている。

 観光案内所があるビルの屋上。そこで、彼は『狙撃』を行おうとしている。

 と言っても、彼は銃器を携行しているわけではなかった。

 腰に差したただ一口。それのみ。特殊なコーティングや術式が施されているわけではない、この黒鉄が、彼にとっては万能の利器だった。


 『トライバル』『バール』


 その手に宿る蜘蛛。

 揺らぐ焔のような、輪郭のあいまいなタッチの刻印こそが、遠近自在の攻撃を可能にさせる。

 鯉口を、切る。

 手に宿る蜘蛛がその口から糸を吐くように、無数の赤線を延ばして散らし、刀に絡む。


 それが絡む刃を振りかざせば、不可視の刃が百里の道まで届く。

 ただの一振りで、発せられる八筋の刃が、岩だろうと、鋼鉄だろうと……


 そして今、彼の視線の先には、少年に逃げられ息を整えている、見慣れた少女がいる。

 私情に奔った裏切りの女。

 生死は問われてはいないが、生け捕りにした方がスマートだろう。

 『バール』の奇襲で腕の一本でも切り落とし、『セエレ』の力で船へと運ぶ。

 たった二ステップで、この演目は終了だ。

 かつての同胞に手をかけることには抵抗があるが、それでも仕事だ。

 世界を平和に導くための戦い。


 ――だがそんなお題目はおれは信じちゃいない。


 彼は懐にある写真を思い浮かべる。

 彼の目には、妹が写っている。

 原因不明の病で都内の大学病院に入院させられている少女。

 彼はそこに、足繁く通っていた。

 医者の話では、もう永くはないのだと、知らされた。

 インフォームドコンセント。

 だが彼は絶望していない。


 ――あの『バルバトス』……黒米団長の力協力が……いやおれの『力』があれば……救えるんだ


 ――革手袋が、ギチリ、と鳴る。


 だが彼は、気づかない。


 ――低く腰を沈める。


 いつの間にか視界から消えている少年の存在にも、その正体にも、


 ――かつて実家に伝わる古武術で教わった、居合の構え。


 背後から歩み寄る赤銅の魔人にも、忍ばせる足音にも。


 ――手に抱くは鋼、手に宿すは選定されし力の刻印


 歩みを止めないその異形が両手に構えた無骨な輝きにも。


 ――斬


 その鉄槌が、風を巻き打つ寸前まで、


「ぐッ!?」

 直感が働く。彼は完全に振り向くことなく鞘でそれを打ち返し、飛び、下がる。

 奇襲がかわされたその『トライバル』の化身……『X』は、緩慢な動きで己の武器を引き戻す。


「次はこいつでその頭をえぐる」

「『X』か!? ……いや、待っていた、というべきか。お前を討てば、何の懸念もなく『アリアンロッド』を奪還できる!」

「奪還? 拉致だろう」

「何とでも言え。おれは『フルフル』……いや小山田のように正義なんて言葉に陶酔しない。すべては……妹のためだ」

 少年は腰のものに手をかける。

 怪物は片腕で担ぐように、槌を肩に置く。


 距離は至近。

 リーチの長さはさして問題ではない。

 ――何より、手数は、『バール』の方が勝るはずだ。

 ましてあの槌、振りかざされた瞬間感じた風の強さから、生なかの質量ではないことに気づいた。おそらく、重量の方も相当なものだろう。現にヤツは肩に担いだり、両手で掴んだりしている。

 小回りの利いた動きなど、できるはずがない。接近する速度しようにも、枷となって全速は出せまい。

 その一撃を振り抜く前に、居合の一刀八閃は、『X』の四肢を断つだろう。


 ニヤリと笑い、腰を再度低く落として、鍔を鳴らす。

 ――そして、鞘に蜘蛛の糸が絡み始め、


 だがその前に、

 『X』は、

 ためらいもなく槌を地に捨てた。

 地を踏む。

 徒手で駆け出した。


 虚を突かれ、また目測していたスピードを遙かに上回る動きに、接近を許す。

 握り固められた右拳が、『バール』の少年の側頭部を殴りつけた。

 また左の手が、刀が鞘走る前に、怪力によって上から押さえつけて抜刀を妨げる。


「居合いの使い手に、大人しく抜かせるはずないだろ」


 低く澄んだその声に、嘲りも憐れみもない。

 ただ当たり前の言葉を淡々と突きつけ、一方の手で反撃を封じつつ、もう一方で無情に頭部に攻撃を続ける。

 ジタバタと足を蹴ったりしても、どちらの手も緩まることがない。


 一発、

 二発、三発四発五発六発七発八発九発十発


 敵を討つ意思のみが込められた拳に、情けも容赦もない。

 攻めの手が募るほどに、『バール』の意識は激痛とともに薄れてゆく。

 そして、その意識を手放した瞬間、自らの『力』までもが、戦意と共に奪われることを、少年は本能的に悟っていた。


「う、うわぁぁぁ!」


 左袖の下に隠した細工から、隠しナイフが弾き出る。

 その三十センチにも満たない短い刃に『トライバル』が絡み、発生した八本の無色の刃が、手すりを裁断する。


 そこから飛び降り、地面に向かって降り立とうとする。

 だが異形は追ってこない。手すりに手を置くと、チョコレートのようにそれをねじ切り、引きちぎる。その破片を赤銅の手の中に収めると、クシャクシャと丸め始める。


 ――さながらそれは、残飯を咀嚼するように。


「Mixing……No.2『カイム』×No.X『バール』……」


 丸めた鉄塊を手放すと、Xの刻印があふれ出て、クジャクの羽根をあしらった、両刃の曲刀を右手に形成する。


 跳んだ。


 『バール』が降り立った場所は、逃げ場のない路地裏だった。

 『X』は頭を逆さにし飛び込んで、剣を閃かせた。

 空間をわずかに揺らがせながら、八つの刃が踊って切り込む。


 槌で打つのではなかったか?

 頭に浮いて出た疑問に答えるように、それは、感動も、皮肉もなく、機械的に問い返した。

「わざわざストレートで投げることを宣言する投手が、いると思うか?」


 最期の時は、近い。

 少年が無心で手にしてすがったものは、刀でなく、懐の一枚だった。


~~~


「っ!?」

 姿をくらました切絵を追っている天佳は、何か、重い俵のようなものが落ちる音を聞いた。

 敵襲かと身構える。が、しかし、その音がした後はシンと静まりかえって、動きを見せない。

 壁に背を沿わせながら、顔だけ路地の裏に突っ込ませて様子をうかがう。

 ――確かにそこにいたのは、敵であり、かつての同僚だった。


「伯耆……」


 伯耆(ほうき)輝彦(てるひこ)

 『バール』という、刀の一振りで透明の刃を複数同時に繰り出す『トライバル』の持ち主。

 だがその手の甲に浮かぶ蜘蛛は、×を刻まれて、色が抜け、輪郭が溶けてなくなる。

 トレードマークの黒いファッションをチリで白く汚しながら、地面に突っ伏している。


 小走りで寄り、脈をとる。

 乱れているが、止まってはいない。朦朧とした表情、半開きの唇からはうめき声が間断をつけて漏れ聞こえ、半開きの目尻から涙の跡が、線を引いて残っている。

 ――また、『X』……?

 多少の同情を込めて、見下ろしていると、


「……なんだ今の音!?」


 切絵が、現れた。

 ……左手にあるライブハウス側の、スチール製のゴミ箱の中から。

 ガコン、とフタを持ち上げて、


 天佳と目が合うと、

「あちゃ」

 と声を漏らすなり、何事もなかったかのように再びフタを閉じようとする。天佳はその容れ物を蹴っ飛ばし、切絵を中から追い出した。

「ぐえっ……って、なんだこの人?」

「『キャラバン』の一人よ。……あんた、何も見てないの?」

「ゴミ箱にのぞき穴は開いてないからなぁ」

 見当外れなことを言う切絵に返すものは、ため息ひとつ。


「でも、なんか妹がどーとかは言ってたのは聞こえたな」

「あぁ……それは」


 天佳は倒れる少年の横にヒザを置き、彼が強く握りしめる写真を剥ぎ取った。

「おい、大事な写真かもしれないのに」


 ――何が、大事なものか。


 舌打ち混じりに、彼女は切絵にその『写真』を投げつけた。

 切絵の息を呑む音が、はっきりと聞こえる。

 白い無地に車輪の刻印、


 ――何が、大事なもんか……っ


 その呪符に植え付けられた偽の記憶だけが、この哀れな少年の全てなのだから。

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