後日談「初夏五月の或日(後編)」
この話はひたすら下品です。
青少年の成長にあまりよろしくない単語が連発され、登場人物のことごとくがあまり青少年の成長にあまりよろしくないキャラをしています。
以上。
「ではどうぞ、校内に突入してください」
「できるかぁっ!」
無表情に言い渡す女に、少年は激怒する。
「なんなん!? 俺がそんな好き好んで自分がサクランボーイだって公言して練り歩くようなマネする変態だと思ったの!?」
「まぁ天下往来でそんなこと叫んでる時点で、とんだ錯乱ボーイだけどね」
「良いではありませんか。『トライバル』が視認できるのはごく限られた人間ですし」
「人間だけじゃなくて犬もいるし、切絵もいるけどね」
「なんで俺、ナチュラルに人間からカテゴリ外されてんの?」
「だって切絵は切絵だから」
「場面が場面だったら名言っぽいけどな! っつか、それでもやっぱり恥ずかしいって!」
なおも食い下がる切絵に、天佳は露骨に顔をしかめて舌打ちした。
「ったくいちいちうるさいわね。大体、携帯の『し』の予測変換で真っ先に『授乳手○キ』が出てくる男が、一体何を恥じらうってのよ」
「うおおおおおおおッッ!?」
切絵は叫んだ。叫ばなければ、己の精神の均衡を保つことはできなかった。
「何言ってんの!? ホント、何言ってんの!?」
「事実でしょ」
「…………なんで知ってんの!? 見たの!?」
「ダーリンが浮気してないか気になって覗いちゃったっちゃ☆」
「真顔で言うなよ怖いよ! つかキャラのチョイスがお父さん世代なんですけど!? つか平野さんの声マネ上手いな! 無表情だけど!」
深々と呼吸する切絵の表情は、まるで数年来の修行を経たような疲労の蓄積が、露骨に見られていた。
「……本来、俺がボケなんだけどなぁ……」
「そこですか」
XXX
ほんなこんなで、
玄関口から校舎内に入り込む天佳と切絵は、奇異の視線に晒されていた。
何しろ一方は私服だし、一方は挙動不審だ。
「……だから見られてるわけじゃないんだから、しゃんとしなさいよ」
「いやでもコレ……ノーパンでズボンだけ履いてる気分だべさ」
「女子相手にありえないほどのゲスな比喩ね」
と、桜色に輝く刻印の上に立つ少女は、相変わらず堂々たる態度だった。
「……大体、お前だって恥ずかしくないのか」
「別に。そのテの経験うんぬんなんて、人それぞれでしょ。やーい童貞」
「正論吐いた後にそれを全否定するヤジ飛ばすのやめてくれませんかね!? このしょ……生娘ッ!」
それに、と二年生のゲタ箱を開けながら天佳は言った。
「相手がいないのと作れないことは」
ボタボタボタと
こぼれ落ちて足下に降り積もる封筒の山を、見下ろしながら
「一緒じゃないのよ」
「クッソ、クッソォ! 分かりやすいステータス見せびらかしやがってぇ!」
転入してわずか数ヶ月で目に見えた実績を築き上げる天佳に、切絵は臍を噛む。
「……別に全部が全部ラブレターってわけじゃないわよ。例えばこれ」
と、すのこの上から彼女が一番上にあった封筒を拾い上げる。キャラクターもののシールで封をされているそれを、ハイと切絵の掌の上に落とす。
「どれどれ……」
「うかつに開けない方が良いわよ」
「へ?」
何気なく手で封を切った瞬間、バタフライナイフが弾かれるように飛び出てきた。
「うほぉぁ!?」
反射的に手放したせいで、その刃は肌身に届く前に地面に落ちた。鉄の音を響かせるその凶器を、切絵は無言で見下ろしていた。
「気取るにしても、男がこんなシール使うわけないでしょ。これはまだ分かりやすい方だけど、まぁこのうち三枚に一枚はこのテのもんじゃないの? ったく、めんどくさいったらありゃしない……」
と言いつつ律儀にかき集めてゲタ箱に押し戻し、彼女自身はスタスタと先へと進んでいく。おそらく明確なアテなどないのだろうが、それでも堂々とした歩きっぷりだった。
小柄な少女の背を目で追いながら、切絵は
「あいつ強ぇー……ってか、女怖ぇー……」
と呟いた。
XXX
どんなこんなで、
他人の見る目も憚らず、胸の下で腕組みしながら少女を進む。
一階を、それから階段をのぼって二階の廊下へ。
おっかなびっくり、オドオドしながらそれを追う少年は、「なぁ」と彼女に声をかけた。
「さっきからなんか迷わずに進んでっけど、心当たりあるのか?」
「あるわきゃないでしょ」
と、振り向きもせず、さながら大国の政を取り仕切る女王の如き堂々たる歩きっぷりで天佳は答えた。
ただし、切絵の予測とは異なり「でも」と付け加えて。
「『保管者』の見分けならつくわよ」
「なんで?」
「一人だけ刻印がついてないのが『保管者』。自分でそんなマーカー好んでつけてたらとんだドMよ」
「あぁ……って、だったら校外からのぞき見してるって可能性は?」
「……双眼鏡か望遠鏡が必要ね。だとしたら、そりゃ警察の領分だわ」
「……つまり、そんなことしてたらのぞき魔としてフツーに捕まってるってわけか。と言うことは、お前の言うとおり、『トライバル』を見ながら探した方が良いよな」
「そゆこと」
天佳の助言に従い、切絵は生徒、教師、用務員、ことごとくその足下を見た。
その度に切絵はモジモジし、あるいは落胆し、あるいはショックを受けてその場に座り込む。
「…………いい加減蹴っ飛ばすわよ」
「……そのセリフさ、俺の背中に足つけて言うことじゃねーべさ」
背後に回り込んだ天佳の一撃に、かろうじて立って耐え抜いて、切絵はいろんな意味で泣きたくなるのをぐっとこらえていた。
「大体、凡人には見えないつってんでしょ」
「いや、見えない方じゃなくて、見える方が問題でなー……」
「は?」
切絵はそのままズルズルと、膝を抱えるようにして体操座りを始める。行き交う生徒を男女分け隔てなく遠い目で見つめながら、
「ウチの生徒って、結構経験者多いんだなぁーって」
切絵の視界の中にいる生徒だけでも、七割近くは青の刻印が足下に光っている。
「まぁ、そりゃド田舎だし」
「ド田舎が性にオープンみたいな言い方やめろ」
はぁぁぁぁぁ~、と。
ため息をつきながらズリズリと、
身体を無理矢理に動かして、窓からグラウンドを見る。
「……あぁB組の前島さん……そっか、清純派なのにそうなんだ。同じクラスの重野……お前、卒業まで純潔は守るつってたのに、裏切ったんすか……」
「いちいち女々しいわね」
そんなことは天佳に指摘されるまでもなかったが、それでも信じたくない事実を突きつけられ、非情な現実がいやでも目に入ってくる。
――おのれ『保管者』、おのれ『ユニコーン』。
この悪辣な『トライバル』は、何がなんでも葬らなければならない。
……己の誇りと、純潔にかけて。
そう、切絵が決意を新たにしたときだった。
「おっす!」
「どわっ!?」
遠慮なく背中を平手で叩かれて、切絵は前のめりになった。
「部活サボって何してんのかねっ? 切絵ボーイッ」
振り返れば、おさまりの悪い髪を束ねたジャージ姿の女子生徒が、屈託ない笑顔で立っている。
「あれ、藤代じゃない」
と、天佳が腕は解かないままに意外そうに目を丸くする。
この藤代という生徒は、切絵と同じ美術部の先輩であり、鈴目天佳の同級生でもある。スカートの下にジャージのズボンを履いたりと、色々身だしなみに気をかけない点は多々あるものの、その姉御肌で豪快な振る舞いは、切絵や天佳を始め、多くの人間の好むところではある。
「って、天佳、どうしたのその格好?」
「文句あんの? 私がどんな服着ても、この美しさは変わらないでしょ」
「……ぷっ、あっはっはっは! 天佳は相変わらず面白いなぁ!」
無遠慮に肩を叩かれて、天佳本人は面白くなさそうだが、島津を相手にしたときのような露骨な嫌悪感はない。
――日本、いやひょっとすると宇宙で唯一天佳を笑ってあしらえる人間なんじゃなかろうか、この人。
切絵は苦笑しながら、彼女を見つめていた。
何より魅力的なのは、そのペンキまみれのジャージの中に隠された、美しい肢体。
もっと言えば上半身のライン、
さらにクローズアップすれば、バスト90以上と目算できる、胸。
文化部とはいえ、肉体を使う時が多く、その度にこの凶器とも言える膨らみが揺れたり、わずかに触れたりして、それが切絵の学校生活を送る活力を担っている。
――良いよね……性に無関心だけど破壊的なボディラインって。
ん、と。
ふとその彼女の足下に目を落とす。
……その足下は、青かった……
「…………んんんー! んんんんんんんんんんーッ!」
切絵は声にならない断末魔をあげながら、地面をのたうち回った。
「ど、どうしたー、だいじょぶ切絵?」
「ほっときなさいよ。めんどくさい」
「望みが、望みが絶たれた……世をはかなんで出家するほか道はねぇ……」
「こ、こんなこと言ってるんだけど!?」
「ただのこじらせた末の発作だから。最低一日は続くでしょうよ」
天佳は腰に手を当て、深々と苦労を忍ばせる吐息をこぼした。
それからおもむろに、むんずと切絵のつむじを掴むと、ズルズルと引きずり出す。
「はいはい、それじゃーね」
もう片方の手をふりふり、天佳はそのまま切絵の身体を引っ張っていく。
「ちょつ、ハゲる! ハゲるって」
「良いじゃない。どうせ出家するんでしょ」
「こんな苦痛を伴う剃髪はいやだーッ!」
瞬時に持ち直した切絵と、それを意にも介さず、そのまま身体を持って行く天佳。
この奇妙なバディの後ろ姿を、「いってらっしゃーい」と見送った。
XXX
「……いろんな意味でひどい目にあった」
「あ、二十本ぐらい抜けてる」
「要らん説明はせんでよろしいッ!」
切絵は生まれたての子鹿のごとく、覚束ない足取りで立ち上がった。
「おーい、鈴目!」
第二の来訪者がやってきたのは、その時だった。
「……私服で登校してくるなって。先生だったから良いものを、他の先生方に見つかったらなぁ……」
そう注意してくるのは、天佳が属する三年A組の担任、大月だった。
誰に対しても自然体で接してくれる、校内でもそこそこ人望のある教師だ。
二十代後半ということだが、頭の二割程度を占める若白髪が、教師生活の厳しさと苦労を教えてくれる。
「私にセーラー服を強制するなんて、とんだ変態どもね」
「イメクラみたいに言うな、お前現役だろっ!? お前、今までそんな性格でよく生きてこられたな」
不謹慎だと思うものの、大月のツッコミに、切絵は心の中で何十回と頷いた。
「私もそう思う」
……そしてそれは、本人も認めるところなのだろう。
「それよりも切絵」
「んー?」
天佳が先生から少し距離をとった所で手招きしている。
近寄った切絵に、
「アレ、どう思う?」
とおもむろに尋ねた。
彼女が指で示す『アレ』が何を指しているのか、切絵にもすぐに分かった。
何しろ大月教師の足下には、既存の二色どちらにもよらない薄紫の角が輝いていたのだから。
「桃、いや青か?」
「そのどっちかが光の加減で見えるだけじゃないの?」
「いやーでも明らかにどっちでもないんだよなぁ」
「判断しづらい、もしくはその両方とか」
「つまり経験だけど、経験扱いされない……と、……ん? あっ」
切絵は察した。
途端、彼の心に正解と共に菩薩の寛容さも降りてきた。
今日一日受け続けた理不尽な仕打ち、全て洗い流せる気がした。
優しい笑顔で切絵は大月に近寄った。ポンと肩を叩いて、うんうんと頷く。
「大丈夫っすよ先生。先生の魅力わかってくれるカタギの女もいますって。大丈夫、言わなきゃわかんないっす。だから希望を捨てず頑張ってください!」
はっはっは、と。
ややぎこちなく笑い飛ばした大月は
「何言ってんのか全然わかんないんだが、先生お前をぶっ飛ばしたくなってきたぞ」
と言った。
XXX
なんとか物理的制裁だけはまぬがれた切絵は、
「よし、じゃあ次に面白いのいないかな」
「……お前、本来の目的忘れてるべさ……」
なんとか天佳を操縦しつつ、『保管者』捜索を続行していた。
「……ん? あいつは……」
行く先に、切絵は見覚えのある、懐かしい背を見た。
それはしばらく日本を留守にしていた生瀬だった。
何か言いたげな天佳にポンと頭を置いて宥めつつ、
「いよっ!」
と、肩に手を置くと、
「ひぃっ!?」
ややオーバーリアクション気味に、驚かれて、逆に切絵がショックを受ける番だった。
「な、なんだよー? んなにビビんなくても良いべさ」
「あ、あぁ……来栖か」
振り向いた彼の精悍な顔立ちからは、まだ動揺が滲んでいる。
その様子に訝しみつつ、切絵は笑みで疑惑を覆い隠す。
「どした優等生? 交換留学中だっただろ? さてはお前、ホームシックにかかっちゃったか?」
「まままま、まぁ、そんな、ところだ……」
と、なおさら挙動不審な動きになっていく。
――ん?
彼は、何気なく落とした視線の先、中村の足下にある刻印の特異性に気がついた。
その角の円の半分が、前方と後方できっかり二色に分けられている。
前方は桜色だが、後方は青色で……
「あっ」
切絵は察した。
察してしまった。
彼の海外留学先で、一体何があったのか。
ナニをされた、のかを。
「も、もう良いか? 色々書類出さなきゃいけないんだ……」
「あ、あぁ……その、がんばれよ……」
そう言って別れることしか、切絵にはできなかった。
――俺は、無力だ。
「……あいつ、なんか怪しいわね。態度も刻印の色も」
おそらく真相を知る由もない天佳がぬっと前に出てくる。
切絵は反射的に、その細い二の腕を掴んでいた。
「やめたげよう」
今までにないぐらい真摯な切絵の目に、天佳はわずかながらに戸惑いを浮かべた。
「なによ。根掘り葉掘り聞き出せば何かわかるかもしれないでしょ」
「……これ以上、掘ってやるな……」
「?」
切絵はゆったりと身体を動かし、窓に向けた。
一角馬の刻印の下、昼の太陽は、どことなく色あせて見えた。
その光を一身に受けながら、
「……生瀬くん……っ!」
尊厳を散らされた友人のことを想う切絵の頬には、一筋の涙が伝っていた。
XXX
「『ユニコーン』を……倒す!」
決意を新たに握り拳を作る切絵を、天佳はうさんくさげに見つめていた。
「なに急にマジメぶってんのよ」
「これ以上あいつの好きにさせちゃいけないっ! 他人の裂傷を暴いて嗤う権利なんてこの世の誰にもありはしないんだっ!」
「暴いてんのはもっぱら私たちだと思うけどね」
当たり前のような天佳の指摘の後、彼女はこう付け加えた。
「それに未だ『保管者』の居所もわかんないのに」
「そう、それなんだよな」
天佳の言うとおり、そこが切絵も弱っている点だ。
既に探索フロアは三階に移っている。
この上は屋上となっているが、そこは立ち入り禁止だ。そんな所にいれば、下手に校外にいるより目立つだろう。
「よほど巧妙な隠れ方をしてるんだろうな、一通り見たら職員室とか捜して、どーした天佳」
明後日の方角を向き、眉間を険しくさせる美少女は、
「なにか、聞こえる」
とおもむろに言った。
彼女の視線が向かう先は、音楽室だった。
「聞こえるって、演奏がか?」
どうやら切絵の一言は、少女のカンに障ったようで、
「説明するのもわずらわしいから、自分で確かめなさいよ」
不機嫌に言われる。
少女の手には、円形の刻印『アリアンロッド』。いかなる扉の開閉を可能にする『トライバル』が、音楽室の戸に当てられる。
音もなく開いたその扉から、切絵はそっと中を窺った。
「くく、ぷくくくく……うわー、あいつ桜だ。……あっちのも……うわぁ、青いカップル死ねばいいのに……」
まるで顔を手で撫でられるような、生理的嫌悪感を感じさせる声が、ボソボソと中から聞こえてくる。
その声の先には、窓から外を覗き込む小柄の少年の背があった。この校内では本来避けることのできない、一角獣の刻印がない。
「…………」
「……巧妙な隠れ方?」
自分の推測が外れたという恥も手伝って、
「天佳、入り口閉めといてくれ。それと、下のかすみさんに連絡を」
と頼む声は、自然低くなっていった。
「Mixing No.1×No.9……」
『保管者』に気取られないよう、口の中でそう唱えると、刻印が交錯しながら切絵の長身を包み、赤銅の衣となって彼を保護する。
手には鉄色の鎚が握られて、必殺の構えで、忍び足で距離を詰めた。
「はっ!」
「おらぁっ!」
偶然か、振り向いた『保管者』は、本来必殺であるはずの一撃を、すんでのところで回避した。
「えええ、『X』ゥ!?」
「人の純潔をもてあそんだバツを受けてもらうぞ、『ユニコーン』」
鉄槌の先を突きつけて迫る『トライバル・X』に対し、『ユニコーン』は仲間の報復をしようとしていない。
「くそっ!」
踵を返した少年は、出入り口にではなく、窓へと走る。
そのまま勢いを止めず窓ガラスを突き破り、三階から落ちていった。
小さな悲鳴が階下で起こった。
だがかつて、クリスマスの時に降り立った天佳がそうであったように、『トライバル』の恩恵にあずかる彼の肉体は、窓ガラスが突き刺さることもなく、また落下のダメージも受けていない。
「逃がすかッ」
切絵もまた、砕けたガラス片を掴んで手の中で砕き、飛び降りた。
敵の『トライバル』の影響を受けているそれは切絵によって咀嚼され、影響は彼自身の能力として再生され、取り込まれていく。
――距離にして数百メートルといったところか。
駐車場のロータリーに飛び降りた『X』は、超人的な逃げ足で駆け去っていく。切絵もまた、それに比肩する速さで追慕していった。
「お、おいなんだありゃ!?」
当然その競争劇は、今なお校舎に残る人々の目に留まることとなる。
いかに高速で動いているとは言え、赤銅の異邦人の姿を完全に隠すことはできない。
「あれは……まさか」
「去年から島でウワサになってる……」
「あぁ、見たら死ぬっていう……」
やはり狭い島内、情報統制は難しいらしい。
人々の言の葉に乗せて、肥大化し、あるいはねじ曲げられた形で、『トライバル・X』の像は一人歩きしていく。
「あれは……恐怖のサンゴ男よッ!」
――ただもうちょっとマシなネーミングはなかったんかっ!
『ユニコーン』と『X』は、既に校舎から遠く離れ、グラウンドにまで達していた。
――このまま追いかけっこに終始していても、埒があかない。
切絵は手にした鎚がなんとか届かないものか、それを模索する。
……だが、
疾走し続ける二人の前に、学校を仕切るフェンスを突き破り、バイクが飛び出してきたのは、そんな時だった。
真紅の、スリムなボディを持つ二輪車。またがる乗り手もまた、それに見合った美しい肢体の持ち主だった。
フルフェイスのヘルメットに隠されているものの、たなびくライダージャケットから見てもそれが後方から挟み撃ちにするはずだった小山田かすみであることは明らかだった。
それが前方を横切り遮ったものだから、『ユニコーン』の足が止まったことは、言うまでもなかった。
そしてこの勝機を見逃すほどに、切絵も鈍重ではなかった。
「Mixing No.9×No.X『ユニコーン』ッ!」
獣の一角の如く、鋭く繰り出された刻印槌が歩みを止めた『保管者』の背を打つ。
「うぎゃああああっ!?」
甲高い断末魔と共に、小柄な少年は空中を二十メートル、地上を三十メートルほど吹っ飛ばされて、サッカーゴールのネットに吸い込まれていった。
うつぶせに倒れた彼の背中には、桜色の刻印が鮮やかに刻まれていた。
グラウンドに残っていた陸上部、ならびにランニング中だったサッカー部は、突然の乱入者に唖然としている様子だった。彼らをゆつたりと見渡した後、バイクに乗った小山田かすみは、
「ご安心を。入校許可証は所持しておりますので」
……という、なんともピントの外れたことを言った。
XXX
「お二人とも、ご協力、感謝いたします」
さながら警察官のようなきまじめさで、小山田かすみは深々と頭を下げた。
三十分程度で到着した本土からの増援が、捕らえた『ユニコーン』と学校に対する事後処理を行っている。
そのせわしさになんとなく居心地の悪さを感じて、切絵は頭を掻いた。
「い、いやー、天佳がいなかったら多分気づかなかったけど」
「まったくその通り。神の如く感謝なさいよ」
「……それは流石にあつかまし過ぎです」
と、旧友二人の仲も、悪態をつける程度には修好したらしい。
捕まえた『保管者』も、ただのデバガメが目的だったらしく、異能を悪用していたとはいえ、そう重い罪にはならないだろう、とのことだった。
――いやー、万事解決。空もきれいな夕焼けで……
ふと、
オレンジ色の雲を見上げた切絵は、物思いにふけった。
――そう言えば俺、『X』の力を使っても普段どおりのテンションだったな……
『トライバル』の呪縛……自らの『内』にあるものからは解放されたのだろうか?
――まぁ少し前まではこの力を誰かのために使うなんてこと、考えもしなかった。もう二度と使うことないだろうし、それに越したこともないんだろうが、それができるようになっただけでも……だいぶ変われたんだよな? 俺。
ぼんやりとそんな風に考えを巡らせれば
「どふっ!」
脇からヒジで小突いたりしてそれを妨げるのが、いつもの鈴目天佳だった。
「ったく、また似つかわしくもない悩みごとなんてしてんでしょ。『自分が変身してもキャラ変わんないのはなんでだろー』とか?」
「……なんでわかった?」
ぼんやりと問う切絵に、大きく天佳は息を吐いた。
「元々そーゆー性格なんでしょーが。それで納得できなきゃ、ヒーローの特権ご都合主義とでも思って受け取っときなさいよ」
それはあまりに身も蓋もない言葉だった。
だが彼女の言葉に、切絵は何度心を救われたかしらない。
ぶっきらぼうな気遣いを噛みしめているうちに、屈託ない笑みが、切絵に戻ってきた。
その視線を、切絵は小山田かすみにも向けた。
彼女もまた、笑うか笑わないかというところで、曖昧に頷いてみせた。
「……さて、そろそろお暇させていただきます。……父が向こうに迷惑をかけていないか心配でもありますので」
「うん。親父さんによろしく。あんまり年甲斐もなくはしゃぐなって」
伝えておきます、と無機質な声で応じたかすみに、にへらっと微笑み返し、切絵はもう一度天を仰いだ。
――いや、まだ一つ謎が残っている。その謎を明かすには、『X』の力が必要だ。
XXX
その日の深夜。
『ぎゃらりー鉄鍋』。
No.4『ハルファス』の空間に身を潜ませていた切絵は、その仮想領域からその島津の邸宅の中を覗き見ていた。
人が動く気配はない。
ネズミ一匹、物音一つ立たない静寂の世界で切絵は、
「Mixing No.1×No.X『ユニコーン』……」
そう唱えると、部屋の奥、島津の寝室が美しい桜色に染め上がった。
切絵は満足、納得して強く頷くと、そのまま空間を閉じて『ハルファス』の城に戻った。
ひとまず変身を解いた少年の表情は、充足感に満たされていた。
「……やっぱり、そういうことだったんだなぁ。やー、あの人が戦闘能力もない相手を避けて通るなんて、なーんかおかしいと思ったんだよ! ……やっぱあれかな? 強すぎてお相手いないのかな?」
だが少年は気がつかなかった。
音もなく、ケーキに入刀されたナイフのように空間に切れ込みを入れるアイスブルーの爪痕にも、
押し広げられた裂け目から発せられる無言の殺気にも、
そこから伸びてくる彼女の両腕にも……
……すべてに気がついたのは、その腕が首に絡んで空間の外へ引きずり出された後だった。
「ちょっ……待っ……! 話せばわかる! 話せばっ! ドントバイオレンス!ノーバイオレンス! だか」
声は途切れた。
代わり、激しい断末魔が、主のいない城まで届く。
それから一週間、彼が城に帰ってくることは、決してなかったという……
お久しぶりです。
「もうちょっとだけ続くんじゃ」とのたまってかれこれ一、二ヶ月。
やっと外伝含め書き終えることができました。
しかしなんかこの連休中ににわかにポイントが激増し、初レビューまでもらえるとは思いもよりませんでした。ちょっとビビります。
とにもかくにも皆様ここまでお読みいただきありがとうございました。
飛ばした皆様もその賢明さを尊敬すると共に、ありがとうございました。
それにしてもそんな中で、まして最終エピソードにこんな話を持ってくる私は、我ながらどうかしていると思います。




