第八節 四月下旬 上田
長い閒旅をした信繁たちもついに信繁の故郷上田にたどり着く。そこで待っていたのは・・・兄、信之であった。そこでも又信繁たちは・・・。
第八節 四月下旬 上田
死人を退治し、トリさんを村人に紹介した次の日から信繁一行は山中にいるかもしれない死人を警戒し、街道沿いの山道を進む事を止め、街道から直接中仙道を進む事にした。そして一週間後の四月下旬・・・。
「おおー。懐かしい!懐かしいぞ!」
信繁は街道から見える都ほどではないものの、人が多くそれなりの城下町を見つめる。
「おおー。久しいですな。」
「ん?ここは?」
青海達ははしゃいでいるが、半蔵は複雑そうな顔をしていた。
「真田の居城だ。」
「え・・・。」
しまは驚いた顔で信繁を見つめる。
「正確には信繁殿の兄、真田信之の城だ。」
半蔵の苦虫をつぶした顔は更にひどくなる。
「・・・本当に?」
しまと美井はふしーぎそうに信繁を見る。長旅で髭がぼさぼさで、どう見ても良家の人には見えない。
「じゃあ・・・あの言い訳って・・・。」
「半分本当なんだ・・・。あのいいわけ・・・。」
しまは呆れた顔で筧を見つめる。
「まあな。」
「ふん・・・。ここが目的のくせに・・・。」
半蔵は何かふてくされた顔をしている。
「お主はどうしてふてくされる。」
筧の不思議そうな顔を見つめる。
「ここにも忍びの里があってな。またしばらくは仕事ずけだと思うと・・・少々腹が立つ。」
「?」
しまは不思議そうな顔をしている。
「徳川領地内・・・まあ大半以上の場所の忍びの里は今、ほとんどが確か・・・。」
「お庭番・・・。」
「そう、お庭番という形で併合されておる。」
「へー。」
青海は感心したように半蔵を見つめる。
「でもさ、どうしてお庭番?」
しまは不思議そうに見つめる。
「ああ・・・まあ・・。雑な物さ。主の庭によく来るだろ。」
「ああ。」
「で、近くの大名とか来たときに職業を聞かれると、お庭番(庭の整備をする者)と言ってごまかす。だから、お庭番。」
「・・・何かかっこわるい。」
「正式名称なぞ知っているだけで、そいつは暗殺対象だ。・・・お主とかも知りたいか?」
「い、いや、いい。」
半蔵の苦虫な顔とは裏腹に、筧は歩きながら周囲を見渡す。むろん一行は城近くの屋敷に向かって歩き始める。
「でも、どうして・・・じゃあ、だからといってここで仕事が増えるんだ?」
「・・・ん。ここでは言えん。」
半蔵は周囲を見渡すが、もう、武家屋敷の町並みを抜け、目の前には大きなお屋敷があった。そこには老輩の門番と、若い門番の二人が護衛していた。
「よ。」
信繁は手を挙げて挨拶をする。それを見て、門番は目を丸くしていた。
「の・・・ぶ・・・しげ・・・さま?信ー・・・繁様ですよ・・・ねえ。」
「せ、先輩、知ってらっしゃるんでスか?」
若い方の男が不審そうに男達を見つめていた。
「お・・・。信二!」
「あ・・・はい!」
「この方達を奥へお通ししろ。俺は伝えに行ってくる。」
「お・・・あ・・・はい!」
「本当に・・・そなんだか。」
しまは呆れて門番達の動きを見ていた。
「これは旨い酒が飲める。」
青海は舌をなめずった。大名の本家なら、大抵良い酒を常備しているのは当たり前とも言える事だからだ。
「こちらへどうぞ。」
その声に訳も分からず門番は奥に指さす。そこには大きな門構えがある。家中では時折悲鳴や、叫び声が聞こえる。普通の人からすれば何が起きたかと思うほどの騒ぎだ。
「酒は・・・旨いのが飲めればいい・・・」
青海に同意する信繁の顔は少し緊張してい・・・次の瞬間身体を強張らせ、信繁が右方向に構えをする。それを見て全員が不思議そうな顔をする。しばらくすると砂利を走り抜ける足音がする。その音に横を向こうとした瞬間には信繁の姿が無くなり、目の前にはこざっぱりとした髪をおおざっぱにまとめただけの青・・・中年がそこにいた。
「!!」
全員が絶句する中、その男は左側だけを見つめていた。
「相変わらず・・・。」
「久しいな。」
「兄貴・・・。」
その姿に左を向けば、腕に草履の跡を残して膝を払い立ち上がる信繁の姿があった。
「・・・その様子で・・・病気ですかな?」
半蔵の呆れた半眼の顔は、全員が見つめていた。
「お・・・。これは・・・伝令どの・・・。いつの間に豊臣に鞍替えを・・・。」
あっさりとした顔で受け答えするする姿は、どことなく卓越した何かを思い浮かべる。
「いや、お目付役だ。」
「そうだろうな。お主のような信者が簡単には寝返るまい。」
そう言って懐から手ぬぐいを取り出すと中年の男は汗をぬぐう。
「そうだ・・・こいつらは?」
「供の者だ。幼子もいるから、激しいのは無しな。」
そう言うと青海達が唖然とする中、中年の男は大きく一礼をする。
「信繁がお世話になっている。上田城城主・・・真田信之と申す。お見知りおきを。」
そのきれいな礼と声と、先ほどとの行為とのギャップはあまりにも・・・唖然とさせるには十分な物であった。
「久しいな。」
応接間の一室、懐かしい畳の匂いのする部屋に二人は向かい合うように座っていた。
「だな。」
信之は大きく頷く。
「で、この城に何の用だ?」
「これだ。」
そう言うと信繁は懐から、大きめの手紙を一通取り出す。
「これは?」
信之は手紙をじっと見つめる。その手紙には大きく”真田信幸へ”と書かれた手紙だ。
「父上の・・・遺言だ。」
信之は覚悟したようにその手紙を開く。しばらくじっと字を読んでいた。その間雀のさえずりだけがその部屋に響く。
「そうか・・・。感謝する・・・。」
そう言って信繁に大きく信之は一礼する。彼にとっての一番の心残りは父昌幸の事だけであった。
「葬式は?」
「九度山でそれなりの物をあげた。」
「・・・お前はやっぱり豊臣に付くのか?」
信之は不思議そうに信繁を見つめる。幾つか顛末は聞いていたようだ。
「まあな。それに昔いた大阪城が焼けるのは忍びない・・・。」
「分かるが・・・死ぬぞ?」
静かに・・・それでいて力強い声が、周囲にまで響く。
「戦場では、死はつきまとう。」
「死にに行くだけが士道ではないぞ。」
「・・・まあな。だが、一度決め、主君を持ったのだ。・・・それもまた士道。」
「なら・・・止めはしない。」
信綱は一息大きな息をつくとあぐらを少し崩す。
「そうだ、兄貴。半蔵から・・・。」
そう言って信繁は声を潜める。
「関ヶ原とかの話は聞いたか?」
「どんな話だ?」
「宣教師とか・・・。」
「まあな。立場上と言った方がいいがな。」
呆れた顔で信繁の顔を見つめた。
「でも、信用出来ない面もある。それにそれほど精度も高くない。」
「だと言って無視する話じゃあない。」
「分かってはいるが・・・。まあ、俺の方も調べてはいるが、なかなか確証までは至らない。お前の方が思い当たる節があるんじゃないか?」
信繁は頭を巡らせ、じっと考える。そう言えば、淀君の側には数人の黒ずくめの男がいたような・・・。それほど気にはしないし、戦場で黒ずくめや宣教師は珍しい事じゃあない。
「まあ・・・色々あるが・・・。」
「まあ、言えるのは、今、外の国は・・・朝鮮出兵の頃前後もそうだが、海の向こうは大混乱期にあると言う事だけだ。」
「そうか・・・。」
じっと外を見つめながら信繁はいくつもの思いを巡らせるのだった。
「城、城見せてくんねえだか?」
しまはわくわくした顔で、筧と先ほど見かけた門番の所に向かっていた。
「う、上田城ですか?」
若い門番の男は慌てたように近くにある上田城を見つめる。
「そだそだ。」
しまは目をきらきらして隣接するあまり大きいとは言えない城を見つめる。
「・・・無茶を言う物ではありませんぞ。本来城というのは戦などの緊急時以外は人が立ち入らぬ。ま・・・住民の為の避難所でもありますからな。」
筧も上田城を見つめるが、みすぼらしいとまでは行かないが、それほど堅牢な城には見えない。
「これが十数年前に、徳川軍5~6万を3千で追い返した城とは・・・。」
感慨深く筧は見つめていた。
「私はそれ以降に来たのでよく分かりませんが、この辺り一帯ではそれが一種誇りになっているようで・・・。」
「ん?」
「当時上田城には1500しか兵がおらず、もう一つの城も守っていた為、この城の戦闘では住民達も一丸となって戦ったとか・・・。」
「では統治も大変でしょうな・・・。」
じっとそのぼろぼろの城を見つめる。この話をしまはじっと感心したように見つめる。
「と言うわけではないでしょうが。このあたりの上司の方や、昔からいる人々は皆下々と仲がよいのですよ。」
「そうですか。」
そう言って普通よりはこじんまりした武家町を見つめる一同だった。
「でも・・・ここでゆっくりしていていいのか?」
「どういう事だ・・・兄貴。」
信繁はあぐらをかき、信之が持ってきた大阪城周辺見取り図を囲みながら、目印の付いた木の駒を所々に配置していく。
「今、急速に戦の準備が進んでいる。」
「やはりな。」
「・・・知っていたのか?」
信之はそう言いつついくつもの駒を・・・当然のように置いていく。
「まあな。だが、こうして手をこまねいている訳じゃあないが、先に父上の手紙を渡しておきたくてな。」
「だとしても・・・そうか・・・。」
信之ははたと手を止め、じっと駒を見つめた。
「それでか・・・この動き・・・?」
「どうかしたのか?」
「いやあな。変な命令が裏で回っておってな。」
「ほう?」
信繁は自分の近くに置かれた木の駒を手に取ると確認を始める。
「それに不審がっておったところだ。」
「どんな?」
「大阪入りの直前で何故か全員待機せよというお話だ。部隊もあるから、あまり待機させると費用も馬鹿にはならん。」
「で、兄貴は向かうのか?」
「いや、俺は親父から・・・代々のこの地を守るだけさ。あんなのに興味はない。」
そう言うと”真”と書かれた駒を大阪城側に置いた。
「で・・・戦はいつ頃だと思う?」
「早ければ・・・5月ぐらいか?」
「急にだな。」
お互い・・・何故か下の盤面に集中し、信之は大きな駒を奥の方に並べる。手垢が多くついていて、かかれた”徳本”と書かれた字がかすれてはいた。
「だからこんな所でとろとろしていると戦が終わるという事もあると思うぞ。」
「でもまあ・・・お前も大物になった物よ。」
呆れて信之は信繁を見つめる。その様相はあのころと少し・・・大人びてはいるがそれでもあのころの無邪気さは失われてはいないように見える。
「そうか?」
「こうして駒として並べられるだけな。」
そう言って二人は盤面を見つめる。そこには多くの大名の名前が書かれた駒が各所に置かれていた。
「それだけ成長した俺を褒めてくれてもいいが・・・厳しいな。」
そう言って、相手の駒の数を数える。今回の駒の数はどう見ても・・・徳川方が4倍以上ある。数万を超える軍隊同士での3倍は覆し難く、また歴然とした差として現れる。
「そうだな。今回の徳川殿は本気だ。前回までの遊びとは違う。今回は正式出陣とは別に向こうにも出陣要請があった。流石にあっちだけは断り切れなかった。」
ここで言う”あっち”とは、北部にある忍びの里の”旧武田忍軍”の部隊である。数多くある忍びの里の中でも破壊工作と地脈(鉱山関係や、水脈関係)に詳しく、この地に置いても数多くの温泉の開発を行っていた。
「それは構わない。」
信繁はきっとした目で見つめる。お互い本気という事だ。
「でも・・・あのお方が相当怒れてはいよう。」
「だな。と言いたいところだが、こうして平和が長いと・・・これはこれでと思ってしまう。」
信繁の顔をじっと信之は伺い、頷くのを末と近くの駒をするすると動かしていく。
ここで言うあのお方とは、”旧武田忍軍”相談役”お吉の方”のことである。
「だからこそだよ。」
そう言うと信繁は動かしたのを確認してから、幾つかの駒を動かす。しばらくお互い無言で駒を動かす。しばらくして信之の手が止まる。
「お前・・・。」
「今回籠城線は出来ない・・・だろ・・・。」
ちょうど動かし終わった駒の後には”徳本”と”真”の駒が隣り合っていた。
「お前・・・ちょうど工事が終わる前だから、知らないか・・・。」
「ん?」
「まあ・・・お前が向こうで確認するといい。只・・・この通りなら・・・その前に落ちる公算が高い。」
そう言って近くの駒ですっと”真”の駒をどける。
「どう思う?」
「・・・出来うるが・・・。」
じっと配置図を睨みつける。
「駒が四つか五つ多すぎる。全滅の可能性が高い。」
信之はその盤面を見つめる。
「そこは・・・キツツキが突いて・・・敵でも削るさ。」
「そっか。」
「確かに・・・。」
信之は黙って幾つかの駒を地図の外に出す。
「これなら行ける。」
「・・・上手くいくか?」
信之は信之が動かした後の盤面を見つめ、唾を飲んだ。そこにもまた・・・”徳本”と”真”が並んでいた。だが、もうどかす周りの駒はない。だが周囲には多くの駒が取り囲む状況には変わりない。
「行く、行かないではない・・・やるしかないさ。」
「そっか。なら、今夜は軽い酒宴と行こう。覚悟は決めろよ。」
「ああ。」
そう言う信之の目はどこか寂しそうだった。
「久しいな・・・半蔵殿・・・。」
山奥のある庵・・・夕方にもなろうこの時に半蔵は酒を持って来ていた。
「ああ・・・お吉の方。」
「その名は人が付けた名よ。」
目の前の半蔵をじっと見つめていたその女は威圧するような目でじっと半蔵を見つめた。年齢は妙齢ではあるが、その妖しさはこの庵の雰囲気とは合いそうになかった。その女性の視線に半蔵もあらがうのではなく、何か悲しそうな目で見ていた。
「入りな。せっかくだ。水の一杯ぐらいなら出すよ。」
そう言うとお吉の方は奥にすっと入っていく。その後をついて行った。そこはすぐに畳があり、匂いもよく・・・美しく見える。
「頂きます。」
「一応は上司なのだから、もっと胸を張りな。」
「貴方相手に胸を張るのは・・・」
「分かってはおるよ。お互いな。世の趨勢を悲しむのには丁度いいと言ったところだ。」
そう言うと半蔵は畳にあぐらをかいて座る。
「昔やり合った仲がこうして上司・・・部下で座るのはいつも複雑よ。」
その昔、関ヶ原が終わった直後、最後の障害である上田城を陥落させるべく、半蔵達はこの周辺にある”旧武田忍軍”を襲撃した。その時二人は刃を交え、半蔵は退かされた。だが、半壊までなった忍びの里はもう、上田城への援軍も出来なくなっていた。結果、真田家は投降に応じざるおえなかった。
「でもそれが時代。貴方が一番知っておりましょうに。」
「長く生きた中でもこうして・・・まあよい。」
そう言ってお吉の方は頷くと茶碗に水をすくい持ってくる。自分の所にも一杯の水が置いてある。
「で・・・今回は?」
「出来れば今度こそ。大阪に手勢を向かわせて欲しい。そしてあの死人を押さえて欲しい。そのために各地の忍びの里に伝令を飛ばしている。」
「・・・やはりか。」
お吉の方はしばらく半蔵の顔を見つめる。
「どのぐらい来るかね。」
「今のところ、前回出兵した風魔は村の再興で忙しく、黒脛は動くが伊達政宗の出方しだい。こっちは前回と一緒で部隊は出すが、死人相手の戦闘に不慣れな者が多く戦闘は不利だ。他の里も行っては見るが・・・。ここしか頼りになる連中はおらん。頼む。」
前回の冬の陣ではこの里の者は戦闘には参加しなかった。この里の者を人里に晒すわけにはいかなかったからだ。
「この事には信之殿からの意志もある。」
「・・・そうですか・・・。」
半蔵はうなだれた。
「攻城戦まで持ち込む事が出来れば紛れる事が出来よう。それ以降ならお助けいたす。そう、頭領には進言しておこう。一応私が手勢を連れて行く予定だ。」
その顔に半蔵はばっと顔を上げた。このお吉の方というのは頭領はいるが実質の権力を握る事実上のお頭でもある。
「・・・感謝いたす。」
その言葉に大きく頭を下げた。
「その言葉しかと受け取った・・・だから・・・その代わり・・・出来れば彼らに酒をくれてやってくれ。」
そう言ってお吉の方が横を見ると、酒の匂いにつられた数名の小さな妖怪達が玄関先にいた。
「分かり申した。で・・・杯とかはあり申すかな。」
半蔵は立ち上がると杯を探し始めた。
「酒があると待ってみて・・・これか・・・。」
と、目の前の食卓を見つめる青海の目は嫌そうであった。
「皆の衆、今日は・・・これから旅立つ弟の戦勝祈願だ。無礼講だ!」
「俺は好きだぞ、これ、村じゃなかなか食えんぞ、これ。」
信之の挨拶を横目にしまは興味津々と皿に盛られた小粒の物を見ていた。
「これこれ、そこの坊様。早々このような珍味はなかなかでないですぞ。」
向かいの奥方らしき女性はにこにこして皿を見つめていた。
「この・・・虫ぃ・・・みたいのは・・・。」
青海のげんなりする顔とは裏腹に筧は皿の佃煮に手を出していた。
「蜂じゃ、蜂。精が付くぞ。」
そう言い皆が食べる様に青海はそろそろと箸を突き出す。
「いやあな・・・。昔・・・だな。蜂に・・・刺されそうになってー・・・な。」
「こいつは人を刺す蜂ではござらん。今日の馳走ですぞ。」
そう言ってパクパクと口に放り込む筧とは対照的に青海のに箸は止まっていた。
「ま、それは人それぞれさ。俺も昔はこいつを食うに抵抗あったし、こう見えても仏門の身。それは当然だろ。」
「確かに・・・。そうでしたな。すまない青海。」
そう言い素直に頭を下げる筧とは裏腹に、青海はまた微妙な顔になった。
「すまんな。これは格好を見れば分かるはずなのに・・・酒も飲めぬ・・・・訳ではないな。だとすると・・・すまんな。」
そう言い、信之は近くの女性を手招きし、耳打ちする。それを聞いた女性は廊下を抜け歩いていった。
「こちらこそ・・・お気を遣わせました。」
青海も丁寧に礼をする。
「でも・・・お殿様っつっても・・・そんな偉そうじゃないだな。」
「まあな。」
信之はさわやかな笑顔で応じる。その様子を微塵にも介さぬまま、周囲の女性達と笑いながら、会話をしている・・・。
「殿様とかと言っても結局は、周囲の人から食わせてもらっている居候見たいな物だ。だから、ここの皆とかに敬意を払う。それが真田の教えの一つだ。」
「へー。」
蜂をつまみながら、しまは感心したようにじっと信之を見つめる。その間にも美井は白米をよく噛みながら食べていた。
「こちらでもどうぞ。」
そう言って青海のとなりに来た女性はそっと少し大きめの野菜の漬け物を置いて、そそっと部屋の外に出て行った。
「これは?」
「ああ。家で漬けたぬか漬けだ。」
「それはありがたい。」
青海は蜂の佃煮の小皿を脇にどけぬか漬けを一口、口に入れる・・・。
「お・・・これはいい感じだな。」
その味に感服したのか、器一杯に酒を注ぐと青海は一気にあおる。
「まあな。京の都には及ばぬが、ここはここでいい所よ。」
信之はそう言い開けた障子から庭と外を見つめる。そこには美しい月と、青々とした木々の波打つ様が見える。涼やかな風が酒宴場に入り込み、若草の香りが一帯を覆う。
「そうだな。」
信繁は落ち着いたのようにじっと空を見つめる。空に雲はなく、月が煌々と輝いていた。
「みんな・・・生きている・・・。だよな・・・。」
ぽつりと言う信繁の声に全員が振り向いた。その声はどこか寂しげで・・・それでいて何かこう悲壮な事を連想させる感じであった。
「早々寂しい事を言うでない。」
声とともに吹いた一陣の風に皆が目を背けると、一人の簡素な着物を着た・・・颯爽を思わせる妖艶な女性と・・・半蔵が庭に立っていた。
「お・・・お吉の方様!」
信繁は驚いたように慌てて正座した。それにしまや青海達は驚いて女性を見るが・・・。普通の人間にも見える・・・。と言いたいところだが、青海は何かに気が付いたようで・・・顔をしかめ、今までよりも更に苦虫を押しつぶしたような顔をしていた。
「よいよい。無礼講であろう。儂も・・・一杯貰えぬか。」
そう言うとワラジを脱ぎ、お吉の方は信繁の横に座る。その様子に周囲の女達は驚いたように少し距離を置いた。
「久しいのお。」
そう言いつつなめ廻すようにじっと信繁の身体をしばらく見つめる。
「本当に・・・いい男に育った。昔はあんな可愛い稚児だというのに・・・。」
「い・・・いやあ・・・それ・・・ほどでも・・・。」
信繁は緊張やら何やらで押し固まってしまう。その異様な雰囲気に一同は押し固まってしまう。・・半蔵もちゃっかりと端の席に座り、青海の側の酒瓶から酒をついでいた。
「お吉の方様・・・。からかうの其処までにしていただこう。見てご覧なさいませ。信繁がこんなにも恥ずかしくて・・・目線を合わせようとしないじゃありませんか。」
信之も軽い口調で制しようとしてはいるが、その声に潜む緊張は誰の耳にも明らかであった。
「分かっておる。久しくて・・・つい・・・な。ま、こうして元気なら嬉しいという物よ。」
「この御仁は?」
筧が勇気を振り絞って声をひねり出す。
「あ・・・ああ・・・。このお方は・・・。」
信之の声を遮り、お吉の方が筧達の側に寄る。
「儂はなあ・・・ま・・・信繁の師匠と言ったところかな?」
「・・・へ・・・?」
半蔵はつい間の抜けた声を上げてしまう。
「昔からよく知っておる仲でな・・・。赤子の頃はそれはもう・・・二人とも可愛かったもの・・・。」
「本当か?」
しまが驚いて信繁を見つめるが、その気恥ずかしそうな顔は本当だと・・・顔だけでも物語っていた。
「・・・お前・・・。おもしろいな。この私に気圧されぬ者がいようとは・・・。」
「・・・関係ねえ。」
「おもしろい子じゃ。」
笑いながらお吉の方はしまを見つめる・・・。
「お前・・・きっと大物になるぞ。」
笑いながらお吉の方は信繁に向き返る。
「信繁・・・ここに来たついでだ。ここに残れ!」
その言葉に全員がお吉の方を見る。その顔は明るく爽快な笑顔だった。
「・・・。」
一部の人間は唖然とし、一部の人間はぐっと息をのんだ。
「すまねえ。師匠。俺にも・・・こう見えて・・・守る家族と子供がいる。」
「だったら儂が一走り、そいつらを連れてくる。」
急に悲愴な顔になるお吉の方の顔を信之はつらそうに見つめる。
「それだけじゃねえ。こう見えても、馬鹿かもしれないが・・・主もいる。」
「だったらそんな馬鹿、見限ればいい。お主達はやはり両方ともこの地に残って、おればよい。主が追いかけるなら、お主だけは偽名を使えばよい!この領地にいる限り誰も・・・誰もお主に仇成すものはおらん!」
「師匠・・・俺がいる。」
その言葉に全員がまた絶句してしまう。
「どんな主でも、命がけでついて行くのは親父が言った・・・親父から教わった事だ。親父だけは裏切れねえ。主を裏切った俺を・・・家族やみんなを裏切った俺を・・・俺が許せねえ。」
「信繁・・・。」
お吉の方から捻り出す声は・・・かすれ、聞こえる者は少数だけだった。
「師匠がどう言おうとも今回だけは・・・。俺は主を違える事は出来ぬ・・・。こうして付いてきてくれる奴らがいる。そして家族もいる、そして・・・それらの出会いの場を作った主がいる・・・。裏切る事はできんよ。」
その思い・・・覚悟は信繁の目を見れば全てが納得出来た。
「ふ・・・信之殿・・・。」
お吉の方は何かすがるように、信之の方を振り返り、何かを話そうとした。その時の信之の・・・信繁と似た覚悟の瞳に一瞬たじろいでしまう。
「・・・知っておったな。」
「それは・・・。」
信之は何かに気が付き目を伏せる。その行為にやっと、青海と筧はこの酒宴の意味を悟ってしまう・・・。
「なら仕方がない。」
そう言って近くの酒瓶をひったくると、信繁の前にあぐらで座り、酒を注ぐ。
「朝まで無礼講だ。」
「・・・それは私が言いました。」
信之は呆れたように立ち上がる。
「皆、今宵は全てを忘れ。飲む。飲もうぞ!」
「応!みんな!朝まで騒ぐぞ!」
その声に全員が料理に手をつけ始めた。
「・・・俺の酒・・・。」
青海の寂しそうな声だけが酒宴の場に寂しく・・・かき消されていくのだった。
「すまない。俺はここまでのようだ。」
次の朝、出発の準備を終え、正門に立つ一行を前に残念そうに半蔵は見つめた。
「仕方ないな。」
馬に乗った信繁は馬の調子を確認していた。
「でもまあ・・・すいませんここまでしてもらって。」
筧は深々とお辞儀をする。脇には馬が一体存在する。青海も馬に乗っていて、しまはちょうど青海の背中に掴まり、美井は信繁の背中に掴まっている。
「お吉の方様は?」
「ああ・・・お吉の方様は今朝早くに洞に向かわれた。用があるそうだ。」
「そうか・・・。」
信繁は残念そうに下にうつむく。
「あのお方の事だ、別れはつらいのだろうよ。」
「そうか。」
信之はそう言うと信繁に近づく。
”これを・・・。”
そう言い、信之は紙に包まれた固まりを渡す。中を紙を開けて見ると其処には金子が少々入れられてあった。小さな声で耳打ちする声で話を続ける。
”・・・兄貴”
”これを持って、皐月堂に行け。”
”分かった・・・感謝する”
軽く礼をすると信繁は信之の側を離れる。
「しま・・・どうする?」
「ん?」
佐助は信繁に張り付いたまま、半蔵を見つめる。
「拙者と一緒に来るか?」
半蔵はしまに手をさしのべる。しまは寂しそうに首を横に振る。
「・・・・・・よく考えたけど・・・信繁様のほうが・・・俺を必要としてくれている・・・そんな気がするだ。」
「分かった・・・止めはせん。行ってこい。」
「あいよ。」
「兄貴・・・ありがとな。」
「お前も・・・。」
そう言うと、言葉を詰まらせ信之は馬を走らせる。それに追走するように青海と筧も馬を走らせ、しばらくすると一行の姿は見えなくなっていた。
「どうしますかな?」
後に残った半蔵をじっと信之は見つめた。
「すまないが馬を一頭用立てて欲しい。拙者も行くところがあるのでね。」
そう言う半蔵の顔は信繁達を見ているときとは違い、普通の表情に戻っていた。
「で・・・我々はどうして・・・ここで足止めなんですかな?」
筧は呆れたように城下町にある、とある一軒の問屋の前に立っていた。ついでに言うと屋敷から30分もかからないところにある。
「ああ。ここな。皐月と言ってな。よく遊びに来たものだよ。」
そう言って店内にはいると若い番頭が待ちかまえていた。
「どういったご用件で・・・。」
中は米問屋らしく、米とかかれた暖簾が目立つ。
「店主を呼んでくれ。」
「いやあ・・・どういったご用件か・・・。」
「だから・・・店主をよべって。呼べば分かるって。」
いらついた様子の信繁に番頭はおろおろしていると、奥から、中老の店主らしき、着物が立派な男がやってくる。が、信繁の顔を見ると、かたかたと震えていた。
「の、信繁さまー!」
そう言って信繁に向かって走り抱きつく様は異常でもあった。
「久しいな。」
「ですよね。お、おい!繁八!茶ー持って来い!」
「あ、あ、はい!」
番頭は慌てて奥に走っていった。
「ささ・・・皆様はこちらへ。」
そう言って店主に奥に一同は通されて中にはいった。
「お久しゅうございます。」
「こちらの御仁は?」
筧は不思議そうに目の前の商人を見つめる。
「ああ。昔よく遊びに来た商人でな。家にもよく遊びに来たんだ。んで、これ。」
そう言って先ほどの金子を取り出す。
「これがどうかしましたかな。」
不思議そうに金子を見つめる。
「違う違う。こっちだよ。」
そう言って紙を引きはがし渡す。全員がその様子に不思議そうに見つめる。
「これ・・・ですか。」
そう言うと少し顔を曇らせ、周囲を窺う。
「とりあえず、当方が仕入れた情報おば。」
そう言うと周囲の人間に手招きをすると、それに応じ、商人に顔を皆で寄せる。
「とりあえず・・・現在徳川軍は大阪直前の京に入り、部隊を再編中です。」
「な・・・!」
商人の言葉に全員が驚く。
「どうも・・・仕入れた情報が真実なら・・・京に死人が現れ、それを阻止に入った徳川軍を豊臣軍があれを自分たちの兵士だと言い出し、その報を聞いた徳川軍が駒を進める事になったと。で、現在最終決戦に向けて兵をかき集めています。」
「この者は?」
筧は不思議そうに商人を見つめる。
「情報を集めてもらっているんだ。商人達の情報はあながち馬鹿には出来ない。」
信繁は少し戒めるように筧達を見る。
「ついにか・・・。」
青海は息をのんだ。
「だが、そこで兵を止めた模様。本当に戦闘をする気はないらしいのですが、現在本隊が到着していないので・・・まあ・・・部隊数の差だけで大阪城を圧倒出来るだけの兵力が集まっているらしいのですが・・・。」
「急いで・・・あ・・・それで馬を・・・。」
何かに納得するように筧は感心していた。
「それに伴い、現在、伊賀と甲賀の忍軍が部隊を集結、北上予定です。」
「それだけか?」
「・・・今回は何故か、延暦寺の僧侶1200名が安土周辺で待機。」
「術封じか・・・。本気で押しつぶするつもりだ。」
当時陰陽術を用い戦闘などあるが、延暦寺はその研究では当時先端をいっており、数多くの町の建設を担当していた。だがその活用に置いて術の技術は封印や防衛に主眼が置かれているのが仏教系陰陽の特徴でもある。術がなければ、実際数を覆す方法はほぼ無いに等しい。
「豊臣側は・・・。」
「あまり・・・いやそう言えば・・・貿易船が一度港に入ったぐらいか・・・。」
「あまりいい情報ではないな。」
「だとして・・・まあ・・・。」
筧達の歯切れの悪い返事はあまりいい報告ではない事の総称でもある。
「信之様のお手紙を見る限り・・・最後まで貴方をお止めしたかったようで・・・。」
商人の男は少しがっかりとした顔で、信繁を見つめる。
「だとしても戦う。大阪へ。」
「・・・幾つか・・・。」
そう言うと商人は立ち上がり、後ろの戸棚から大きな包みを取り出す。
「それは?」
「お持ちください。昔、九度山送りにされる直前・・・こちらに来られまして、もし、もう一度ここへあなた様が来られるようなら・・・そして立派な漢に成長しているなら・・・これを渡せと・・・。」
信繁は息をのみ、包みを開けると二振りの刀があった。
「本来、初陣祝いに渡す予定でしたが、製作が間に合わず・・・。」
「いいさ。」
そう頷き、刀の銘を確認する。名は入っていないがその美しさは異様とさえ思えた。
「村正作二本刀、紫雲、叢雲。そして、こちらも。」
そういって、商人は今度は下の引き出しからもう後二本の太刀を取り出す。
「村雨作大業物、霧風と紫光でございます。」
「こんなに多くは使えないって。」
四本の刀を抱え信繁は呆れたように顔をしかめる。
「お父上殿いわく、その刀、もし気に入った者があれば、その者に渡せ・・・だそうです。」
その刀の出来に青海や筧、しま達もぐっと唾を飲んだ。実用性あふれるデザインでありながら、波紋はあっさり目に流れていながらも、鋼紋の波はしっかりとした稜線を描き、伝う輝きは正に妖刀・・・そのものであった。
「分かった。受け取ろう。」
そう言い、青海に四本の刀全てを渡す。
「後は・・・。ここに来た豊臣の方だと思います。お子様みたいな若武士の方が来られまして・・・。」
「ん?」
信繁は何か思い当たるのか、頭をひねっていた。
「もし・・・こちらに信繁様が寄られるようなら・・・京に寄る前に一度伏見城から京に向かうようにと言う話ですが・・・私にはさっぱりで。まさか・・・あなた様が来るとは思わなくて・・・あの時は軽く聞き流していたのですが・・・。」
信繁はじっと考えていた。
「そう言えば・・・秀頼様は?今いずこに?」
「はい。公式なら確か・・・今は伏見へ太閤の菩提を祀りに・・・。」
「分かった感謝する。」
信繁は幾つか思い至る事があったようだった。
「あとは・・・。」
「今のところはこれまでが限界のようで。」
商人は申し訳なさそうに頭を垂らす。
「急ぎませんと。戦には間に合いませぬ。」
筧の焦る声が聞こえる。
「・・・。」
しばらく信繁は頭を抱え込む。
「すまない。馬があるし・・・伏見経由だ。」
「は!」
その言葉に急いで立ち上がると青海達は急いで準備を始める。
「書かれた品は・・・向こうの商人経由で家に運ばせます。」
「わかった。」
信繁は頷くと立ち上がる。
「御武運を・・・またこちらに来られ・・・今度こそ・・・米菓子をせびりに来る事お祈りいたしますよ。」
そうほほえむ商人の顔はどことなく・・・寂しそうな物だった。
「・・・そうだな・・・。」
そうほほえむ信繁の顔もまた寂しそうだった。
「それで思い出した。米菓子・・・あの子達の為に幾つか見繕ってくれると嬉しい。」
「・・・承知いたしました。」
そう言うと商人は深く一礼をした。
次回で、江戸旅情編、最後となります。お楽しみください。