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異聞 真田信繁伝  作者: どたぬき
第一節1614年二月
8/30

第七節 鬼か妖か

徳川家康と別れを告げた一行は人目に付かぬように街道を避け進む。そこである一軒家にたどり着く・・・。

第七節 鬼か妖か


 旅は天海がいなくなっても遅い・・・と言うよりか・・・ゆっくりと進んでいた。旅の資金はそれほどでもないが、ちょうど彼らがこれから通行する信濃の周辺は、武田の遺臣が多くまた、信繁いわく”意地汚い”連中の住処と言う事もあり、人の目を避けるように街道沿いの獣道を旅していた。

「こう・・・山奥の空気は都に比べ、いいですな。」

 筧のはつらつとした声とは裏腹に、いつもは威勢のいい青海はくたびれた顔をしていた。

「俺はなぁ、こう見えても都の出だ、やっぱ付いて来るんじゃなかったぜ。」

 青海はそう言うと近くの切り株に腰を掛ける。

「もう動けねーぞ。」

 青海の切れ切れの息での叫び声が響く。

「でしょうな。」

 半蔵はあきれ顔で近くの木に寄りかかる。

「拙者もこう・・・少し休みましょうぞ。」

「だな。」

 そう言うと、信繁は少女を見つめる。少女は黙って付いてきてくれてはいるが、その顔に疲労の色が伺える。

「みんな・・・情けねーな。」

 しまは元気そのものだった。

「それは・・・生まれも育ちも違う皆がいればそうなる。」

 半蔵は冷静に懐から水筒を取り出す。

「でもさ。だったら街道行けばイーじゃん。」

 しまはふてくされてその場に腰を下ろす。

「流石にこっから先は一度関所を通らなくてはな・・・。」

「大丈夫なのか。」

 一応街道を通っている物のこの先の碓氷峠を越えるには碓氷関を越えねばならない。いくら内府直々の書面があろうと、早々簡単に越えられる物ではない。またそれ以外のルートを通るのも、幼子を連れては無理な事が多い。

「まあな。あそこを越えればしばらくは大丈夫だが。」

 警戒しているのは書面等の手形ではなく、名前の事である。もし名前等で怪しまれれば、手形があろうと一発でダメになる。

「そこでだ。筧。」

「は。」

「天海殿の書面を出してくれ。」

「は。」

 二つ返事で頷くと、筧は背負子(木組みのランドセルのような荷物運びの道具)を下ろし、中から天海の手紙を取り出す。

「前々から気になってはいたが・・・これは?」

 半蔵は不思議そうに手紙を見つめる。

「いやぁな。天海殿に頼んで、偽名を考えてもらっておいた。」

「ほう。」

 青海は珍しそうな顔を品柄懐から水筒を取り出すと、口の中に注ぎ込む。

「偽名?」

「まあな。俺や半蔵とかは目立ちやすい。だから・・・せめてその分を補うべく、折角僧正様がいるのだ。と言うわけでな・・・。」

 喋りながら・・・書面を覗いていた。

「・・・と言うわけで俺の名前が・・・”真田幸村”?」

「ほう。」

”真田様はそれなりに由緒正しき父上の幸の名を持ちかつ、田舎らしさを出してみました。これなら、信之殿の遠縁とか言えば通じましょうぞ。”

「でだ。半蔵殿・・・お主にもあるぞ。」

「拙者か?」

 半蔵は干し芋をかみながら書面をのぞき込む。

”半蔵殿は呼び方が近く、印象に残る名前をと言うわけで”

「”霧隠才蔵”ねえ。確かに似ておるが。」

”青海、筧殿はこのままでもそれほど問題がないと思われる。”

「なんだか・・・まあ・・確かにそうなんだが。」

「なんか・・・こう切ないですな。」

 青海が手紙に悪態を付く。

「じゃあ、これで終わりですかな・・・。」

 半蔵は足筋を伸ばしながら立ち上がろうとする。

「いや。」

”しま殿はどこか遠縁のご子息として見られそうなので・・・。あえて名前ごと変えてみました。”

「え・・・俺の分あるんだ。」

 そう言うと信繁の肩越しに書面を見る。

「これか?・・・よくわかんねえ。」

「これか?猿・・・飛・・・佐助。だな。」

”しま殿は色々動きたがるので・・・どう見ても猿に見え申したので、この名前でよいかと。まあ幼名ですし、後で変えてもいいかと。”

 その分を読むと男達は一斉に腹を抱えて笑い出・・・いや笑いを押し殺していた。

「ぅぃっひひひひ。そりゃあいい。」

「ま・・確かに・・・私たちですら・・・。くくくく。」

「ま・・・だよな・・・っっっっ。」

「お前ら!何笑ってんだよ。」

 しま・・・佐助は不満そうに怒りを表す。

「だってこれ・・・。男の・・・。」

「それはこれが男の・・・。」

「これはなあ。男の奴だ。」

 笑いを一巡通り越して元に戻った信繁にまじめな顔で言われたしまは、カタカタと震えだした。

「・・・な・・・なぁ・・・。」

「でも・・・よく考えればこれでいいかもしれない。」

「どうしてだ。」

 笑いをぎりぎりで抑え、干し芋を吹き出すのをかろうじて押さえ込んだ半蔵が不思議そうに信繁の顔を覗く。

「変に女が多ければ、それだけで勘ぐるやもしれん。それに比べれば男の格好をしていれば変に勘ぐられる必要はない。」 

「確かにな。」

「あ・・・おう。」

 半蔵のうなずきを見てしまも言葉を飲み込んだ。

「それに、折角僧正様とか言うお寺のお偉いさんだ。罰は当たるまい。」

「お・・・おう。」

「と言うわけで、お前の名前は猿飛・・・佐助だなよろしく。佐助。」

「分かったよ。佐助だ。よろしく。」

 渋々ながら佐助は頷いた。

「後はいるのか?」

 青海は期待して周囲を見渡すが、もう・・・該当者はいないはずだ。

「いや・・・ちょっと待て・・・。」

”ミリアは元々按針殿と一緒の船にいた婚約者殿の娘。按針殿がある程度は異国の言葉の幾つかを教えてあるそうです。拙僧の所にいたのは日本語と、彼が言うには進んでいると言われてる学問を教える為でした。なので、もし宣教師と会う事があるなら彼女はきっと役に立つでしょう。”

「・・・天海殿。」

”ただ、彼女はあの寺で一人疎外感を味わう日々でした。だから世が広い事を知ればきっといい子に育つと思います。だから、今しばらくはお連れくださいませ。”

「そんな意味が・・・。」

「どうかなさいました?」

「い、いや。」

 信繁は慌てて首を横に振る。

”この子の名前は美井ならきっと偽名でも通じるでしょう。よろしくお頼み申す。”

 手紙を読み終わった信繁はじっと少女を見つめる。

「美井。」

「はい。」

 少女は反応してコクコクと頸を縦に振る。今までは、あまり反応がない少女の感じも少し明るく見えた。

「これからもよろしくな。」

「はい。」

「それは?」

「この子の名前だ。」

「そうか。」

「よろしくな。美井。」

 そう言うと筧は美井の頭をなでると、にこりとほほえんだ。

”按針曰く、この少女ある国の・・・どこだか忘れましたがの国の忘れ形見だそうで。名前だけは知られていけないと言っておりました。ご注意くださいませ。”


 いつもの往来・・・いつもの木の梢、田舎の山奥の碓氷関は関所である。だが関所と言うだけ合って怪しそうな人間は通す気はない。ここの勤務でも仕事があれば楽ではあるがここは閑職と言われても仕方のない僻地である。今日も旅路を急ぐ旅人の手形を確認する日々である。

「お前ら、名前は?」

「拙者、真田幸村と申す。」

「ん?真田?」

 顔を覗いてみるが、よく分からない。

「どうしてここへ来た?」

「あ・・・いや・・・。」

「あの・・ですね・・・この方・・・。」

 そう言って小さい男がしゃしゃり出てくる。どうも、この集団で旅行しているんだろうか・・・。

「かの有名な真田信之様の遠縁に当たる方でして。」

 野武士・・・幸村は不満そうにじっと役人を見つめる。その顔はきっとどこか不満があるのだな。

”おおかた職業など色々聞かれるので、こう答えれば、すんなりと通れると思い申す。半蔵殿にも徹底していただけるようお伝えくだされ。”

「流石に江戸に行ってもなかなか飯が食えぬので、一度聞いた縁を頼ろうとこうして、一家で参っている次第でございます。」

「手形を見せてみろ。」

 役人の俺たちにはいつもの作業である。

「ほう、これは・・・。」

 確かによく発行されている手形だが・・・珍しい、内府様の物だ。

「どうして・・・内府様の名前がある?」

「それは・・・。実は・・・妻が・・・大奥にいまして・・・。」

「ほう?」

 多くはこの当時新設された世継ぎを生む為の特別組織である。

「その関係で頂いたので。」

「じゃあ、その妻はどこだ。」

「今は大奥でございます。」

「確か大奥ってのは?」

 隣の与五平ならよく知っているはずだ。

「ああ。確か、女だけなんだと。だからそこで飯炊きぐらいはするだろうさ。」

「それでか。」

 俺は納得したように手を叩く。

「じゃ、まあ通っていいぞ。」

 そう言って真田一家達は通り過ぎていった。今日も平和だ。こうして立っているだけでおマンマが食えるのだ。彼らもまた生きていくのに必死なのだ。

「でもさ、大奥ってさ。どのぐらい奥なんだよ」

「さあ?」

 碓氷峠は今日も平和だった。


「ま、こんな物か?」

「焦ったな。」

 青海は汗をぬぐう。

「あせった。」

 しまも緊張したようだった。関所の横には番所があり、そこには常時二十人前後が待機している。

「これはまあ、普通の関所だ。むしろこれから先の方がきついぞ。」

「まあな。ここからが勝負だ。またしばらく街道は使えないしな。」

 この周辺には街道筋に関所があるのには幾つかの理由がある。一つは往来の確認。そしてもう一つはこの先に要因だある・・・。

「どうして・・・?」

 少女は不思議そうに山を見つめる。

「ああ。この先は地獄だ。」

「ん?」

 しまも不思議そうにこの先の峠道を見る。筧も額から脂汗がたれる。

「今までのは楽しい旅でも、こっからは死ぬほど難所の碓氷峠だ。」

「今まで出来るだけ食糧を使わなかったのは、ここの為だと言ってもいい。気だけは張ってくれよ。」

 信繁はそう言って真剣な顔つきで峠を見つめた。


 それからの道のりは日々がけや獣の警戒の日々だった。昼は周囲を警戒しながら進んでいた。夜は火を囲みながら佐助や美井達に字や武術、半蔵や信繁からは忍びの技についての話を教えていた。その間の山道は彼女達にとってはある意味修行そのものであった。

「まあ、こういう時も悪くはない。」

 信繁はそう言いながら空を見つめた。最後の関所からもう1週間以上は経っていた。時折山の中腹を休みながら進む強行軍だった為、もう日の感覚が薄れつつあった。

「それでもある程度は急いでくれよ。俺も仕事がたまっているからな。」

 半蔵は言いながらも空を睨んだ。

「でもこれは・・・。」

 筧も心配そうに空を見つめる。雲の流れが速く、また、肌に湿り気が吸い付いていた。

「ああ。確か、このあたりだと・・。麓に村があるはずだ。」

「ん・・・?どうしたの・・・?みんな・・・?」

 美井が周囲の慌てぶりに不思議そうな顔をしていた。

「雨がそろそろ来る。」

 しまが珍しくまじめな顔で空を見つめる。

「一刻か二刻(今で言う二時間から四時間)か・・・。それぐらいだな。」

 信繁が空を見つめていた。

「雨具はあるのか?」

「雨具はあるが・・・この辺りは土がもろい。だから流される危険もある。念のためだ。降りた方がいい。」

 そう言いつつ、下を見つめる。周囲の暗さはもう夜半と変わらぬほどである。曇りの雲の流れも速い。

「行くぞ。」

そう言うと信繁は一気に麓まで降り始める。

「は。」

 その声に全員が下に向かって走り始める。しばらくすると・・・日は沈み、夜も暗くなってきた。当時の人々の多くは新月の暗闇にならなければある程度の物が認識出来る程度に夜に物を見る事が出来ていた。その為に夜走る事へは不安がない。

「でもこのあたりは・・・。」

「ああ。」

 青海の不安そうな声とともに周囲への警戒を強めているようだ。

「何かあるのか。」

「昔聞いた事がありましてな。」

 筧も不安そうな顔で急いで信繁の横を守るように、抑えに行った。

「ん?」

「昔ですね。このあたりに、ちょうど武田の残党・・・まあ我々もそうですが・・・この周辺一帯で悲惨な死に方をして・・・。」

 筧の青ざめた顔を全員で見つめ、足を止めてしまう。

「で、この辺一帯でその時の亡霊が出ていると言うんですよ。」

「ぼ、亡霊?」

 佐助が驚いた顔で周囲を見渡すが、もう日が暮れた山。周囲に見える物はもうほとんど無い。

「おれ・・・。そんなの話でしか聞いた事ねえぞ。」

「まあ。昔この辺にいた時に話を聞きましてな。ちょうど過ぎた辺りだったので見逃していましたが・・・。まあ・・・来るとは思わなかったのでつい忘れていました。」

 筧の焦りが周囲に焦りを与える。

「そうか・・・。なおさら急ぐぞ。そんな変な幽霊とかに邪魔はされたくないからな。」

 信繁は焦りで額の汗をぬぐうと、周囲を見渡す、麓近くまで降りてきている。

「少し待ってくだされよ。」

 半蔵は近くの木を見繕うときにするすると登り始める。

「あそこに光が。」

 半蔵が声を上げると木を飛び降り、指さす。確かにあの辺りは少し明るい・・・ように見える。

「行くぞ。」

 そう言って全員はその明かりの下に全員が走っていった。そこには小屋と言うには大きい。家がそこにあった。暗くて見えないが周囲には畑もあるみたいだ。

「頼もう。頼もう。」

 信繁は全員を制し、前に立って、戸を叩く。

「どなたでしょうか。」

 そう言って出てきたのはみすぼらしい感じの・・・夫婦だった。

「拙者達道に迷い申して・・・一泊お願い出来ないでしょうか。」

 そう言い農民らしき男は外を覗く、雨は降り始めていた。雨はぽつりぽつりと降っていて、シトシトと音が鳴るような雨だった。

「いいだよ。ま、布団はねえから、そこだけはかんべんな。」

「ありがとうございます。」

 そう言うと全員が中に入る。中はそれなりの広さで、全員が寝そべる・・・ほどは無い。

全員が中に入ると窮屈にも見えた。中はそれなりの大きさの小屋だった。そこに男が4人、少女が二人押しかけるわけだ。

「ま、よく来ただな。」

「はい。」

 そう言うと中央にあるいろりの前に全員が座る。普段は、二人だけだろうが、こうしてみると・・・やっぱり全員がいるだけの場所がない。半蔵と筧は壁に寄り添い、外側にいた。

「あんたら、どうしただ?」

「いやあ、道に迷ってしまって。ちょうど見たら明かりを見かけてね。」

「そっか。大変だったな。」

 男は、いろりに薪をくべる。

「はい。」

 そう言うと妻らしき女性の人は奥から大きめの鍋を一つ持ってくる。そして奥から余りであろう物を続々と鍋の中にぶち込んでいく。その間も男はじっと信繁を見つめていた。

格好だけで言えば、信繁の格好は侍と言えば・・・侍そのものであった。

「お前さん・・・。名前は?」

「俺か・・・。俺は、真田・・・幸村と申す。」

 そう言うと、信繁は大きく頭を下げる。それに合わせるように全員が頭を下げる。

「で、どうしてこんな所に、来ただ?・・・いや・・・ここを通る人はほとんどいねえ。推して知るべしか。」

「すいません。」

 そう言って更に大きく信繁は頭を下げる。

「いいだよ。そろそろか?」

「少し・・・。」

 そう言って半蔵は鍋のにおいをかぐと懐から何かを取り出し鍋にほおり込む。

「これは?」

 信繁も不思議そうに見つめる。

「拙者の身内らで昔開発した・・・特製兵糧丸だな。で見たら、調味料とかが無かったみたいなのでな。そこで入れてみた。泊めてもらったお礼ですから。そこの御仁も食べてみたら。」

 兵糧丸とは、当時忍者達が開発した非常用食糧の一種で、その多くは味噌に何かを混ぜ、固めて丸くて、乾かして、持ち運びが出来るようにした滋養強壮食である。その内容は里ごとや国ごとに違い、味付けや効果も違う。この戦国後期ぐらいになると、兵士に持たせた兵糧丸から”味噌汁”が開発され、”味噌汁”が全国的に広まる前後とも言える。兵糧丸の食し方には色々あり、”そのままかじる”、”串に刺して焼く”、”鍋の中に入れて、溶かして食べる”、”肉にすりつけて、一緒に焼く”などがあり、ある意味戦国時代が生んだ生活習慣とも言えよう。

「変わっているだな。」

 そう言って箸を取り出すと、男は中の物を一つ取り出し、口にほおり込む。

「こ、これは・・・。」

「特にこれは・・・今日みたいな寒い日とかに飲むと非常に旨い。」

 半蔵は水に指を突け、なめてみる。思った通りの味らしく、満足そうな顔だ。

「おっかあ。食べてみる。旨めえぞこれ!」

 男は興奮して手招きすると、妻はゆっくりとお玉と器を持ってくる。

「皆さん。今日は・・・これしかありませんが、どうぞ。」

 そう言って全員の目の前に器と箸を置いて回った。しまは食べようと箸を構えるが、それを信繁が手で制した。その後に皆の前に割り込んで座ると、自分の器に汁を器にに入れる。茶色の液体が香ばしい香りを部屋中に満たしていった。

「これは・・・おめ・・・これは旨いだ。」

「だろ。」

 半蔵は満足した顔だった。

「では、頂かせていただきます。」

 そう信繁は器にお玉で汁をよそうと、皆にお玉を回し、食事を始めた。その日は鍋に満足すると、皆がそれぞれの場所で寝始めた。そのままシトシトと雨が降る中、皆が眠り、そして朝になった。

「昨日はほんとに・・・あれは・・・。」

「お早うございます。」

 男は朝目が覚めるとそこには起きて座っていた信繁の姿があった。農村の朝は早いがそれにも増して朝が早かった。

「おはよう。」

「あんた・・・お侍さんなのに速えな。」

「そうですか。」

「やっぱりお侍さんか。」

「はい。」

 素直に信繁は頷いた。朝になると雨は晴れたようで、刺す日差しは明るい。だが、その男はじっと考えていた。しばらく下を見つめると、思い立ったように顔を上げた。

「お侍様。ここであったのが縁だ。お願いがありますだ。」

 そう言って男は改まって正座をすると信繁をじっと見つめる。その顔に信繁は答えるようにじっとみつめた。

「どうしました?」

「実はこのあたり・・・妖怪だかが山に住み始めたらしく、皆は不安がっていますだ。近くの奉行様に頼むんだけど取り合ってもらえねえだ。」

「ほう?」

「でだ。その妖怪を退治か・・・して欲しいだ。」

「・・・。」

 その言葉に信繁はじっと考え込んでしまう。

「詳しく聞かせて欲しい。」

「やってくれるだか?」

「それも含めてだ。」

 厳しい顔で外から見える山、を見つめる。

「とりあえず、聞いて欲しいだ・・・。それはもう10年ほど前ぐらいだったと・・・思うだ。昔はあっちの山の所まで、山菜とかを採りに行っただよ。だけんど、時折山ん中から大きな音とかするだよ。んでな。」

「時折?」

「んだよ。昔ん時に行ったときに”ォウォー。ォウォー”って不気味な声がするだよ。」

「狩りとかは行くのか。」

「ああ。昨日の夜の鍋とかに肉混ざってただろ。だかんら狩り似も行くけど昔聞いた妖怪だっけ、その声はもっと大きくて不気味だよ。んでな。その山ん中歩くとさ。大きな声がしてさ。村の者はどうしても大きな声に怖がってさ、んでな。そこである時・・・そだな・・・二年ほど前に一度村の若いもんがその山ん中に行っただ。だけんど一行に返ってくる気配がないんだ。それ以来その山の事をみんな怖がって誰も行かねえだ。」

「その山はどこだ。」

「ああ、向こうだ、家の裏手の方の山だ。近くに田んぼもあって、そこから何か来るかもしんねえと思うと、不安になるだ。」

「そうか・・・。」

 そう言って信繁は歩いて家を出ると、そこには険しく大きい山がそびえていた。今までの山よりも更一層に山が深いようにも見える。

「分かった。」

 当時の武士がいかに非道をしても、その多くの人々が村を離れない理由の一つはここにある。いかに武士が非道でも、村の外に出れば何者に襲われるか分からないからだ。山賊や獣、妖怪や怨霊と呼ばれる物それらが村の周りにいると思えば、そんないつ殺されるか分からない所に行くよりかは村の方がどんなに非道い事をされても安全に思えてくるからだ。

これが改善されるのは、江戸時代よりもずっと後になる。また武士の多くはこういう怪異とかから村を守るのも仕事の一部とされていた。

「だとして・・・どういう手を・・・。」

「どしただ?」

 そう言い、信繁は近くを歩いてみる。夜には気が付かなかったが家の隣には畑があり、田んぼらしき物もあった。田んぼ沿いを歩くと小さいが小川もある。なかなかの環境のようだ。

「ん?どうした?」

 声に後ろを振り返ると半蔵が立っていた。

「ここの旦那にそこの山に済んでる妖怪とやらを退治して欲しいというな・・・。」

「ん?それなら受ければ・・・。」

「受けるつもりだが、少し見ておきたい物もあってな。」

「何が・・・。」

 そう言って半蔵は周囲を見渡すが、そう言うほど変わっている物はない。遠目には泊めてくれた家の主人がじっとこちらを見ている。

「昔、上田にいた頃の話だ・・・。」

 信繁は近くに腰を据えると、その山をじっと見ていた。半蔵は意を察したのかすぐ横に腰を据える。

「あの時は山賊がいるとか言われてな、言ってみたら村八分にされたよぼよぼの親子がいただけだったと言う事があってな。それ以来、そう言う話は話半分に聞くようにしている。」

 そう言って半蔵も山を見つめる。そこには切り立った岩盤がいくつも見える険しい山だった。

「だとしても彼らの不安も変わるまい?」

「だよな・・・。後もう一つ不安なのがある。」

 そう言うと、信繁は首を山裾に傾ける。そこには朝日に照らされた、集落が目に映る。

「この村か・・・。」

 この地は集落からは一刻(二時間)前後かかるであろうと思われる。

「だから、余計に勘ぐっているが・・・。」

「だとしても、どうする。ある程度は急がねばならないだろ。」

 半蔵は呆れたように空を見つめる。

「親父とかは言っていた。困ったときに手を貸すのもまた、侍の努めだと。」

「分かってはいる。だから”どうする?”って聞いたんだ。」

 その言葉にごろっと信繁は仰向けに倒れ、空を見つめる。

「とりあえず、やってみようと思う。すぐに結果が出るとも思えないからな。そこら辺をどうするかだ。」

 そう言うと晴れた顔で信繁は空を見つめていた。

「親父!」

「はい!」

 そう言うと男は走って駆け寄ってくる。

「決めた。受けよう。でだ。幾つか条件がある。」

「はい。」

「一つはしばらくの間ここに泊めて欲しいという事。大方あの山だから山狩りに時間がかかる。その間だけでいいから頼む。」

 寝転がりながら大声を出す信繁につい背筋を伸ばして答えてしまう男であった。

「はい。」

「もう一つは・・・その間、子供達の世話を頼む。」

「は・・・はい!」

 その声に嬉しそうにコクコクと頷く顔に半蔵は一抹の不安さえ感じていた。


「と言うわけで、俺たちはしばらくここに留まる。」

「はぁ?」

 開口一番に不思議そうな顔を青海はした。朝もしばらくした後、全員が外の畑に集まっていた。まだ四月中旬なので、まだ畑は耕されてはいないが、いい畑に・・・見える。

「んあ。妖怪なんて俺たちには関係ないだろうが。」

「だとしても、一宿一飯の恩義。返すのが筋であろう?」

「確かにな。」

 青海は渋々と頷くが、その表情は納得していないようにも見えた。

「でだ、幾つか考えてみたんだが・・・。」

「一宿一飯の恩義というわけじゃないが、青海にはちとあの山道はきつい。」

 そう言って裏山を指さす。

「で、青海には旦那さんと一緒にこの畑を耕してやって欲しい。」

「ん・・・まあ・・・暇だからいいが・・・それでいいのか?」

「まあな。で、筧も一緒にお願いしたい。」

「それはどうして?」

「なんかな・・・見張りもかねてだ。後、そこに小川があるだろ。木を幾つか見繕って細工物とあがあればきっといい物が出来る。頼んだ。」

「分かり申した。」

 何となく意味が分かったのか、筧は頷くと、立ち上がると、近くの山の中にすっと入っていった。

「美井。」

「・・・はい。」

「青海と一緒に留守番だ。農作業とかも覚えておいて損はない。」

「・・・はい。」

 そう言うと少女はとぽとぽと歩いて行った。

「で、拙者は・・・当然山狩りだろ。」

 半蔵はそう言って腕をまわす。

「いや・・・別を頼みたい。裏取りを頼む。念のためもある。」

「・・・了解。」

 そう言うと半蔵は立ち上がり、すたすたと麓に降りていった。

「で?俺は?」

 しまは不安そうに周囲を見渡す。

「俺と付いてこい。山狩りに行くぞ。」

「お、おう!」

 そう言うとしまは立ち上がり、信繁の後をついて行った。信繁は家にいた男と幾つか話すと、妻が青海に駆け寄っていく。大方聞き入れてもらったようだ。それが終わると、信繁はしまに近づいてきた。

「とりあえずは話をつけてきた。山狩りなんだが、一緒に山を歩いて廻るぞ。」

 そう言って信繁は山の麓に向かって歩いていった。


 それからしばらく、信繁一行の山狩り生活が始まった。青海は畑を耕したり、薪を割ったりする仕事だった。筧は木を数本切り出してきて、何かを作っているようだった。元々大阪の家中でも家具の幾つか簡単な物は筧が作ったりしていた経験もあり、何かを作っていた。

美井は筧達の後に付いてじっと作業を見つめていた。信繁達は裾野から少しずつ山頂に向かって歩きつつ、周囲を調べていった。そして夕方になると半蔵がどこからともなく帰ってくる生活だった。その後に半蔵は妻に捕まり、なにやら料理について教えているようにも見えた。

「結構かかりますな。」

 筧の呆れた声と共に筧の組み立てた簡素な小屋を見ながら周囲をうかがっていた。

「これは?」

「川が近いので、風呂などはいかがかと。後は土が乾けばできあがりです。後は、暇つぶしで小物などはどうかと思いました。」

「そうか。」

「で・・・そちらはいかがでしょうか?」

「こっちは予想以上に険しくてな。山頂まではなかなか行けん。」

 信繁は呆れたように裏山を見つめる。

「でしょうな。私でも上りたいとは思えない山ですからな。」

 と筧はため息をつく。

「で、そっちはどうだ?」

「まあな。幾つか話は聞けたが・・・。肯定する物しかない。後はここで・・・。」

 半蔵はもったいつけたように信繁に顔を近づける。

「ん?」

「ここのお百姓さんは・・・。」

「どうした?」

 信繁もつられて顔を近づける。

「炭団子とかの加工品をしている。だから家が離れていた。大丈夫だ。聞く限り怪しい物はない。」

 当時の炭団子、炭というのは早く火がつくとして重宝された燃料である。だが製作に大量の黒い煙が上がる為、村からは距離が離れている事が普通でもある。だがこれの有無は越冬に関わる為、珍重されていた。

「わ、分かった。」

 呆れたように信繁は顔を離す。

「ただ妖怪がいる話はよく聞いた。それともう一つ・・・。お主にはつらいかもしれんがこの周辺の谷で昔、武士が落ちた(没落した貴族や、国を追い出された武士が住み着く事)という話があってな。それも・・・もしかしたらと言うところだ。だから村の者は近づかないらしい。だからと言うわけでもないが、このまま居なかったとか言って帰るべきではないのか?ただの気のせいという可能性もある。」

「お化けが怖いのか?」

「そうではない。」

 半蔵は憮然とした顔で信繁から顔を背ける。

「なら、明日から手伝ってくれ。大方、数日で決着が付く。」

「了解した。」

「そう言えば筧の方に変化はあったか?」

「こちらも無いですね。」

 筧は平然とした顔で組んだ木の様子を確認していた。

「一応聞いておく。お主は・・・どうなのだ?」

 半蔵は怪しそうに信繁を見る。ここ数日の成績はないに等しいからだ。

「まあな。幾つか確証が持てる。幾つかの歩行痕と、何者かがいるらしい。妖怪・・・かもしれないが、何者かがある・・・しかも複数かもしれん。まあ・・・村で他の者で山狩りをさせたりしているかもしれんが、それにしても様子がおかしい。」

「ふむ。それならある程度退魔の装備はしておいた方がいいか。」

 そう言うと半蔵は頭をかき始める。この頃の忍者の多くは最新技術である陰陽にある程度の知識を持っている事が多い。退魔法、天候観測、医療や呪符などである。

「あるなら頼む。」

「わかった。」

 そう頷くと、ぶつぶつつぶやきながら半蔵は家に入っていった。

「大丈夫ですか?」

 筧は心配そうに半蔵の背中を見つめる。

「大丈夫。あいつはそう言うところはしっかりしている。信頼出来る奴だよ。」

 そう言うとちょうど日が暮れて赤くなる山の頂を見つめていた。


 次の日の朝、信繁達・・・半蔵、しま、信繁・・・は近くの小川から山頂を目指し歩き始めた。

「ここは?」

「昨日調べた怪しいところだ。」

 そう言い、信繁は近くの木を指さす。そこには枝が不自然に折られた跡があった。

「確かに・・・これは・・・。」

「誰かがいるという事だ。」

 そう言うと、じっと上を見る。そこには所々折れた枝があった。

「だがこれが声の主とは限るまい?」

「まあな。」

 そう言うと信繁はゆっくりとした足取りで音を立てぬようにゆっくりと山を登る。それに合わせて全員がゆっくりと音を立てぬように上っていく。それから一刻も立つだろう、そろそろ中腹と言うところまでやってくる。佐助が急に左右を見渡すと、口に指を当てる。その行動に全員が硬直をする。しーんとなった事を確認するとしまが近くの岩盤に生えた草むらに腕をつっこむ。

「やっぱり。」

「ん?」

「この先・・・奥がある。」

 そう言って草を押し分けた先に空洞があった。それを見た瞬間、全員が息をのんだ。

「いくぞ。」

 そう言って信繁は先頭に立ち、洞窟の中に入っていった。中は暗く・・・当時夜目が利くとはいえ洞窟の暗闇を見通すほどではない為、それほど先が見えるわけではない。

「待たれい。」

 半蔵は懐から小さな鉄の板を取り出すと近くの草を引きちぎり、鉄の板の上にのせ、火をつける。すると、周囲が明るくなった。

「おめ、これ何だよ?」

「ああ。これは簡単な明かり取りだ。こうやると、丁度いい高さになるんでな。」

 そう言って明かりで洞窟内を照らす。どうもここは自然が作り出した洞窟らしいが。

「ここかもしれんな。」

 信繁が軽く警戒しながら周囲を見渡す。

「ん?どうして」

「この洞窟・・・。他の動物の気配がしない。普通このあたりなら、コウモリとかの生臭い臭いがするが、それが少し乾いている。」

「そうなのか?」

 しまは不思議そうに周囲を見渡す。彼女自身洞窟には縁遠いため、よく訳が分からない。

「だと思う。警戒は解くなよ。」

「おう。」

 そう言うとしまは腰の刃物を抜いた。半蔵はしまの前に出ると、いつもよりゆっくりと歩き始める。

「でも、どうしてこんな所に洞窟が・・・。」

「さあな。只。ひんやりしている。」

 信繁もゆっくりと歩いてはいるが、様子を窺う色合いが強い。

「が、人・・・かどうか分からんが、何かはいる。」

 半蔵は明かりの先を指さし告げる。その先には木の板らしき物が壁みたく道をふさぐように建てられていた。中からか細い・・・。明かりみたいな物がこぼれている。信繁はそれに気が付くと、乱暴に木の板を叩く。

「どなたかおりませんか!拙者、真田幸村と申す。」

「え、へあ、へ」

 奥から女性らしき声が聞こえるのを確認すると、信繁は木の板の周辺を探りはじめる。

「おい、大丈夫なのかよ。」

 しまは不安そうに半蔵にすり寄る。

「これで合っている。第一、木の壁があるなら、木と木の隙間で誰かがいるのは分かっているはずだ。警戒しているなら、おびき出せるし、敵意がなければ、それなりの反応があるはずだ。」

 そう言って緊張した面持ちで信繁を見つめる。

「だ・・・誰だ?」

 板の間の奥から声が聞こえる。

「俺は真田幸村だ。幾つか聞きたい事がある。」

 奥の声の主はしばらく沈黙すると板の壁の一部が開き始める。

「入れ。見つかりたくない。」

 そう言うと三人は言われるままに中に入ると適当なところに腰を下ろす。

「で、お前ら、何のようだ。」

「幾つか聞きたい。お前、この辺で暮らしてどのぐらいになる。」

「・・・。わかんない。」

 暗がりから聞こえる女性の声は薄明かりの燭台の光を持ってしてもなかなか全容が見えない。

「そうか、じゃあ・・・どうしてここにいる?」

「オラ・・・逃げてきただ。」

 そう言うとふと女性の声の主の視線を感じる。不審がっているようだが・・・。

「どこから?」

「南の山からだ。」

「南の。」

「どうして?」

「ん、あそこは・・・夜な夜な変な奴が徘徊してる。最近はこのあたりまで来てる。」

 そう言うと、声の主は信繁によってくる。漏れ出る光からは鳥の羽が見える。・・・鳥の臭いもきつい。

「・・・?徘徊?じゃあ、時折雄叫びを上げたりしているのか?」

「いや、オラはしてない。第一あいつらに叫び声あげても何も反応しねえ。」

「村の者に手をかけた事は?」

「・・・ある訳ねえ。」

 そう言うと、一度外を確認したらしく、しばらくして元の位置に戻る。その頃にはしまがおびえたような顔を・・・いや、確実に怯えていた。

「そっか。麓のもんに頼まれてよ。この辺に妖怪がいると。ならその徘徊している連中だと思うが、いつ見た?。」

「そだな。最近こっちに来ているから、今夜あたりに来るかもしらん。」

「そうか。なら、そいつらをも見てみたい。夕方に来る。」

「・・・。お前らそう言って騙す気じゃ無かろうな。」

 暗がりから女性の声の主のきつい視線を感じる。

「・・・。」

 その言葉に全員が押し黙ってしまう。

「そうだな・・・。」

”あ、お前ら!”

 遠くの声に振り返ってみると、子供達であろう、数人の小さい影が確認出来た。

「ん?」

 子供達は一目散に信繁に走ってくると・・・。

 ドガッ!

 勢いをつけて跳び蹴りを背中にぶち当てる。

「んってー!」

「お前ら、トリさんをどうする気だ!離れろ。」

「・・・。お前ら・・・。」

 子供達の顔は暗がりで見づらいが、暗がりの中でも、何か鼻をすする音と、目のあたりで輝く反射光があるのは分かった。

「おめえら!何してんだ!」

 しまは立ち上がると、睨み詰める。

「・・・ん?村の者に頼まれてな、妖怪退治だと。」

「ん!おめえ!」

 そう言うと子供達は走ってトリさんと信繁の間に割ってはいる。

「トリさんは・・・妖怪なんかじゃねえ!だから、だから・・・。」

「わかってる。」

 信繁は落ち着いて座ったままじっとその子達の瞳を見ていた。

「だからトリさんから妖怪の話を聞いていたのさ。・・・だからその妖怪を退治してやるから安心しろ。」

 そう言って信繁は強く音が聞こえるほどに大きく胸を叩いた。

「じゃあ、トリさんを連れては行かないんだな。」

「連れるってどこにさ。」

 信繁の声に子供達全員が涙を流す。

「お前ら・・・信じていいんだな!信じていいんだな!」

「オラ、大丈夫だ。だから泣かないでくろ。」

 トリさんも涙声で子供達に覆い被さり、涙した。

「少し、外の様子を見てくる。今夜・・・ここにいるけどいいな。」

 信繁は冷静にそう告げる。

「・・・分かっただ。この子達に迷惑かけねばいいだ。」

 トリさんはそう言うと渋々と頷いた。その声を聞き大きく信繁は頷くと信繁は外に出た。

「どうするよ。あれ。」

 佐助は外に出ると不審そうに洞窟を見る。

「あいつも・・・妖怪だろうな。」

「・・・だが悪い奴ではない。どうする気だ?」

 半蔵は言葉を続ける。

「うなり声を上げる奴を確認する。俺はここにいるつもりだ。」

「そうか。」

 半蔵は大きく頷く。

「でだ、しま、頼みたい事がある。」

「おうよ。」

「下の村人に知られないように青海を連れてきてくれ。青海の事だ、かなり時間がかかるが、あいつが必要だと思う。」

「分かった。」

 そう言うとしまは、左右を一度確認すると一目散に山を駆け下りた。

「で、拙者は?」

 半蔵は空を見つめる・・・日はちょうど真上にあった。

「俺と一緒にここにいろ。あいつが不審がる。もし暇があるなら、ある程度の用意をしておいてくれ。」

「どうしてだ?」

 半蔵は不思議そうに周りを見渡すが、何も見えない。

「麓を調べていたときに複数の具足跡を確認している。人里を避けてかどうか分からないが、いくつもあった、だが少し様子がおかしくてな。」

「ん?」

 その言葉に半蔵は信繁に顔を近づける。

「それが、どうも足の間隔が普通の奴より短い。だから、けが人だと思っていた。だからさっきの場所にいた奴かもと思っていたが・・・。」

「それは違った。」

「だな。」

「だと知れば、叫び声の正体が何者かだ。」

「何もなければ・・・。」

「だろうな。」

 信繁は周囲を見渡すと、山の斜面に経つ険しいところの為、下の川も遠くに見える。

「今晩わざと泊まって確認するつもりだ。」

「了解した。」

 そう言うと半蔵は入り口にどかっと座り込んだ。


 しばらくすると山は夕刻になり、子供達も心配層ながらも帰って行った。その間半蔵が木の枝を見繕い、子供達にオモチャを作り、子供にあげていたりしていた。だが帰ると洞窟にも静寂が訪れる。

「お前、こんな生活いつまでしていた?」

 信繁が、洞窟の入り口に座り奥に声をかける。

「そだな、生まれてからか・・・もう覚えてねえ。」

「そっか。」

「お前、これが終わったら、俺たちと上田にこねえか?」

「うえだ?」

「上田にゃあ、お前みたいな奴がいてな。そいつん所に行ってみてはどうだ?」

「そだな・・・それもいいかもな。あん子には迷惑かけれねえ。」

 トリさんは感慨深く話していた。

”おぉー。ぉうぉーん”

「でも、おめえ、オラみたいな奴が怖くないだか。」

「そういう奴と幾つか出会った事があってな。こんな事でこわがりゃしねえよ。」

”おおぉぉぉぉぉー!んんぉぉぉぉぉうぉん”

 うなり声とも、叫び声とも付かない声が周囲にこだまする。

「来たか!待ってろよ。」

「・・・オラも行く。オラの事でもあるしな。」

 そう言って奥からドスドスと音が聞こえてくる。

「!!!」

 入り口を見張っていた半蔵と信繁も一度目を丸くしてしまった。月明かりを浴びて出てきた姿は確かに二足歩行であった。鳥のような毛むくじゃらの足をしていた。鳥のような体毛がびっしりと身体を覆っていた。腕は太く、背中にも羽毛がびっしりと生えていた。顔は人に近いが、毛は長く、至る所に毛が生えていた。だが驚いた事はそこではない。その大きさだった、二尺(196cm前後)ほどもある巨体と腕や足の太さであった。

「ん?どしただか?」

 トリさんは不思議そうに半蔵達を見つめる。しばらくして信繁はその身体をなめ回すように見つめていた。

「なんか・・・こう・・・いいねえ。」

「・・・!お主!」

 半蔵が驚いて信繁の顔を見る。だがその間にもうめき声は近づいていくる。

「だが、拙者の予想通りなら・・・。頼もしいな。」

 半蔵は刃物を抜き払うと声のした方角を見つめる。

「あの声に聞き覚えがあるのか?」

「・・・お主、大阪城にいて、一度も会っていないのか?」

「ん?」

「なら、説明の一手間が省けた。お主、怨霊退治の経験は!」

 半蔵は懐から水筒を取り出すと持っていた直刀に水をかけ始める。

「昔はよくやったもんだ。」

 信繁は腰の短刀を抜き払うと声の方を睨みつける。

「なら善し!」

 半蔵は構えたまま声のした方に明かりを向ける。

「なにがあるだ?」

 トリさんは不審そうに明かりの向こうを見つめる。明かりからは、ぼろぼろの具足を身に纏ったゆっくりと歩く人間が近づいてくる。口々にうめき声を上げている。数人は何故か木にかぶりついている。

「死人だ!」

 その声に反応して数人・・・数体の死人が声に反応してノタノタと歩いてくる。

「こいつらなんだ?」

 トリさんも近くで見るのは初めてらしく、興味深そう見つめていた。

「お主!南の山で何か見かけなかったか?」

「そだな・・・そう・・・そうだあな・・・。昔の事だ。山で黒い奴が何かしているから、なんだと思ってみていただ。こいつらが立ち上がっただ。よく分けわかんねえから帰ったけど、それから叫び声がうるさくて。」

「そ!れ!だ!」

 半蔵は呆れながらも死人に駆け寄ると一気に距離を詰め、斬りつける。しばらくすると死人は動かなくなった。

「気をつけろ!死人は近づいた者全てにかみつく。」

「了解!」

 そう言うと信繁は近づいて来た一体を短刀でぶち当て吹き飛ばす。だがしばらくすると立ち上がり、よろよろと信繁に近づいてくる。

「離れろ!」

 トリさんの周りに数体の死人がからみつくが、無理矢理ふりほどく。

「死人にかまれると!しばらくするとあいつらの仲間になって復活するぞ!」

「あ・・・ああ。分かった!」

「わ、分かっただ。」

 二人はコクコクと頷いた。

「その水は!」

 半蔵の様子を見た信繁の危機感ある声が死人の間に響いていく。

「これか!これは清めの水だ!これが一番効く。!」

「なら、悪霊と変わらんか。」

 そう言うと短刀を構えると呼吸を整える。

「行くぞ!村正!」

 その掛け声とともに短刀が少しばかり輝きを増す。次の瞬間!信繁に飛びかかる死人に短刀でなぎ払う。その勢いに跳ばされた死人は動かなくなった。

「それは?」

「ああ。代々伝わる物でな。退魔の刀よ!」

 そう話しながらも数体の死人を信繁は吹き飛ばしていた。

「流石にこの場所じゃあ刀は振り回せねえ。だからこれしかないのが玉に瑕だがな。」

 確かに周囲には太い木々が生え、刀を振るえる環境ではない。半蔵の刀は森林戦を考えられた少し短めの刀が用いられている。

「おらはどうするだ?」

 トリさんが死人数体に距離を取り、はじき飛ばすも効果は薄い。

「自分の命は自分で守る!」

 半蔵が答えるが、置いた燭台からの光の先を見ても死人の群れが途絶える事はない。

「だがこれは数が多い!」

 信繁はトリさんとの距離を少しづつ縮め、庇うがその数は多い。

「何か・・手はあるか?」

「・・・何体いるかだな。」

 半蔵は答えながら刀を振り回すが、少しずつ、入口に追いやられてくる。

「トリさん!入れ!」

「分かっただよ!」

 トリさんは急いで洞窟の中にはいると信繁はその入口を身体でふさぐ。それに伴い半蔵も入り口を固める。だが数は多く、しばらく模すると二人の顔に焦りの顔が見えてくる。もう戦い初め、半刻(一時間)は経つ。

「早く来いよ・・・。青海・・・。」

”ぬぅぉぉぉぉぉぉおおおお!”

 遠くから死人とは違う野太い声が聞こえてくる。

「青海!」

 下の方から走って駆け上がってくる青海の姿が見える。その横ではしまも死人達をなぎ払いながら駆け寄ってくる。

「なんだあ!こいつら。」

「噛まれるなよ。」

 信繁は声を上げる。その声にほっとしたところがあるのを半蔵は聞き逃さなかった。

「こいつら!悪霊みたいな奴らだ!青海、あれを頼む!」

「応よ!」

 大きな体を揺らし無理矢理入り口まで来ると武器である鉄の棍棒を立て掛け、手を合わせる。

「時間だけは稼いでくれよ。」

「わかった。」

 青海は信繁のうなずきを待たず、念仏を唱え始める。その声は周囲に響き普段の青海とは違う一心不乱に念仏を唱える姿に威厳さえ感じられた。念仏が響いてしばらくすると死人達の歩みが徐々に遅くなっていく。倒れる死人さえ現れ始めた。

「・・・これは・・・。」

「まあな。これが縁でこいつと会ったようなものさ。」

 しばらくすると青海が首を縦に振る。それとともに声の根元に向けて歩き始める。信繁は先導して歩き始める。半蔵も明かりを持って前を照らす。周囲は動かぬ死体の山となっていった。

「これは・・・。」

 半蔵は驚いて青海を見つめていた。

「こいつ腕はいいんだけどな、酒が好きで寺を出てな。それで俺ん所にきたわけだ。」

「そ、そうか。そう言う事が出来るなら早く言って欲しかったな。」

 半蔵は呆れて青海を見つめていた。しばらくうろつくと、死人の姿は見あたらなくなり、周囲に死体だらけになった。

「これ・・・位でいいか・・・。」

 青海は息も絶え絶えに信繁に聞いてくる・・・まもなく木の幹に無理矢理寄りかかった。

「ああ。感謝する。」

「すごいな・・・!お主・・・!今までお主の事・・・只飯食らいと思っておったぞ。」

 半蔵は感心したように青海を見つめた。

「それはないぜ。」

 青海は口を少しつり上げた・・・それぐらいしかできなかった。

「すんごいな・・・お前ら。」

 トリさんが感心した顔で近づいてくる。

「これ・・・結局何なんだ?」

「これか・・・死人だ。」

「それは分かった。」

 信繁も不思議そうに死人の跡を見つめるが、もう普通の死体に見える。

「昔な、戦場跡があるとその死体をよみがえらせる反魂の法を試した奴がいてな。それは理性さえなく只歩き、噛みつくだけなんだ。ただな、噛みついて死なせた奴はあいつらの仲間になっちまう。」

「そんなのが・・・。」

 半蔵はじっと死体を見つめる。具足の胴の部分には四菱が刻まれている。昔・・・武田の兵士であったのだろうと思われる。

「拙者が見たのは各地でもあるが、一番最近は大阪城だった。」

 その言葉に青海達は言葉を飲んだ。

「拙者たちがいた、正門周辺は最初普通の攻城戦だった。しばらくして何故か同士討ちを始めた。不思議に思い兵をかき分け近づいてみればどう見ても死んでいる兵士達が立ち上がり、味方に向かって襲いかかっていた。どうも近くで動いている奴に本能的に襲いかかっているようだった。これで混乱した兵士達は一目散に逃げ出した。むろん後続は突撃する。

そこで混乱した兵士達は撤退を余儀なくされた。むろん死人を確認した我らは退治したが、その時には兵士達の士気はなくなり、攻める事は出来なくなった。そして、冬のあの日。俺たちは引き上げる事にした。」

 その言葉に全員が絶句した。

「例え死人が出るにしろ、戦闘中で死人が出た事はなかった。だから徳川軍は慌てて対策を立てようとするが、それが数多くの人間がいる戦場で出来るはずもなく、裏門は・・・お主が奮戦したお陰で攻めきれなかった。」

 その言葉に信繁はうつむいてしまった。正門でそんな事が起きているとは考えた事もなかった。

「そして・・・撤退した。」

「だから・・・お主は死人の事を知っていると思った。」

「俺は・・・こういう類は退治はしてきたが、使った事はない!」

 信繁はじっと地面に転がる死体を見つめた。もう動き出す事はない。

「俺が豊臣を嫌いのなのは、これのせいでもある・・・。だから・・・。」

 そのまま半蔵は押し黙ってしまった。全員がその姿をじっと見るめるしかない月の明るい夜の事であった。


「でもいいだか?」

「幸村兄ちゃんが言ったんだ。いいだろ。」

 結局朝まで念のため洞窟で仮眠を取った一行はトリさんを連れて山を下りる事にした。いつまでも逃げていては為にならないと判断したからだ。むろん子供達にも説明した。最初は不安がったが最後には折れてもらった。

「来いよ。」

 信繁は先に行って家の主の所に向かっていた。

「なにがある?」

「付いてくれば分かるって。」

 そう言って信繁は旦那を引きずってきていた。

「どれ・・・。あぁ!よ、ようヵい!」

 旦那が顔を上げるときに隠れは恥ずかしそうな顔をしたトリさんの姿があった。

「やっぱ駄目だぁ。」

「すまん。頼む!こいつをここで引きってもらえないか!」

「確かに退治はしてもらっても・・・。」

 急な事で腰を抜かした旦那はそのままの格好でじっとトリさんを見つめていた。

「すまん。頼む。」

 そう言うと信繁は腰を抜かした旦那の前に正座すると頭を思いっきり下げる。それを見た子供達も駆け寄って頭を下げる。

「「お願いします!」」

 頭を下げた声に筧も遠巻きでこちらを見つめる。

「・・・・・・・・・。」

 黙ったまま立ち上がったた旦那は、そろそろとトリさんに近づく。その大きさは極端で、老夫婦達と比べ、二回り以上の・・・かなりの巨体でもある。

「手伝える事なら何でもしますので、置いて・・・ください。」

 トリさんのか細い声が旦那の頭上から響く。

「・・・おらを食わないだか?」

「・・・くわねえだ。」

「・・・分かっただ。お侍様。退治してもらったから・・・。村長には明日、紹介するだよ。家に来い。今日から・・・家族だぁ。」

 声がかすかに震えながらも、旦那は信繁を振り返った。その声を聞いた瞬間トリさんは喜び旦那を抱き上げるとそのまま一緒に回り始める。

「あんりがとだよー。」

「感謝する。」

 信繁が頭を下げたまま答えた。子供達も嬉しくて、振り回されている旦那と一緒に回りはじめた。・・・旦那は・・・気絶していた。






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