第三節 1614年3月下旬 真田信繁と江戸の町
ついに江戸に着いた真田信繁御一行は江戸の街にとどまるため、半蔵にある寺の宿坊を紹介される。そこには・・・。
第三節 1614年3月下旬 真田信繁 江戸観光を楽しむ
江戸。この当時の江戸は、新規開発中ではある者の、大きさは京都に匹敵するほどの大きな都市であると同時に水運が発達しており、通路には船が多く行き来していた大水運都市であった。ただ、このときはまだ幕府を開いて間もないため、まだ市民達が集まるには少し時間がかかり、まだ世界一の都市としての片鱗を見せていなかった。
「だがまあ、京も大坂も見たが、ここは大きい。そして何より新しい!」
信繁は市内に入った一言目がそれであった。
「真田様。これではお上りさんみたいな者。恥ずかしいですぞ。」
と言うかけいもまた、首が落ち着く事なく左右に振れていた。
「ここが、徳川の拠点か。」
そう息巻く青海も落ち着きがない様子ではある。
「それは流石に違う。」
半蔵は、呆れたように町をあるでいた。
「でも・・・まあ・・・三島よりでっかいところを見たの初めてだぞ。」
しまは目を輝かせてあらゆるところを見渡していた。
「今、豊臣方が何かしないように半分以上の部隊を駿府の内府(徳川家康の居城、駿河城)に集めてある。だから、あんな半田山みたいな輩が出てくるのだ。だからここは秀忠様の居城というほうが今は正しいのだろうな。」
そう言いながら先頭を歩いていた。
「でもまあ、元は沼地とか聞いていたが、ここまでなるものか?」
「それはまあ、土地の改良に年月をかけてきたからな。」
「で、どこに行こうというのだ。」
信繁は周りを見渡していたがそれ相応に建物が大きいため、なかなか周囲が見渡せない。「まずは宿というわけでもないが、あるお寺で休息してもらおう。我々の手助けをしているあるお方の寺だ。」
当時のお寺はいくつもの役割がある事が多く、一つは拠点。一つは情報収集などがある。基本的にどんな乱暴者がいてもそう簡単にお寺は襲われない上、大名などが入っても怪しまれないため、密会をする場所としても存在している。しばらく歩くとそこには立派なお寺があった。当時の寺は大きいところなら宿坊を備えている事が多く、泊まる事が可能であった。
「結構おおきな寺だな。」
「お主らを普通の宿に泊まらせる事はできないからな。ま、しばらくはここが拠点となる。湯船もあるし、疲れを取るには十分だろう。」
「おぉー。湯まであるとは、流石、徳川。」
青海が驚いたような顔をしている。
「第一、湯ってなんだ。」
「知らないのか?お主は・・・。まあ、そうだろうな。普通のところではまず目にかかる事はないからな。」
筧は普通の顔で言ってはいるが、にやけが止まらない。当時湯船は大名だけが入れる贅沢の一つでもある。
「そうなのか。お湯って飲むもんだとばっかりおもってた。」
「だろうな。」
「どうかなさいましたかな?」
建物の門の奥から優しい老人の声が聞こえてくる。
”天海大僧正様!”
声の方を見ると、赤い衣をまとった老人が、こちらに歩いてくる。
「天海殿。こちらにおいででしたか。」
半蔵は、一歩前に出るとじっと目の前の男を見据える。その顔はなぜか緊張に包まれていた。
「砕軍の半蔵殿。お久しぶりですな。任務の帰り・・・そちらの方は?」
「あ・・・天海殿。その呼び名はこそばゆい。言ってくれるなと言ったはずです。・・・しばらくしてから引き合わせる予定でしたが。こうも予定外だと困るものです。」
「・・・そうでしたか。では、明日の予定というのは・・・。」
談笑している様をしまが、口を開けて見つめていた。
「何だ。あの人・・・すっごい偉そうだな。」
「だな。すんごいな。」
「偉そうと言うより・・・偉いんだと思うが。」
三人が唖然として・・・と言うか別次元の人間を見ているように目の前の半蔵を見ていた。
「気がついてなかったのか?」
「はい?」
信繁の声に筧が振り向いた。
「あいつ、おおかたここの忍軍の頭領だと思うが。」
「へ?」
「だから、破鳥半蔵だよ破鳥。昔聞いた事があるって言っただろ、あの飛ぶ鳥落とすとか言う男。あいつだよ。」
「「「えーーーーー!」」」
「あの?伊賀の?」
「俺、腕が8本あって、口から唐辛子吐くとか聞いた事あるぜ。」
「伝説の忍者だー!」
三人の大声が重なる。その声に老人がこちらの方を向く。
「ほっほっほ。流石に客人を放置しすぎましたかな。私、仏門で、精進させてもらっている天海と申す。」
「時々城内に来ていただいて、都市計画とかの指南をしていただいているお方だ。」
その半蔵の言葉に信繁は大きく天海に頭を下げた。その姿に筧と青海はあわてて頭を下げる。
「お初にお目にかかる。拙者、真田信繁と申す。以後、お見知りおきを。」
「礼儀正しいお方だ。流石、真田昌幸殿の次男殿。良く相談に来るお方からその武勇聞き及んでござる。」
「それは・・・。お褒めいただきありがとうございます。」
「そんな謙遜なさらなくてもよい。今日はこちらに?」
「はい。その予定です。」
「それなら、今夜は一献どうですかな。」
「天海殿。長旅でお疲れのお方を立たせたままでどうします?」
天海は微笑みながら袖口から手ぬぐいを取り出すと額をぬぐった。
「そうでしたな。私も客人の身ながらここには慣れてございます。こちらへどうぞ。」
そう言うと天海は、奥に歩いていった。その声に全員が後をついて行った。そのとき袖口を見た信繁の目の鋭さを天海は見逃さなかった。
「ここは、すごいですなー。」
筧が歩いて宿坊に向かう途中の部屋で、しゃべり声が響く。
「そうですな。ここは子供らを預かっていまして。ただ預かるでは芸がないので、学びなどをさせております。」
「そうですか。」
この頃の寺の多くでは、孤児を預かったり貴族の三男等を預かりしている。その中でも規模が大きいところでは、学堂(勉強などをする専用の部屋)に多くの子供と一緒に仏門に入門した大人達が一緒に学んでいた。真田信繁もまた、人質だった頃に数多くの寺を回り、学問に励んだあのころの思い出がよぎった。
「まあ俺みたいな落ちこぼれもいるから。学びがそのまま生きるとは限らないものさ。」
青海の軽い声が聞こえてくる。
「ですが、これからは平和な時代がきっと来るはずです。そのときまでにこの子達には読み書きぐらいは出来ないと。」
「ですな・・・。おや」
天海は微笑みながら頷いて・・・何かに気が付いたように後ろを振り返ると信繁が、柱に寄りかかり学問の様子を見つめていた。
「信繁殿。どうかなさいましたかな。」
「あ・・・天海様。」
子供の一人が声に振り返ると全員が振り返り、天海の元にやってきた。
「てんかい様ー。久しぶりです。」
子供達が周りを囲むと、天海はその子達をなでる。
「みんな。いい子にしていた・・・。ほら、先生が見ている。戻りなさい。」
「はーい。」
天海の声に全員が、学堂に戻っていく。
「信繁殿。子供の学問の邪魔になります。ささ、行きましょう。」
「ああ。」
その声に促されて、何か考えながら信繁はその場を去った。そのとき気になっていたのは学堂のなかで子供が一人だけ、天海の元に来なかった事だ。それは先ほど見た学堂にいた女の子だった。
「うーむ。色々考えさせられる。」
部屋に身内だけになった信繁の第一声がこれだった。しまは不思議そうに信繁の顔を見つめた。その顔は何か思い詰めていたような顔だった。
「いやあな。さっき学堂を見ただろ。」
信繁は周囲を見渡す。そこには青海、筧、しまの三人がいた。半蔵は江戸城へ報告に向かっていた。
「はい。」
「そこに女の子がいた。」
「そう言えば・・・。そうだな。確かにいた。それがどうしたのだ。」
青海は何ら不思議でもなさそうに答える。
「俺が子供の時とかって言うのは、女は家の事ばかりさせられていたから、学問は男の物だと思っていた。だがここでは女も等しく学んでいる。それは・・・なんていうか・・・。」
「確かに。信濃ではとんと見ないですな。」
筧は腰を下ろすとぐいっと腰に付けていた水筒の水を飲み干す。
「確かに平和になれば、と言うか太閤の世でもそろばんは必須ともいえた。だから教わるのは当たり前だろう。」
青海も筧に習い水筒のふたを開けるが、水の一滴も流れてくる事はなかった。
「そう言えば俺は今まで世の中が平和になった後の事なんて考えた事はなかった。確かにここには”平和”がある。」
ふすまを開け、外を見ると、日差しはほのかに暖かく、花の芽吹きさえ感じた。
「確かに、京都みたいなどこともいえない剣呑さも、大阪みたいな騒がしさもありませんが、何というかここには独特の落ち着きがありますな。」
筧は、畳に座り外を見つめる。そこにはまるで平和な光景があった。
「まるでここには昨年の戦なんて、なかったようにさえ見える。ま・・・大坂と江戸で争ってるだけだ。ほかの地域なんて関係ないから、こんな感じで平和だとは思うがな。」
信繁は空を見上げると、小鳥が飛んでいる・・・そんな平和な午後だった。
「俺にとっては、戦がなくなれば浪人どもが食いっぱぐれるだけだ。だから、豊臣方に付いたようなものだ。」
「そうなのか?豊臣ってそんなお金くれるの?」
しまは興味深そうに聞いてくる。青海は面倒くさそうにしまの顔をにらむ。
「そうじゃなくても、主を持たぬ侍にとっては戦は、生きていくために必要な収入源だ。そして出世の機会だ。出世すればおとうやおっかあを楽に出来ると思うから、だから浪人みたいに食いっぱぐれは戦を待つんだ。だが、まあ、平和じゃなければいつ襲われるか分からない生活だから、どっちがいいか分からないがな。・・・どっちがいいのかは分からないものさ。」
「だな。」
筧が同意するように大きく頷く。
「本当に必要な物はそれかもしれないな。」
信繁はじっと空を見つめ、つぶやいた。
「天海様がお呼びです。」
寺の小坊主がふすまを開けるとそこには着流しを着た信繁達が、くつろいでいた。
「どなたをかな。」
信繁は足を伸ばしくつろぎながら、そっくり返りながら答えた。
「信繁様だそうです。後のお付きの方は夜に帰ってきていただければ自由にしていていいそうです。」
「でしょうな。」
当然という顔で筧はうなずいた。
「俺はいってくるけど、どうする?」
信繁は立ち上がると、軽く服を整えていた。
「ま、そこの小坊主借りて、ここの本でも読みあさるとしますか。」
大抵のお寺では仏門等を含めて数多くの本が置いてある。その実豊臣の時代くらいから、字が書ける侍や商家の物達の小遣い稼ぎや夜の暇つぶしとして、写本という物がある。それを寺等で買い取る、また、本を寺に寄進する事で、寺とのつながりを深くする風習等もあり、そのため、お寺には本がある事の方が通例となっている。また、本を見に来るためだけにお寺に通う武家が多いのも事実だ。
「でしたらこちらにおいでください。」
「では、信繁様。私はこれで。」
そう言うと筧は立ち上がると、小坊主を引き連れどこかへ行ってしまった。
「青海はどうする?」
「どうするかな。俺は寺が暇で、破戒僧になったくらいだ。寺の思い入れはない。ま、少し休まさせてもらうよ。」
そう言うと、畳に大の字に寝ころんでしまった。それを見ると信繁は部屋を出て廊下を歩いていく。
”やーい、根暗!”
”根暗じゃないもん!”
”お前、かーちゃんがいないんだって!”
”か・・・か・・・かーちゃんの事なんて言うな!”
信繁が声の方を見るとそこには男の子達が一人の女の子を囲んでいた。その声に反応して振り返った直後脇で突風が吹いた・・・ように感じた。
「おまえらー!いじめてんじゃねぇぞ!」
しまは一気に裸足で地面を駆けると、男を飛び出てで一足等に駆け出し跳び蹴りで胴体ごとあいてを吹き飛ばした。
「お前なんだ!」
「ふざけてんじゃねー!お前ら、かっこわるいとか思わないのかよ!」
そう言いながら、女の子の前にしまは立ちはだかった。
「でもな、気持ち悪いもんは気持ち悪いんだぜ!」
脇にいた男の子が睨みつけていた。
「気持ち悪けりゃいじめていいのかよ!」
「・・・。いいよ・・・。」
どことなく底冷えするような声に全員が振り返る。あの女の子の声のようだ。泣いていたときの興奮から一転、声に重みさえ感じた。
「もう・・・いいの・・・。」
そう告げると、すたすたとしのの脇を越えて、寺のはずれに行ってしまった。その様子にその場にいた全員が見えなくなるまで見守ってしまった。
「あの子は・・・孤児でしてな。」
天海が信繁のそばで、子供達を見ていた。
「なかなか皆に心を開きませんだ。仕方がないとはいえ、まあ・・・どうしたものか。」
「そうか?」
信繁はその様子を複雑そうに見つめていた。
「そうだ。用とは何だ。」
「ここでは何なんですので、こちらで茶をお点てしましょう。」
そう言うと、すたすたと奥に天海は行ってしまわれた。
「そう言えばどうして江戸に・・・。」
天海は茶を信繁に差し出した。周囲はそろそろ薄暗闇で、赤みがかった斜陽が部屋に差し込み、独特の雰囲気を醸し出していた。
「半蔵殿に呼ばれたので、何か見せたいとの事だが・・・。頂きます。」
「そうですか。あの方はああ見えても熱血漢なお方。もしかしたら説得したいがための一念で何かを見せたいかもしれません。」
そう言うと天海は勺で自身の湯飲みに湯を注ぐ。その立ち振る舞いは涼しげであって凛々しく、落ち着き払ったものだった。
「確かに、あの人はこう・・・情熱にあふれるというか・・・。まじめな方ですな。」
「だからこその実直さと、だからこその信頼です。なかなかあれほどの才覚の持ち主は早々いますまい。」
信繁は茶器を置くと、奥に押し返した。
「いいお手前で。」
「感謝します。作法はどこで?」
「太閤の叔父貴の側にいたときに一度利休殿に稽古をつけていただいたのだ。」
懐かしむように遠い目で信繁は天海を見つめた。
「太閤殿・・・秀吉殿ですか。なつ・・・。いや、利休殿に稽古とは流石のお手前。感激いたしました。」
天海は懐から手ぬぐいを取り出すと額の汗をぬぐった。風はまだ春先にしては少し冷たく、夕暮れという事もあって涼しさというよりかは肌寒ささえ感じていた。
「やはり。」
信繁の不思議な感覚は確信に至っていた。
「やはり、太閤のおじきと似た空気を感じる。どことなくこの達観した感じ・・・。もしや・・・。」
じっと言葉を切り見つめる空気に・・・空気は張りつめ温度もあってか凍り付きそうな、誰も動けないような緊張感が張りつめた。
「叔父貴に匹敵する・・・。浅井家の者・・・。もしや・・・明智光秀殿か?」
「ほう・・・。どうしてそう思われましたかな?」
落ち着いたような、それでいて今までの穏和そうな声から一転した重苦しい武将の殺気とも思える越えに、信繁は正座していながら膝に手をかけた。正確に言えば、その殺気で膝を握りつぶさんばかりに痛みを与えねば正気を保てぬほどの殺気だった。
「門で会ったとき、法衣の裏地の一部に浅井家の桔梗紋が飾られていた。そしてこのお年・・・。もしやと思ったまでです。本当にそうならもうかなりのお年の上、最早死んで・・・。」
「何をおっしゃいますやら。」
その落ち着いた声と裏腹に天海は目を細め、その目は人の魂を射すくめようとしていたようにも思える。
「こうして私は生きております。神仏の思し召しです。」
「どう取れば・・・。いいですかな。」
信繁は押し負けまいとにらみ返そうとするが、その殺気の差はいかんともしがたかった。
「私は・・・天海です。それでいいと思います。」
「・・・。解り申した。すまない。」
そう言うと信繁は頭を下げた。
「いえいえ・・・。もういいです。」
そう言うと天海は手を振り、その声に信繁は頭を上げた。湯飲みの湯を一気に飲み干した。それに合わせて信繁は茶器の抹茶を一気にのどに流し込む。あの一瞬、生きた心地はしない。
「何か昔の事を思い出しました。」
信繁は何か遠い目で障子を見つめる。
「と言いますと?」
「昔、太閤の叔父貴が、四国征伐の会議しているところを覗いていたことがあって、いつもは何事もない普通のおっちゃんだった太閤の叔父貴が、その時ばかりは厳しい漢の目だった。」
「それは・・・まあ・・・そうでしょうな。」
「ただ覗いたのがばれた瞬間見たあの、射すくめられるような殺気は流石天下を統一した男だと思った。それ以来、俺は太閤の叔父貴のことが少し好きになった。」
「そうでしたか。」
「その時の目と殺気のあなたの目が似ている・・・。そんな気がしましてな。何か懐かしく思ったのです。」
「そうですか・・・。」
天海は何か思うところがあったらしく、しばらく黙っていた。
「色々考えていましてな。私の考えていた危惧はなさそうですな。あなたが豊臣方にいたのでつい、勘ぐってしまいました。すいませんでした。」
そう言うと天海は大きく頭を下げた。
「いえ・・・。いいです。私も悪いのですから。」
「そう言ってくれるとうれしいです。」
「で、お話というのは・・・。」
信繁は一息つくと、ほっとして、茶を飲もうとするが、そこに茶は入っていなかった。
「本当なら、目的を聞いてから、よければ将棋なぞいかがと。」
「将棋・・・とは?」
「単純に言えば軍議で使われる駒を使った簡単な遊びです。あなたほどのお方ならさぞと思いまして。」
そう言って背後から、良く軍議等で使われる丸い駒がいくつか出てきた。それを見た信繁はしばらくその駒を見つめていた。
「それは・・・。お断り致す。」
「それは?」
「あなたほどのお方と軍議の真似事でもしようものなら、拙者の疲れは更に増して、明日の夜まで寝込んでしまいそうです。」
その言葉に天海は急に口を手で押さえる。その手の隙間から、白い歯が見え隠れした。
「確かに、ここで泊まりに来たものを病に伏させればこの寺院のものに怒られましょうぞ。おもしろいお方だ。」
「あなたほどでも。」
そう言う二人の会話は、端から見れば柔らかく、お互いはじっと見据えていた。
「気に入った。酒でも・・・。あ・・・。」
「どうしましたかな?」
ふと見上げると、もう日が暮れて夜の闇が部屋の半分ほどまで迫っていた。
「そう言えば、私・・・そうでしたな。みだりに酒なぞ・・・。」
「いや、青海は飲んでおりましたぞ。」
そう言うと、信繁は周囲を見渡す。灯りの影も形もない。
「ここの灯りは食事の後に食房から火をもらう事になっていましてな。そろそろ、夕食のあまりでも食房にございましょう。行きませんか。」
「はい。」
そう言うと、天海も立ち上がる。
「そうだ。明日、一献いかがでしょうか。久しぶりに飲み会いたい男に出会い申したので、私が特上の酒をご用意いたす。」
「それはありがたい。青海の奴も喜びましょう。」
「・・・。いや、あなたと二人で飲みたいものです。そうだ。今ならあそこの梅もきれいでしょう。そこで飲みましょう。」
「わかり申した。」
そう言って、立ち上がって天海はすたすたと、大きな明かりがある食房のほうへ歩いていった。
”明智光秀・・・。本能寺の変で討たれたという、織田家を裏切った男。どうして生きて・・・いや、どうして・・・。どうして・・・。どうし・・・。どうして・・・。”
「ああー!眠れない!」
そう言うと、枕元の刀を持って信繁は外へ飛び出した。なんかこう、頭をかきむしりながら刀を抜くと、虚空を粉みじんに切り裂くように刀を振り回す。なんかこう・・・自分の中の感情がうまくまとまらない。
「どうしましたかな。」
声の方に向くと、寝間着姿の天海が立っていた。
「起こしてしまってすいません。」
「今日は遅い。明日になれば忙しくはなりましょう。」
軽くあくびをしてはいるが、信繁はその爛々とした瞳を閉じる事を考えられなかった。
「どうも、こう釈然としません。こう、どうもこうもなくむしゃくしゃ致す。」
「ま、普通はそうでしょうな。」
天海はよろよろと柱に寄りかかると、信繁を温かな目で見つめた。
「拙僧でよかったら素振りの相手いたしましょうか。」
「・・・・・・・・・。それはお断りいたす。そのような老人に手をかけたとならば、名折れとなりましょう。」
「なら、拙僧にそのご自慢の腕を見せていただければ。」
「ならこれをお使いなされ。」
そう言うと信繁は刀を天海に向けて差し出す。
「私はこちらの予備で行いましょう。手加減は致すが、万が一があっても後悔召されるな。」
「確かに。そうなりますな。ただ私もこの齢。早々相手にもなりますまい。それでも、わたしは早々弱いつもりはありませぬ。後悔めされるなよ。」
「それでも構いませぬ。」
「わかり申した。」
そう言うと天海は刀を受け取ると鞘から抜かず少しだけ刃を見せて身体の中央に構えていた。それを見た信繁は持っていた脇差しを抜き、構えた。お互い、分かってはいたようだ。
「お年を召されるあなたの事だ。これで対等だろう。」
構えから一歩も動かない信繁を天海は軽く鼻で笑った。
「この年寄りに恐れをなして攻められぬなら、稽古であっても挑むあれはありますまい。」
「そう言ってくれると嬉しい。」
その瞬間、脇差しを振りかぶると信繁は袈裟斬りで斬りかかる。目を見開いた天海はその刃を鍔止めで受け止めると鞘で強引にいなし、その勢いで刀を抜いた。その瞬間信繁は一瞬の死を覚悟した。身体は鞘でいなされてがら空きになっていた。天海は身体をそのまま勢いのまま回転させて胴を打ち抜く・・・
「な!」
その直前で刃は止まり、天海はそのまま、ばったりと倒れてしまう。
「だ、大丈夫ですか。」
信繁は脇差しをほおり投げ、天海に駆け寄る。
「流石に腕はあっても、身体が追いつかないようですな。さすがは真田殿。その気迫の打ち込み、私の身体ではいなしきれないようで。」
「天海殿。」
「大丈夫ですよ。こう見えてもそれなりには丈夫に出来ております故。」
そう言うとよろよろと立ち上がると、廊下の縁に座る。
「さすがは天海殿。完敗です。」
そう言うと、その廊下に座った天海よりも更に低く頭を下げた。
「さて、これはお返しします。では、明日の夜楽しみにしております。」
そう言うと、天海はふらふらと立ち上がると自分の部屋へ帰っていった。その姿を最後まで信繁は目話す事は出来なかった。。
「おはよう。皆の衆。一日ぶりだが、旅の疲れはとれたかな?」
半蔵の元気のよい声で信繁は目が覚める。打ちのめされた感情と整理が付かない苦しみで
目にクマができていた。
「・・・。早いな。」
筧の第一声は目をこすりながらだった。
「ああ・・・。早ええ。」
青海すらあきれ顔で半蔵を見つめた。
「ふぁぁああぁぁ。おはよう。どうした。半蔵殿。」
「今日はお主達に見て欲しいものを見せようぞ。だから、早く、支度してくだされ。」
そう言うと、嵐のような半蔵は障子を閉め、どこかへ行ってしまった。
「騒がしいですな。」
「だな。」
そう言って着替え、全員は正門の前に集まると、そこには今までの半蔵を払拭するような笑顔でにこにこした半蔵だった。最早その笑顔は気味悪くもある。
「さあいくぞ、やれいくぞ、そらいくぞ」
「あれ?しまは?」
青海は見渡すがしまの姿はなかった。
「ああ。あいつは何かここの小坊主どもが気に入ったみたいで、小坊主達とどこか行きおった。」
半蔵はそう言うとそくささと部屋を出てしまった。
全員が正門に集まったのを見ると半蔵は何を言うわけでもなく、すたすたと、城のあるほうへ歩いていった。それを見て一同は顔を見渡すとそのまま半蔵について歩いていった。特に信繁は眠そうにあくびをしながら歩いていた。
「どこに行くんでしょうな。」
筧は呆れたように、意気揚々と歩く半蔵の後に付いていく。
「最低でも、酒とかはなさそうだな。」
「眠い。」
渋々と半蔵について行くとそこには大阪城もかくやと言うほどの大きな城である江戸城がそびえていた。
「これを見せたくて、大阪からわざわざ連れてきたんですかな?」
「いや。そっちではない。こっちだ。」
そう言うと江戸城ではなく、江戸城の脇に歩きの固まりを指さした。
「やっとあの船の修復が終わってな。昨日はそれを見てはしゃいでおったものだ。」
「ふね?・・・あれが?」
そう言って江戸城に横ずけされた船とおぼしきものを見つめる。安宅船や鉄甲船とは違いの穂先が丸く、またその大きさは安宅船とも鉄甲船のそれとも違いかなり大きかった。そして大阪とかで見た船とは違い船底が丸く、また切り貼りした形跡はなかった立派な船だった。
「確かあれは、雅レ穏とかいう船でな。遠くエゲレスの船だ。」
「エゲレス!」
「「「エゲレス?」」」
信繁は驚いたようだが、他の三人は不思議そうに船を見つめた。
「これがあの神風を越えてきた異国の船ぞ。」
興奮している半蔵を尻目に他の四人は顔をつきあわせ、信繁を囲んでいた。
”エゲレスって何だ?”
”エゲレスって・・・確か、宣教師どもがいた国の一つって聞いた事があるぞ。確かものすごく遠く、海を6つ越えた先にある国らしい。”
”海を六つってあの海か?はー。”
「何を話しておる?この船はなあ、これからの徳川の未来を背負う重要な船なんじゃ。」
半蔵の興奮は止まらないようだった。
「で、これを見せたかったのかな?半蔵殿は?」
信繁は相変わらず眠そう顔で半蔵を見つめていた。
「・・・・・・・・・。何も感じないのか?」
「いやあな。山の生まれのせいか、船にはあまり興味がない。」
流石に筧達は唖然とした表情で信繁を見つめる。流石にそれはあんまりだろう。
「まあ、これが本来の目的・・・ではないしな。ささ、こちらへどうぞ。」
船にあがり船室を見ると半蔵は一目散にとに手をかけ、中に入った。中にはいるとそこには中を見回っていた一人の男がいた。
「や。ハンゾウドノ。カエッテいたんですか。」
中の男が気さくそうに話しかける。
「うむ。昨日完成したと聞いて、いても立ってもいられず、見に来たのだ。」
そう言うと半蔵はその男に歩み寄り、いきなり握手をした。その男も平然とその手を開き、握手を交わした。
「このカタは?」
「ああ。この方は・・・。」
不思議そうな顔をして中にいた男は
「拙者・・・」
信繁は自己紹介しようと思い前に出ようとするところを半蔵が、それを押しとどめる。
「この者はな、拙者の親戚でな。そう・・・。」
「信繁と申す。そなたは?」
その声に半蔵は軽く息を吐いて呼吸を落ち着けた。
「私、アンジンと申す。」
そう言ってアンジンは深く一例をした。
「この男は?」
筧は不思議そうに見つめた。
「この者は、遙か遠くエゲレスから来た”航海士”だ。」
「ほう。航海士なるものか。」
信繁は感心して見つめた。
「へー。これがエゲレスの者か。」
青海はじろじろ見るがその差がよく分からない。
「で、半蔵殿、見せたい物とは?」
そう言うと半蔵は船室の引き出しを開け、茶色い紙を取り出すと、信繁達の目の前に広げた。
「これは?」
筧は不思議そうにその地図に書かれたシミを見つめる。何か不思議にくねった。線がかかれていた。
「これか!これは世界じゃ!」
「「「?」」」
全員がその言葉に首をひねった。
「正確に言えば世界の地図じゃ。」
当時地図というのは貴族か大名、武将しか持てないあまり知られていない柄だった。当時の武将達は先に忍者や斥候を先行させ、地形を調べるのが戦の習いでもあった。
「世界・・・か。」
そう言うと信繁はじっとその絵を見つめるが、全くちんぷんかんぷんだった。
「これがどうしたのだ?」
筧はその地図を見つめてきょろきょろしていた。絵の所々には見慣れぬ棒や線が引かれていた。
「ここは地図のどこだと思う?」
半蔵はわくわくした顔で聞いてくる。アンジンは慣れたようにあきれ顔をするとテーブルの側のいすを引きずり出し壁際に置き座り込んだ。
「わからん。」
信繁はそう言うとじっと地図を見つめた。
「ここだ。」
そう言って半蔵は地図の端にある小さな島国を指さした。
「?」
青海は首をひねった。
「この小さい島の真ん中。それがここじゃ。」
「じゃあ、この大きい枠は?」
そう言って中央にある、日本の数十倍もある大きな枠を指さした。
「これか。これは明やポルトガルがある”大陸”じゃ。」
「これが大陸?すげー。」
筧は純粋な目で地図を見つめていた。
「じゃあ、エゲレスはどこだ?」
信繁はあまり驚いた顔もせずその地図を見つめた。
「お主、驚いておらんな。」
半蔵は意外そうな顔をしていた。
「まあな。太閤の叔父きが、”地球儀”を持っていたのでな。地図は見た事がある。その時に日の本の大きさもじゅうぶん思い知っておる。」
その顔に露骨に半蔵は嫌そうな顔をした。
「イギリスは・・・。」
そう言うとアンジンは立ち上がり、地図左端の二つある島の一つを指さす。
「ここにあります。」
「お主よく遠いところから来たな。」
信繁は大きく頷くと、アンジンの肩をたたいた。その行為に青海達は不思議そうな顔をしている。
「よく分かりませんが。どうしたんです。」
筧は地図をじっと見つめるが、訳が分からない顔をしている。
「よく見てみろよ。」
そう言うと江戸を指さす。
「ここが江戸だろ。で・・・ここが、大阪。」
そう言うと、指を少し動かしたくぼみを指さす。
「へ?そこが大阪?」
「で、ここが・・・エゲレス。」
そう言って信繁はわざとらしく大きく手を振って左端の島を指すとそこにはイギリスがあった。
「大阪から江戸に来るのに2週間かかったのにあそこまで行くのにはどのぐらいかかるか。想像も絶する。しかも船で来る奴らは大回りで来る。」
「信繁様。私には想像も付きません。」
呆れた顔して筧は地図を見つめる。
”半蔵様ー。”
遠くからタラップを駆け上がる音が聞こえた。
「半蔵様!秀忠様がお呼びです!」
そう言うと、裃をつけた男が戸を開け、見渡す。
「分かった。すぐ参る。・・・。按針殿。しばらく彼らのあいてを頼む。大事な客人だから。粗相の無いように頼む。」
「ワカリました。」
そう言うと按針は大きく頷く。
「信繁殿。あまりこのあたりをうろつかぬよう。船内でお待ちください。」
そう言うと、半蔵は戸を開け、走り去ってしまった。
「そう・・・。ナニかキキきたいコトはありますか?」
アンジンは、傍らにある椅子を三人分抱えてくる。
「お主、どうしてこの地に来た?」
「・・・ワタシですか?ワタシは・・・イマならこうイえるかもしれません。あのコロのイギリスはナニカかイヤでした。そこからニゲげたくて、フネをナラい、そしてニげた。カミのチをメザして、ワタシはナカマをギセイにして・・・そしてここにナガレれツいた。」
「神の地?」
「ロングになります。それより・・・。」
そう言うと船室の真ん中にある机の引き出しから瓶を一本取り出す。
「ノみませんか?これ、イギリスのサケ。ジンです。オランダのフネにモってきてもらいます。」
「おっ!酒!」
そう言うと青海はアンジンに駆け寄ると、そのボトルをまじまじと見つめた。
「ジカンある、ジンノむ、イチバン。」
そう言うと引き出しから、ガラスのお猪口を取り出し、そこにジンを注いだ。
「で、こういう体たらくな訳だ。」
そう言うとジンのきつい臭いで一杯の船室の窓を開ける半蔵の姿があった。
「ま、青海は酒が好きだし、筧は元々好奇心が強い。外の国の酒ともなればこうなる物だろ。」
そう言って床をみると、按針含め三名の倒れた姿があった。外から差し込む光はもう無く夕暮れを越え、夜半になりつつあった。
「お主はよかったのか?」
半蔵は不思議そうに信繁を見つめる。
「俺には朝から酒を飲む癖はない。一口で十分だ。」
ト、ト、トン、トン・・・。
「確かに。」
「それにここは一応敵陣中央。油断なぞせんよ。」
「それは言うな。それを言い出せば拙者もそれなりだから。」
半蔵はあきれ顔で床に散らばる乾物を手ぬぐいで拭き取っていた。
コンコン。
その音に反応し、戸を開けると、そこには天海の姿があった。
「ここにおりましたかな。流石、信繁殿。」
「天海殿・・・。」
半蔵は驚いたようにと言うより、怪訝な表情で天海を見つめた。
「半蔵殿まで一緒なら好都合。お主に許可を取りたかった。」
そう言うと、天海は中に入ってくる手には、大きな箱を持地、明かりもなかなかの大きさの物を持っていた。
「どうかしましたかな。」
半蔵は不思議そうな顔をしていた。
「今夜・・・と言うより・・・今から、梅の園で信繁殿と茶でも一杯どうかなと思いまして、こうして持参して参った。半蔵殿も一緒にどうかな?」
そう言って手に持った包みを開けると、そこには茶道具一式があった。
「・・・どうしてここまで・・・。」
半蔵は唖然と言うか、呆れた顔で天海を見つめた。
「拙僧はここの設計とかも行っていますからな。いくつかの裏道くらいは・・・。」
飄々として天海は床に茶道具をおろすとくすくすと笑っていた。
「一応ここは征夷大将軍の寝床だぞ。一応お庭番も見回っているのに・・・。」
「ほっほっほ。昔上杉の家中に忍んだときよりはまだ優しゅうございますよ。」
二人の会話を聞きながら信繁は立ち上がり、天海の茶道具を持った。
「ま、それは俺がいなくなった後でやればいい。行きましょうか。」
「どこに?」
「今日は梅が見頃でしょう。梅は確か、堀の周辺に生えているので、折角だから花見でもと。」
「ここは近所の寺庭はではありませんぞ。」
半蔵は呆れながら戸を開け、外を見渡す。周囲はもう真っ暗で、手すりに駆けられた提灯以外の明かりはもう無かった。上を見れば月は明るく、甲板は白檀のような白く艶のある光沢を放ち、不思議な空気が漂っていた。半蔵は外に出ると中にいる二人はゆっくりと出て、空を見つめる。
「船室の硝子越しに見る月も好きだが、この甲板から見る月はこう・・・なんか・・・違うな。」
「ですな。風情がありますな。」
そう言いながらタラップをゆっくり降りて、天海は手招きをする。
「そう言えば、半蔵殿。見せたい物はもう、見せましたかな?」
「いいや、あれは明日の予定です。」
「ならあれのほうが早そうですな。おもしろい。」
「・・・。なんの事ですかな。」
タラップを降りる信繁は少し不満そうに天海の後をついて行く。
「いずれ全てが分かります。それを伝えるためにあなたをここにお連れしたのですから。」
そう言う天海はすたすたと、江戸城の暗闇の中へ歩いていった。
「ここですぞ。」
そう言うと梅林の中央で地面に座る。
「これは・・・!」
信繁は息をのんだ。そこは不思議な・・・普通見る事が出来ない幻想的な景色であった。
梅は満開で、空からは満月の明かりが梅を淡い桃色で咲き、地面からは少し強い蝋燭と、提灯の少し色が付いた明かりの形が下から梅の色を濃く色付けする。その合間にある中程の梅は普段の少し濃い色合いの梅があるだけだった。その色合いは円形の明かりからさも梅に虹が写り込んだような色合いだった。
「天海どの・・・。これは?」
「昔、殿がやった花見でな。提灯月という物でな。昔、殿は新月の日に花見がしたいとかもしてな。ちょうど拙僧が花見の場所に連れて行くと新月の暗闇でなにも見えなかった。そこで花の前に座ると提灯を置き、その明かりだけで花見を行った。それが提灯月よ。」
「なかなかの謂われがありますな。」
そう言うと、信繁は茶道具箱から敷物を取り出すと、木の根元にひいている。
「拙者も初めて見ます。」
そう言うと感心したように敷いた敷物に寝ころび、上を見上げた。
「よく春にあると、戦場に行った猿も一緒に花見がしたくて春の一日だけ戦場を抜け出し、皆で夜の梅や桜を見たものだ。」
ごくり
「・・・猿・・・やっぱり。」
信繁はのどを鳴らすと天海の顔を見つめた。その顔は提灯の明かりの縁と月明かりがちょうど顔を隠していた。
「今日、ここに呼んだのは。ここなら人に聞かれても早々大事にならぬここが秘密の場所だからだ。」
そう言うと感慨深そうに空を見つめる。そこには満月が煌々と地面を照らしていた。
「あの話を・・・。」
半蔵は驚いたような声を上げる。明かりごしに見る半蔵の顔は驚いていた。
「だから丁度いいと。」
天海は言うと茶道具箱を開けそこから茶碗を取り出す。
「そう、夜・・・戦陣に向かう日の事だった。」
天海の声は老人とは思えぬほどに若い男に聞こえた。
あのとき思えば・・・殺害される二日目の時、朝釣った魚を昼に差し上げたのに、腐っていると言われていた。食事の事件があった。私には、そんなに早く腐るとは考えていなかった。あのとき皆の面前で罵倒されていたが、その時私は体を少し口に入れてみていた。丁度その時は内府殿もいたからな。今でも覚えている。それは腐っていると言うよりも何かどろっとした痛みの感じる味だった。その時私はもしやこの中に裏切り者がいる。そう感じていた。それから酒宴が終わり、私は内通者を探すためにあえて命令を断り、領内にとどまっていた。だが、それらしい証拠はどこにもなかった。断ったり先延ばしに出来る命令にも限りがあり、ついに私は畿内(丹波方面)に向かう日が来た。殿に一言謝ろうと安土城に向かうと、京都に向かったと聞いて、私はもう一度謝りたくて私は旬の野菜を持って本陣に向かった。そこで信長様は書面を書いてた。
「信長様、今一度謝りたく参りました。」
「・・・光秀か」
そう言って信長は筆を止め、顔を上げるとこちらの方に向き帰った。いつもは厳しい鬼のようなお方だが、私の知っている信長様は心優しい、立派な人だった。ただ、公の場では立場のほうを重んじていた。
「先日の件、平に謝りたく・・。」
「・・・。そうか。あれはいつのだ?」
「あのときの鯛は私が漁師に朝に鯛を捕らせそのままお持ちした鯛を使っております。」
「・・・そうか。」
「なので、あのような味になるとは思いませんでした。すいません。」
「あの後、密かに他の来客の鯛も食べてみた。その味は上手く流石だと思った。」
「は?」
「おおかた予想は付く。あれは・・・誰かが毒殺とかをはかった物だろ?」
「え・・・あ・・・。」
「それでお前に罪をなすりつけようと・・・。それは宮中か?」
当時私は朝廷との調整役として内通をする二重密偵を行っていて、相手の調略を調べる裏方の仕事を行っていた。
「いえ、今のところ朝廷は信長様の威光を持ちいらせる事が主眼のようで、ご機嫌取りの声しか聞こえてきませんでした。」
「そうか。」
頷く信長様は中腰まで立ち上がると顔を思いっきり近づけてきた。
「だれだと思う?」
目の前の信長の好奇心にあふれた目とともにやはり信長様も気が付いていたかとのどを鳴らした。
「いえ・・・それは・・・。私も調べてみましたが分かりませぬ。ただ・・・。」
「なんだ?」
「あのときいくつかの料理は宣教師達が言う”いねがー”を用いた鯛の蒸し物をお出ししたとか。」
「それをお主は知っておったか?」
「いえ。鯛はやはり、酒蒸しがおいしゅうございます。お一人で食べるときならともかく、あのような多くの物がいる酒宴で変わり物をお出しするのは間違いかと。」
「・・・と言う事は?」
「何者かが毒を入れたかと。」
「だろうな。」
「誰かと言われると、おおかた宣教師か・・・。又は朝廷の誰かが工作を行うか・・・。」
「やはりな。」
そう言うと信長は机から書状を一つ取り出すと光秀に渡す。
「なら・・・誘い出してみるか。」
そう言うと信長は口の端を大きく広げ、目をランランと輝かせた
「と、言いますと?」
「京都には南蛮寺(宣教師達が拠点としている教会)はあるか?」
「ハイ。京中にはいくつか。」
「・・・なら、本能寺にいればあり得るな。とりあえずそなたと私は猿の援護に向かうと言えば、誰かがねらう公算が高い。そこを返り討ちにする。」
「分かりました。なら私はわざと狙わせる為にあえて出陣します。」
「頼んだ。」
そう言うと信長様は後ろを向き、書面に向き直した。
その日の夜、何故か不安に感じた私は増援の手配をすませ、桂川を超えようとしたとき兵士達がざわつき始めた。後ろを見ると、煙が上がっていた。不安は的中した。我々が考えるよりも早く誰かが事を起こしたのだ。気が付いたその瞬間私は大声を上げていた
「我が軍は今から反転する!」
その瞬間引き連れていた四千の兵はざわめき始めた。予想されていた事だ。
「敵は!敵はいずこに!」
”あの位置は・・・。”
「四条河原裏!、本能寺にあり!付いて参れ!」
そう言うと兵をかき分け全力で元々の道をたどっていった。その動きに全員があわてながらも付いてきていた。だが到着する頃にはもう朝方となり本能寺周辺は廃墟になりはてていた。もうそのころには全力に走らせた馬に追いつける物は少なかった。周囲には手勢と呼べるほどの人間しかいなかった。その焼け跡を見ながら注意深く見渡していた。
「これは・・・。」
それはあまりに無惨な物だったがその一部の残骸にもっと驚いていた。そこには桔梗紋の旗やそれらをつけた兵士の死体が転がっていたからだ。歩いている兵士達はおどおどした目で、周囲を見ながら歩いていた。むろん京都民達もこの様子を見ている。ふと先を見つめると本能寺があった。そこは廃墟ではあったがそこに数人の人間が残っていた。馬を走らせ乗り込むとそこには黒ずくめの・・・髪の色は分からなかった。黒い布でかぶり物をした黒ずくめの男達がそこにいた。
「おまえは・・・。」
「来るのが遅い・・・出はないか。こうして間に合っているのだからな。ふん。」
そう言うと黒ずくめの男は手に持った何かを私に投げつけた。それは・・・信長様の首だった。
「vdしあにゴアダウyんvそくぁd、DなSオヅdナオウウドアンbvs、」
何を言ったか分からない発音で何か号令をかけると、周囲にいた男達は散り散りなり始めた。
「お前に手柄はくれてやる。それをどう生かすもお前の自由だ。」
そう言うとその男は本能寺の奥に向かって駆けだしていった。その時の私は軽い・・イヤ、頭がくるくる来るほどの混乱をきたしていた。
「あぐぅぅうぅぅぅぅぁぁぁぁああああああああ!」
私は声にならない声を発し絶叫した。その時、初めて世界に絶望した日だった。それから
の私は半狂乱となり、信長様を殺した人間を捜すべく兵士達を配置し探させた。だがそれは無駄骨に終わった。そうして焦燥の日々を送る内にある報告が入る。それは秀吉の部隊がここ山崎城に向かっているとの事だった。その時の私は手助けをしてくれると思っていたが、偵察部隊の話はそれとは全然違う物だった。どうも秀吉は私が襲ったと思っているらしい事が分かった。・・・。その時あの桔梗紋の理由が分かったのだ。そう、首謀者は私を同時に消すためだけに桔梗紋を付けた兵士を本能寺に向かわせたのだと。だとして朝廷は考えがたかった。だとすると・・・。どちらにしろ、この事は猿に知らせないと。早速手紙を書き、使者を向かわせたが、その使者が届く前に軍隊は城の目の前にたどり着き、そして、何も言うことなく城攻めは始まった。あっという間だった。二倍近くの軍勢と、信長様信任の最強兵団がそこにはあったのだ。勝てる・・・いや攻撃に耐えられる見込みなぞ・・・無かったのだ。頼みの使者もなく城は陥落し、私は秀吉の本へ向かっていた。だが・・・だが・・・。
「どうした。」
信繁は不安そうな顔で天海の顔を覗いた。
「イヤあな。あのときは複雑でな。」
そう言う天海の顔は複雑そうに照れ笑いしていた。
「続けよう。 あのとき私は賞金目当てに山狩りを行っていた農民達に襲われたんだ。だがそこにちょうど半蔵殿が来てくれてな。当時の半蔵殿は若くてな。ふふふ。」
にやりとすると半蔵のほうを見た。
「丁度家康様に密命を受けてな。影武者を南下させ囮に使い、二人で信長様の敵を討つべく、山中を探していたのだ。本当に光秀殿が敵ならば、さらし首にすべきと思っていたのだからな。」
そして半蔵殿に捕まった私は内府殿と一緒に私は密かに秀吉の目の前に連れ出されていた。流石に縄をまかれ、身動きはとれないようにされていた。目の前の猿の顔は、顔と目をを赤くし、涙の後がシワとなり、くっきり見えるほど頬はこけていた。自分も同じ気持ちだから分かる。悔しくてたまらないのだ。
「光秀!どうしてここに顔を出せた!親方さまをぉぉぉっっっっ!どうして手にかけた!」
その様子を私はじっと見るしかなかった。
「まあ、まちなされ。そう断定する必要はないのではないか?」
家康の優しい声が温度と反比例して冷ややかにさえ見えた。
「どうして光秀殿が裏切ったと。」
「それはぁ!それはなぁ!お主が襲撃したとの報を受け!確かめに参った!」
「・・・。わたしは・・・。わたしは・・・。」
私はその声に・・いや、信長様を守れなかった罪は私にある。あえて・・・罰は受けるべきだと思えた。
「・・・。もしかしたら、真犯人は別かもしれませんぞ。」
その家康の声に秀吉はその鬼の形相を家康に向けた。
「どういう事だ!」
「よく考えてくだされ。その裏切りの報告。いつ受け取りました?」
「・・・。4日だ。」
「よくこんな大将を討たれ、混乱しているときに報告が行きましたな。しかもあり得なく早く。」
「!!!」
その言葉に全員が息をのんだ。確かにそうだ。急転直下に引き返したとはいえ、その報告が4日(本能寺の変は2日)に届くとは早馬でも考えづらい。特に秀吉のいた地域は丹波衆の領地を越え、山脈が横たわっていた。そこを往復するのに二日・・・いや一日半では難しい。特にこういう崩御の知らせは早馬で伝える事が定例で、のろし等は使えないからだ。
「どう・・・いうことだ。」
「私もよく分かりませぬ故。ここで光秀殿の言い分聞いてからでも遅くないかと。」
「わ・・・わかり申した。」
そうして私は知っている限りの事を秀吉に話したのだ。
「・・・!そうか・・・。すまない・・・。」
その時の何か震えるような、秀吉のあの顔を私は今の世になっても忘れる事は出来なかった。私は改めて守れなかった自分を悔いた。
「と言う事は・・・誰かが・・・光秀殿に罪を着せるために・・・こんな!・・・事を!」
家康殿は思案に切れた顔で地面に腰を下ろし私の顔を見つめていた。分かっている。私は・・・ここで・・・死んでいい。
「首を切れ。親方様を守れなかった責は俺にある!俺の首をぉ!斬れ!」
そう言って私は思いっきり地面に顔をたたきつけ、首を差し出した。その瞬間地面をこする音とともに顔面を蹴り上げられ思いっきり後ろに吹き飛ばされた。
「ふざけるなぁ!」
そう言うと猿は私の私の身体に馬乗りになり拳と水滴を顔面にひたすらに叩きつけた。
「お前だけがいいかっこするんじゃねぇ!オラだって・・・オラだって・・・!悔しいに決まってる!お前だけじゃねえ!」
徐々に拳よりも水滴のほうが比率が高まっていった。
「俺だって・・・。俺だって・・・。お前と一緒で・・・親方ぁ・・・様を・・・守れなかった・・・だ・・・。なんのために俺たちは今までやってきたんだ!」
「落ち着きなされ!」
その言葉に涙一杯になった顔を内府殿に向けた。
「悔しくないのか!」
「今は!一軍の将!そのまま部下に顔をお見せになるつもりか!」
その言葉に全員がハッとなり顔を上げた。
「・・・す・・・すまない・・家康殿。」
そう言うと秀吉は自分の腰掛けに座った。
「おおかた・・・と言うか、確信が持て申した。主犯は・・・宣教師・・・か・・・。」
家康は秀吉の顔を見つめていた。その時の顔も忘れられなかった。そう喋りながらも口から血が垂れていた。おおかた、歯を食いしばりすぎて血が吹き出たのだろう。
「どうして。」
「実はいくつか来る際に草たちに調べさせまして。その中に、何者が持っていた光秀殿の手紙、そして信長様が来る前後に傭兵達を集めていた物達がいたとの報告が。」
「・・・。」
「そして、なぞの言葉とはおおかた宣教師達の言葉でしょう。我々では理解できませんからな。」
その言葉に全員は固まってしまった。
「なら宣教師どもを根絶やしにしてくれる!」
「それはお待ちくだされ。まだ確証無きままに動くならば、敵は新たな手を考えてくる。」
「ではどうしろと。」
秀吉は呼吸を落ち着けるとじっと睨みつけるように家康を見つめた。
「ここは、光秀殿に死んでもらうしか。」
「・・・は?」
あまりに明るく家康が突拍子もない事を言うので二人は固まってしまった。
「正確に言えば、光秀殿には死んだ事にしてもらい、世に出ぬ事条件に釈放しましょう。」
「どうして。」
「功績もありますし・・・。」
「分かった。確かに、光秀殿は責任を取りたがっていた。だが、今まで我が軍を支えてくれた功績とで・・・しゃくほうする。・・・。ほんとに・・・すまない・・・すまない・・・。」
そう言う秀吉の顔は何ともいえない鬼の顔に目元だけが悲しみで垂れ下がった顔が印象に残っていた。
「それから拙僧は、隠して置いた信長様の首を安全な土地にかくし、弔いをするべく、高野山にこもり、京のための祈り・・・勉学に励んだ。しばらくして、陰陽を習った私は江戸を訪れ、命を救った内府様のために尽力する事になったのだ。」
そのころには各々の場所に寄りかかり、天海を見つめた。だが月は頂点を越え、地の灯火は最早、顔や花びらを照らすほどの明るさは失せていた。
「そうか。叔父貴も大変だったんだな。」
信繁の目にはほろりと涙が浮かんでいた。
「信長様がいた頃の私や・・・いやその頃のみんなは何か熱に浮かされたようにあの方について、戦国を駆け抜けていた。本当に・・・駆け抜けていた。」
「ですな。」
半蔵は茶碗の抹茶をぐいと飲み干すと空を見つめた。
「ただ、私はあの方の言ったあの言葉を忘れない。」
天海はあぐらを組み空を見つめるその姿が月の光で浮き出させるように注がれていた。
「”俺たち武将は前で戦うそれしかできない男だ。だがそんなはぐれ者の俺たちがみんなに喜ばれる仕事が出来る。それが俺たちの仕事だ。だから俺はみんなのために戦う。それが吉乃との約束だ。”」
その言葉に全員が黙ってしまった。
「その言葉は内府様、太閤様、そして私や織田家家臣全てに伝わっている事だ。そしてそれこそが、今我々戦国の世に生きる全ての者が・・・士がやるべき事ではないのか?だから内府様に力を貸している。全ては信長様の願いのために。」
そう言うと、周囲にある器を天海は片づけ始めた。
「分かった。言いたい事は分かった・・・。半蔵殿。俺に見せたかったのはこれか?」
「これも・・・だ・・・。」
そう言う半蔵の頬に涙が一筋流れていた。
「だがな・・・これで終わったわけではない。これはある意味始まりだったのだ。」
「・・・宣教師か・・・。」
「それを明日・・・。教えてやる。」
そう言うと暗闇の中に半蔵は消えていった。
「何か・・・こう・・・俺の知らないところで起きているみたいなんだ・・・。」
「さて、行きましょうか。私もすっきり致し申した。」
そう言うと消えかかっていた蝋燭に火をともすと天海は立ち上がった。
「少し・・・待ってもらえないか?」
「どうか致しましたかな?」
そう言う天海は不思議そうに信繁を見つめた。
「青海達を置いてはいけない・・・。俺は船室に帰るよ。」
後半部分の一分について、詳しく書いて欲しい方がいれば、細かいバージョンを書きます。その時はご連絡ください。