外伝2-8 奥の間に差す春の光
助けられたソラはそのまま伊賀を去り、最終目的地である一番上の姉”春日”の元へ向かう。
外伝2-8 奥の間に差す春の光
あれから・・・目が覚めたソラが見たのは、柱に縛られている少年達の姿である。流石に一昼夜縛られていたのは、かわいそうだと思ったが、半蔵にこう説明された。
「例えば任務に置いて私情を挟み、それを行動に起こせば、そのの乱れで味方が死ぬやもしれぬ。例え死ななくとも、いつか迷惑はかけるし、それを拭う上の者の負担がいつかほころびを生む。その責をこの者達が負うとは思えないし、又拭えないほどのことが起こる事も多い。だからこそこういう事に罰がある事を・・・知らなくてはならない。」
「いじめたりした事には・・・。」
「それも・・・私情だ。イジメ自身というよりかは・・・拙者は時として・・・もっと非情に人を殺す時もある。それを教える事も多い。だが、間違えてはならない。私情を挟んで仕える者の為にならないなら・・・それは無駄死にであり、無駄殺しだ。」
「・・・。」
「そんな無駄の為に死ぬ人間なぞ・・・拙者もお主を大切なように・・・・殺される者には大切な者がいて、殺された者を大切に思う人間がいる。」
「・・・。」
「それを考え、なお必要ならそれを行い・・・汚名を着るのが拙者達”忍び”の仕事だ。」
「そう言えば昔・・・どうして戦いを教えないのって・・・言ったのは。」
「お主達子供に・・・こんな汚れた手になる事を教えたくないからだ。戦争が無くなれば・・・必要はない。」
そんな・・・半蔵の悲しそうな顔はソラにとって苦い何かを見るような顔だった。只それから軽く顔見せをして、それから・・・逃げるように伊賀を去ってしまった。もう少しいてもいい気がしたが・・・半蔵自身・・・あまり、いたくないそうだ。
「どうした?」
半蔵は不思議そうに坂を上がる足を止める。ソラはじっとその背中を見つめる。
「もうすぐ・・・なの?」
「そうだな・・・大丈夫か?」
もう・・・あれから2ヶ月は経っただろう。伊賀の里を下りた後は、今まで以上に観光に力を入れ、人里を多く通って・・・半蔵藩がやたら酒を飲んだり食べ物食べたり・・・・僕も・・・少し食べさせて貰っていたけど・・・。やっと山の中に入っていた。もうその頃には歩きに慣れ、足の皮も厚くなってきた。
「うん。大丈夫だって。」
半蔵に教わった会話も少しはスムーズになった。後・・・様々な事をも教えて貰った。
計算の事、数学の事や・・・情報についてだ。
「もうすぐ着くから。ほら・・・あれが富士だ。」
そう半蔵が差した先には、青く、白い山が見える。しばらく駿河を通る時に見えていたが・・・こうしてみるとかなり大きい。実際ソラが見た風景に高い山はあったが、これほど単独峰で高い山は見た事がなかった。それがこうして・・・二週間以上は見続けているだろうか・・・。
「もう・・・。」
「拙者にとって見飽きる事がない・・。」
「だけど・・・少し休もうよ。」
足下のブーツも少し傷んできただろうか。肩で息ををソラはする。
「待て待て。もう少しで絶好の場所がある。」
「そこまで行くの?」
「少し休むには丁度いい。」
ソラ達がしばらく歩くと、丁度いい場所に切り株があった。半蔵は何のためらいもなくその近くで座る。そこからが眼下には右には相模湾と左には富士山・・・。なんと言えない景色である。
「ここ?」
そう言われた直後、ソラは倒れ込むように、切り株によりかかり座った。歩くのに慣れたとはいえ・・・まだ半蔵の体力と早さに追いつけるはずもなかった。
「そうだ。いい景色だろ。」
ソラは半蔵さんが気を使ってくれているのが分かっていた。あの事件が元であるのも分かるが・・・。気を使われすぎている気もする。そう言う微妙な距離がずっとあるのも事実である。
「うん・・・。」
半蔵は先の宿で入れて貰った酒をぐいっと煽る。
「酒・・・好きなの?」
ソラも腰に付けた竹筒を煽る。こっちは酒は・・・苦手なので、水だ。お茶という手もあったけど・・・水の方が好きだった。昔のんだお茶も好きだが・・・ソラはこっちの方が好きだった。
「まあな。お主にこれが分かるようなら、もっといいのだが・・・。」
「・・・それ・・・飲むと・・・フラフラするもん。」
ソラはぐいっと水を飲む。水が好きなのにもソラには訳があった。単純にリスボンで飲んだ水よりも、上海で飲んだ水よりも、アユタヤの水よりも・・・故郷の水よりも美味しかった。こんな事感じる自身珍しいのだが・・・水が美味しい。
「そうか・・・。」
「何でお酒が好きなの?」
「さあな。」
「水も美味しいよ。」
「それもそうだが・・・ま・・・慣れと思い出だ。」
一息つくと、半蔵は空を見つめる。
「そう言う物?」
「まあな。」
そう言うと景色をじっと見ながら、半蔵は無言で酒を煽っていた。
「思い出?」
「まあ、人間・・・歳が重なると思い出で生きているようなものだ。」
「そうなの?」
「まあな。お館様に初めてここに連れてきて貰った時、感動したものだ。」
「そうなんだ。」
「そうだ。」
じっとソラは、海と空を見つめる。こういう景色を結構多く見せられたからか・・・感動は・・・ここまでの道のりを考えると、色々ありすぎて、東海道はある意味凄い所だと思った。考えられなかった様な事もいっぱい起きた。だからこそ・・・この二ヶ月は長かった。そうソラは・・・感じて空を見つめる。
「もう・・・。」
「確かに・・・ここまであまりに長かったからな。やっと旅も終わるぞ。」
「え?」
その半蔵の言葉にソラは不安になってしまう。
「まあな。この手紙忘れたわけではあるまい。」
そう言って半蔵は手紙を取り出す。本来これを届けるのが目的の筈だ。
「確かに。」
「この手紙の最後の届け主がいる所も近い。」
「どこなの?」
「まあ・・・本来はこれはあの時書類と一緒に出せば早かったのだが・・・。」
「え?」
「江戸だ。」
「江戸?」
ソラ廃棄も落ち着いてきたので立ち上がるが・・・やはり、少しふらつく。
「もう少し止んでおけ。拙者も・・・もう少しだけ休まないとな。」
「うん。」
そう聞くと、ソラはもう一度地面に座る。
「まあ、書類の精査もそろそろ終わる頃。丁度頃合いだ。」
「?」
「単純に言うと・・・お主が来た時の書類があるよな。」
「うん。」
「あれと着く場所が一緒なんだ。」
「・・・。」
何か色々疲れがこみ上げてきた・・・気がソラにはした。
「でも・・・一カ所は・・・凛さんでしょ。」
「まあな。だがな・・・この書類は本人に手渡したいって思っている。直接な。」
「そうなんだ。」
そう言えば凛さんも言っていたっけ、幹花と凛とこの姉さんは、三人姉妹だって。そしてその直接の師匠であるのが半蔵・・・。
「だからと言うのが半分。後半分は・・・そろそろ着かないと、息子がうるさくなって追っ手を出す頃だ。」
何か聞いてはいけないような・・・。
「おって?」
「流石に息子だけあって、流石にこちらの手の内が分かっているからな。予定よりも遅いと分かると、追っ手を差し向けてでも、こちらの位置を把握しようとする。」
「息子さんって言う事は・・・。」
「まあな。こう見えて妻子持ちだ。」
「そうなんだ。」
最近、こういうあしらい方を覚えてしまったソラである。
「これが、今の政治の中心・・・。江戸だ。」
山頂から二週間たってやっと、江戸に到着した。大阪とも、京都とも違う・・・木が新しい町、江戸。日本橋までやってきた。人が多く、半蔵に手を握って貰っていないと・・・・どこかに行ってしまいそうだ。これだけの人の多さは・・・今まで見た事が・・・いや、大阪でも見たが・・・・人が多い。
「そうなんだ。」
人が多いと言う事はそれだけ、良い事も悪い事も多い。気を引き締めろって、昔とお産に言われたが・・・そんな事も感じさせない程の明るい町である。
「でも、これからどこに行くの?」
「少し細工が必要なんでな。拙者達が行くのにはな。」
「・・・え?」
「せっかくだ。任務の代わりだと思ってつきあえ。」
「え?」
そう言うと、半蔵は近くの呉服屋に入り、幾つか服を見繕い買っていく。そう言えば旅のと気に入っていたっけ。何で任務に金が欲しいのか。多くの必要なものは現地調達しないと移動だけでばれてしまう。だからこその金なんだそうだ。それはこういう所でも遺憾なく発揮されている。しばらくすると、幾つかの着物の生地を持って、後・・・商人風の茶色い着物を二つ・・・。
「これ。着替えてくれ。」
「はい。」
そう言うと半蔵は金を商人に渡して、着物を抱えて持っていくと、近くの宿にはいる。いつもならねっとりと値段交渉する所を、あえて言い値で金を渡す。ここまでの一連の動きを見ると、それだけで凄いと思う。ソラは感心しながら、手早くブーツを脱ぎ、部屋にはいると、早速着替え始める。着物には慣れたが・・・少しみすぼらしく見えるようにしてあるのだろうか。半蔵は更に幾つかの準備があるらしく、少し上等そうな布に派手な着物の生地を詰めていく。そして水筒と炭・・・。
「炭?」
「今回もこれだ。まあ・・・入ってすぐに取るだろうから念のため、水も持っていく。」
そう言うと、着替えている最中のソラの頭を掴み、手荒く墨を付けている。今度は少し・・・。念入りだ。
「これでどうするの?」
「商人に化ける。まあ・・・古巣に忍び込むのは・・・。」
「古巣?」
「まあな。昔ここを根城にしていてな。」
「ん?じゃあ・・・戦に敗れたとかで主が変わったの?」
「違う違う。そこを辞めてな。指令は受け取るが、自由気ままに暮らす方を選んだんだ。」
「自由の方がいいの?」
「まあ・・・拙者とお館様だけが違うだけかもしれないが・・・よく遊びにと言うか・・・いろんな所に行ったものだ。二人でな。そのクセが抜けなくてな。そのせいか、城勤めしていた頃には一週間と同じ場所にはおれんかった。」
「そうなんだ。」
ソラはふと半蔵を見つめる。半蔵あの城を抜けて以来、ずっとあう言う生活をしていたんだ。
「だからと言うわけではないが・・・拙者が帰るのを見せるのは色々不都合でな。」
そう言いながら半蔵は軽くソラの髪に墨を塗り終わると、自身の仕度を始める。何か・・・帯を内側に巻いている。
「だから忍び込む?」
「ある人物に会えば後はどうにかなるが・・・それまでは潜入しなくてはならない。」
「潜入。」
「で、これだ。」
しばらくみとれていると、あっという間に小太りの男になった半蔵の姿になった。あまりの変わりように・・・ソラ自身驚いている。
「お主はそれでいいから。」
「そうなの?」
「顔さえわれていなければ、基本早々怪しむものはない。服装とやる事が合っていれば。」
「そうなんだ。じゃあ・・・・何でこんな事するの?」
ソラは服の端は師を整えていた。その間に半蔵は鏡の前で、自身顔を整えている。
「どうだ?」
その言葉に振り向くと、そこにはしわの寄った一人の老人がいた。だがそのしわに比べ、体の節々が・・・がたいがいい為か・・・ソラの抱く商人のイメージではない。
「もう・・・誰か分からないよ。」
「だろうな。拙者の顔は向こうには知られている。ならある程度、加工する必要がある。」
「・・・そうなんだ。」
「さて・・・行くか。行くなら早い方がいい。」
そう言う半蔵は荷物の幾つかを置いて、風呂敷を持って立ち上がったのだった。
ソラは初めて日本の城・・・しかも大きい城を見た。京都では二条城があったがそれとは比べものにならない程大きい。確かに他の城も見た。だがこの横の広さは比べものにならなかった。
「ここはな・・・戦を想定されて作られ・・・又もう一つの目的を元に作られた・・・」
「おっきいね。」
門を目の前にして思う。確かに天守閣までは遠く、白壁と堀は・・・大きい。
「まあ・・・いいか。ソラ。しばらく黙っておるのだぞ。」
そう言う半蔵の目の前には門番がいて、じっとこちらを見つめている。その言葉にソラは大きく頷いた。小さい帽子がかぶせられているが、ソラの髪の毛は黒く塗られていた。
「すいません。」
「なんだ?」
半蔵は意を決して近づくと、小さくお辞儀する。
「拙者・・・こちらの奥様方に・・・こういうものがいいと窺って・・・。」
そう言い半蔵が風呂敷をあけると、幾つかきらびやかな布地が見える。
「商人か。」
「はい。」
しばらく・・・門番は半蔵を見つめる。小太りであり、背も丸い。敵意はないように思えた。
「ここに来るのは初めてか。」
「はい。」
「それなら・・・まあ・・・大奥の事は?」
「ハイ。吉祥屋さんに聞きまして。それでお持ちいたしました。」
吉祥屋というのは当時少し大きめの大店呉服店で、各地にコネを持っている。
「そうだな。入っていいぞ。只・・・用が終わったら・・・そうだな。案内の者を呼ぼう。待っておれ。」
「はい。」
そう言うと立ってじっと門を見つめている。確かにソラは半蔵を見つめる。今の半蔵は
小太りの商人にしか・・・思えないし、感じられなかった。しばらくじっと待っていると一人の青い裃を着た男がやってくる。
「こちらだ。付いてくるがいい。」
そう言うと、その男の後ろについて半蔵が歩いていく。ソラもゆっくり着いていく。いつもの早足とは違い、ゆっくりと歩いている。しかも・・・歩き方が違う。
「こちらの布で・・・。」
「ハイ。着物を作らせていただきます。将軍様の御台所様と言う事で・・・奮発させて貰います。」
「そうか・・・。」
それから小一時間程歩くと、大きな屋敷にでる。城の中にこれほどの屋敷があろうとは・・・ソラは驚いて見つめる。半蔵は空の方をいると口を開けっぱなしにしているので、側による。
「口を閉じる。」
「どこに行くの?」
「御台所様のおわす大奥だ。」
「大奥。」
「そう言えば・・・この子は?」
「手代でございます。」
手代というのはお手伝いさせている者で、丁稚奉公などでお使いなどの簡単な事をさせる為の子供である。
「初めてだもんな。」
「はい。」
「驚いても無理はない。だが・・・大奥に入ったら粗相はないようにな。」
「あ・・・はい。」
ソラは、只頷くだけだった。
「こちらです。おーい。」
「はーい。」
そう言うと、奥から少し質素な着物を着た女性がやってくる。それでも、町中に比べればかなり豪華な着物ではあるが・・・。
「どうなさいました?」
「着物売りの者だ。」
「そうですね。」
そう言って半蔵を見つめる。
「どなたをお呼びします?着物とあれば、大抵の方は・・・。」
そう言って中の着物の生地があると思われる風呂敷をちらちら見つめる。数十本の着物生地があるのが、外からでも分かる。
「そう言えば、春日局様がかなり偉いと窺っております。そのお方を。」
「珍しいお方。そうですね。こちらにお出でください。」
そう言うと半蔵は女中に付いて裏口に歩いていく。正面玄関は本来お偉いガタが来た時に用いられる者で、使っていいのは主人・・・と言っても将軍は中通路から来るので、ここを使うのは、奥方の下の者が使いに出る時のみであり、商人などは裏口に通される。
裏口に上がると、二人とも、草履を脱ぐ。ソラのブーツは宿に隠してきた。でないと怪しまれるからだ。
「こちらで・・・お待ちください。」
当時の多くなど城の奥様とかでも大きな城になると、外出が出来なくなり(小さければ、奥方でも買い物に行ったり、狩りや稽古に出掛ける事が多い。)こういう商人と話すのが唯一の娯楽である。その為、意外と誰でも商人なら出入りできている。ただ・・・これが後期になると一変するのだが・・・。
「何か凄いね。」
「まだこの奥に大量の部屋がある。」
「でもどういう所なの?後・・・御台所って?」
半蔵は周囲を見渡す。念のため、入り口には見張りが立つ。これも恒例である。
「ここはまあ・・・。」
”お主達の言葉で言えば、ハーレム(後宮)という所だ。将軍の奥様が住む所だ”
”そうなの?何かすっごい所だね。”
ソラにとってハーレムというのは、アラブの大金持ちでしか聞いた事が無く、それほど豪華でもない(とソラが思っている)城のどこにあるのだろうと持っていたが・・・。半蔵は眉一本動かさず、耳を澄ませていた。
「お前も礼儀正しくしてくれよ。」
「うん。」
するとしばらくして女性の話し声が遠くから聞こえる。
「来るぞ。」
「はい。」
少し待つとそこに数人の豪華な着物の女性を連れた一人の女性が来る。その冷たい瞳と、冷徹な眼差しを持つ、中央の女性に一瞬寒気を覚える。半蔵が頭を下げるのに合わせて、ソラも慌てて頭を下げる。だが・・・その隙間に見えたその姿は、冷徹でありながら、すらっとした・・・美しい方である。
「どれ・・・見せてみろ。」
「はい。」
そう言って半蔵は着物を数本広げて見せる。春日局はじっと着物を見つめる。
「こちらなぞ・・・。」
半蔵が軽く声を上げた瞬間、春日局がハッと顔を上げる。その瞬間二人の間の空気が凍り付く。
「どうかなさいました。」
「・・・。」
春日局はじっと半蔵の顔を見つめる。ソラはその・・・あまりにじっと見る姿に心臓が止まる感じがした。その後に少しクチビルが動く。声は聞こえてこない。それに合わせて半蔵のクチビルも少し動いているように・・・見える。
「そうじゃの。ゆっくり見たい。私の部屋に来い。」
「はい。」
そう言うと局は立ち上がり、すっと振り返り、そのまま、素早く部屋を出てしまった。半蔵は慌てて布をまとめる。そこには春日局に付いていた女性が哀れな被害者を見るような目で・・・じっと半蔵を見つめていた。
「こちらです。」
そう言うと歩いて、しばらくすると、不思議な模様のふすまの部屋に通された。豪華ではあるのだが、柄があるふすまに通される。柄の中にはいるような感じが、ソラにはしてしまった。
「参りました。」
「うむ。近う寄れ。着物が見えん。」
「はい。」
そう言うと、半蔵とソラは奥にあるいていく。そこにはあの春日局が一人座っていた。
「そこの。ふすまを閉めてもらえぬか。」
「はい。」
ソラは慌ててふすまを閉める。
「そう言えばこの者は?」
「是非にもと。」
「わかった。」
春日局と半蔵はそれからじっとしばらく見つめていた。その緊張感にソラは気圧されて押し黙ってしまう。その静寂は春日局が破っていった。すっと近づくとと半蔵に抱きついたのだ。その様子に驚いたのは半蔵の方だった。
「お久しゅうございます。」
「・・・久しいな。」
「え・・・。」
ソラは唖然としてしまう。それほど突然だった。しばらく、半蔵の感触を確かめると、離れ、改めて、春日局が畳にふっしている。あまりにも異様な風景である。その様子を見ていたソラの方が驚いていた。先程の態度とは違う・・・。
「すいませんでした。ご無礼致します。」
「そういうのは好きではない。」
そう言って顔を上げる春日局ではあるが・・・その顔は相変わらずの冷たさがあったが・・・口の端はほころんでいた。
「こういう手を使わずとも、正面から入れたでしょうに。」
春日局は呆れて半蔵を見つめる。
「もう拙者は退官した身、早々易く入れれば問題があろう。」
「確かにそうですけど、私が気が付かなければ、あのまま叱りとばして返しておりました。」
「声には加工はしていない。気が付くと思ってな。」
「それはそうですが・・・。」
あまりに危険な・・・それでいて乱暴な手法である。
「でも・・・何のご用ですか?」
「これ。」
そう言って懐から二通の手紙を出す。
「凛からと、幹花からだ。」
「え!」
その時、春日の初めて顔が初めて・・・緩んで、急に明るくなった。この時初めて・・・顔が普通の人見たく見えた。さっと素早く取り上げるように半蔵の手から手紙を取るとそれを一心不乱に読んでいる。
「大変だったのねえ・・・。」
この時ばかりは流石に町で見る普通の女性に見える。
「だな。」
「でも・・・確かに聞いた所によると、報告書はかなり前に着いていませんでした?」
「なのか?」
その言葉に一瞬半蔵に焦りの顔が見える。
「いつものクセ・・・でしょうけど・・・あんまり遅いとあのお方が怒りますよ。」
「分かっておる。」
「こちらは後で何回も見返させていただきますが・・・ソラって・・・この子?」
「まあな。」
そう言うと、又冷たい目ですり足で近づくと、ソラの眼前に立つ。
「どこも・・・金髪・・・炭ですか・・・。」
ソラの眼前に見えるその顔は・・・息を呑む程の美人である。だがそれよりもこの冷たい瞳が目立って、冷徹な印象しか受けない。つい、ソラも唾を飲む。
「よく分かるな。」
「まあ。出来ればこの子のと言いたい所ですが・・・。せっかくですので、色々見て欲しい所があるので・・・一緒に・・・待ってください。」
そう言うと春日局は奥にはいる。
「あのお人と知り合い?」
「あの人が幹花の姉・・・春日だ。」
「え・・・。」
あまりに豪華な着物を着ている為に気が付かないが、確かに・・・幹花が着物を着るとあんな感じかもしれない。
「美人だろ。」
「うん。」
「器量も良く、頭が良く、それでいて美人で検挙。と言うのもあってな。ここで将軍の子供の乳母と、大奥総取締をしている。」
「どういう感じ?」
「そうだな・・・お主達の言い方で言うと・・・。」
”メイド長”
”分かった。”
だとするとかなり偉いはずである。国王の侍従長はそれだけで大臣に匹敵するかそれより大きい権力を持つ。だからと言うわけではないが、良くも出世したと思う。そう感心していると、ある女性が部屋の奥から出てきた。化粧もなく、普通のお姉さんと言った感じである。むしろ、少し城というか汚れが付いているだけにわかりにくい。格好も最初にあった女中みたいで、素朴な感じである。
「さて・・・。」
その女性をじっとソラは見つめていた。
「坊や・・・駄目よ。見とれてちゃ。」
声で初めて・・・この人が春日だと気が付く。
「春日・・・さん?」
「様って付けてって言いたいけど・・・よく見ると・・・。」
何となく・・・春日の見る目が・・・ソラを見る目が冷静さから何か・・・。
「春日殿。」
「ァ・・・半蔵様。こちらです。」
そう言うと慌てて今度は横のふすまを開けると閉じる。どうも空室らしく、誰もいない。もう一つ開けると、そのまま女中の姿で素早く歩いていく。その後を半蔵とソラは着いていく。しばらく歩くと、またもきらびやかな女性が現れる。その女性が来ると春日と、半蔵は通路脇にどいて頭を下げる。それを見たソラもどいてみた。
「おや・・・その方々は?」
ソラ立ちが口を開けるよりも早く、春日が顔を伏したまま答える。声は若干野太そうに聞こえる。
「商人だそうで、春日様から・・・員の間にお通ししろと。」
「員の間ねえ。」
「では。」
そういうと女性は去っていった。
「あの人は?」
小声でソラは半蔵に聞いてみる。
「誰かは知らんが・・・。」
「中老で、お江様のお付きの方ですよ。」
「そうなんだ。」
「大変だな。」
「はい。」
そう言うと、すたすたと奥には行っていく。確かに柄もない奥の部屋に着くと二部屋・・・三部屋、ふすまを開けた奥の部屋にはいる。
「ここは?」
「先日言われましたのが完成したので・・・。」
「そうか。」
そう言うと春日はその部屋の押し入れらしき場所を空ける。そこには何も入っていない。
ソラは不思議そうに見つめていると、その一部に何かしている・・・それとともにがたっと音がして、そこ床が抜けて・・・階段が現れる。
「こっちです。」
そう言うと階段を下り、三人は地下へ潜っていった。
「ここは?」
ソラがそう言うまでに春日は上の戸も、ふすまもを締め・・・真っ暗になっていた。そのまま半蔵も、春日も黙って・・・黙って下に下りていった。したに下りてしばらくすると、広い・・・部屋が一つあった。半蔵が広くなった所で立ち止まると、春日が二人を押しのけ、前に出る。どこかに行ったかと思うと、かちかちと音がして・・・火がついた。
「どうですか。」
春日は自信ありげに・・・胸を張るが・・・只・・・土を掘った部屋にしか見えない。
「人は?」
半蔵の疑問の前に春日は近くの机の下に潜り込ませていた椅子を取り出す。二人ともそれに座る。流石に大奥で、土のシミを付ければ、それだけでも気取られかねない。
「今はおりませんと言うよりも、基本ここに人を入れなくとも機能ぐらいは出来ます。」
そう言いながらも春日は立ち上がると、明かりを持って他の所にも明かりを付ける。幾つか燭台があるようだ。
「でもこれが・・・本部です。」
「本部?」
「まあな。これで本格起動は出来るが・・・いつ頃出来た?」
「半年ほど前です。これでもかなり秘密裏に動いたので、これが手一杯でした。」
「何の?」
「・・・。」
「・・・。」
半蔵と春日が・・・空を見つめる。ソラもあまりに話が見えなくて慌てている。
「そうだな。お主には・・・言う必要もないので黙っていた。つい嬉しくてな。」
「ここはね。お庭番衆詰め所。一応こう見えても、クノ一衆の取り締まりでもあるの。」
「エ・・・。」
その言葉にソラが驚いていた。
「正確に言えば、春日は、クノ一衆取り締まりであり、大奥総取り締まりでもある。事実上の忍者女性部門の現時点の頭でもある。」
「幹花よりも・・・。」
「あの子はあの子。でも・・・立場だけなら私の方が偉いけど・・・。」
「ん?」
「そういわれるのは好きじゃない。」
「え。」
「そうなのか?」
明るくなった部屋の中・・・春日の素直な不安な顔を見つめる。
「どっち向きでも厳しい顔しかしていないから・・・。半蔵様・・・本当に帰ってきてくれませんか?本当に頭は厳しいのですよ。」
「分かってはいるが、これが勤まらねば拙者のいない・・・いなくなった後が勤まるまい。」
「確かに・・・。」
「父上・・・。」
奥からの声に二人が振り向くとそこには若い、裃を着た男姿があった。若い男ではあるが・・・精悍な顔つきの若者である。
「久しいな。」
「お帰りになったと聞いて急いで駆けつけました。」
ソラはその人の・・・若い青年である事にも驚いていた。と言う事は半蔵・・・何歳なんだ?
「そう固くなる事もあるまい。」
あえて固く突き放しているが・・・青年の声にふるえがあった。
「どうして。」
「遊びに来た。」
「そんなでここまで来るなんて・・・来るなんて・・・。春日・・・すまない・・・。」
ソラが不思議がる中・・・春日は軽く頷く。その瞬間、いきなり走って半蔵に飛びつく。ソラから見えたその顔は・・・子供そのものに見えた。
「父上・・・会いたかったですぅ。父上父上父上父上!」
「こらこらそう・・・取り乱すでない。そこで子供が見ておろうが・・・。」
「え・・・。」
そう言う青年と・・・少年の目があった。・・・しばらく・・・しばらく・・・目が合っていた。
「こんにちわ。」
「こんにちは。」
しばらくじっと見ていると青年が襟を整え、挨拶をする。
「拙者、服部半蔵正就と申す・・・。」
「はんぞう・・・まさなり?」
「今では裏方の仕事・・・お庭番衆の実質的な事をして貰っている。」
「よろしく。」
「よろしく。」
お互い、ぎこちなく挨拶をする。
「どう呼べばいいんですか?こっちも・・・はんぞう?」
「父が半蔵でいいです。拙者は正就で。余りこう呼ばせた事はないのですが・・・。」
正就が渋い顔して空を見つめる。その様子に後ろでは・・・春日が笑いをこらえている。
「よろしく。正就さん。」
「で・・父上・・・この者は?」
「ああ。この子は幹花に頼まれた孤児でな。こうして連れ回っておる。」
「そ・・・そうですか・・・。頼まれていた仕事があるので・・・早速こちらで手助け願えませんか?」
その冷たい声とともに・・・正就は袖を引っ張る。それを見て・・・半蔵はソラを見つめる。
「行ってらっしゃい。」
「いや・・・。」
半蔵はじっと見つめる。
「行ってらっしゃい。」
「あ・・・。」
「行ってらっしゃい。」
今度は春日とソラ・・・二人で何かを見送るように手を振っている。
「わ・・・わかった。だから放せ。拙者は・・・子供ではない。」
なにか・・・半蔵さんが・・・正就さんに力一杯引きずられ、部屋の奥の闇へと消えていった。
「さてと・・・。二人きりに・・・なっちゃったね。」
急に春日が声を掛けてくる。何か声が震えているような・・・気がする。一瞬・・・いや、春日は背後を向いているのに目から光が放たれた・・・気がする。
「そ・・・そうだ!」
闇の奥から無理矢理半蔵が走って戻ってくる。そして風呂敷を机の上に置く。その様子にソラも驚いていたが・・・何故か部屋に充満した謎の寒気が・・・薄くなった。
「これ・・・中に水の水筒が入っておる。落としておいてくれ・・・後・・・。」
「・・・後・・・何でしょうか・・・。」
その半蔵の様子に、何故か春日が驚いていた。
「凛が言っていたぞ。手・・・出すなよ。」
「え・・・。」
「手・・・出すなよ。」
春日が驚いて・・・半蔵を見ているが・・・その様子をソラは伺い知る事ができない。
「何の事でしょうか・・・。」
「半蔵様!」
”だから!袖を引っ張るな!!”
”逃げるでしょうに!今度こそ溜まった仕事して貰いますからね!”
”いや・・・だから放せ!歩けるから!”
しばらく訳を話さぬまま、半蔵は引きずられていった。その様子を二人でじっと見守っていた。するしかなかった。
「手を出すって何を?」
ソラがたまらなくなって聞いてみる。
「いや・・・何もないよ。」
春日のその声は明らかに・・・焦っていた。
「戻ろうか。ここじゃ・・・暗いし。」
「うん。」
そう言うと・・・普通に二人は上に上がっていった。
服部半蔵とは・・・服部家に伝わる名代みたいなもので、代々受け継ぐ名前である。そしてこの名はこの時現在、三人が名乗っている。”父”服部半蔵正成、”お庭番衆主席”服部半蔵正就、そして表での地位を持つ正就の弟正重である。父の時代の時に半蔵に前伊賀衆筆頭になる時、死んだ事にして以来、夜から姿を消し、公式の身分をなくし・・・身を隠すのが常となっていた。無論伊賀衆筆頭というのは基本実力制である。それでも制するだけの力は正就にもあった。だが、伊賀衆は一人一人が一騎当千の力を持つ戦闘集団でもある。統率は辛く、又勝利などでしか統率は難しい。そこに来て、平和になって様々な情報が入る。その分析を一人で行うには・・・辛すぎた。その為、半蔵はある制度を設ける。女性部隊であるクノ一の部隊を信任できる部下に任せる事で、お互いの情報を整理させる作戦である。その筆頭として同期である春日に日の目が当たる。
「でも・・・こうしてみるのに可愛いのに・・・。」
春日が帰りがけ歩いている廊下で、ソラの後ろを歩いていた。
「かわいい?」
「可愛いでしょ?」
「可愛いって何?」
「え・・・知らないの?」
春日も流石にとまどう。そう言えば幹花の手紙でも・・・。
”ソラがもし半蔵様に引き取られずに、凛にも引き取られなかった時のみに・・・引き取ってください。お姉様好みの子でしょうが・・・。余り溺愛するは・・・身を滅ぼすでしょう。だから・・・手・・・出さないでくださいね。”
幹花はああ見えて眼力はいいから・・・かなりだと思うけど・・・まだまだ・・・。
「可愛いとか知らないの?」
「可愛いって何?」
「そうね・・・花や蝶とかを見た時に言う言葉かしら。」
「花とかに・・・花じゃないよ僕。」
春日の中に・・・ぐっと来る何かを感じるが・・・ぐっと堪え忍ぶ。今私は・・・女中に化けて大奥を歩いているんだ。だから・・・だから・・・。
「それぐらい可愛いのよ。」
「花みたいと言われても・・・。」
「いいのよ。そう言われる時期は少ないから。」
「そうなんだ。」
「そう。」
しばらく何も喋らないまま自身の部屋の裏口のふすまから・・・周囲を見渡した後に入ると、戸を閉め、自身の奥の間に戻る。今日一日は確か竹千代様はお江様に預けてある。だから・・・うふふふふ。
「着替えないの?」
「あ・・・ああ。そうだ。ある程度なら・・・着替える所・・・見る?」
「うん。」
「じゃあ・・・こっちで。」
そう言って手招きすると、奥の部屋にはいる。当時、女性女官のトップであれば着物に人の手を煩わせるのが多いが、彼女自身は一人である程度までは着替える事が出来たし、何より彼女自身、厚着よりも活動できる程度の薄着を好んでいた。
「そこで座ってて。今・・・着替えるから。」
そう言うと女中の薄着を脱ぐと・・・薄衣がはだける。当時女性の下着と呼ばれる物で、薄い衣で出来ていた。流石にこれより下は少年の前とはいえ・・・。そう思うと、近くに置いてあった着物を手早く、一枚一枚来ては帯を締めていく。昔の十二単はともかく・・・この頃の着物には幾つかの意味があるうちの一つは男の鎧と一緒の刃物防御である。平安期のマネをしている意味で、薄い衣から熱くする事により、冬の防寒具の意味もあったが室町以降機織り道具が出来て、繊維の隙間が少なくなった。その為、戦国期での女性の衣類は薄くなった。だが暗殺対策の為に着物を多く着せ、刃物を防ぐ狙いがあった。ある意味この貴族の衣を着る女性というのは一日一日が戦国であったのかもしれない。無論そこに美しさや教養などを要求されていた。しばらくソラが・・・その着物の多さに唖然としながらも、顔は素顔のままだが・・・いや、鏡を見て髪の毛を整えている。簡単に整えながらも・・・それはもう貴族そのものである。
「凄い。」
「そう?もう少し待ってね。」
「局さまー。」
少し遠くから声が聞こえる。
「なー・・なんですか。」
突然春日の声が冷たくなる。これがいつもの春日なのだろう・・・さっきの声を聞いた後だと・・・毅然として見える。
「お江様から・・・今日の食事・・・作っていいかと・・・。」
「それは・・・少し外でお待ちなさい。私が行きます。」
途中までこっちと一緒の声だと思ったが、春日の声はあの冷たい声に又戻っていった。
「あ・・・はい。」
そう言うと、むこうでふすまを閉める音が聞こえる。
「ソラちゃん・・・少し待ってね。声は・・・出さないでね。」
「うん。」
そう言うと春日は整えた髪を鏡で一別すると、厳しい顔をして外に出て行ってしまった。
「立派な人だなぁ・・・。」
「半蔵様・・・この調味料の作り方を・・・。」
「これは・・・を混ぜて・・・これを・・・分煎った後に入れて・・・。」
「半蔵様。・・・地方で反物の売れ行きがよいと・・・。」
「だから、それは・・・ちょっと待て・・・それは商人などの婚礼が近い可能性もある。その周辺の大店の監視を急げ。」
「半蔵様。・・・で・・・この花は花壇のどこに・・・。」
「それは・・・この・・・。」
「分かってはいますが・・・この子に食事を与えるのは・・・だめなのか?」
目の前の、一番派手な着物の女性が、金切り声を上げる中、春日はひたすらに頭を下げていた。
「そうとは申しませんが・・・この子は将軍になる大切な御身。皆の者でございます。大切に育てないと。」
春日が頭を下げつつも、その言葉を真っ向から否定する。万が一・・・暗殺などあってはいけないのだ。
「では何故、国松はだめだと!」
「それは御身の為なれば・・・。」
「私とて、料理の一つ!」
「それは!お江様の手が汚れます。私たちにお任せいただければ!」
「だから!せめて国松の分だけ・・・!」
ソラはじっと暗くなって行く夕暮れを部屋の隙間から見る。夜は暗く、こうした城の中でも過ぎる。そう言えば舞踏会とかはこの城で開くのかな?そう言う所は見かけなかったけど・・・。ああいうドレスと違ってあの着物も・・・お姫様と一緒でくるくる回ると綺麗だろうか・・・。あれでダンス・・・綺麗だろうな。考えながら・・・時々明かりが横切る。見張りの人が通るのが分かるが・・・そのたびに隠れていた。よるが深くなるに連れて・・・何か人が通るのも怖くなる。そう言えば・・・。潜入したままで、ばれないだろうか・・・。そう言えば・・・どうやって出るのだろうか・・・。考えただけでも不安が募るが・・・今は待つしかない。じっと息を殺す・・・。スー。
「待った?」
ふすまが開く音が聞こえて振り向くと・・・とても疲労・・・いや、体は徒労で疲れ切っていたが・・・目だけが爛々と輝いた春日の姿があった。
「大丈夫?」
「う・・・うん。・・・頼んで用意してもらったんだ。お風呂。行こうか。」
「う・・・うん。」
「お風呂は分かるんだ。」
「半蔵に・・・何回か・・・。」
「そっか。」
何となく不安にはなるが・・・半蔵が来るまで・・・待たなくてはならない。そう言うとその場に着物を脱ぎ始めた。この頃の大奥に履き物専用の人はいるにはいるが、春日局には付いていなかった。その重そうな着物を脱ぐと、簡単な服装になっていた。脱ぐ時の早さは着る時の数倍早く、それだけでも凄いが・・・それでも疲れている事はその薄暗い・・・いや・・・外の見張りの明かりだけのこの部屋の中でも・・・感じられた。その薄着のさっきみたいな女中の着物を着た春日は部屋を出ると一直線に風呂に向かう。さっきの昼間とは違い・・・音の一つさえしない。正確には見張りもいるのだが、廊下をすり足で歩く為、足音さえしない。
「見張りは・・・いいの?」
「それは、みんなに頼んであるから・・・。」
そう言うと・・・向かっていった先に・・・一人の女中が、外を向いて立っていた。
「おねがい。」
「はい。」
簡単に春日が声を掛けると女中も頷く。こうしてみると、聡明な美人なのだが・・・あの時の冷たさは何だったんだろう。
「ここ。」
そう言うと厚木どの部屋に入っていく。そこには篭が幾つかあり・・・春日はそこでてきぱき服を脱いでいく。
「一緒で・・・いいの?」
「ん?ここは本来女性しかいないから、着替えは一つ・・・そう・・・おませさんね。」
軽く微笑んでいる間にソラも仕方なく・・・服を脱いだ。何かこうして王宮で服を脱ぐというのは・・・恥ずかしいけど・・・。
「ほんと・・・結構・・・いい体つきしているのね。」
ほぼ仁王立ちで春日はソラの裸体を見つめる。当時の女性にはまだ局部を隠すという習慣はなかった。銭湯ができはじめてから・・・出来てきた習慣である。
「そう?」
「そんなに長く入れないから・・・入ろうか。」
「はい。」
そう言う戸とを開け、風呂を見つめる。ここの風呂は特殊な作りとなっており、五右衛門風呂なのだが・・・竈の熱気を利用した風呂となっており、”鉄の滝”と呼ばれる風呂の作りである。竈の熱気で鉄で作った窯を暖め、そこに入った水を風呂に流し込む物である。これは下々為の物であり、将軍専用の風呂は又別の作りとなっている。
「でも・・・広いね。」
「ここはみんなのいろいろな躾とかを教える部屋で・・・数人が一緒に入るから広いのよ。」
春日はそう言って体を桶ですくった水で流すと、思いついたようにソラに水を掛ける。
「頭・・・洗うよ。」
「うん。」
そう言うとソラはきゅっと目をつぶった。・・・可愛い。頭に水を掛け・・・黒い液体が漏れ・・・金髪が現れてくる。かなり純度の高い金髪で・・・それに伴いもう一つの細工である顔の汚れも取れていき・・・透き通る素肌が現れる。
「あ・・・。」
ソラはじっと待っていても、しばらくお湯が頭から来なくなり、ソラは目を開け、春日を見つめる。何か・・・顔を赤くして・・・立っている。ぼーっとしているようにソラには見える。
「春日・・・どうしたの?」
「う・・・うん。入ろうか。」
そう言うと慌てて春日は風呂に入り、その後に続いてソラも入る。意まあでは言った宿の風呂とは違い・・・二倍以上も広い。その為、隣り合ってもある程度の距離をお互いに持つ事が出来た。
「どう?」
そそそそ・・・。
「うん。気持ち・・・いい。」
「そう?私余り・・・他の風呂・・・入った事無いから・・・。」
そそそ・・・。
「そう言えば・・・どうして・・・凛は・・・閉じこめられているの?」
ぴた。
「そっか・・・そこも見たんだ。」
ソラの真後ろにいた春日は思い出したように・・・目の前の金髪を見つめる。
「どうしてって言われるとかなり複雑なの・・・今は・・・そっとしておくのがいいと思う・・・。」
「そうなんだ。」
「少し・・・話そうか。」
「うん。」
私たちは半蔵様から色々教わっていた。基礎的な武術・・・洞察眼・・・そして・・・様々な学問について・・・しばらく教わると私たちには幾つかの道がある事を言われた・・・。私は家の再興の為に貴族の家に住み込みで働く事を、幹花は育ててくれた大恩ある半蔵様に仕える事を・・・そして凛は拾ってくれた恩義のある京極家で働く事にしたの。最初のうちは良かったけど・・・私に指令が来て・・・この大奥で働く事になって・・・その時に知った。半蔵様が私たちの生まれを調べた事を。その教養を徳川に行かして欲しいと・・・私にいってきた。そしてそれを運命だと思って受け入れた。
「生まれ?」
あなたには関係ないかもしれないけど・・・。浅井って言う家の・・・そうね、確か・・・外国の言い方では貴族の娘だったのよ。落ちぶれたね。でもこうして働いて、息子には・・・まあいっか。である時・・・ここの御台所に睨まれて・・・正確に言えば・・・嫌われちゃって・・・凛は殺されるかと思ったの。そこを半蔵様が助けてくれて・・・監視する事でって事。
「じゃあ・・・あのまま・・・。」
「まあね。」
しばらく・・・ソラも・・・春日も・・・じっと正面を見ていた。どう顔を見て良いのか・・・分からなかった。
「私は家を捨て・・・こうして家に助けられている。ある意味皮肉だけど・・・。それでも・・・私は生きていた。」
「・・・うん。」
「あなたも・・・」
ソラはその時初めて・・・春日の声のした方を振り向く。今まで見た顔とは違う・・・達観した顔だった。
「身の上は聞いたけど・・・生きなさい。生きていればきっと・・・何かが起こる。今までとは違うようになる何かを。」
その声はまじめで・・・優しくて・・・母みたい・・・だった。一瞬お湯さえ・・・暖かくなった気がした。
「そうだ・・・一つ頼まれていい?」
「なに?」
「竹千代・・・の遊び相手として、一度遊んで貰っていい?」
「うん。」
その・・・春日の気恥ずかしい感じのお願いにソラは思いっきり頷いた。
次の日の夕方まで・・・半蔵とは会わなかった。その王子様という竹千代という名の男の子は活発で・・・利口で・・・それでいて複雑そうな顔をしていた。お互い何となく分かっているのだろう。そう言う何かに見えた。
「ほら・・・もう少し寄って。」
春日にぎゅっと抱きしめられる。そこから見えた顔は何か眼福・・・とか言うような・・・緩んだ顔になっていた。結局、半蔵は侍になりすまして・・・一人で先に行く事となり、春日とソラは春日の篭で、連れられていく事になった。篭の人足も、忍者で固めてあるらしい。
「行きます。」
「行って。」
そう言うと篭が浮かび・・・二人は篭に揺られている。布や座布団があっても揺れは激しいが・・・。
「むぐ・・・。」
「こら・・・喋らない。」
そう言うと更にぎゅっと顔を着物に押しつける。女性用の一人の篭に、少年とはいえ、二人が乗っているのだ。十分狭い。それに声が門番に聞こえれば、打ち首さえある。それにソラは強く顔をこすりつけて答える。しばらく・・・いやかなり長い時間二人はじっと篭の中に押し込められ・・・しばらくすると、戸を叩く音が聞こえた。
「どうぞ。」
そう言うと・・・春日とソラは篭を下りる。そこは・・・河原の側で・・・人影はもう・・無かった。
「これでお別れね。」
「うん。」
「又何かあったら・・・来るといい。」
春日は周りを見渡す。周りには篭を担いだ男達がいて・・・腰元達がいる為か・・・。あえて冷たい声を放つ。
「分かった。」
「後・・・敬語を覚えておきなさい。そうすれば・・・上の者ともつきあえるようになる。」
「うん。」
そう言うと春日は手を差し出す。その手をソラはぎゅっと握る。春日も握る。
「じゃあ・・・ね。」
そう言うと名残惜しいようにソラが離そうとした手をしばらく春日は握り・・・。離して・・・篭に乗ると・・・そのまま・・・篭は去っていってしまった。
「行っちゃった。」
「行ったか。」
草むらの声にびっくりしてそっちを見ると半蔵の姿があった。昨日みたいな商人の姿ではなく、いつもの格好である。・・・が背中に大きな風呂敷を抱えている。
「半蔵。」
「さて・・・行くか?」
「どこに?」
「付いてこれば分かる。」
そう言うと半蔵は歩き始める。ソラもいつも通り・・・。
「ブーツは?」
「ァ・・・そうだったな。」
そう言うと半蔵はその場にしゃがむと風呂敷を広げ・・・中からブーツを取り出す。ブーツを受け取るとしゃがんでブーツを履こうとする。その瞬間衣類に付いた春日の香りが一瞬強く・・・香る。
「どうした?」
一瞬動きの止まったソラの姿に不思議そうに半蔵が見つめる。
「・・・ううん。なんでもない。」
そう言うソラは・・・春日との別れが少し・・・辛かった。
「ここは?」
そう言うソラの前には・・・大きいとは言えないが小さい門と垣根と・・・屋根が少し大きめの藁葺きの家があった。ここは郊外で・・・周りは山野で・・・人通りもない。来るまでに大体一刻半はかかっている。かなり遠いが・・・。
「将繰庵と言ってな。しばらくはここを拠点に・・・腰を据える。」
「え・・・。」
「お主の事もある。早々旅路ばかりでは休まる所もあるまい。」
「え・・・あ・・・。」
「ずっと前から考えていてな・・・。」
「うん・・・。」
「一緒に住もう。色々教えてやる。」
「うん!」
そう言うと奥に入っていく。少し古そうな家屋ではあるが・・・所々が張り替えてあったりして、急に整えられているのだと分かる。でも住むには十分で・・・結構広い。
「見て回っていい?」
「ああ・・・。」
そう言うとソラは走って家の中を見て回る。部屋もそれなりに多く、風呂も・・・ある。近くには畑があり・・・食事には事欠かない。井戸も掘ってある。
「ただ・・・拙者は時々任務でどこかに行く時はあるかもしれんが・・・出来るだけはいる。」
「うん!」
「それは・・・分かったな。分かったら・・・ハイだ。」
「はい!」
「それでいい。」
半蔵は満足そうに頷くと、風呂敷の中身を開けて近くのタンスの中に適当に入れておく。必要そうな物は本部から持ってきてあるし・・・当面のお金もある。
「せっかくの新居だ!早速掃除するぞ。これを持って。」
半蔵は少し汚れた雑巾を差し出す。二つ分ある。ソラはにこにこして受け取ると・・・いや嬉しくてしょうがなかった。何か・・・居場所が見つかった・・・そんな気がした。
「はい!」
夕方まで掃除をして・・・二人は一息ついて、鉄瓶で沸かした茶を・・・二人で飲んでいた。掃除も一段落し、もう夜のとばりは下りていて、外も寒いが・・・まだ埃っぽくて・・・入れなかった。
「そう言えば・・・どうして・・・凛は閉じこめられていたの?」
「春日からどこまで聞いた?」
「浅井がどうのと・・・御台所って人に睨まれたとか・・・。」
「そうだな。これは絶対に誰にもいっちゃ駄目だぞ。拙者とお主と・・・あの三人に秘密だ。」
「うん。」
ソラは大きく頷いた。
「御台所であるお江は浅井家の娘と言って将軍の嫁となった・・・。だが実際調べてみると偽物であるという結果が出た。そこで拙者は本物を探していた。その時、京極家から、浅井家の女性が来ていると聞いて・・・拙者は確認の為に向かった。そこにいたのはあの幹花達がいた。」
「うん。」
「三人は名乗っている名前が違うし、最初は親戚だろうと思っていた。そして三人とも器量・・・知能ともに高いと思った拙者は、三人を息子と一緒に育てる事にした。当時の忍で器量知能とも似た蚕というのは見かけなかった。だから育てた。だがしばらくしてある事実が発覚する。それが・・・城にいるのが偽物で・・・この手元にいる彼女たちが本物であると言う事だ。」
「ということは?」
「あの子達うが順当に、助けられていれば・・・御台所になったのは彼女たちと言う事だ。」
「お后様。」
「と言う事だ。だがそうはならなかった。」
「だよね。」
「その事実の一部をどうもお江は薄々悟っていたらしい。しかも・・・間の悪い事に、その偽物の次女は・・・京極家の正室だ。」
「・・・。正室って・・・妻?」
「そうだ。そして・・・は知っている一番怪しい女性。京極家に言った凛がもしやと思った彼女は見張りを付けた。」
「それが・・・あの座敷牢という結果になった。まあ・・・この事実は幹花が旅立った後に起こったので・・・あいつは知らないと思うが・・・春日もがんばってはみたが・・・疑いを晴らすまでには至っていない。」
「何か・・・複雑だね。」
「拙者もどうにかと思ったが・・・状況は芳しくない。それでも京極殿は・・・良くしてくれた方だ。感謝している。」
「大変だね。」
コンコン。
「ん?誰か来たようだ。」
半蔵が外に歩いていくと・・・しばらくして半蔵が走って・・・逃げ出してきた。その後ろには・・・黒い着物を来た・・・女性が・・・。
「夜這いに来た・・・よ。」
その声、外見は・・・。
「春日・・・どうして!」
「お主!夜ばいは男がする奴だ!」
半蔵も呆れて怒鳴り返すが・・・春日の表情は変わっていないし・・・瞳も爛々と輝いていた。
「いいじゃないですか半蔵様。こういう可愛い子に目がないのは知っていたでしょうに・・・。それをこう・・・生殺しにしたくせに・・・それにせっかくこうして屋敷まで無理矢理手配した理由・・・。」
「それは正就に言ってきつく言って隠してた!」
「あの人の口を割らせるのぐらいは・・・ふふふふふふふ。」
ソラが見たその春日が見たあの時の輝く目と・・・いや寒気がする!怖い!本能的に・・・何か危機を感じていたソラは一歩後ずさる。
「こうして!しっぽり夜這いする為に決まっているじゃないですか!」
「アホか!帰れ!怪しまれるぞ!」
半蔵がソラの前に仁王立ちになるが・・・春日は少しずつにじり寄っている。半蔵もソラも・・・少しずつ距離を取ろうとしていて・・・下がっていた。
「今日は写経と言う事で・・・天海様の所に・・・代わりを置いておきました。今夜は帰らないと・・・皆には言っておきました。」
「本気で・・・天海殿が怒るぞ。」
「天海様はほら・・・融通が利くから!」
「しまった!」
半蔵はある事を思い出す。これはやばい!
「観念してくださいませ。半蔵様港・・・向こうに行って・・・。しっぽりと・・・。」
「そんな・・・夜這いがしっぽりしてたまるか!」
「それは・・・こう・・・。」
半蔵とソラの背中に・・・壁が当たる。もう下がれないようだ。春日の向こうに夜空が綺麗に・・・もう何となく現実逃避まで始めてしまうほど・・・追いつめられていた。
「ソラちゃん・・・あの時は言えなかったけど・・・」
「何・・・春日さん・・・。」
「今後とも・・・よろしく・・・。」
「ぎゃー。」
その叫び声は・・・流石にこの山奥では人には聞こえないのであった。
外伝である、ソラと半蔵の旅はこれでいったん区切りとなります。読んで頂いてありがとうございました。