第二節東海不思議旅
ついに駿河に着いた真田一行は徒歩で江戸を目指すべく東を目指す。そこで出会ったのは・・・。
第二節東海不思議旅
「これが、駿府・・・富士山はこっちから見たことはないが、きれいなものだ。」
真田信繁は港に着いて背筋を伸ばしていた。
「ですな。船から見る富士山よりも、やっぱり陸から見る富士山のほうが、きれいですな。」
「そうだな。船は狭い。」
青海はそう言うと、身体を乗り出す。
「・・・そういいながらも、お前達は毎日酒を飲んでたじゃないか。」
半蔵は呆れながら、船から下り、船長でもある商人に金を渡していた。
「仕方ないだろ。二週間やることが無いんだから。」
青海はあきれたように周囲を見渡す。
「甲板掃除も暇つぶしみたいなものだ、せっかくだから磨いていればよかったのに。」
信繁は呆れたように船を見つめる。
「そういうあんたはずっと、本を読んでたくせに。」
青海は呆れたようにいった。
「ま、私の暇つぶしにはなりましたがね。甲板磨きは。」
筧はそう言って腕をまくった。
「・・・その代わりにあんたは飲みながら甲板を磨いてるから、こぼれた酒拭いてるだけに見えたけどな。」
半蔵は、悪態をつくとそのまま街中に歩いていく。
「で、こっからどうやって行く?」
信繁は周囲を見渡すが、港町であり家康のお膝元である駿府は、江戸や京都と同じぐらい活気に満ち溢れていた。
「そうだな。三島から箱根山中を抜け、そのまま相模沿いから街道がある。そこを通ってから、江戸まではほぼ平地だ。」
「・・・おう、何か神社めぐりもいいなあ。あっはっはっはっは。」
青海は豪快に笑った。
「坊主が神社周りとは。あっはっはっは。」
筧もにやけたように歩いている。大通りも人通りも多く、町も活気に満ち溢れている。
「・・・本当に大丈夫か?」
信繁は半蔵の横を歩くように歩くと、箱根のほうを見た。
「とういうと。」
「あの辺は確か風魔の根城じゃないか?」
「それは・・・まあ・・・崩れさえいなければ大丈夫だろう。」
「そうか。」
風魔とは旧北条家に使えた忍軍で忍術などの陰陽術で有名な忍者たちで構成された忍軍である。これに対し半蔵などの伊賀忍軍、その近くにある甲賀忍軍は一応陰陽術は学ぶが道具による潜入などに重きを置いている。北条家の滅亡に伴い風魔忍軍も滅亡したと言われている。
「そ、その、風魔の崩れって何なんでしょうか?」
筧は不安になったように周囲を見渡した。
「崩れ。まあ、相場に予想がつく。忍軍が無くなって、生きるに生きていけなくなって山賊になる。定番だ。」
「そんな。山賊ですか?」
「それからこのお方を守るために俺達がいるんじゃないか。」
青海は意気揚々と信繁の後ろを付いて行った。
「ですよね。」
「まあ、私もいる。気にするな。」
そう言うと、前を歩く半蔵は吸い込まれるように一つの酒屋に入っていく。それに付き添うように三人は酒場の中に入った。
「よう、おやじ。」
「いらっしゃいませ、半蔵様。」
「こいつらも含め、一杯頼んだ。」
「は、はい。」
そう言うと店主は店の奥に小走りで向かった。
「ここは?」
「ああ。なじみの店だ。」
「そうか。親父!酒頼んだ!あと、つまみも。」
「は、はい!」
奥の親父さんは店の奥から大声をかけた。
「また飲むのか?青海。」
「まあな。こういうところの酒は飲む為にあるんだよ。」
「お主の事だ。これだけが目的じゃあ、あるまい?」
「簡単なものだ。」
そう言うと半蔵は周囲を見渡す。そこには忍足立ちが酒盛りをしていたりして、店自身はかなりにぎわっていた。
“おい、南側どうよ”
“いやあな、近く通るとさ。村の連中とかが、最近山賊見たとか言ってたんだ。それで一応近くの侍とかには言っておいたけど、しばらくはな・・・。”
“そうか、でも北は険しすぎて上れないからさ。俺、南行くよ。”
「・・・ふ。」
信繁は口の端を緩ませた。半蔵は軽く頷くと、店主のいる店の奥を見つめた。
「お待たせしました。」
奥から店主がやってくるとお盆に徳利と空の杯を持ってきていた。
「どうだ。調子は。」
半蔵は徳利を机に置くと、杯に酒を取り分けている。
「いやあ、最近は繁盛してますよ。どうもね。南回りに山賊が出たらしく、ここから、甲州回る人が多くて、この辺、結構人通りが多いんですよ。」
「そうか。」
「でも、山賊ってどんなやつなんだ?」
信繁は興味深そうに聞いて来る。
「いやあね。それがどうにもその話だけが無いんですよ。」
「は?」
筧は間の抜けた声を上げながら、二人に酒を配っている。
「どうも、山賊に襲われたって奴がいるんですけどね。お侍さんもいたんですけど、どうもその話だけが出てこない。この宿場で今、その話で持ちきりなんですよ。」
「そうか。」
半蔵は頷くと、店主が持ってきた小魚を棒に刺した物を手に取ると、口に一気に咥えた。
「ならどうする?」
「ん?」
信繁は頷くと、腰に下げた竹の水筒から水をぐっと煽った。
「北は二週間ぐらい余分にかかるが、甲州から抜ける道もある。だが、甲州にはもしかしたら、武田崩れの山賊がいる場合もある。まあ、今回は南にも山賊がいる事もあるから、どっちも変わらん。」
半蔵は酒を煽り、一堂も見る。
「武田崩れの山賊なら俺らでも顔が利くんじゃないのか?」
筧が軽い調子で周りを見ながら答えた。
「いや、顔を知っていればいいが、大抵こういう崩れは武将とかではなく、戦場で逃げ出した兵士とかが多い。だから顔を知っていればかもとして襲われるだけだ。」
「そうだな。確かに甲州は行って見たいが、山賊はいやだな。」
「だな。」
青海は酒を一気に煽り、魚を握り締めるとぐいっと飲み込んだ。
「でも、お館様がいた頃はそんな事はなかったのにな。」
「そうは言っても、もう今じゃあ、昔の物語だ。悔しいけどな。」
青海はそう言うと徳利を握り、残った酒を一気に飲み干した。
「もう、さすがに慣れたよ。」
諦めたような声で、手に持った杯を筧はぐいっと煽った。
「そうだな。」
信繁は寂しそうな顔で周囲を見渡す。
「どうする?」
「・・・。俺は南に行って見たい。鎌倉とか見てみたいしな。」
半蔵の問いに信繁は大きく頷いた。
「そうですな。」
筧は頷くと立ち上がる。
「じゃあ行くか、せめてもう少し進んだ宿場までは行きたいからな。」
「わかった。」
そう言うと半蔵は立ち上がると店主にお金を渡した。そしてそのまま店を出た。
出発して4日の朝になると山道だった。この山の中腹に湖がありその先には箱根の険しい山があった。信繁御一行はその道を見上げると、只、淡々と上り始めた。彼らにとって山とは慣れた土地であり、歩くのに不自由はしない。
「大体どれぐらいかかるんです?山越えるのに。」
「それは、2日だ。最短で、最高条件が揃ってぎりぎりでだ。」
半蔵は空を見上げるが、空はまだ寒空で、普通の人間が険しい山に入る事は無い。
「なら、三日か。まあ南岸越えだとどれくらいだ?」
信繁は周囲を見渡して聞いた。山に雪は積もってないものの、所々に雪が固まっていた。
「3週間といったところか。まあそれでも険しさは変わらない。」
半蔵は懐から干し芋を取り出すと、口に咥えた。
「それなら、山を行くか。」
そういう、青海はと歩くペースを上げた。
「それは真田様が決めることだ。」
「それはそうだが、やっぱり酒とかだと山より海のほうが・・・つまみが旨い。」
「だな。」
その言葉に全員が頷くと、四人はそういいつつ歩くペースを上げた。
「で、この辺に集落とかはあるのか?」
信繁は山を見渡す。
「結構道沿いに多くあるぞ。まあこの辺はともかく中腹から先は誰もいなくなるからな。」
半蔵はまっすぐ前を見て、山を登っていた。
「そうか。やっぱり。」
「どうしてだ。」
「いや、どうも人の気配を感じる。」
その言葉に後ろの二人に緊張が走る。さすがに戦に慣れた二人のため、いきなり周囲を見渡すことは無かった。半蔵もその表情は変えることは無かった。
「もしかしたら狩人かなんかじゃないのか?」
半蔵は少しだけ声を下げて信繁に声をかけてみる。
「いや、だとしたら不自然な所が多い。こっちに動きを合わせて動く必要は無い。」
「・・・そうなんですか?」
筧も、二人の緊張に合わせ、じっと足元に視線に合わせ、相手に視線を合わせないようにしている。風がないのに周囲の草が揺れ始める。
「くる!」
信繁が、押し殺した声で叫んだ瞬間、坂の上の草から何か黒い何かが飛び出す瞬間、信繁は一歩踏み込み、脇差を抜く。
「はあぉぉぉ!」
その黒い何か・・・いや、黒い何者かは手に持った手斧を振り下ろす。信繁はその中腹を狙い、脇差で打ち払った。その瞬間、黒い何者かは後ろに飛びのき、手斧を構えた。
「何奴!」
そういい全員が武器を構える。相手はどうも一人らしくその黒い衣装もあって昼間の今では路上では目立っていた。体の線が細くしなやかに見えた。
「誰かはしらねえが、俺達を襲うたあ、いい度胸だ。」
そういい、青海は得物である棒を構えようと思うが、周囲を見渡してやめて、骨法の構えを取った。
「お前達!出てけ!」
そう聞こえた声は女性とも男生徒も使いない中性的な・・・子供のようあるが、その殺気はすさまじいものだった。
「は!?ふざけるな。俺達は旅のものだ!敵意はない!」
「その成りで何を言う!」
そう言うとその黒い衣を纏った人間は声を荒げながらも冷静にこちらとの距離を取っていた。
「俺達は只、江戸に向かうだけだ。」
「知るか!」
信繁は脇差を構えると、少しずつ距離を詰めている。
「お前ら侍は!山賊とか何とか言ってまた村を襲う気だろ!」
・・・。その言葉に全員が息を呑んだ。
「俺らは村を襲う気はない。解るか?」
信繁は説得しようとしていた。だがその表情はこわばっていた。
「そんなの信用できるか?」
黒装束は叫ぶ。
「どうします?真田様。」
筧は信繁の脇を固めるようにじりじりとにじり寄る。しばらく考えたそぶりを、信繁がすると、何かを思いついたように目の前の人間を見つめた。
「そうだな。お前、名前をなんと言う?」
「お前なんかに教えるか!」
「じゃあ、お前。お前の集落に俺達を連れて行け!」
そう言うと信繁は脇差を鞘に納めた。
「・・・どうするつもりだ!」
「決まってる。そんな馬鹿侍なんて俺達が倒してやる!」
そういうと、信繁は、皆の一歩前に出た。
「信用できるか!」
「・・・信用してもらうしかないな。」
その黒装束と信繁はじっと見つめていた。
「なんでだ。」
「何が?」
「なんで、」
「なんで・・・そんなに、いきなり要求を!」
「おまえらは、山賊に困ってる。俺たちは、まあ、仕事に困ってる。いい飯の種じゃないか。」
「真田殿!」
半蔵が叱責するように声を上げる。
「侍とかはそうだ。いつも弱いやつにつけ込む。」
「・・・そう思うのは自由だが、山賊とかにやられているのはそっちじゃないのか?味方が欲しいはずだろ。」
そしてまた、しばらくの静寂が周囲を包む。
「あんたはどっちの味方だ。」
「だれとだれだ。」
「侍と、こっちのだ。」
「さあな、どっち側につくかは、村に行ってからにしよう。」
この言葉の後にもまた、息をのむ静寂が訪れる。
「・・わかった。お前みたいな強情な奴・・初めてだ。」
そういうと、目の前の黒装束は覆面をとった。そこには流れるような黒髪、ほっそりとしたその顔は、誰がみてもはっとする美しさだ。その顔の所々は泥や汚れがあり、その無骨さは、周囲に伝わってきた。周囲も同じ意見らしく、全員がその顔を前にして唾を飲んだ。その姿は声と同じく男性とも女性ともとれない何か蠱惑的なところがあった。
「俺はまだが、名乗ってなかったな。俺は、しま。」
「真田だ。よろしくな。」
そういうと、しまは後ろを向けると、そくささと歩いていってしまった。
「いいんですか?ついて行って。」
筧は、信繁に顔を寄せ、小声で話す。
「いいんじゃないか?あれが噂に聞く風魔やもしれん。ならば、それを見に行くのも悪くなかろう。」
「・・・江戸に着くのは遅れますぞ。」
半蔵は信繁を半眼でにらみつける。
「だとしても向こうもある程度の遅れは計算の内であろう?」
「ん・・・んぅ。仕方ない。まあ、村に行って事をかたずけたら、江戸に行ってもらいますぞ。」
そういうと、半蔵は懐から干し芋を取り出すと、口でかみちぎる。
「わかりましたよ。」
そういう信繁の顔は少しにやけていた。
「ここが俺たちの村だ。」
「はあ、はあ、ちょっと待ってくれや、俺はさすがに疲れたぞ。」
「青海、情けないぞ。」
肩で息をする青海を笑顔で見つめる信繁はここまできても涼やかだった。
「さすがに今回ばかりは、はぁ・・・はぁ、青海に味方しますぞ。真田様。三刻ばかりほぼ全速力で駆けさせられて、息が切れない御仁がいましょうか?」
「そう言う事言うなよ。せい。このぐらい出来ないと山暮らしはできんぞ。」
「で、村の名は?」
その流れをたたききるように涼やかな顔のしまと、半蔵は下を見下ろした。峠を二つ越え、見下ろした峡谷の谷底近くに、川に張り付くように一つの村・・・というか集落がそこにあった。
「さあ、俺は村長じゃないから、わかんね。」
「そうか。」
「というか、小さな村ですな。俺の田舎の村よりもちっさいとこ、はじめてだ。」
筧は、驚いたように下を見つめた。
「馬鹿にするな。これでもみんないいやつだ。」
「というよりかは・・・本当に何回か襲撃されているようだな。」
「そうだな。」
半蔵の目線の先に目を向けた信繁はそううなずいた。そこには焼け落ちたまま放置された家が数軒あった。その近くの畑も荒らされた形跡もある。
「あれがそうだ。俺たちが山賊とか言って、急におそってきて、それで、村荒らしていった奴らの跡だ。」
その言葉に全員が押し黙ってしまった。それほどまでに、焼け落ちた家の跡はむごたらしいものだった。
「これは・・・な・・・。」
半蔵は、言葉を飲んで、その焼け跡から目を背けた。
「あんな事した侍どもは信用ならねえ。ま、お前らがそうかどうかはついてからだ。この斜面降りたら・・・ま、半刻ほどかかるから、その辺でキノコでも探しながら降りてきてくれ。」
そう言う、しまの下げている風呂敷には、あふれんばかりの山菜が入っていた。
「拙者はこういう事には不慣れだから、真田殿もがんばって、食べれるものを頼みますぞ。」
そう言う半蔵の着物の懐は少しふくらんでいた。
「ん?お前?集めてくれたのか?」
「ああ。これ。確かこれは食べられましたよな。」
そう言って懐から、松茸を二つほど取り出した。
「ああ!それは!よくあったな。それ、滅多にとれないから・・・焼くと旨いんだぞ。」
しまが目を輝かせ、松茸を見つめていた。
「まだ修行が足りませんぞ。しま殿。結構ちらほら生えてましたからな。これがまた・・・炙り、茎の吸い物あたりは絶品でしてな。結構いい酒のつまみです。」
「俺は、こういうのには慣れていないから、もう休みたいぞ。」
そう言うと青海は近くの木にもたれ掛かった。
「はっはっは、青海。おぬしが酒よりも休憩が欲しいとはな。」
「確かにそうだが、さすがにもう足腰立ちませんよ。」
青海の言葉に全員が始めるように笑った。
「麓まで来ると、本当に・・・。」
そう言うと麓の集落まで降りてきた一行はその惨状を目の当たりにした。途中で言葉を飲む筧をみて誰も反感を覚えなかった。村は、陰気に包まれ、いや、敗戦濃厚の戦場を見せられるような落ち込みようで、息さえも吐くのが躊躇われる。そんな空気だった。村自体はいくつか建物に刀傷があるが、それほど建物の造りも良く、どの建物もそれなりに立派に出来ていた。日中にもかかわらず、畑に出ている人間の数はまばらで、その顔の暗さは何ともいえない悲しさを追っていた。しまとその一行はその村を早足で駆け抜けていた。
「これはまあ・・・非道いですな。いつ、襲われました?」
半蔵は軽く合いの手を入れる。
「それは、村長に聞いてくれ。」
そう言うとしまは、何かを嫌うように早足で村のある建物に向かう。そこは村の中でもひときわ大きな建物だった。
「村長!村長!」
その建物門を素通りし、演題まで行くとそこには、湯飲みで何かを飲んでいるおじいさんが一人ひなたぼっこをしていた。
「なんじゃ。うるさい!」
「ん?村長。こいつらがしっつこいから、言ってくれ。何か飯の種になりそうだから、村に連れてけとかいいおってさ。このお侍!」
「お侍さんかい。」
そう言ってひなたぼっこしていたおじいさんは、じっと後をついてきた信繁一行をにらみつけた。
「お主ら侍ならこの通り、報酬払うだけのモノがある村じゃない。賊・・・いや、賊以下のあいつらに金目のものは全部盗られました。飯の種になりそうな事なぞ一つもありません。」
そう言う村長の目から、涙がぽろぽろ落ちた・・・ような気がした。
「これはいつ襲われた。」
そう聞く半蔵の目は真剣だった。
「これは・・・と言うかお主・・・いや、そんなはずはあるまい。まあ先週の事じゃ。」
「先週か。かなり近いな。」
信繁は周りを見渡す。確かに村に男の数が少なかった。
「まあ、そうことじゃ。ここまで来ていただいたからと言って今の状態では、白湯の一杯とて出すのがはばかられます。お引き取りください。」
「そうですぞ、真田様。帰りましょう。」
筧はそう言うと信繁の袖を引っ張った。
「お前、こんな非道い事になった村ほっとくのかよ!」
「そんな事言いましても、この現状、どうしようもありますまい。」
信繁の後ろで、青海と筧が言い争いしていた。
「・・・襲われたのは、本当一回だけかここ?」
信繁の質問に村長としまの顔色が変わった。
「どうも、そこの柱の刀傷、先週のだとは思えないんだよな。もっと新しいのもあるんじゃないか?」
「良く気が付かれましたな。そこのお侍さん。確かに、三日ほど前も来て、男どもがかっさらわれていきました。」
「なぜ隠した?」
「・・・ここには本当に飯の種になりそうなものはもうありません。食べ物は奪われ、年頃の娘はすべて連れて行かれ、男さえも先日持って行かれました。もううんざりなのです。先日の件で無からからなけなしの金を渡し、侍を雇いましたが、賊が来れば山中に逃げ出しました。もう誰も信用できません。もう雇うほどのお金も、物も作物もありません。」
その村長の言葉に全員が押し黙ってしまった。しまはその隣で悔しそうに下をおつむいていた。
「そいつらはなんて名乗っていた?」
半蔵は顔を・・・普段感じられる余裕さなぞ微塵も見せない怒りの形相を押し殺した・・・・様に信繁には見えた表情で聞いてきた。表面上は・・・細かいところをのぞいてはいつもと変わらない半蔵の顔だった。
「確か、半田山なんとか次郎とか名乗っていましたな。そんな賊の事なぞ、早くも忘れたい物です。」
その瞬間、半蔵はきびすを返した。その方を信繁は力一杯つかんだ。その顔は口元は笑っていたが、瞳の奥は怒りで煮えたぎっていた。
「どこに行くんだ?」
「ん・・・そ・・・そうですな。少々用でも足しに・・・。」
半蔵の顔はすこしこわばっていた。いや、こわばっていたのか怒りで肩が震えていたのか、区別するのが難しかった。信繁自身そうだったため、彼のやろうとする事が一目でわかった。
「じゃあ、俺もその用とやらを足しに行こうか。」
信繁はそう言うと、肩を引き寄せ半蔵と、門の外に出てい行ってしまった。それをみた青海たちはあわてて後に付いていった。
「おーい待てよ。用って川はそっちじゃないぜ。」
しまはそう言うと声をかけるが、皆声が聞こえたそぶりもなかった。
「・・・もし、まあそんな人がここに顔を出すとは思えないが、思った通りなら・・・。しま!」
「はい!」
村長の声につい背筋を伸ばしてしまう。
「あの旅人たちについて行きなさい。」
「はい?」
「そして、用が足し終わったのを見届けたら、もう一回家に来るように伝えてくれないか。」
「はいぃ?」
しまはつい抜けたような声を出してしまった。
「わかりましたよ。頭領・・・いや、村長。行ってきます。」
そう言うと、しまは走って信繁たちを追いかけていった。
「用って・・・ここまで来る?」
全員は村を一直線に出て、今まで来た道を引き返していた。あっという間というか、すぐに村の入口を超えていた。
「半蔵殿。どうするつもりか。」
今までの冷静さが嘘のような、怒りで満ちた早足で坂をあがっていく半蔵を信繁は肩をつかんで押し止める。
「すまない。二、三日この村にとどまって、村の者を守ってもらえないか?」
半蔵は今にも駆けて戻ろうとしていたが、その様子を青海達は呆れていた。
「どうしてだ。」
「私は・・・。」
「戦場の習いだとはいえ、ここまで怒る必要は・・・。」
青海の一言に、半蔵はさらに声を張り上げた。
「戦場!ここが!?ふざけるな!ここが、平定されて26年は経つ。そんな平和な・・・そんな村が、襲われて!何も感じないのか?お前らは!」
半蔵の怒りで、全員が押し黙ってしまう。
「すまなかった。そう言う意味じゃない。」
青海が申し訳なさそうに顔をうつむかせた。戦国時代になって以降、各地で領主や山賊による略奪は横行していた。また、兵士として、領主に若い男を取られていくので、食べ物は作れず、それが飢餓を生み、山賊が発生するという堂々巡りの世の中で、このような襲われる村というのは彼ら戦場に生きるものにとっては、いつでも聞く話でもあった。
「俺たちの戦いが!俺たちが戦ってきた意味が!こんな、村をこんな奴に襲わせるためにやる事じゃない!俺たちは・・・。」
そう言うと、立て膝を付き半蔵は顔を伏せた。
「俺が聞いたのはそっちじゃない。」
信繁は半蔵の顔をまっすぐ見つめていた。
「俺が聞いたのはなぜ俺たちを置いていく!?」
「これはほぼ”私闘”になろう。罪をかぶる音は拙者で十分だ。」
半蔵はそう言うと、きびすを返した。その肩をひっつかんで信繁は無理矢理正面を向かせる。
「本来俺たちはここにいないはずの人間だ。誰が死闘しようと単に浪人が暴れただけだ。それに・・・。」
「それに?」
「俺も、こんな事を許せるほど心が広い人間じゃない。だから。俺も行く。お主が止めても一人でも行く。」
信繁は、申し訳なさそうにつげる。
「ですな。このような働き場みすみす見逃すのはもったいない。体がなまったところですぞ。」
筧は肩にかけた槍の笠を抜くと槍を構えて見せた。
「だな。このままでは半蔵殿にただの酒飲みに見られる。それに、このような見所が何もない村にいたら、暇で死んでしまいそうじゃ。お主はワシに死ねと。」
青海はそう言うとにやっと笑ってみせた。
「いや、青海には留守番を頼もうと・・・。」
青海の方を向くと意外そうな顔で信繁は青海の肩をたたいた。
「え・・・。」
「誰かいないと、報復とかで来そうで怖いんだ。だからさ。」
「だからなんでわしなんじゃーーー!」
その声に全員が笑ってしまった。
「・・・すまない。・・・取り乱してしまった。ただ、これが本当か、または誰かの陰謀か確認する必要がある。そこでだ。山の根元の三島宿までもどって、それから、半田山とか言う輩のところに行って、せめて、村の連中を助けてやりたい。それには・・・。」
その言葉に全員が顔を寄せていた。その様子にしまは、物陰に隠れていたが何か聞き取れないので、少しずつ気配を消しながら近づいた瞬間、全員がしまの方を向いた。
「うっぃひぃ!」
しまは、声にもならない声を上げた。
「しま殿、あなたは男の用足しに付いてくるほど暇ですかな?」
半蔵は引きつった顔でしまを見つめていた。
「いやあな。ほら、いきなり出て行くもんで、つい・・・ね。」
「半蔵どの、少しはこいつも戦力になるし、それに目標の顔もわかる。ここは・・・。」
「そこの童、一緒に付いてこい。」
そう言う半蔵の声にしまは立ち上がった。
「どこに行く気なんだよ。」
「ついてこればわかる!」
半蔵の自信満々の声が響いた。そして・・・。
「で、ここまできちゃったんだ。」
しまは目の前の大きな館を前に呆れていた。この領主の屋敷は、地方で統治を任されている代官”半田山義男”がいる駐在所だった。当時は下っ端からたたき上げの現場主義として、治安に大きな手柄を立て、急激な出世をしていた最近の稼ぎ頭の筆頭だった。だがその急激な出世に多くの物がやっかんでもいた。それまでいくつもの不穏な噂が出てはいたが、半蔵は流石に先ほどの村の現状を聞くまでは、取るに足らない物だと思っていた。だが、実際はその出世の手法はあまりにも悲惨だった。
「人を使って調査したところ、かなり悪質な山賊・・・山賊にかこつけた人狩りを行っていた事が発覚した。」
半蔵はじっと向こうの建物を睨みつけていた。
「たとえば?」
信繁は町中で買った槍を肩にかけ、じっと館の正門を見つめていた。
「あの村だけかと思ったら、周囲の村々すべてを山賊狩りと称して襲っていた。さらにそこから村にいた女を片っ端から女をどこかに売りつけたり、男を捕らえて盗賊として処罰する事によって出世の糧としていた。」
「じゃあ、俺の父ちゃんとかは?」
「村の男どもは、まだ処刑されていないはずだ。どうも盗賊として江戸に持っていて見せしめをかける気らしい。」
「そんな・・・父ちゃん!!」
しまは目の前の館を見つめる。今まではふつうの館に見えたのがいつの間にか悪の巣窟に見えてきた。
「それで得た金を使って賄賂を上に送ったり、周辺の下っ端を使って商人に税とか甲斐って金をむしり取っている。」
「そこまで悪党だと、むしろ清々しいな。で、半蔵やれるか?」
「やれる、やれないじゃないぞ。やる!」
半蔵はタスキをきつく締め、裾をまくり上げる。
「しまは山奥で、待ってもいいんだぞ。」
「嫌だ。父は・・・村のみんなは、俺が助ける。」
しまは手に持った木の棒を青眼に構えた。
「・・・こいつを使え。少しは役に立つ。」
そう言うと脇に刺していた脇差しを鞘ごとに引き抜くと、しまに投げつけた。
「これは・・・いいのか?」
そう言って、しまは鞘から脇差しを引き抜く。その刃は通常の脇差しよりも一回りは太く、鉈と勘違いされそうな太さだった。その刃からは様々な、複雑な臭いにおいがした。だが
どう見ても外見の無骨な鞘とは違うその刃物は、業物のにおいさえした。
「無事に帰れたら返せよ。そいつは貴重だからな。」
「わ、わかった。」
その刃物のにおいに少しこわばって、しまはコクコクとうなずいた。
「行くぞ!」
半蔵はそう言うと手に持った黒い玉に付いた縄に火をつけ、正門に向かって投げつける。
「ん?」
正門の門番がじっとその球体を見つめていると、急に爆発した。
『お前ら!悪徳代官はおれがゆるさねえ!成敗してやるから表ぇでろや!』
信繁が大声を上げた。その声に反応して館から侍たちがワラワラと出てきた。
「お前ら。何者だ。」
先頭に出てきた太った男が大声を上げる。この男一人だけ服が上質な物らしく代官みたく見える。
「お前らみたいな下郎に、答える名前なぞはない!」
「何だと、皆の物!こんな奴討ち取ってしまえ!」
そう言うと周りの侍達が信繁達の周りを囲む。
「・・・大丈夫なのかよ。」
しまは、隣に構える半蔵に声をかける。
「目の前に集中しろ。」
そう言いながらも侍達は徐々に間合いを詰めていく。
「殺すなよ。」
信繁は緊張した声で、後ろに声をかける。しまがうなずくと、その次の瞬間、信繁が槍を素早く突いた。突きのために踏み込んだ足がその勢いで砂塵を立ち上らせ、その槍は轟音を立てて、目の前の兵士の肩に吸い込まれるように刺さった。その勢いで兵士が吹き飛ぶと
その次の瞬間には槍を手元に引き戻していた。その様子にさすがに侍達はざわつき始めた。
「来いよ。腑抜けども。」
信繁がさらに挑発するが、その一突きに徐々に後ずさりを始めた。
「お前ら、一気に囲んでしまえ!こんな奴一人苦戦するなら給金やらんぞ!」
太った男は集団の後ろの方から大声を上げた。
「半田山様・・・。」
部下達の気弱な声が響き渡る。
「ええい。かかれ!かかれ!」
それにハッパをかけた次の瞬間。半田山の横まで一人衛兵が吹き飛ばされていた。また肩を打ち抜かれ肩から血を出していた。
「腑抜けどもが!弱い奴しかやれないのか。」
その瞬間をねらって、脇にいた兵士がしまに手に持った熊手を振り下ろす。しまはそれを見極めると、一歩踏み込み相手の獲物を撃ち払った。その一撃に無音に近い音で武器が吹き飛ばされ、熊手は遠くに飛んでいってしまった。熊手の柄の太さは刀の攻撃に備え、木は太めだったがそれをあっさり切り裂いてしまう。
「す、すげえ。」
「しま殿。いくさ中ですぞ。」
しまはその獲物の切れ味に呆然としてしまうが、半蔵は目の前の兵士をじっとにらみつけて、相手の行動を押さえ込んでいた。
「お前ら、それでも侍かよ!」
さらに信繁が掛け声をあげるが、包囲が狭まる事はなかった。さすがに戦場経験が多い者が多く、その強さにその一歩が踏み出せずにいた。
「・・・あれ。」
半蔵が顔をあげると、建物の方から白い煙が上がるのが見える。
「わかった。」
そう言うと、信繁は槍を低く、威嚇するような構えに変えた。次の瞬間には槍は目の前の衛兵の肩に突き刺さり、次々に吹き飛んでいった。それにあわせ、半蔵も兵士の根本に潜り込むと次々と素手で吹き飛ばしていった。その行動の早さにただただ驚くばかりだった。
「は・・・はは・・・は・・・。」
しまの乾いた笑いが終わる事には取り囲んでいたはずの兵士達は全員が地に伏していた。
「さすが、半蔵殿。流石の手際。」
そうにやりとする間に半蔵は、つかつかと、半田山らしき太った男の目の前にたつと手に持った刀を半田山の鼻先に突きつけた。
「半田山殿、近隣の村々の方々から聞きましたぞ。まさか、罪人をでっち上げるとは思いませんでしたぞ。」
「お主。何者だ。」
「・・・まあ、そうでしょうな。ただ、この惨状をどう説明しましょうかね。上に。」
そう言って、周りを見渡すと肩とかをやられ、うずくまっている兵士達がいた。
「この無礼者が!この代官である半田山に逆らうと・・・。」
その瞬間、鼻先にあった刀の切っ先が首元に移る。
「それは、本当にですか?」
半蔵の声は冷静そのものだが、その行動は何か怒りに満ちていた。
「ふん。もし、今度罪人をでっち上げれば今度、こうなるのはあなたの番でしょう。」
そう言った瞬間、刀を振り上げ、横になぎ払うと、ちょんまげが断ち切られボトッと落ちた。その瞬間、半田山は口から泡を吹いて、気絶してしまう。
「これで、追っ手しばらく来そうにないですな。」
そう言い、館の方をみると、脇道からぞろぞろとぼろぼろの服を着た集団がやってくる。その集団の先頭には青海が先頭を、筧が後ろに付いていた。
「真田様。どうにか見つけましたぞ。」
「よし、青海!行くぞ!」
「お、お父ちゃん。」
「しま!」
そう言って、集団から一人の男がしまを見つけると、ふらふらになりながらも駆け寄ってきた。しまも、涙を流して男に向かって駆け寄り、そして力一杯抱きついた。
「お主達!帰り方はわかるな。」
「は、はい!」
男達がうなずくと全員が周りを見渡した。
「追っ手が来るかもしれん。早く村に戻るんだ。私たちもすぐに逃げる。」
「でも・・・いいんでしょうか。もう一回村に代官が来るかもしれません。」
「お主達は悪い事をしていないんだろうが!まず村にいって、おっ母に会ってこい!」
「お、おれは?」
「お前も、お父と家に帰れ!」
「おう!」
その言葉にはじかれたようにコクコクうなずくとそのまま、ぼろを着た集団としまはそのまま走っていってしまった。
「我々もいきますかな。かなりの寄り道でしたからな。」
「ああ。」
そう言うと信繁達は彼らとは違う山中に走り去っていった。
「と言うわけで、罪人どもに逃げられまして。出来れば榊原殿に兵を出していただき、山狩りを願い出たい。」
半田山は、そう言うと代官屋敷に来た追撃部隊を率いる武将の榊原に頭を下げていた。その行為自身を榊原は苦虫とすりつぶしたような嫌な顔をしてみていた。
「お主、近隣の村々を盗賊さながらに襲い、罪人と言っては村の若い者をしょっ引いて、女をさらっては、女郎屋に売りつける。これが、代官のする事か!」
榊原は怒鳴り声を上げて目の前の男を睨みつけた。
「な、何をおっしゃるのでしょうか・・・。」
半田山の顔から汗が滝のようにあふれるが、その顔を決して上げようとしなかった。
「私も馬鹿ではない。顔を上げよ!」
榊原は怒鳴り声を上げる。その声にそろそろと顔を上げると、半田山はその顔に恐怖で顔が引きつっていた。榊原の声が怒りに震えた声が象徴するように鬼のような形相で榊原ははいつくばる半田山を睨みつける。
「流石にこの報告が信じられなくてな。ここに来る途中の村でな。どうされたと思う。」
「さあ・・・。」
「まさかな。全員がが建物に逃げ出して、竹槍構えて出迎えたよ。どうしたかと聞いてみたら、村に兵士が来ると村が焼き討ちにあうとか言われたぞ。」
「それは・・・私より前の・・・。」
そう言い訳しようとした瞬間上げていた頭の上に足を叩き下ろし、力一杯踏みしめた。
「確か、私が前にこのあたりを治めていたんだよ!。私はあれを見た瞬間、その場で腹をかっ捌きたくなったわ!」
「え・・・あ・・・は・・・。」
「盗賊討伐に来た甲斐があったわ。ひったてい!」
そう言うと、脇にいた侍は半田山を引きずっていった。
「半蔵殿・・・。すまない。」
誰もいなくなった部屋で榊原は一人ぽつりとつぶやいていた。
「結局報酬もなく、むだ働きでしたな。」
そう言う筧は、手に持った枝を火にくべていた。周囲は暗く、夜も更けた森はもう静かであった。しま達に追いつこうとも考えたが、追っ手が来るかもしれない事も考え、わざと別路で、予定通りの江戸に向かう事にした一行だった。
「これ・・・うまいぞ。食うか。」
そう言うと、半蔵は串に刺して炙っていた松茸を筧に差し出した。それを素直に受け取ると一気に頬張った。
「確かに旨いですが・・・やっぱり、白い飯が食いたいですぞ。」
「いいんじゃないか。こういうキノコでも酒が進む。」
そう言うと青海は手に持ったひょうたんの酒を煽った。
「半蔵殿。どうしてあそこまでの態度を。お主ほどの男が珍しい。」
「そうだな。ここまで来たら少し、寝るまでの間の酒のつまみだ。聞いて欲しい。」
半蔵は、近くの木により掛かると、思い出したように上を見上げた。
私の故郷は、山の奥でな。昔から食べ物は少なくとも幸せな村だった。だがな、当時の領主は村を弾圧する事しか知らず、よく村が襲撃されては村が総出になって建物を修復していたのだ。だがそんな日々が嫌だった。だから先代の村長はいろんな書物を研究してやっと、そう言う奴らを追っ払った。でも、ずっとなんか事がある事に襲撃され続けた。俺も一度、村が襲われ、友達が目の前で殺されたものだ。だがな、それが今の時代、戦国の日常茶飯事みたいな物だ。だがな、そんな私でも・・・だからこそ・・・こんな事が日常茶飯事になんかなっちゃいけないんだ。そう言って私は村を出たんですよ。まあ、いろんな事があったんですけど・・・その中でも、誰が相手だろうとそう言う弱い奴をいじめるようなやつは今でも許せない。
「・・・まあそう言う事だ。俺はそれ以来、そう言う何かにかこつけて村を襲撃するような奴らが許せない。まあそう言うわけだ。」
そう言って下を見ると、青海達は・・・もう眠っていた。
「そうだな。だから徳川に仕えるのか?」
と思ったが、信繁一人は起きていた。
「まだ寝ないのか?」
「まあな。」
うなずく信繁は少し眠そうにも見えた。
「ま、そうだな。何回か撃退した頃になると、村を盗賊の巣かといって軍を何回も差し向けられた。そのときに村を救ってくださったり、食料を送ってくださったのは徳川様ただ一人だった。俺自身命を救われもした。だから俺はあのお方しか、この戦国を平定できる人はいないと、今でも思っている。」
そう言う半蔵の目は、どこか遠くを見つめている目だった。
「・・・俺か。すこしは素直になったようだな。」
「ふふっ。そうか。あっはっはっはははははは。」
「ふっはっはっははははは。」
少し乾いた・・・どこかヤケになったような半蔵と、それにつられた信繁の笑い声が夜の森に響いていた。
「後は、こここを下れば!相模の海ですぞ!」
半蔵の少しはれた声が聞こえる。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
筧は肩で息をしながら、最後の気力を振り絞って算用への一歩を踏みしめた。その眼下に広がるのは、広大な海とそこを行き交う船達。そしてきれいな砂浜であった。
「おおー!これが、相模の海!」
「流石にここは絶景だって。真田様、ここで一つ腰を下ろして、休憩しますか。」
「だな。」
そう言うと信繁は近くの岩に腰を下ろし懐から水筒と饅頭を取り出した。
「でもまあ、予定よりは一週間は遅れています。・・・流石にまあ、怒られそうですな。」
半蔵は、呆れながらも地面に腰をおろした。
「でもここは少し道よりはずれてはおらぬか?」
信繁はそう言って海を見つめていた。小唄貝山から見える海は青く、美しいものだった。
「ここは拙者のお気に入りの場所。この道を通るときにはここによって。海を見つめ、その広さに感動していたものだ。」
その景色はちょうど、砂浜の地平線と海と陸との境界線そして水平線の先の彼方まで 津ずく海をみれらる場所だ。
「でもまあ、この先の海に・・・いや、あのバテレン達が言うには、彼らはこの海を越えてやってきた。」
「そうなのか?」
青海が海を見つめていた。その海の先には何も・・・島らしいものはなかった。
「彼らの意見が正しければ、この日本は小さな島であり、朝鮮のあるところは、これの数十倍も数百倍も大きな大きな陸なんだという。俺はそれが未だに信じられない。こんな広い国なのに、それより一位大地はどうなっているのか想像も付かない。だがそう言うところから人は来て、商売をしている・・・。まあ、人間というのはフフフフ。」
「確かにそうですな。どんなところでも民は・・・いや、人はたくましいものです。」
筧も海を見つめながらそうつぶやいた。
「だよな。」
”ぉーぃ”
「でも、まあ・・・本当に海は広いな。」
”おーい!”
「だよな。さて、行くか。少し息をついたら、どうにか下るくらいまではいける。後は平地だろ。早い早い!」
そう言って青海は立ち上がった。
”おーーーーーい!”
「青海どの、油断召されるなよ。砂は結構足が取られる故、すぐにばてますぞ。」
はっはっはっはっ。全員が声を立てて笑っていた。
”おーーーーーーーーーい!おまえらーーーーーーー!まってくれーーーーーー!”
「何か聞こえないか?」
信繁は不思議そうな顔をして後ろを振り返るがこの場所が少し道から外れているためか、茂みで、誰の姿も見えない。
「さあ。そうだったとしても拙者達には関係あるまい?」
半蔵はそう言うと持っていた水筒を腰にくくりつけ、立ち上がる。その瞬間茂みから勢いをつけてくり影が飛び出し・・・。
「さて・・・。」
”ばっちこぉぉぉおっぉぉぉおx・・・。がたたがたがた。”
立ち上がった半蔵に体当たりする。声が聞こえるまもなく半蔵は黒い影にぶち当たり・・・山頂から滑落していった。
「半蔵!」
信繁は下を見つめるとかろうじて、近くの木の幹に激突した二人の影を見る事が出来た。「大丈夫かー!」
「ま・・・まあ。」
半蔵の弱々しい声が聞こえてきた。
「おいつつつ・・・。だいじょうぶ・・・か・・・。」
覆い被さった男にしては細い・・・が上半身を起こす。
「お主は・・・。」
「おお。こいつは・・・と言う事は。」
そう言って振り返ったのはしまだった。
「あ・・・しま殿じゃないか。どうした?」
信繁の何ともいえないふつうの声が聞こえる。
「ああ。真田殿。やっと会えた。」
しまは立ち上がると、軽々と坂を上ってくる。
「探したぞ。」
「どうした?」
しまは、信繁の目の前に立つと懐から小刀を一本取り出す。そこには真田の家紋が刻まれていた。
「まず、これを返しに来た。」
「ああ。」
そう言うとしまは刀を突き出し、真田はそれを素直に受け取る。確かに前に渡したあの脇差しだ。
「あと・・・これ。」
そう言うとしまは懐から手紙を取り出した。そこには感謝状と書かれていた。
「これは?」
「村長様からだ。」
信繁は包みを取り出し、手紙を広げると、その紙一杯に字が書かれていた。
”拝啓、真田様。村の者を助け出していただきありがとうございます。あれから、なぜか、榊原という方が参って、村に謝りに来ました。それが真田様のお陰と思い、いても立ってもたまらず、一筆したためました。”
「あ、そうだ。これ、怒って出て行ったお主にって、村長からなんかこれが。」
”真田様が、助けてくれてから村で歓迎の準備をして待っておりましたが、なかなか来てくれないので、しまを向かわせました。今村で出せる金目のもののはありませんが、せめて感謝の気持ちだけでもと思っております。”
「委細承知と言いたいが・・・。なあ・・・。」
”そこでここでさらにご迷惑をかける内容で悪いのですが、しまをどうかあなた方のお供として連れて行っていただけないでしょうか。しまはめざとく、身軽なのであなた様のお役にきっと立てると思います。よろしく願いします。敬具。村長、吉田庄右衛門より。”
・・・。信繁は、手紙を読み終わった後、じっとしまを見つめていた。同じようにしまから何かを受け取った半蔵もまたじっと、しまを見つめていた。
「「こいつを連れてく・・・。ねえ・・・。」」
そう言う二人の声は重なっていた。
「お主、この手紙の内容はわかっているのか?」
半蔵は半信半疑という顔で、じっとしまを見つめた。
「え・・・。村長が言うには、そのまま真田様について行けばいいんだろ。よろしく。」
そう言うと、大きく、真田達に振りかぶるような大きなお辞儀をした。
「せっかく村を救ってくれたんだ。これぐらいしてもバチは当たらないよ。」
「やっぱり・・・。お主一言も聞かされていなかったんだな。」
半蔵は呆れて手に持っていた手紙をしまの方に見せつける。
「だって俺、字、読めんもん。まあ、書けもせんが。」
「どれどれ。」
筧が興味深げにその手紙を見つめる。
”この子には、一通りの基礎技術は身につけてはありますが、まだ粗相者で、世の中の事を知りませぬ。この子は女故、女の作法も山中ではなかなか身に付きませぬ。出来ればあなた様には、この子に見事な草としての修行をどうかつけてやってください。もしあなた方がお気に入りなら、しまはそちらでお召し抱えください。”
「女の作法って・・・こいつ・・・女か?」
そう言って二人はしまを見つめる。確かにきれいな黒髪でほっそりとはしているが服装はまたぎ達が着るような山の服装であり、女らしい格好はしていなかった。また村に行ったときのおばあさん達は確かに・・・ふつうに女性の格好をしていた。しまはその言葉を聞くと、顔を背ける。
「確かに村長は女らしくとは言ったけど、それとこれとは違う!ほんとに読めんけどそう書いてあったの?」
しまは目を丸くして、手紙を見つめるが、よく分からさそうな顔をしていた。
「まあな。あとは・・・まあ・・・な。」
信繁は、呆れた顔して見つめていた。元々真田領に隣接するところには武田忍軍の総本山があり、諜報活動を行っていた。そのため、草という隠語の言葉の意味は知っていた。ここで言う草とは諜報活動の中でも現地潜入し、地元民に慣れたり、色仕掛けをしたりして、情報を投手に伝える役目を持つ一番下っ端の忍者の事である。潜入を行うときの補助をする下忍、その指揮を行う中忍。そして情報を元に作戦を立案する上忍。と言う組織で成り立っている。だから、この立派な草というのは情報をかき集めるためのいわば一番の下っ端の事を言った。それを知っていた信繁は・・・何ともいえない表情になった。
「でも・・・草とかというと言う事は・・・あそこは・・・。」
信繁は思い返すように村の様子を思い浮かべようとしていた。
「何だ。知らずに恩を売っておったのか?」
半蔵は肩をすくめると、手紙を懐に入れた。
「え・・・あ・・・あの村はどこにでもある・・・」
「風魔の里だ。」
しまの言葉を遮るように半蔵は言い切った。
「へ?あれが・・・。あの村が風魔の里?」
「昔行った事があってな。懐かしくてつい。普通の村ならいざ知らず、見知った者がいる里だととても許せなくてな。」
半蔵は遠い目をしていたのを見て、しまは慌てて半蔵の方を見ていた。
「え・・・あんた村長にあった事があったの?」
「ま、あのときはお館様の影で付いてきただけだが、それ以来の仲でな。顔は見せた事はないが、良く手紙はやりとりしておるぞ。」
その言葉に全員が唖然としていた。
「でも普通の村と変わらぬではないか。」
筧があわてて村のあった方を見つめるがそこはもう森だけだった。
「元々忍というのは、山の民出身が多い。だから、練習場とかなくても外がそのまま訓練場と言う事が多いから、たいした施設もいらない。だから普通の村らしく見えるのだよ。ま、あの辺一帯の村すべてがそうだがな。」
「でも、お前が村長と知り合いとはしらんかったぞ。」
しまが感心したようにまたがって半蔵の方を見つめる。
「その首領の書に書かれているなら、仕方ないから、拙者が責任を取るが・・・。」
半蔵は呆れた顔をして顔を背けているしまを見ていた。
「だからなに?」
「お父や、お母はいいといったのか?」
「村長から言われた日にとっちゃのところにいってきただ。そしたら”この村にいても立身出世は出来はしない。だったら、あのお方達について行けば最低でも飯は食える。行ってこい!”だと。だから後悔はしてない。さてどこに行くか知らないが。一緒に行こうぜ。」
そう言うしまの顔は晴れ晴れとしていた。
「なら行こうか。せっかくの休憩で友が一人増えるのはおもしろい事だ。」
そう言うと腰を上げ、信繁は坂を下っていった。眼下に広がる海岸の先には江戸の町が広がっていた。