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異聞 真田信繁伝  作者: どたぬき
第一節1614年二月
21/30

第十九節 幽霊船と絶望峰

ついにアフリカ南部に到着した信繁たちはついに難関、喜望峰へあゆみを進める。そこで聞いた人魚伝説・・・。彼らを待つものとは・・・。

第十九節 幽霊船と絶望峰


「長い休日だった。」

 呆れた顔で艦隊長は船を見つめる。日本では大風や、特効戦術の前になす術がないイスパニア第三艦隊ではあるが、中立港である。清の香港での船団の修復がやっと一段落した。材料の取り寄せなど・・・意外と手間がかかっている。

「本当にな。久々に・・・中華も悪くないが・・・土臭さはどうにかならんものか?」

 アルサレムが、ワインをグラスに注いでいた。本当ならシャンパンなどが良いのだが・・・。この清では本国の味わいに勝つことはない。

「良いではないか・・・久々の休日だ。向こうのウォッカもどきよりはずっとましだ。」

 キースは久々のワインを口に転がしていた。

「で、猊下からの連絡はきたんでしょうね。」

 船長はじっとグラスを見つめる。彼にとってこの一ヶ月半は長かった。失態をなじられ、降格させられるのではないかと生きた心地はしなかった。

「ああ。やっとだな。」

 そう言ってワインが入った箱の下から手紙を取り出す。

「で・・・何と?」

「とりあえず作戦の立て直しをかねて・・・。帰還命令が出ている。」

 羊皮紙を広げ、じっと指令書を見つめている。

「降格とかは・・・。」

「ない。流石にそこはないみたいだが・・・帰還命令か・・・。」

 アルサレムは書類を覗いているが・・・暗号で書かれている為、局長しかわからないようにできている。

「まあな。立て直さねばならないし、作戦を立てる必要がある。」

 キースは頭の中で日本で失った数多くの部下達を思い浮かべる。損失は大きく取り戻すのは不可能に近いだろうが・・・。

「了解だ。早速、帰還するぞ。」

 アルサレムは久々の本国の味に感動しつつも立ち上がる。

「だが・・・。」

 船長の声は鈍い。当然である。このイスパニア第三艦隊は通称隠密機動艦隊。遊撃や奇襲を得意とするが、この地域にイスパニア利権は影ながらこの艦隊の無事だった館長率いる一隻が支えているとも言えた。だからこそこの帰還命令は事実上同胞を見捨てるともとれるものだった。しかも彼らとキース局長は同席しいるものの・・・国が違う為、それほどの大儀はないが・・・。この命令書は事実上国王命令にも匹敵する。だからこそ・・・少し惜しかった。

「日本がどう動くかわからぬが、この事態は我々にとっては国に帰る良い機会だ。復讐にしろ、監禁にしろ・・・お主も家族のいないこの地で死にたくはないだろう。」

 キースが、瓶に残ったワインの最後の一滴を自分のグラスに注ぐ。彼の言いたいことはわかる・・・辛いがこれは現実だ。

「わかった。引き上げよう。」

 そう言うと立ち上がり、近くにいた副長を呼び寄せる。キースにとってもうこの地にいる予定もない。あの日本が真に彼らの必要とする物があるのか・・・。只それだけが彼にとって必要な物である。こんな地の覇権争いなぞ・・・彼の眼中には存在していない・・・様に船長は見ていたのだった。


 無傷でゴールドコーストに入った信繁一行は結局の所、ドノヴァンの船が直る二週間を待つのが惜しいと言うことで、ドノヴァンの乗ってきた船をそのまま置き、このあたりの回路を運行していたオランダの東インド会社の交易船の護衛をかねて、信繁達の船は出航することとなった。だがこの調達に一週間近くかかり、結局の所ゴールドコーストで待機せざる終えない所まで来ていた。

「すまない。ドノヴァン殿がどうしてもお主達と一緒の船が嫌だと言ってな。」

 アルフレッドが頭を下げる。

「だとしても・・・。ドノヴァン殿を置いて行くとは言えないか?」

 信繁の呆れた声がアルフレッドを目の前にして告げられる。この頃には簡単な会話ができるようになっており、通訳は一応幹花が行うことになってはいるものの、無くても意思の疎通程度はできるまでに至っていた。そのため、こうして会話が可能になった。

「あれでも当社の社長でな。置いていけばそれなりに悪いことがおこる。」

「例えば?」

「後で拗ねて、話がこじれる。」

 簡単にアルフレッドは答えている者の、

「・・・。」

 意味はわかるが・・・こういうのが上なので・・・良いのだろうか・・・。

「どうも・・・お主の言う”会社”という奴がよくわからない。」

 信繁はアルフレッドのいる客室に備え付けられた腰掛けにすわる。客室の椅子は・・・壁に板をくっつけたタイプで、荒波でも揺るがないようになっている。ついでに同型で机も設置されている。

「どうしてそんなに主がころころ変わるのだ?」

 信繁にはそこが理解できなかった。

「ああ。まあな元はこのオランダ東インド会社は、イギリスに対抗する為に商人達が固まってできた国営組織だ。」

「ん?」

 信繁が更に難しそうな顔をする。理解できていないようだ。会話ができるとはいえ、難しい単語が並べば当然聞き取れない。

「単純に言えば、商人が固まって、国が作った物だ。」

「そうか。」

 まだ少しは混乱しているものの、信繁は頷いた。

「寄り合い所帯みたいな物か・・・。」

「すると・・・商人達が4年度に社長を交換することになっていた。」

 アルフレッドが苦い顔をする。決算に少し違和感があるからだけで、東南アジアから書類一個で戻されて、ついでにあの堅物軍人のおまけが付くなぞ・・・。それがこうなっているだけにつらい。

「それであんたらは、国に帰ることになっていた。」

「まあな。」

 イギリスの妨害もあって帰還できないまま数年が過ぎたが、向こう側もこちらとイスパニアの間で動くことができず、その間に東南アジアを固めてきたが・・・。でもこうして戻ると惜しいものを感じる。イギリスも何かを感じて旗艦まで出してきたのだ。本腰を入れていたのだろうが・・・。振り切ってしまえばこちらの物だ。だがこの先は・・・。

「まあ・・・俺たちは渡りに船か・・・。」

 信繁はつぶやきが重く伝わる。この歴戦の勇者は何を考えているのか、数週間も一緒にいても・・・掴みかねていた。

「でも何で二隻も必要なのだ?」

 だとしても、我慢していれば一隻で船に乗ることはできるはず・・・。信繁は考えていた。

「船団で通らねば、あの難所を越えることは難しい。」

「難所?」

「ああ。」

 アルフレッドは通行して二度目だが恐怖が頭をよぎる。

「この先は数多くの船が難破した・・・絶望峰。」

 当時看板には喜望峰として刻まれていたが・・・実際にはこう言う者も少なくないアフリカ交易の難所である。実際南半球を通るルート最大の難所であり、よく言われる香辛料の値段が当時高かったのもこの難所の突破率だと言われいる。香辛料が金と同等と言われたりするのもの全てが、ここの通行が関わるからだ。スエズ運河ができるまでは、実際このルートしか海路がなかったのだから凄い。

「絶望峰・・・。」

「そこを通って海賊地帯を越えれば・・・。麗しのヨーロッパだ。」

 アルフレッドが夢見心地で話してはいるが・・・。信繁にとっては未知の大陸である。実際、簡単な海図はあるが、実際、かなりおおざっぱではある。

「と言うことはまだ難所が・・・。」

「二つある。」

 さも当然のような顔をしてアルフレッドは頷く。

「特に絶望・・・いや、喜望峰は一隻で渡ると必ず人魚に囚われるという伝説があり、そのため・・・。多くの船乗りは救助してもらえると言われる二隻以上でしか船乗りが船に乗ろうとしねえ。」

「そこまで怖いのか・・・。」

 信繁はアルフレッドの部屋に飾られた地図に一番南の縁を見つめる。今まで地図通りに進んできたとすればもう世界の半分は渡ってきたことになっている。この地図には適当ながらも、アメリカ大陸も書かれている。だがその形はまだニューヨーク側のみで、カルフォルニア等の西海岸は書かれていない。だが、その地図の中で恨みがかったように絶望岬の絶望の字に線は引かれ、ホープに直されている。

「だとしても・・・2隻いるのだろう。」

「用意できるはずだ。今こちらに向かっているとのことだが・・・。」

 アルフレッドの顔色は重い。

「喜望峰を越えたばかりの船員にまた引き返せと言うのは・・・。」

 アルフレッドの顔は曇る。

「そうだな。我らはその辺を知らない。もしよかったら・・・。」

「ん?」

「我々だけで行かないか?」

「は?」

 信繁の提案にアルフレッドの顔が驚く。

「我が船はそう言う話を知らないから渡ることはできよう。迷信なら打破できるし、もし突破すればお主やドノヴァン殿の鼻も高くなろう。」

「しかし・・・。」

 信繁の提案にアルフレッドは考える。確かにこれは急ぎの仕事ではある。ではあるが、アルフレッド自身も怖いが・・・。もしかしたら、行けるかもしれない・・・。あ・・・。一瞬・・・アルフレッドは自分の考えに恥ずかしさを覚える。もしかしたら・・・行けるかもしれない。いつもは慎重な彼も・・・・希望を彼に感じてしまう。

「説得はしてみる。まあ・・・お主達がそう言っていたと伝えては置こう。それでも後三日は停泊するぞ・・・きっと。」

 アルフレッドは立ち上がり、意志を固める。まあ、アフリカの人足達の働きは遅く。しかも色々せこい。だから・・・準備にはそれぐらいかかる。そうアルフレッドは考えていたのだ。


「結局・・・この手しかないのか?」

 ドノヴァンの嫌そうな声が響く。彼から言わせれば、あの狭さの部屋が嫌だから信繁の船に行きたくないとごねる彼を、本国命令で脅して連れ込むのにやはり・・・三日がかかった。荷物と食糧は積んでいるが、彼専属のコックなどの人員を乗せるのにも相当時間がかかった。無論信繁の船にもコックは乗っている。だが、それではオランダの味は中々出せない。その為に保存してあった、オランダ食材(ジャガイモや小麦粉)を積み、無理矢理乗船させた。でもこの船・・・相変わらず広い。それが、アルフレッドとオランダ船の船員達32名の感想でもあった。日本に単独運行できる大きさの船を参考にしてつくられた船である為、帆船軍艦並の大きさと日本技巧の粋を用いられた木材により、各部品がコンパクトにされた作りは、特殊船とも言えるだろう。その分ギミックも多いが、この信繁の乗る一号艦は初期というだけあってシンプルな作りになっていた。

「仕方ないですよ。」

 疲れた声でアルフレッドが答える。言うまでもないが・・・。聞いた話では相手方の船はまだ到着しておらず、来たとしてもそこから出航準備で予算がかさむのだ。それに比べれば、一隻で喜望峰に行くことこそが必要だとも言える。だが・・・。

「でも・・・私は待っていても良いのだぞ。でもお前が言うから来てやったのだ。感謝するがいい。」

 胸を張り乗船するドノヴァンの姿にお互いの船員の失笑が止まることはない。その様子にアルフレッド自身、情けなくてたまらなかった。これがトップなのだ。

「ようこそ。我が船に。ドノヴァン殿。」

 信繁が船員達が見つめる中、また手をさしのべるが・・・しばらく躊躇った後ドノヴァンは握手をする。今度はもう・・・やはり複雑な顔をしていた。侮蔑なのか・・・いや・・・恥ずかしさなのか・・・外側から伺い知ることはできない。


 オランダの船の船員が乗り込んだことで、各所でオランダの風習や料理を使った者が増えてはいるが、日本から持ち出した保存食(醤油、味噌など)を使った料理などを食べ、出航していた。今度の航海は長いのだ。と言ってもまだ出航して二日目。

「は!、はぁ!」

 しまが短剣で斬りかかる。信繁からもらった短刀であるが、甲冑砕きができる重さの刀の為か・・・。大の大人でも驚くほどの重量ではあるが・・・それでも普通の短刀と変わらぬ早さが出ている。

「まだ!踏み込みが足らん!」

 信繁は手に持った脇差しで軽くいなす。この船には練習用の竹刀と防具などがあるが、それを信繁自身は好まなかった。軽い数打ちの刀(量産品の安いものを指す)なら、軽い為に使えるかもしれないが、あの短刀はそうはいかない。そう思いながら、信繁の顔は明るく、微笑んでいた。

「これが限界だって。」

 しまの弱った声が船上に響く。見張りの仕事が無くて暇な時はこうして剣技の練習に時間を割いていた。信繁の顔に疲れはないが、しまは疲労がたまっているような、汗だくだった。朝も早い為、オランダ船員達は起きてはいないが・・・。幹花と美井がじっと練習を見つめている。

「珍しいわね。」

「ん?」

 美井が幹花を見上げる。

「普通女の子はこういうのは好きじゃないのよ。」

 呆れた顔で美井を見つめるが、その熱い視線が止むことはなかった。

「あなたも・・・普通?」

「言うわね。」

 美井の顔を見つめると、恋する乙女の顔ではある・・・、小さいが。

「私・・・昔・・・剣を習っていた。パーパも自衛だって・・・。」

「そうなの?」

「でも・・・剣・・・持ったこと・・・無い。」

 寂しそうにつぶやく美井の前に、幹花の持っている短刀を抜いてみせる。

「そう言えば・・・半蔵様以外のお方は私にあんまり武術って教えてくれなかったのよね。」

 その言葉には刃物越しにしゃがんでいた美井が上を見上げる。

「持ってみる。これ・・・軽いから。」

 そう言うと幹花は鞘に刃物を収め、幹花と同じ視線に立ち、短刀を鞘ごと美井の前に差し出す。それをしばらく見つめると、両手でぎゅっと握るように美井は短刀を受け取る。

「重い。」

「そう。その重さになれないと、あの人達の使っている武器はもっと重いわよ。」

 そう言って、訓練している二人の持っている武器を美井は見つめる。確かに信繁はあれ以外に歩き旅にも持って行った太刀、あの脇差し・・・更に大太刀も使っていた頃もある。

いつも一緒に遊んでくれているお兄ちゃんの、しまの持っている短刀もかなり太く、鋭い短刀であるが、あれをあそこまで振り回すのは・・・私にはできないかもしれない。

「ああとまでは行かなくても・・・。少しは学んでおいて不利はないかもしれない。」

 幹花はじっと美井を見つめる。確かに今までは安全かもしれないが・・・あのオランダの船員が何かの間違いで喧嘩とかをするかもしれない。自衛の為に教えておいても損はない。

「船長!」

「ん?」

 しまの全力の一太刀を受け止めて、信繁が声を上げる。涼しそうに見えるが・・・。実際はかなり神経を使っている・・・ように幹花は見えた。

「この子の剣・・・見てもらって良いですか?」

 幹花の声にしまも気になったのか、力を緩める。その隙をついてわざと刀を払う。

「いってぇ。」

「どんなときでも油断するな。相手が目の前にいる時は、神経を張り巡らせろ。不意打ちを食らうぞ。」

 いつになく真剣な顔の信繁に・・・しまは大きく頷いた。

「よし。美井!やってみろ。」

 その言葉に美井は軽く素振りをしてみる。実は、江戸にいる時に美井は信繁から軽く剣は教わっていた。あの時は・・・いじめられていた時にいじめっ子に仕返しがしたい為だったが・・・。結局は仕返しする前にパーパに言われて、天海僧正と旅だったものだ。

「それなりではあるが・・・。」

 しまが声を上げるのは無理もない。忍びとして幼い頃から訓練を受けたしまからすれば、お遊びに見えるくらいの腕前だったからだ。その感想は・・・幹花の顔からもわかる。

「でも、お主も最初はああだったかもしれないのだぞ。」

 床に座り、信繁は見つめる。

「でも・・・。」

 しまが見つめる。

「それでも・・・女子にしては・・・やる方だ。もういいぞ。」

「うん。」

 その言葉に美井は動きを止める。それからしばらく頭で信繁は考えていた。それから手に持っていた脇差しを座ったまま振ってみせる。少し振りかぶると途中で止めてみせる。

「まずはこれをいってみるか。同じように振ってみろ。」

 そう言うと美井は少し周囲を見渡した後、振り下ろして途中で止めようとするが・・・。重さに引きずられ少し揺らいでしまう。

「まずは、重さになれる為に、その短刀・・・。」

「私のですが・・・。彼女のはないので、お貸しします。」

 幹花の声に頷くと、信繁は美井の側に寄る。

「まずは・・・慣れろ。そして、基本的な振り方ができた時・・・。次の奴を教えてやる。」

「うん。」

 そう頷くと、美井は短刀を持ったまま、船室に走っていってしまう。

「いいんですか?」

「向こうで何が起こるのかわからない。それなら練習の一つもさせるのが良いって事だ。」

「ですね。」

 そう言いじっと二人は美井を見つめていた。只その中、しまだけが何故かわからな言いようのない焦燥感を感じていた。

「でも・・・寒いな。」

「はい。オランダの船員達は昨日あたりから厚着を始めていました。大方そろそろ冬が近いのでしょうかか・・・。」

 この頃季節は9月。今まで赤道近くを通ってきた為か、長い夏だと思われていたのが、南半球にいたりして、南極が近いため、本当はこのあたりがから肌寒くなっていくのである。だがこの事を知らない信繁達であった。無論、よく航行しているオランダ船員達はこの事を知っており、厚着をしていた。

「冬着。」

「ああ。用意しておいてくれ。」

 そう言うと幹花が船倉に向かって歩いていく。無論どこでどんなことが怒るかわからないと思っていたのもあるが、ある程度海路の詳しい按針が念のためにと持たせていてくれたのだが・・・。肌が切れそうなくらい寒い。しかも・・・出航してしばらくの事だから。急に寒くなったように感じている。

「だが・・・これは・・・。」

 じっと上を見つめると空が白く・・・見える。

「とりあえず厚布団と厚めの木綿生地は配布できますが・・・あそこまで厚いのは・・・。」

 上に上がってきた幹花の声は少し消え入りそうだった。

「確かに・・・寒いのう。」

 毛皮の防寒具をまとい、筧が上がってくる。

「それは?」

 信繁が不思議そうに見つめる。

「ああ。これですか。日本を出る前に実家にいきましてな。冬の鷹狩りとかで使う羽織を後で自慢する為に持ってきたのですが・・・。」

 筧は寒そうな格好をしている信繁を見ながら答える。信濃の山岳部の武士達の間では意外と鷹狩りなどの狩りを行い食事の足しにすることは認められていた。これは戦国時代以降江戸時代でも武芸推奨の考えの元、実行されている。冬山も鷹狩りでいくことが多かったり、山の天候が変わりやすい為、防寒着用の毛皮の羽織は必須品とも言えた。冬での戦闘も多い山岳地帯の武士の間ではこの毛皮の羽織などは必須品とも言えた。

「向こうで鷹狩りなどができるかと思いまして・・・。」

 無言でじっと見つめる信繁の顔に慌てて言葉を足すが・・・。しばらくして双眼鏡を取り出し、海岸線を見つめる。・・・そこには獣の姿一つ見あたらなかった。

「どうかしましたかな。」

「毛皮とかが保温に良いなら、ここで確保する手もあるかと思ったのだが・・・。」

 信繁のつぶやきに筧が急いで見張り台に上がっている。無論今でも見張り台には見張りの男が一人はいるが・・・やろうと思えば二人までは台に載れるようになっている。

「でも皮をはがして加工する時間はありません。」

 幹花は冷静に答える。

「でもさ。肉で鍋作れば暖まる。」

「・・・でも見あたりました?」

「いや。」

 確かに食糧はあるが、保存食とかしか積んでいないこの船はそう言う鮮度のある者は少なかった。確かに網は積んでいる為、魚は捕れるが・・・小振りな物が多く・・・それでもかなり食糧事情は他の船よりはかなりよいのだが・・・。

「では諦めてください。念のためです。」

 その声に渋い顔をして・・・。信繁は幹花を見つめる。しまもまた裸眼で周囲を見渡すが・・・何も見あたらない。

「わかったよ。」

「だが・・・この寒さ・・・かなり寒い。」

「はい。船長は船長室に行っていてください。後で・・固定したで七輪でも用意しますから。」

 当時の武士の大名家などでも、七輪は暖房のメインであり、無論冬に備えて畳敷きの船長室である信繁の部屋の中央にも、揺れても大丈夫なように固定できるように細工された七輪置きが畳の下に隠されていた。また、そこで湯を沸かし茶を点てることも可能である。

「・・・そう言えば炭は?」

「幾つか日本から少量ですが積んであります。後はどこかで上陸すれば炭を作れると思います。」

 この船には日本と同じ戦力を維持する為にいくつもの特別室が存在する。その一つが石釜を備えた鍛冶室である。鉄は向こうにもあるとの情報を得ていたので、向こうの鉄を使った刀の製作を試験する為に職人が施設共々追従している。これはこの当時他の船にない高性能の機能であり、やろうと思えば、金属を原石から精製し、鉄矢や鉄砲玉などを精製できることを意味していた。こういう鍛冶職人にとって燃費の良い石炭の発見と、木炭などの燃料作りは必須技能とも言える為、木炭を含む製法をほとんどの物が精通していた。この船にはそう言う技術などの部屋が完備され、工房船とも言える施設が船室には含まれていた。そのため軍艦の大きさの船であっても、戦闘に使える部分は少なめになっており、研究を行うのが主目的となっていた。また大規模書記室もあり、そこでは幹花が部屋を使っていた。只、二番艦以降は機能の一部は削除されており、より運搬や戦闘ができる多目的型に改装されている。

「そうか・・・。場所を見つけて補給するように・・・と言っても次の上陸は・・・。」

 信繁はふと先日言っていたオランダ人の話を思い出す。ここを越えてしばらくは船を泳がせなくてはならず、次はゴールドコーストの為、難所を越えて更に風向きを計算に入れて二週間ほどはかかる見込みである。船の人数は多いが・・・。食糧等をかなり積んであるこの船は食糧は我慢すれば軽く耐えられるだけの積載量があるが・・・それでも不安はつきない。特にこの寒さは・・・。

「かなり後ですし。」

 幹花は船に立て掛けてあった網を見つめる。そこに先日釣っておいた魚の干物が・・・。置かれていた。オランダの船員も同じ事をやるらしく、違和感なく見られていた。

「七輪で焼いた魚で一杯はいかがですか?」

「そうだな・・・と言ってもまだ朝だぞ。」

「干物を焼いた物に合う飲み物は・・・。」

「・・・そうだな。」

 じっと考えるが・・・この船には飲み物が水と椰子酒、日本酒と様々積まれているが、日本酒は貴重であるものがわかっていたので、今まで椰子酒で代用していたが・・・日本酒にあるような・・・。暖かさはない。だが・・・。酒がなければ米ぐらいしか、魚に合う物は見あたらなかった。確かにアユタヤでは小麦粉のパンと呼ばれるものを食べていたが・・・。あまり相性が良いとは呼べず、今でもアユタヤ製の乾いた米が食料として使われている。

「おはよう。」

 網の前でしばらく考えているとアルフレッド達船員達が船に上がってきた。

「おはよう。」

「それをどうするんだ?」

 アルフレッドは内臓が抜かれ天日干しされた魚を一緒に見つめる。

「七輪で炙って食べようかと・・・。そうだ。一緒に食べますか?」

「しちりん?」

「ま、来てみればわかります。・・・筧は?」

「あ・・・さっきのあれで上に上がりっぱなしですよね。」

「そうか。なら七輪出してきてくれ。筧は来た時に出せばいい。」

「あ・・・あれ・・・は・・・、炭は堅いので良いですね。」

「ああ、頼んだ。」  

そう言って適当な干し魚を手に取り、船長室に向かう。アルフレッドは不思議そうな顔をして船長室に入る。いつものことなので、手間を掛けながらも靴を入り口で脱いでいた。

「そうだ・・・。」

「なんですか?」

 信繁は近くの木の板に魚をのせると、アルフレッド向けの座布団の準備を始めていた。

「とりあえず話すべきかと思ってね。」

 船長室に入っても寒さはあまり変わらず、肌寒いのは続いていた。畳が敷いてある為、幾分か和らぐが・・・。それでも寒い。

「何の話です?」

「喜望峰についてだ。」

「なんでしょうか?」

「あそこには不思議な伝説があってな。」

「はあ。」

 アルフレッドは脱いだ靴を器用に並べ、いつものように座布団の上に座る。意外とこれが肌触りがよく、気持ちいい。

「あそこには人魚がいるという噂があってね。」

「人魚ですか?」

「ほら、船首部分に飾ってあっただろ?」

「はい・・・。」

 そう言えば、モザンピークに置いていった船の船首には鷹の船首増が飾ってあったように思えるが・・・1回も言っていないので思い出せない。

「で・・・にんぎょとはどういう・・・?」

「よくは覚えていないが船乗りでは有名な伝説でな。上半身が女、下半身が魚という生き物がいるんだそうだ。」

「はあ。」

 急に怪しくなってきたなと信繁は考えているが・・・遮る気にもならなかった。

「信繁様。持ってきました。」

 そう言うと七輪を持って幹花が現れるとアルフレッドと信繁の間に割って入り中央の小さな畳を開ける。そこには床の間があり、更にその床を開けると少し大きなくぼみがあり、少しへこんでいた。七輪には少しくぼみがあり、そのくぼみに棒を使って固定していく。

「これが七輪・・・。」

 感心したようにアルフレッドは陶器製の大きな壺みたいな物がある。当時の感覚としては今でいう石油ストーブと同じくらいの感覚である。幹花はその中に黒い棒みたいな物を入れる・・・。

「炭・・・ですか・・・!」

 当時の日本人にとって炭とは日常商品ではあるが、16世紀から17世紀のヨーロッパでの炭は貴重品であり、軍事目的以外では余り使用されていなかった。特に堅い炭は貴重品であり、向こうでは貴族に至るまで、暖で炭を使うという概念は無く、小枝などの木で代用されていた。アルフレッドは多種多様な物資の貿易をする上で知識はあったがこういう使い方は初めてであった。幹花は近くの小さな小枝に火打ち石で火を入れると炭に火を近づける。徐々に炭が赤くなっていく。

「これは・・・。」

 アルフレッドは軽い感動を覚える。確かに、ヤン・スペックが言っていた”この国で珍重されている。だから・・・やめられないんだ”という手紙の意味がわかった気がする。これはどんな貴族でも味わったことのない贅沢だ。信繁も真剣に七輪を見つめる中・・・アルフレッドは考えていた。あのドノヴァンの奴・・・これを見ても嫌いだったのか?

その中で火を入れ終わったらしく、床下に置かれていた金網を七輪に掛ける。じっと待っていた信繁は手に持った魚を七輪の上に置く。

「しばらくお待ちください。」

 そう言うと幹花も七輪を囲むように座った。信繁も七輪に座ったまま近づけたので、アルフレッドも習って近づける。・・・暖かい。

「暖を取るにはこれでよかろう。」

「ですか。」

 今まで話していた内容を忘れ、アルフレッドは七輪からの熱にじっと手をかざしてしまう。暖かく外の寒ささえ忘れてしまいそうだ。あまりの贅沢にじっと七輪を見つめる。手から伝わる暖かさが心地よい。

「で・・・先程の話は・・・。」

「あ・・・あ・・・ああ。人魚の話でしたな。」

「人魚?」

 幹花もまた不思議そうな顔でアルフレッドの顔を見つめる。

「はい。それがこの先の喜望峰ででるという話がありまして。」

「何か幽霊みたいですね。」

 幹花は外を見つめる。まだひるで、幽霊が出るような夜ではない。

「そうですな。百年ほど前で・・・。このあたりはあまりの風に難破船が多くて・・・。」

 七輪の関係もありお互いに顔をつきあわせる。

「それが・・・人魚が遭難させると言う話がありましてな。それが・・・二隻以上だとでず、一隻だと出るという話がありましてな。それで・・・。」

「それもあったんですか。で、その話をもう少し詳しくしていただけますか?」

「ああ。」


 伝説によるとここには数多くの船が挑戦し、今では通れるようになってはいるがその当時は誰もこの岬を突破することはできなかった。その怨念がこの喜望峰には集まるという話がある。ある船乗りは船に乗っている時に霧で急に船が包まれてしばらくすると歌声が聞こえるのだそうだ。その声につられ舵を切るとそのまま行方がしれなくなってしまう。

そうして多くの船が釣れされられてしまった・・・と言う話だ。で・・・二隻以上で来ると急に出なくなるが、今でも単独で渡ろうとする船は・・・。いなくなると信じられているのだよ。


「それで・・・。だから単独では船を出したがらなかったんだ。」

 ぱちぱちぱち。魚の焼ける匂いが周囲に漂う。

「それは怖いですね。」

「それで・・・。そうだ・・・これ、どうぞ。」

 そう言うと信繁は菜箸で焼けた魚を掴むと、気の皿のまま、アルフレッドに渡す。

「骨・・・付いてますよ。」

 オランダとかでこういう干し魚を作る時に、骨もできるだけ取り除く。だがこの魚・・・開いたまま乾されていたよな。

「骨の間にある身が旨い。」

 そう言うと七輪にまた魚をのせる。この七輪は小さく、一匹乗せると一杯になってしまうが・・・。

「そう・・・ですか。」

 そう言うとアルフレッドは食事に使うナイフを取り出し、手とナイフで器用に骨を取り外していく。中々に暖まり、汁が出ている。これは・・・旨く焼けた証拠だ。ナイフにのせて口にほおり込む。

「こ・・・これは・・・!」

 アルフレッドは更に驚く。魚のみが口の中で自然とほぐれていき、魚の旨みが一緒に花が咲くように広がる。ほのかな塩分が更に旨みを加速する。

「軽く塩をもんでおきました。お口に合いますかな。」

 実際信繁はあまり干し魚の手法を知らなかったが、青海や幹花が工夫してたのを思い出す。

「あ・・・はい!」

 アルフレッドは緊張して答える。あまりの旨さに自分を見失ってしまいそうだ。これだけの物・・・アルフレッドは実際主計として幾つかのパーティーに同席したこともあり国王主催の晩餐会も料理だけは頂いたこともあったが・・・これほどの物に巡り会うことはなかった。だがこの味は何というか・・・ヨーロッパの主流料理を全て全否定ししてしまうような・・・そんな感じするほどの衝撃であった。

「それは良かった。」

 信繁は微笑んでいた。実際聞いたことがある西洋料理とは違い、粗末な物であった為、少し心配でもあった。

「少し焼けるのに時間がかかり申すが・・・。」

「い・・・いえ・・・先に頂いてしまって申し訳ない。」

 慌ててアルフレッドがぺこぺこと頭を下げる。

「いえいえ。」

 そう言うと信繁は七輪のさかなを見る。焼けるのにもう少しかかりそうだ。

「おーい。」

 声が聞こえる所を見ると、しまが立っている。

「なんだ?」

「筧のおっさん知らない?青海が探してるって。・・・って火・・・焚いてあるの?」

「いや、炭だ。ほら。」

 そう言って七輪を指さす。しまとかがいる田舎ではまだ七輪は珍しく、薪の方が多い。

「すげーじゃん。」

 そう言うとずかずか入ってくるが、それを信繁が手で制する。ちょうどアルフレッドの背中を見てぴたっと動きを止める。それを見ると足袋を脱いで、縁の所に座る。そろそろなかなかの時間が経っており、部屋全体が暖かい。

「そうだな。幹花。」

「はい。もし寒くて動けない奴がいたら、この部屋で暖めてやってくれ。」

「はい。」

「俺が青海の所に行ってくるよ。あ・・・アルフレッド殿?」

「あ・・・はい?」

 あまりの旨さに骨にこびりついた身さえも取ろうと苦戦している。

「どうします?」

「・・・もう少し居させてください。」

「わかりました。・・・しま。」

「はい?」

「この魚・・やる。」

「え・・・あ・・・いいの?」

 そう言うと立ち上がったしまはほどよく焼けた魚を菜箸で取り上げる。幹花がその後に魚を置いた。自分の分を焼く為だ。

「ああ。俺の分は後で炙りたてを頂く。」

「じゃ、いっただっきまーす。」

 信繁は立ち上がると船室を出て行った。一瞬開けた扉から出来る寒さについ外の寒さを思い出してしまった。


「そろそろだな。」

 青海の厳しい声が船首で響く。人魚の話を聞き、一応妖怪の可能性も考えて、青海が警戒態勢を取っている。喜望峰に向かい西への海路の途中である彼らにとって・・・ここは難所であった。聞いた話に寄れば、大陸棚で海岸側は浅瀬が多い為、こうして陸地とある程度距離を離して航行しているが・・・。

「だな。」

 信繁も一応船首側にいる。一応船長室にいることもできたが・・・。今船長室は暖を取る部屋として、幹花とかの監視付きながら暖を取る部屋として解放してあった。まあ、船室の下の方では幾つか暖を取る部屋が設置されてはいたが、船の丈夫での設置は難しかった。そのため・・信繁のいる場所がなかった。船首で青海と二人・・・見張りも含めた最少人数で船を切り盛りしていた。流石に今まで味わったことのない寒さであった為、船室から出るのをオランダ船員含め・・・嫌がったからである。そこで命令して押し込んでもよいが・・・。それが早々できないのが・・・彼の弱みでもある。それを見かねた青海がつきあって船首にいた。

「何事もなければ・・・。」

「そうなならんな・・・。」

 青海の嫌そうな顔で前方を見る。何もないように見える。

「どうした?」

「匂いは違うが・・・。人とは違う何かだ・・・。」

 大抵こう言う事があると青海は頼りがいがある。そのままじっと待ってみると・・・やはりと言っていいほど・・・霧に周囲が包まれる。見張り台の男の声に、船長室から船員が飛び出してくる。

「きりが・・・。」

 船員の驚いた声とともに・・・。周囲の温度が下がる。霧が寒い地域で発生するのだ。当然がながら・・・。周囲の温度は今までの寒さよりもひときわ寒いが・・・それ以上の緊張感がオランダ船員やそのほかの船員の間に伝わる。うかつに動くこともなくじっと様子を見る。ドノヴァンは船室から出てくるが、その様子にすぐに船室に引き返し、アルフレッドはじっと空を見つめるが・・・霧の為、前方さえ確認できない。確かに怖いが・・・これ・・・。

「帆をたため!」

 信繁のその言葉に船員が帆をたたみ始める。

「どうして・・・。」

 アルフレッド達オランダ船員が信繁に詰め寄る。

「少しあんたの話を聞いて考えてみた。」

「それは。」

「大方今までの船は霧になっても動いて、方向感覚がなくなって浅瀬にぶつかった可能性が高い。」

 その言葉にオランダ船員達の動きが止まった。

「なら、あえて霧が晴れるまで待ってみる。霧が晴れたら突破する。」

「わかった。船長。」

 信繁の意志の固い言葉に一応オランダ船員達は納得して・・・中央で待機する。何が起きるのか・・・わからなかったからだ。それでも潮の流れである程度は船が動く。

「どういうつもりだ。」

 青海はじっと前方を睨む。

「まあな。どういう物かわからないが、こういう所で妖怪とかがいるのなら、会ってみたいじゃないか。」

「好奇心に部下をつきあわせるのか?」

「いや。ここでどうにかできれば・・・安全に航行できる。」

 ・・・キュイー。・・・キュキュキュキュゥーイ。

「何か聞こえるか?」

 ・・・アアア・・・アアァ・・・・アアアアア。

「何かな。」

 聞こえてきた声に船員達の顔が青ざめる。

「落ち着け!」

 信繁の一喝が船内に響く。・・・クァクァクキュイーキュキュキュゥィー。

「で・・・でも・・・。」

 船員達の怯えた声が響く。この状態は・・・確かに怖いが・・・。

「お前ら!」

「おう!」

「休める人間は休んでおけ。体力勝負になるやもしれん。体が冷たい方が怖い。」

・・アア、アアアア、アァァアアァアァー。

「・・・は!」

 その声に幾つかの集団が船室に戻るが、アルフレッドと二人のオランダ船員は甲板に残っていた。ドノヴァンはあれから船室から出てすらいない。

「でもこれ・・・。」

 帰って行く船員達や船長室で待機しようとする船員達を見送りながら、青海がつぶやく。

「どうした?」

 青海の顔が切りの白さ以上に白く・・・青くなっている。

「これ・・・敵意がない。」

「じゃあ・・・。」

「ああ・いるにいるが襲う気はない・・・。」

 その言葉に少し・・・信繁は焦りを覚える。

「だとすれば・・・。」

「もしかしたら・・・長丁場かもしれない。」

 襲う気がなければ・・・。これは霧の結界の可能性がある。霧の結界とはよく秘境に掛けられる結界の一種で周囲を霧で囲み、行動を制限した上で、あいてを元の場所に戻すという結界であるが・・・山岳地帯でよく見かけるが・・・海で見るのは信繁含め・・・。初めてである。

「かもな・・・。」

 青海も意味に気が付き焦る。単純に言えば・・・止まれば霧の結界の水分の冷たさが体力を奪い、動けば浅瀬にぶつかって船が沈む。どっちに向いてもたちが悪い。

「どうする。」

「とりあえずは待つこっちには暖を取る物がある。」

 実際このまま待てばいいのだが・・・もう一方で焦りもある。向こうも待ち始めた時だ。その時はどうにもならない。


「あぁー。」

 人魚達の朝は早い。朝は四つ半の合唱練習に始まり、できれば掛け合いの練習をペンギンと行い大会の優勝の為に練習する。そんな彼女たちの勤勉さは彼女たちの誇りでもある。

 キュ、キュキュキュキュゥイー。

 ペンギンたちの掛け声に合わせて、人魚達は合いの手を入れる。最近人間が歌っていたゴスペルとか言う曲風にアレンジしてみたけど、この掛け合いは意外と難しい。よく人間はあんな風に歌える。

「ほらそこ。声が乱れている。」

 セーラムのおばさまの声が響く。それに合わせ声を少しずらす。

「あぁーああぁーああぅあいあー。」

 発生する物の、声が少し震える。そろそろ冬で寒さが身にしみて・・・。手で胸を押さえ体温を上げようとするが・・・中々声量が上がらない。

「おばさま。」

「何。エルムさん。」

 セーラムおばさまの厳しい声が私に叩きつけられる。合唱は一時的にストップする。

「もう少し・・・。休憩していいですか?のどが疲れて。」

 本当は海の中で合唱大会が行われるが・・・地上の方が練習になると地上で練習する。

だけど、地上での発声は流石に慣れていない為か・・・かなりつらい。セーラムおばさまはじっとこちらを睨む。

「いいですよ。少し泳いで気晴らししてきなさい。」

「は・・・はい!」

 水の中にはいるとそれまで大気で冷たかったのが水の温かさに解放された気分になる。

しばらく海の中を疾走する。のどを通る海水がえらを抜けて気持ちいい。

「でも・・・どうしてあんなに”特訓”するんだろう。」

 ふと、ひれを止め、じっと考える。確かに歌うのは気持ちいい。だけど、大会して、競うほどじゃない。歌っているのが気持ちいいだけで、ああガリガリする必要はない。泳いで周囲を回ってはいるが、実際は南大西洋の人魚達にスパイされないように張った霧の中を出ることはない。出れば了解違反だの人間よりも口うるさいあの連中が来る。狭いながらもこの合宿は変わったバカンスともいえる。ちょっと肌が締まる思いがするのが難点だが・・・。

「あ・・・。あれ?」

 水の中から船底が見える。船底から見えるのはかなり大きめだが・・・一隻か。

”また船がはぐれたのかな?遭難船なら誘導しなくちゃ。”

 この当時人魚の役割に海で漂流した無人船を陸に送り返す役割もあった。主に人魚やイルカなどの海洋ほ乳類が船があることで困るという為もあるが、漁場が荒らされて、生態系が変化することもあったり、難破船捜索で人間の船がうろうろするのを嫌い人魚間で決められた取り決めであるが・・・。他の人魚に聞くと、人間が中にまだいて、囚われたとか・・・人がいる船に手を出しちゃって捜索隊が周囲を捜索するとか。人間は人魚をどこかに連れ去ってしまう悪い奴。だけど、いい人間も昔はいたのにな・・・。ふと思いながらも意外に大きい船の側に寄る。船底はしっかりしている。軽くノックしてみるが・・・。反応はない。覗くか・・・。エルムはひれを上手く動かし水上に上がる。今まで見た船の中でもかなり立派だけど・・・人とかもういないのかな?かなり大きい。


「あれは・・・。」

 見張り台に初めて上った信繁は青海と一緒にある方向を見つめる。そこには人らしい何かが浮いている。こんな所に・・・裸の女性・・・ではないな・・・胸あたりに何かをつけた女性がいる。

「あれだろうな。」

 望遠鏡から見つめる女性はじっとこちらの船を見つめている。大きいのが幸いして、人の姿が見えていないようだ。

「どうするよ。」

「行ってくる。」

 信繁は人魚の視界から隠れるように見張り台から下りる。

「どう・・・でした?」

 筧が不安そうに聞いてくる。

「ああ・・・何かいた。少し・・・行って様子を見てくる。」

 信繁は手に持った刀や鉄の物をはずして筧に手渡す。船長室ではしまや幹花が船長室で火の管理をしている。

「どうやって?」

「小舟で行ってくる。」

 この頃の船は外壁修理用や緊急脱出用に小舟が用意されている。食糧等は積まない物の、上陸にも使える立派に船だ。

「武器はいいのですか?」

「こういう時に鉄の物を持って行くと・・・お師匠様に嫌われてな。」

「ああ。」

 筧はお吉の方のことをふと思い出す。確かにあう言う人とよく付き合っていればこそだな。

「じゃ行ってくる。頼んだ。」

「は。」

 そう言って信繁は小舟をゆっくり降ろすと音を立てぬように艪を動かし、すっと回り込む。


 でもなんか木が立派だから・・・昔・・・外壁寄っていったら人間の死骸があったりしたんだよね。あれは気持ち悪いし、ヌタヌタするし・・・。じっと物思いにふけると、向こうから小舟が流れてくる。匂いは・・・何もしない。普通・・・鉄の匂いがぷんぷんなのに・・・。一度潜ると小舟の側に顔を出す。

「どなたかいらっしゃいますか・・・。」

 そう言って顔を覗かせるとそこには男が一人、寝そべって・・・目を開けていた。

「よ!」

 寝ころんだまま男は手を挙げた。騙された!危険を感じ水の中に潜り、全速力で船から離れ・・・。あれ・・・何も音がしない。普通漁をしているおじさんとかだと・・・。ここで騒ぐはずなのに・・・。気になって水面から顔を覗かせると今度は真ん中で座って男がこっちをじっと見つめる。

「あんた・・・なにもんや。」

 訛りの強い英語が聞こえてくる。聞き取り辛いが、表情などを加味してやっと言語がつたわる。

「俺か・・・俺は真田信繁。」

 すぐに逃げられる遠目から声を返すと向こうも名乗ってきた。

「な・・・何の用や!」

 気を強く構える。仲間から聞くとこれが一番効果があるんだそうだ。

「この霧・・・。お前達が張っているのか?」

「・・・ああ。」

 頷く。本当はしたにいる大伯母様が張っているのだが・・・。私たちでも・・・おおむね合っている。

「出口わかる?」

「ああ。」

「案内してもらえるかな?流石にこのままじっとしているのもきつくてな。」

「何で私が。」

「方向だけでもわかればそっちに行くよ。」

「あんたら。」

「道に迷ってな。あんたらも無駄な殺傷は好まぬだろ。」

 さも平然と話を進めるこの男に怪しさを覚える。だけど・・・相談には行きにくい。人間としゃべってしまっているこの場面だけでもかなり・・・緊張する。

「でも・・・。」

 確かに殺傷は好まぬが・・・だからといって船の先導は初めてだ。その時突然ひれを強烈に引っ張られる。潜っているとセーラムおばさまが・・・かなり怒ってる。

「あなた・・・何してるんです!?」

「漂流船だと思って・・・。そしたら人が・・・。」

「・・・確かに・・・で・・・相手は何を?」

「この霧から出たいって・・・案内しろって・・・。」

「不用意ですよ。でも・・・そうですね。エルム。あなたは大叔母様の所に行ってきて。」

「あ・・・はい。」

 そう言うとエルムは深海にいる大伯母様の所まで全速力で向かった。セーラムはそっと顔を出す。確かに今まで見た人間とは違う。匂いさえも違う。

「あんた・・・さっきの子は?」

「あの子は・・・使いに出しました。」

「そうか。」

 信繁は微動だにする気配さえもない。

「であなたは何が目的で?」

「まあ・・・。船でここを通っている。あんたら自体に用はない。どうこうするつもりもない。」

 セーラムはじっと信繁を遠目から見つめる。肝が据わっている。確かに教えてもいいが・・・こういう機会は滅多に訪れない。それは彼女が一番理解していた。船の上を見ると、人だがりができている。だが動く様子もない。

「だからといって大事は嫌いだろ。」

 あっさりというが大事の意味はよくわかる。変に騒ぎが嫌いなのもわかっている。なかなか・・・。しばらく見ているとエルムが顔を出す。

「セーラムおばさま。大伯母様がすぐに来るそうです。」

「はい。あなた。」

 そう言ってセーラムは信繁を指さす。

「なんだ?」

「もう少しで大伯母様が来ます。何があっても驚かないように。」

 信繁は水面を見る。周囲の波が大きく乱れる。しばらくすると水面一杯に・・・これ・・・人の顔だ!しばらくすると、信繁の小舟くらいなら一呑みしそうな・・・。大きさの顔が・・・水面から顔を出す。その顔の登場に船がどたばたするが・・・それを筧と青海で食い止める。その顔はじっと信繁を見つめていた。

「ふむ・・・お前・・・何か人間にしては匂いがおかしい。昔どこかで・・・我らみたいな奴と会っているのか?」

「・・・妖怪か?そうだな。出会ってはいるさ。」

「やはりな。だから驚かぬか。」

 静かに口を開く大伯母様の顔を見るべく船員達は手すり一杯まで寄っている。当然驚く物など反応は様々だ。

「その大きさだ、俺なんか一呑みにできよう。驚いているさ。」

「ふむ。その割に顔は変わらぬな。」

「大伯母様。どうしましょう。」

 セーラム伯母様が困った顔をしている。しかも大叔母様のこの様な顔もエルムにとっては初めてである。

「確かにこの霧は人を払う。だが・・・。」

「できれば出るまでの道案内を頼む。」

「早々せかすな。」

「といいますと?」

 信繁の言葉が丁寧になる。

「お主のような肝の据わった男は初めてだ。」

 そう言うと大伯母様は信繁に顔を近づける。大きさはともかく、伯母様とか言われている割に三人とも年が若くえる・・・。そう言えば師匠も・・・・。

「そうだな。せっかくだ。幾つか願いをかなえれば・・・。通そうじゃないか。」

「・・・何を求める。」

 その言葉に信繁はじっと大叔母様の顔を見つめる。

「この子らは歌が好きだ。ゴスペルは知っておるか?できれば参考に一曲歌ってもらえぬか?」

 信繁はじっと考えるが・・・ゴスペルという歌は知らない。歌は・・・それほど信繁自身楽器は扱うこともあるが・・・遊び程度しか知らない。だが・・・もしかしたらアルフレッドは知っているかもしれない。

「一度船に帰ってもいいか。あの連中に聞いてみる。」

「わかった。只下手に動けば・・・。」

「わかっている。」

 そう言うと信繁は小舟をこぎ、旗艦に戻る。

「何でしたか。」

 船に戻った信繁を全員が取り囲む。その中にアルフレッドもいた。

「アルフレッドどの?」

「はい?」

「ゴスペルという物を知らぬか?」

「ゴスペル・・・か?なんでまた?」

「人魚達が聞いてみたい・・・だそうだ。」

 その言葉にオランダ船員達に衝撃が走る・・・。後で意味がわかるのだが。この時はまだその事を知らない。

「ゴスペルというのは・・・教会で神を讃える歌で、合唱だ。」

「合唱。」

 聞き慣れない言葉にアルフレッドはオランダ船員達を集めた。

「歌えば通してもらえるのか?」

「今のところ・・・歌えば殺されない程度だが・・・せっかくだ。頼む。」

「了解した。お前が合図を送れば・・・知っている限りは歌う。只・・・少し時間をくれよ。後・・・俺たちは神父や聖歌隊ではない。だから下手でも・・・文句言うなよ。」

「わかった。」

 そう言うと縄ばしごを伝い、船を下りて小舟で似たような一に向かう。先程の人魚達二人の姿が無く・・・大伯母様の姿しかない。

「ほかのかたは?」

「せっかくだ・・・観客があった方がよかろう。」

 真剣な顔で信繁を見つめる。信繁が船の方を見ると甲板の上からオランダ船員達が整列している。じっとこちらの様子を見ている。

「少し待ちますか。」

「でもお主・・・本当に・・・また来るとは思わなかったぞ。」

「まあ・・・来ねば誠実ではないのでしょうう。」

「たしかに・・・。」

 大伯母様からすれば子供ほどもない小さな人間を見つめる。

「ほんとうに・・・。」

 感心して見つめていると、船の周りに無数の人魚達が浮かび上がってくる。

「こちらの準備ができたようだな。」

「ただ・・・ゴスペルにはどうも専門の人がいるらしい。だから専門ではないが・・・。」

「そこは気にしてはおらん。」

 大伯母様の少しにやけた顔が印象に残る。だが・・・信繁は扇子を広げ、腕を付き上がる。それとともに船からゴスペルが歌われる。

”おお!在す神よ!父の子よ!人の望みを叶える御身の栄光を!人の全ては敬愛し!ハレルヤ!人を見し者よ!その身の我らは捧げましょう!ハレルヤ!ハレルヤ!!”

 オランダ人達が必死になって声を合わせている。それをじっと真剣に見るように人魚達が耳を澄ます。男達の必死さもあり、ある意味壮観な歌に歌詞は理解できないが聞こえる。しばらくして・・・歌は終わり、オランダ人達はその場に座り込む。歌が終わって緊張が解けたのだろう。

「どうしてこれを・・・。」

 歌い終わりを待って信繁は聞いてみた。それまでの大伯母様もじっと聞き入る顔をしていたからだ。

「昔な、人間達がある町で歌っているのを聞いて・・・がんばってみたのだが。そう言う物が理解できない。又聞きでしかないし、本物を見ていないのだからな。ほら・・・周りの物も・・・。」

 じっと人魚達も船の上の男達の様子を・・・聞き惚れているように見える。

「ですな。」

「お主も何か歌は歌えるのか?」

 その言葉にじっと考えるが、合唱はあまり知らないが・・・昔歌舞伎は見せられたことがある。それから太閤の叔父貴の所で歌と舞を少しかじってはいたが・・・。

「舞は少々。」

 それを聴いた大伯母様が水面から手を出し、手招きをする。それに合わせ、信繁の周りを人魚が取り囲む。

「では頼む。」

 船員達は心配して船からじっと見つめる。

”人の世もー。暗ぶ月に舞い散ればー。”

 扇子を広げ、大きく声を上げ船上で舞を始めていた。普通船の上で踊れば船は傾き、すぐに船の上から落ちてしまうが、すり足と重心の使い方次第では落ちなくてすむ。だからと言って普通の人間のできる芸当ではない。その動きは静かでありながら・・・動きに満ち、風に揺らめく柳を彷彿とさせる柔らかさと力強さを持っていた。しかもこの時すんだ大声で歌っている。日本舞踊でありゆっくりとした歌ではあるが、その声もまた人魚達はじっと聞いていた。しばらくすると舞は終わり、静寂が周囲を包む。船上からは拍手もちらほら聞こえるがそれ以上に、大伯母様の目が少女のそれを見るような目になっているのは・・・信繁しかわからなかった。

「ほんとにお前・・・いや・・・お主もなかなかの物よ。」

 人魚達も感心して見つめている。と言うよりかは唖然としていた。いや、感動していた。声も動きも、その先端に走る気は舞にメリハリをつけ、優雅な流れは声に不思議な旋律を与えた。その音色に・・・一挙一動に感動していた。

「恐れ入ります。」

 恭しく信繁がお辞儀をする。

「もう一つ何かを頼もうと思ったが・・・。それさえも忘れてしまうほど・・・お主・・・上手だぞ。」

「ありがとうございます。」

「約束通りと言いたいがもう一つ。」

「何でしょうか?」

「合いの手・・・入れられるか?」

「はい。只・・・楽器は持ち合わせておらぬので。」

「よいよい。・・・頼むぞ。」

 そう言うと合図のように人魚達が歌い始めた。それを只じっと船上の人間達が聞いている。美しい音色の歌だが・・・合いの手を挟めるほどの合間はない。しばらく聞いていると、信繁はあえて後に追っかけて歌ってみる。

”ああぁーああぁぁああぁー”

「ああぁーああぁ・・・ああぁー」

”あっあっああぁーああーあああぁあー”

「あああぁあー」

 五分も経つ頃にやっと歌は終わり、何となく尊敬した瞳で人魚達は信繁を見つめる。

「終わったようですね。」

 五分間連続で歌った信繁は疲れ、その場にしゃがみ込む。

「だな。でもまあ・・・。予定通り・・・返してやるよ。」

 名残惜しそうな・・・子供のような顔を元に戻すと大伯母様は厳しい目で人間達を見つめる。

「感謝する。」

「今度会えたら・・・今度は・・・別のもお願い。」

「分かりました。」

 最後に見せた大伯母様の様子に微笑んで信繁は帰す。

「霧の位置をずらすから。すぐに帰るんだよ。」

「はい・・・そういえば?」

「なんだ?」

 信繁は艪に手を掛けた所でふと思い出す。

「どうしてこんな・・・航路の真ん中で霧を張るんです?」

「ん?」

 その疑問に以外そうな顔を大伯母様はした。その間に人魚達は潜っていってしまった。

「航路って?」

「人が多く通る道の真ん中にあればいらぬ騒ぎも起きましょう。」

「そうか・・・。ここは・・・やはり人通りが多いのだな。」

「はい。」

「わかった考慮には入れよう。では。」

 そう言うと大伯母様は潜って去っていってしまった。信繁は全てが終わったのに安堵すると・・・。艪を持ち、自分の船にこぎ始める。その時、ある人魚が顔を出す。最初に出会った人魚に・・・信繁は見えた。

「大伯母様のあんな顔・・・初めて見た。」

「そうか?」

 艪を止め、じっとその人魚を見つめる。

「一緒に行っていい?あなたといると楽しそう。」

「・・・地上で暮らせるか?」

「いや・・・水から出たことがないの。」

 ある意味当然の答えに納得する。

「人の側にいれば、嫌な物も見よう。そう言う奴をいっぱい見てきた。やめた方がいい。」

 その言葉に嫌そうな顔をするが・・・どうしようもない。

「わかった。じゃあね。」

 そう言うと、エルムは水の中に戻っていってしまった。その頬には涙が・・・海の潮に紛れ・・・わからなかった。

 

 船に戻ってきた信繁に船員は驚いた顔で見ていた。生きて帰ってきたことがまず信じられない。そう言う顔だった。

「お前!」

 ドノヴァンの怒鳴り声が聞こえる。その方を見ると怒りで震えていた。

「どうなさいました。」

「どうして!一匹でもいいから捕まえてこなかった!」

 人魚を連れて行けば彼にとって、これ以上ない名誉にもなる。そう考えるとこのチャンスは千載一遇ともいえた。だが、信繁は冷たい目でドノヴァンを見つめた。

「・・・彼らは彼らでしょう。それに今更ですよ。」

 船員達は冷たい何かを見るような目でドノヴァンを見つめた。あの大きな人魚を見れば命があるだけでも運がいいと思う。

「命令だ!人魚を一匹捕まえてこい!」

「・・・お断りします。」

 信繁は一通り考えた後首を横に振った。

「何だと!」

「今から潜って捕まえますか?海に何時までもいられる彼らと私では雲泥の差ですぞ。」

 ドノヴァンの歯ぎしりが周囲に聞こえるほどに大きい。

「後で軍法会議ものだぞ!」

 そう捨てぜりふを吐くとドノヴァンは船室に大きな足音を立て、去っていった。その様子をじっと見つめた後船員達が信繁を見つめる。

「おまえら!もう少しで霧が晴れる。そしたらとっとと出るぞ!」

「応!」

 その掛け声に船員達が各自、配置に着く。

「でもまあ・・・あんな事させるとはな・・・。」

 青海が寄ってきて・・・苦い声を上げる。しまや筧も一緒である。

「あれがあいつらの楽しみだろ。気に入ってくれればいいさ。」

「でも・・・おめえ・・・本当に大丈夫か?」

 しまは信繁の体をなめ回すように見つめる。

「大丈夫だ。」

「でもまあ・・・よく舞いなぞ踊れましたな。」

 筧が驚いた顔で見つめる。かくいう船員達に紛れ、筧もじっと見つめていた。

「まあな。叔父貴の所で色々見ていて、足裁きを習うついでに習っておいたのさ。」

「それでは今度の飲み会あたりで・・・。」

「だな。」

 そう言うとにやけた顔で船長室の近くに戻る。その頃には霧が、ある程度見える所まで薄まってきた。出航できそうだ。

「行くぞ!お前ら!」

 その声に帆を広げ始めた。夕日が差し込み、道が照らされていくように全員の目には見えた。


「何か凄かったね。」

 人魚の一人が船の後ろを見送るようにじっと見つめる。

「だってあの大伯母様よ。」

「ほんと・・・あれは凄いわ。」

 エルム達三人はじっとあの船を見つめる。初めて人間を見た人魚達も多いが、あれは斬新で・・・まるで嵐のようだった。

「こら。みなさん。」

 その声に後ろを向くと、セーラム伯母様が呆れた顔で三人を見つめる。

「大伯母様から・・・このあたりは人間がよく通るので、あまり霧の外に行かないように・・・です。後・・・明日はまた早いですよ。」

「わかりました。」

 そう言うと人魚達は海に潜っていった。

「あなたも・・・。」

 セーラムはまだ名残惜しそうに見つめるエルムの前に回り込む。

「何か凄い・・・ですね。」

「あなたも早く行きなさい。明日からは猛特訓ですよ。」

「あれ聞いて何も感じないんですか?歌って・・・もっと自由でいいんです!」

「・・・。」

 つい思ったことをエルムは口走ってしまうが・・・セーラムの目は朝のガリガリした目ではなく・・・きらきらと輝いて・・・何かあの子と達と一緒のような。

「だって・・・人間だってあんな凄い歌うんの・・・あなただってあんな風に歌ってみたいと思わない?」

「え・・・。」

「大会とかもあるけど・・・私はあんな風に歌ってみたい。だからやるのよ。かっこいいじゃない。」

 その言葉に、セーラムの顔をじっと見つめる。何か・・・こんな時が気持ちよかった。

「あんな歌・・・歌ったら気持ちよさそうでしょ。だから・・・猛特訓ですよ。わかりました?」

 その時・・・何か・・・初めて伯母様の心がわかった気がした。

「はい!」

 答える伯母様の目を初めて真剣に見つめる・・・エルムだった。






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