第九節 忘れ形見の二人
商人から聞いた一言「ある若い武者が信繁様に・・・。」
その言葉を聞いた信繁は指示通りに南回りで大阪に向かう。
その若者とは・・・そして・・・何が待ち受けるのだろうか・・・。
第九節 忘れ形見の二人
「でも何でまた・・・伏見経由に・・・。」
馬を走らせ、街道を疾走する信繁一行は西に向かっていた。
「もしかしたら・・・だ。」
懐に美井を縛り付けさせ、信繁は馬を失踪させていた。もう・・・一刻の猶予さえも無いように感じられていた。
「もう・・・戦が始まるかもしれないぜ。」
青海もいつもの気楽さが抜け・・・真剣に前を見据えながら馬を走らせる。戦場慣れした二人とは違い、曲がり角では不安さえ感じさせる。
「意外とそれはない。」
信繁は普段の疾走とは違い、少し速度を落とし、街道を注視しながらの疾走である。
「どうして?」
「家康・・・殿が其処まで卑劣な男とは思えない。」
「だとして、何で伏見経由?」
馬が操るが精一杯の青海の背中にしがみつくしまは馬の早さにしがみつくだけで精一杯だった。
「俺のいる位置を読んでいた若武者の事だ。」
「それがどうして・・・。」
「・・・いるかと思ったが・・・。」
顔を曇らせ、信繁は先を見る。視界の先には坂内の宿手前の村の入り口がある。
「すまない・・・急いでいるところで悪いが、馬を潰すわけにはいかない・・・。」
信繁は馬の速度をゆるめる。ここまでに四日間、ほぼ走り通しだったため、上田から伏見までに二日かけ、そこから街道沿いに走る事二日目、もう今の時間では空を見ると赤くなり始めていた。それまでか移動の宿場を無視していた為、もう、馬の疲労は限界だった。坂内から人力だけで大阪に帰ろうとしても馬をつぶすより、ここで休んで朝駆けで大阪に帰る方が早い・・・そう信繁は判断した。
「了解しました。」
そう言って筧も馬をゆっくりと歩かせ、じっと宿場町を見据える。只、今から馬を休ませる為に宿場にはいるわけに入れなかった。単純に今・・・あの宿場には大方戦場に集まる徳川軍の傭兵部隊や、下手すれば旗本部隊がいる公算が高い。そんな所に行けば休むどころではない。
「でもまあ・・・。」
青海はじっと馬をぎりぎりの所で止める。
「こういうときは・・・。」
信繁は左右を見渡す。広く周囲には木々もない・・・。
「少し戻るぞ。」
そう言うと信繁は馬主を返してゆっくりと引き返す。それに三人も合わせる。
「そうだ・・・しま。」
「ん?」
青海の後ろから首だけを横から出して信繁を見つめる。その顔は青かったりもする。
「しま・・・俺たちはここら辺で少し休む。で・・・少しこのあたりで隠れるにいいところを探してきてくれないか?」
「りょ・・・了解・・・。」
しまは気持ち悪そうな顔をして、馬からゆっくりと下りる。
「どうした?いつもは元気なのに。」
「いや・・・さ・・・ここ数日馬で揺られっぱなしでな・・・。慣れなくて・・・気持ち悪い・・・。」
「・・・なら俺が行こう・・・。」
信繁は心配そうな顔で馬を下りようとするのをしまが手で制した。
「それでも俺が行くよ。・・・確か・・・心当たりがあるしな・・・。」
そう言うとしまはフラフラとした足取りで、来た道を引き返していった。
「俺たちは馬を隠して待機だな。」
そう言うと、近くの木陰を見つけると、馬を引いて木陰の側で馬を止める。
「でも・・・強行軍だな。本当に。」
青海は筧の馬に近寄ると背負子にかけてあった酒瓶のひもをほどき始める。
「それで最後だぞ。」
「分かってるって。」
筧は呆れたように言うが、猛暑いこの中身も少なく、ぼろぼろにはきつぶされた草履と
筧愛用の本とかの数々があるだけである。
「食糧もこれで最後・・・。」
「分かっている」
そう言って筧が懐から取り出したのは木の実が小さな袋に入っている分だけだった。
「でもまあ・・。予定よりかなり大回りになって、ここまで残っているって言うのは・・・運がいいという事だ。」
馬たちは近くの草を食べ始めていた。こちらの休憩の意図をくんでいるようだが、それでも馬たちの疲れの色は濃い。
「水は?」
「上田で補給した分もありますが・・・。一瓶・・・ですな。」
下げていた幾つかの水筒を確認するが、ほとんど空だった。
「馬にくれてやってくれ。」
「了解。」
筧は自分の馬に掛けてあった水筒を取り出すと、水を手に移し馬の口に寄せる。馬たちはそれを気力がないような感じでぺろぺろとなめる。
「・・・ハング・・・お腹・・・空いた・・・。」
美井もまた疲れたようで暗い顔をしていた。
「これ・・・食え。」
そういうと、先ほどの食糧の袋から木の実を幾つか取り出すと、信繁はそっと美井の前に差し出す。
「信・・・繁の分・・・は?」
美井はじっとその木の実と信繁の顔を首をかくかくさせて見ていた。
「俺の分は・・・気にするな?」
「・・・。いい。」
そう言うと美井は下を向いてじっと我慢していた。
「おーい。とりあえず。廃墟があったぞ!」
もう普通の顔に戻ったしま・・・それでも疲労の色はまだまだ濃かった・・・は少し遠くから手招きをする。それに全員が疲れた顔でゆっくりと歩いていくと、今にも崩れ落ちそうなよく分からないが、昔はお寺だったように見えるぼろぼろの建物があった。中を見ると幾つかの床が抜けてはいるが、それでも夜露はしのげる。
「とりあえずは休憩だ。」
その言葉に青海は床に寝ころび、筧も建物に寄りかかる。
「でも・・・よかったですな。」
筧も感心したように屋根を見ると・・・一応屋根はぼろぼろではあるが存在はした。信繁は床を見渡すと、何かを感じ、外に出て行った。
「俺は、ちょっと食糧と水探しに行ってくる。」
「了解。」
しまはそう言うとフラフラとしながらも、外へ歩いていった。それにすれ違うように幾つかの木の枝を持っていた。それを黙ったまま、床に突き刺すと周囲の土埃を集め、簡易的な暖炉を作る。
「とりあえずは休めるが・・・。」
「もう・・・限界でもありますな。」
筧は建物内を見る。青海も疲労困憊の色合いを隠す事もないし、美井も疲れがたまっていた。
「とりあえず、今は暖を採って休むぞ。」
「了解。」
まだ夏が近いとはいえ、うっすらと寒く、暖も無しに寝られるほどの暖かさはなかった。
「でもさ。大将・・・何を探していたんだ?」
流石の青海も顔を信繁に向ける。
「もしかしたらと思ってな。」
「何が?」
青海の声は流石に怒っているように見える。筧もそれを止める気力はなかった。だが信繁はその答えを躊躇った・・・。その時、草を踏み歩いてくる音が聞こえてくる。その足音に全員が固まった。
「ん?」
青海も動かなかったが、寝ころびながらでも武器を手元に寄せるくらいはしていた。筧も周囲を見るが、もう暗く、少し先も見える状況ではなかった。
「すい・・・ません・・・。」
若い・・・それでいて気の弱そうな声が聞こえてくる。信繁は堂の奥で柱に寄りかかったまま刀に手を掛ける。
「どなー・・・たかいらっしゃい・・・ますか?」
流石に返事しないわけにも行かないだろう筧が立ち上がると、扉を開ける。そこには火の光で照らされたほっそりとした後ろの髪を紐でとめただけの長髪の・・・この暗さだと男か女かみ分けが付かないが・・・人間が立っていた。
「どうしました?」
静かに、それでいて緊張した空気が流れる。
「道に・・・迷ってしまいまして。そしたら・・・明かりが見えまして。できれー・・・ば入れて貰えないかと。」
「どうします?」
筧は振り返るがその顔は露骨に嫌そうでもあった。
「入れてやれ。」
信繁は刀に手を掛けたまま、じっとその若武者を見る・・・身体は細く、女性を思わせる。だが、雰囲気自身は男・・・小姓としてはありだがそれ以外だときつい。
「分かりました。」
「本当に・・・助かります・・・。」
そう言うと若武者は空いたところに座る。
「あなた方は?」
「たまたまここを見つけて・・・来ただけだ。」
青海は不機嫌そうに口だけを動かす。その声をした方を見るとおっかなびっくりしながら、少しずつ接近する。そして、顔を確認すると、またそろそろと先ほどの位置に戻る。
「そ・・・そうなんですか・・・。」
若武者の顔は引きつりながら・・・。
「お主こそ、どうしてこのような場所に?」
「ま・・・まあ・・・。色々・・・ありまして。」
若武者はしどろもどろに答える。
こんこん。
「おや・・・。」
戸を叩く音に全員が入り口を見ると、疲労困憊のしまの姿がある。
「一応さ・・・これは一匹いるんだ。・・・だが・・・それだけだったよ。」
しまはずかずかと中にはいると、虫の息ではあるが・・・兎が一匹真ん中に置かれる。
「え・・・あ・・・これ・・・。」
その様子に若武者は驚いているようだった。と言うよりかは怯えているように見える。
「・・・信繁様・・・この人は?」
「・・・。」
只、信繁は黙っているだけだった。と言うよりか・・・何かを思い出しているように見える・・・。
「え・・・信繁・・・様?」
「あ!ああな。このお方は真田信繁・・・」
と筧が説明途中、名前を聞いた瞬間何故か若武者が立ち上がる。
「信繁・・・なのか?」
その声とともに若武者は信繁に抱きつく。
「の、のぶしげぇー。」
走ってきた若武者は信繁に若武者が抱きつく。その行為に全員が驚く。その様子に信繁は只ひたすらに困っていた。
「あ・・・あの・・・。」
「あ・・・は・・・。」
しばらく抱きついた後に、急に驚いてバッと離れる若武者。世の様子はどう見ても・・・女性に見える。その様子に更に全員がしらーっとした目で二人を見つめる。
「あのー。」
筧は呆れたようにその若武者を見る。
「その方をお知り合いで?」
「・・・。」
そう言うと信繁は立ち上がるとその若武者の前に片膝を付く。
「失礼しました。」
その言動に更に全員が驚く。
「え・・・あ・・・あの・・・これ?」
慌てる筧の声に信繁が手で頭を下げる指示をする。更に若武者が何故か、手で制した。
「いいよ。そういうのは好きじゃないよ。」
何というか明るい声がひびく。青海はもう疲れ切っているのか倒れたままだった。
「この方は・・・。」
筧の焦る声に信繁は慌てた声だった。
「このお方は・・・。」
その焦る声は夜も深くなり、火の明かりに写る顔は緊張しているのが全員に伝わってくる。
「この方は・・・豊臣秀頼様だ。」
その言葉に一部の除く全員が驚く。
「は?」
「それはこういう所じゃあ・・・言っても・・・ね。」
照れているが・・・この若武者は否定していない。
「でもどうしてここへ・・・。」
筧もまた、立て膝しているものの、不思議そうな顔をしていた。
「いやあな。上田の時、聞いただろ、あれ。」
そういえばと筧はおもいだす。たしかあの時・・・。若武者が伏見から来るようにとか・・・。
「あれを聞いてきて、来れたってことは・・・やっぱり信繁ー。」
声は甘く女性みたく見えるが、これでも外見は男だ。
”どうしてまた・・・。”
”こう見えてもな・・・まあ・・・”
じっと信繁は秀頼を見つめる。
”まあ、結構こう見えても読みの精度だけは高くてな。仕えた当初。鬼ごっこしたした時、すぐに場所を見つける勘の良さは天性の物だ。”
筧は驚いたように目の前の若武者を見る。
「ま、予想通りだったからね。」
秀頼は少し胸を張る。その様子を立ったまま・・・空気を読めないまま、しまは見つめる。
「この人・・・誰?」
その空気を読めない表情でじっとその若武者を見つめる。
「・・・すまないが・・・そのお方が・・・我らが主でもある・・・」
「え?」
「豊臣の当主様だ。」
その絞り出すような緊張の声で答えるしまは頭を抱える。
「え・・・確かと豊臣って・・・え・・・あれ・・・。」
「確信はなかったからな。」
信繁は普段の様子に戻り床に座った。
「信じてたよー。」
秀頼はにこにこしていた。
”流石にこれは説明していただかないと。”
筧は不満そうに信繁を見る。青海は・・・もう寝ていた。
”まあな。半分予感みたいな物だ。若様はよくお忍びで城から抜けていたからな。何となくだったが当たってよかった。”
”そ、そうなんですか・・・。”
筧は呆れた顔で見つめる。
「でも・・・何があったんです?この時期に城を抜け出せば、大事にもなりましょう。」
信繁も優しく秀頼を見る。
「信繁がいなくて・・・寂しくて・・・。つい・・・。」
猫なで声に近いその声音に何故かときめくものを感じてしまう。
「供の者は?」
「途中で撒いちゃった。」
「あ・・・そうですか・・・。」
その言葉に呆れて信繁は秀頼を見ていた。
「もう・・・なんて言うか・・・戦・・・来るんだよね・・・。」
「ですな。」
その声は不安げではあるが、人をひきつける・・・何かがある。
「怖くて・・・。」
その言葉に全員が押し黙る。
「戦が怖いのか?」
信繁の声が優しく響く。
「ううん。」
もう全員が自然と腰を下ろし、火を囲む。
「怖いのは・・・お母様だ。」
その声は少し震えているのが分かる。しまも何か言おうとするのを筧に制されている。
「どうしてですか?あれはあれでも必死ではないですか。」
信繁も流石に顔を引きつらせていた。
「・・・。」
何となくく、暗い空気へと加速的になっていく・・・気がしてくる。
「昔もそうだったけど・・・最近のお母様の様子はおかしい。」
「どのように・・・。」
「それは・・・何か・・・最近は僕じゃなくて・・・変なおじさんばっかりとしか喋らないし・・・。」
「それは・・・戦が近いからであって、普段と一緒では?」
「そう・・・そうじゃないんだ!何て言うか・・・目が昔みたいに優しくないというか・・・。何か目が・・・・目だけじゃない・・・雰囲気もおかしい・・・何か突然気が触れたように笑うし・・・。」
「そんな・・・母ちゃんが怖いのか?」
しまはいても立ってもいられずに声を掛ける。だがもう誰も制しようとはしなかった。
「いや・・・まあ・・・普段から確かに怖いのですが・・・。」
筧も頭の中で淀君の事を思い出す。噂に聞くだけでも恐ろしく・・・突然怒る方のようでその世話で疲れる様は聞き伝えてはいたが・・・。
「何というか・・・目が爛々としていてもう・・・人ではないような・・・。」
その言葉に全員が押し黙っててしまう。
「それに・・・。あの黒ずくめの人たち・・・何かこっちを嫌そうな目で見るし・・・。」
「それは・・・。」
信繁の声に全員が押し黙ってしまう。
「それは確かにありましょう。只、当主がいな・・・。」
そこで信繁はある事を思い出す。そういえば昔・・・。豊臣秀頼とか言ってなんかよく分からない大男を出したとか出さないとか。だから家臣の間でもどっちが本物か論争になった時があった。先日の戦いではそれはなかったが、今度もやらないとは限らない。そう思って改めて信繁はじっと目の前の若武者を見つめる。複雑な人・・・。そう思えた。頭の中をいくつもの言葉がよぎるが、どういっても慰めなんかにならない。
「どうしたの、信繁?」
押し黙る信繁を全員が見つめる。
「いろんな事があろうとも・・・私も昔そうでした。人質とかいわれ・・・各地で囚われておりました。」
「そうだったな。」
「そうなのか?」
しまは不思議そうに信繁を見つめる。
「まあな。あの上田城・・・見ただろ。あの城で一万や二万の軍を相手になんかは出来ない。だが周りの国はどこも大きいあの地では昔から、俺みたいな次男坊とかは政略結婚とかみたいな物で、同盟の時に相手方に送られるのさ。何かあったら殺される為にな。」
その言葉にしまは驚いていた。
「そんな・・・事が?」
「まあな。いろんな所に行ったさ。上杉家、織田家、豊臣家。」
その言葉に秀頼を含む全員が聞き入る。
「だって、お前の父ちゃんとか・・・お前の事・・。大切じゃないのかよ!」
しまは辛そうに信繁につかみかかる。
「逆だな。大切だから相手から見れば人質の価値がある。」
冷たく話す信繁の顔を怒って睨みつけるしま。だけどそんな事をしても何もならないのは知っていた。しばらく襟を握った手を・・・押し黙る信繁を見て・・・しばらくして離した。
「長男を取るのは、家督のしきたりでダメとなれば俺の出番さ。ま、行く度に親父は泣いてたけどな。」
「・・・何・・・言って・・・いいのか・・・分からない・・・。」
美井も寂しそうにじっと信繁を見つめた。
「だからと言っていいのか、いろんな家の考え方が分かってくる。俺にとって足りない物も特殊な物も・・・。だから、俺はこうして戦って来れた。そのほんの少しの合間を縫って俺は色々学んできた。」
信繁は近くの柱に寄りかかる。
「だから、どんなに怖くても、俺は、引き返すのだけがいやだった。そこにしか俺の価値は・・・大人達から見た価値は無かったからだ。」
そのあっさりとした語りとは裏腹のない用に只じっと信繁を見ていた。
「だから秀頼様・・・。貴方もあの大阪城から逃げ出してはいけない。あの淀君から逃げ出してはいけない。きっとそこに何か・・・口では表せませんが・・・きっと何かがあるでしょう。」
「ありがとう・・・信繁・・・。」
その言葉に全員がにこっとほほえんでしまった。
「只・・・。もう少しだけ聞いて貰える?」
「はい。」
もう何かが落ち着いたのだろう。秀頼も近くの柱に寄りかかると火を見つめていた。火の周りの木をちょっとずつ筧がくべていた。もう夜は深く、建物の隙間から上を見れば星空が輝く。
「なんか、不思議に思っておじいちゃんの死んだ時の話を聞きに伏見に行ったんだ。その時に変な話が聞けた。」
しまも落ち着いたように信繁のとなりに腰を下ろす。ここで言うおじいちゃんとは太閤秀吉の事だ。
「変な?」
筧も不思議そうに秀頼を見つめた。
「あ・・まあ・・・ね。お坊様が言う限り、伏見城に来る前にもうなんか、命を振り絞って伏見まで来ていたらしいんだ・・・。そして何かを伝えようとしていたらしい。」
「それは?」
「わからない。ただ・・・あ・・・そうだ・・・これ・・・。」
秀頼は周りを見て口をふさいでいた。
「すまない。みんな。他言無用で頼む。」
その言葉にその場にいたみんなが頷く。それを見て秀頼も頷く。
「”もう敵はいない。だから・・・秀頼を頼む”と言っていたらしい。」
・・・なんとなく・・・信繁の涙が頬を伝った。
「どうしたの?」
「いや。何となくな・・・俺の想像が正しければ・・・。叔父貴はすげえなって思っただけだ。」
「只、この敵はもういないってどんな意味か分からなくて。」
「今・・・あの時の意味が分かった。」
信繁の声は震え、頬を伝う涙が止まる事はなかった。
「ん?」
「俺は何でもう要らないんだよ!」
真田信繁・・・この時25歳。目の前の老人に今にも襲いかからんとしていた。
「貴方の役目は、秀頼様誕生により要らなくなったのです。だから、貴方はもう、上田の地にお帰りください。」
老人の横の冷たそうな男はじっと冷たく見つめていた。
「もう・・・すぐにも、上田から使者も参りましょう。」
「だから要らないかよ!ふざけるな。」
その様子を老人はもの悲しい顔で見つめていた。
「家臣でもいい!小姓でもいい!置いてくれ!叔父貴!」
男は叫んでいた。目の前の男は豪華な服装とは裏腹にその風貌はシワだらけで、小さな・・・老人にしか見えなかった。その老人はよろよろと近づくと急に信繁に抱きついた。それに合わせ取り押さえていた男と達は少年から手を離した。
「お前は・・・もうここにいるべきじゃあ・・・無い。」
”こんな所に・・・いては行けない。こんな所に・・・。”
徐々に小さくなる声に・・・後半は最早信繁しか聞き取れないほど小さかった。
「お前も・・・秀頼も・・・行長も・・・みんな家族じゃ!」
ここで言う行長とは、小西行長の事である。
”だから・・・生きてくれ!”
「だから・・・だから・・・だからだよ!」
信繁は秀吉の耳元であっても大声を上げる。いや、必死でもあった。
その声に秀吉は改めてぎゅっと信繁を抱きしめる。
「お前はわしの息子だ!だから・・・だから・・・。」
そのまま更にぎゅうと・・・いや・・・万感の思いを込めて力一杯抱きしめる。その力強さは昔ほどでもないが、周囲はその様子にただただ黙ってしまう。
「いや!わしの息子であるとともに昌幸殿の息子でもある。今は・・・今は・・・今は・・・帰れ!」
そういう老人の顔は涙でぐしゃぐしゃであった。
「ま・・・そういわれてな。」
その昔話に全員がじっと聞き入っていた。特に秀頼は頬に涙を浮かべていた。
「叔父貴に言われるままに城を出た時、訳もわからなくて、親父の所に帰った時にあっけにとられた顔をされたよ。」
「そんな事が。」
筧も驚いたように見つめていた。
「あの時は分からなかったけど、あの時、叔父貴はあの城から逃がしてくれていた・・・んだと思う。だから・・・だからこそ・・・今度こそ・・・立ち向かうべきじゃないか?って思っただけなんだよ。」
信繁は一通り語り終えると、目をつぶる。
「今日は早く寝ましょう。」
「ですな。明日は早うございます。秀頼様。今日はお疲れでしょうからお休みくだされ。」
「うん・・・あ・・・ああ・・・。」
秀頼は頷くと全員が床で横になる。筧も全員が寝れる位置にいるのを感じると、火を消した。
「・・・信繁・・・。」
秀頼の寂しい・・・それでいてか細い声が聞こえる。
「はい。」
「今日は・・・そっちで寝ていい?」
「はい。秀頼様。」
そういうと秀頼は信繁の懐にそっと潜り込んでいた。その時見えた秀頼の顔は・・・どことなく寂しさに押しつぶされそうな顔をしていた。そう、誰しもがその不安に押しつぶされそうな・・・そんな感じであったのである。
「おはようさん。・・・で・・・こいつだれ?」
朝、信繁が起きて聞いた第一声がこれであった。ちょうど信繁のお腹のあたりに丸まって寝ていたのが秀頼でもあった。頬を見ると信繁以外では見えづらいもしれないが、涙の跡がほっそりと付いていた。
「ん?この人か?秀頼様だ。」
「秀頼様?あんたが様をつけるのは相当偉いって事だろ?じゃ?今は戦寸前だろ?どうしてこんな所にいるんだよ?」
ちょうど背伸びをして筧が起きあがる。空が少し白ずんで、もう少しで日が昇ろうとしていた。
「まあな・・・。いろんな事があったのさ。それを言い出せば俺たちも一緒だろ。」
そういってそっと起きあがる信繁の脇で秀頼はぐっすりと眠っていた。
「じゃ、どうするよ。」
青海は起きて肩を回して扉を開く。馬も起きているらしく、近くの草を煩でいた。それなりに体力も回復している・・・ように見える。馬でとばして夕方ぐらいには・・・大阪に着く。
「連れて行く。そうしなければ、あの淀君の事だ。一心不乱に探すだろうさ。」
「でも・・・若殿がこのような方だと思いませんでした。」
「まあな。好奇心が強くて・・・子供みたいな人だ。大阪に遊びに来た時によくあっていたんだが、いつあってもこんな感じでな。よく鬼ごっことかさせられた物だ。結構なつかれてはいたんだが・・・幽閉されてからは会っていないからな。」
懐かしそうにすすっと足を更にかがめる秀頼を見つめる。
「そうですか。拙者が聞いていた秀頼像とは違い申してな。」
「それは・・・追々話す。」
そういうと仕度を始める。その音に秀頼としまが目を覚ます。
「お早う・・・ございます。」
秀頼の礼儀正しい置き方と対照的なしまの起き方に、品の差を感じてしまう。
「んあ・・・どうした?」
「みんな起きたらとりあえず、大阪に行くぞ。」
「了解。」
「・・・もう少しゆっくりしようよ。」
秀頼の寂しそうな顔での語りについぐっと来る。夜は暗くて分かりづらいが・・・よく見ると・・・ものずごく可愛い・・・。筧はその表情につい見とれてしまう。
「すいません。私の予想が正しければ・・・。一両日前後で戦いは始まり申す。その場に貴方が居合わせなければきっと、数多くの者が死ぬやもしれませぬ。」
もし、このまま秀頼が帰らずに近くまで逃げる手はあった。だがこの時徳川軍の誰かに見つかれば、その時は即時に殺されるかもしれなかった。そうでなくとも、戦う前に敗北はあり得る。信繁はそう考えた。
「いっぱい?」
「はい。いっぱい。」
「分かった・・・怖いけど・・・行くよ。」
秀頼の泣きそうな顔についしまはぼーっと顔を赤らめ見つめてしまう。
「お前ら、準備だ。」
「「お・・・応!」」
その声に全員が答えて動き出す。馬にもう食糧もなく軽くなった荷物を載せ、各自いつもの所定位置に・・・。
「しま。」
「はい?」
「すまないが、一つ仕事を頼む。」
そういうと懐から小さな袋一つを手渡す。しまが不思議そうに中を見ると、金が・・・結構多めに入っていた。
「そいつで、坂本宿で食事でもしてから・・・徳川方の陣容を出来るだけ高いところから確認を頼む。」
「でも、俺、お前ん家、しらねえぞ。」
「大丈夫だ。大阪に入ったらそのまま城に向かってくれ。あ・・・それと、旗と家紋を覚えておけよ。」
「分かった。とりあえず、紙は持って行く。」
そういうと、先ほど馬に掛けた背負子から紙と炭を取り出すと、懐に入れる。
「大丈夫か?」
筧は不安そうにしまを見つめる。
「まあ、どこまでの物が来るかは分からぬが、やらないよりかはましだ。」
「拙者は?」
筧が聞く頃には、しまは走り出しもう見えないところに行っていた。
「後の物は帰るぞ。青海。」
「おう。」
「美井を頼む。」
「わかった。」
「秀頼様。」
「はい。」
そのきっぱりとした発言でつい背筋を伸ばし両手を伸ばす。
「秀頼様は拙者の背中に掴まってくだされ。馬がこの数しかないので、すまないですが・・・。」
「いいよ。そういうのは気にしないよ。」
そういうとにこっとした顔で秀頼が微笑む。
「じゃあ、みんな行くぞ!」
「応!」
全員が馬に乗ると、そのまま走り始める。しばらくしてしまを抜き去ると、そのまま脇道に入り、山を疾走する。分かっていた。大方・・・戦国最後の戦・・・そしてその結末・・・。分かっていて求められぬ何かが・・・そこにはある気が信繁にはしたのだった。
これで、江戸回遊編は終了します。次回からは決戦大阪城夏の陣編になります。今後とも・・・がんばって生きますのでよろしくお願いいたします。