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小説  作者: あ行
2/4

2友人

 主人は働きながら、原稿に文字を書いた。日曜日には、全ての時間を小説に継ぎ足した。


「あら、威勢の良いこと。」

「ありがとう。」


 女中から差し出された茶を一口飲む。喉が温かくなった。


「どんなものを書いてらっしゃって。」

「秘密。」


 主人は口を上げて、なんとも言えない顔をしている。


「まあ、完成してくれたら読ませてくださいまし。」


 女中が部屋を出た後も、主人は口上げ、原稿をまじまじと見ていた。


「おお、お前、小説を書くようになったんだってね。」


 声がする方へ向いてみると、友が立っていた。鼻と手の先が赤くなっている。随分外は寒かろう。

 友は火鉢に手をかざしながら、「執筆中かい。」と聞いた。


「執筆というか、恥ずかしいな。そう言われると。俺はただ書いているだけだ。それにしても、誰から聞いた。」


 友は後ろを向きながら「ああ。」とだけ答える。たぶん、女中であろう。


「なあ、お前にいい知らせがある。」

「なんだ。」

「原田の娘がな、結婚の申し出を待っているそうだ。お前、どうだ。細君はまた早めに作っておいた方だ良いぞ。」

「やめておく。」

「まだあの細君を悔やんでいるのか。」

「いいや、今は一人でいい。」

「そうか。」

「俺の弟がそのうち後継を貰うさ。」

「人任せだな。」


 友はうすら笑いながら、主人の方へ近付いてあぐらをかいた。


「どれ、どんなのが書けた。明るいのは書けているか。」

「まだ途中。」

「そうか。」


 友は袂の中にある煙草を取り出して、火鉢の火で点けた。それから、ふうっと煙を出してから、


「僕も小説を書いてみようかな。」

「書くのか。」

「うん、前から興味があった。」

「では共に書こうではないか。」

「うん、僕たちなら書けるさ。」

「それに、小説の応募がなされていたぞ。締め切りも今からなら、申し分ない。お前、一緒にしないか。」

 主人は目を逸らしながら、子供のように頷いた。

「する。」




 それから主人は飯も食わずに自分の世界へと没頭した。気が緩むと、他の短編も同時進行に書いた。短編の題は『屑』である。

 短編、応募作、短編、応募作と繰り返していくうちに等々当日になってしまった。

 応募作を封筒に入れて、提出すると肩の力が抜けて、やっと人間らしくなった気がした。

 公園で一休みしていた時分、下駄を履いた友が背伸びをした。


「お前の作品、僕はすきだよ。最後がな、よかった。」

「ありがとう。」

「楽しくて、明るくて、」


 と、友は首を揺らしながら話す。


「通るといいな。共に。」

「うん。」


 主人と友はあつい握手をした。

 友と別れた道で主人は少し走った。周りに誰もいない。誰も大人を怒る者もいない。一寸だけ外で素をだせたのだ。数(メートル)走ってその後は歩いた。走った後を悟られないように、鼻で呼吸を整えてながら歩いた。主人の癖は一向に直らない。




 家に帰ってからというもの、そわそわして緊張で茶も喉を通らない。乾燥した金木犀が地面に転がっているのも、今は気にならなかった。他人に自分の世界を見せるのが怖かったのだ。

 気を紛らわせるために、小説を読んでみた。


「いかんいかん、一旦、離れよう。大丈夫だ。否定なんか、されないさ。俺の世界は美しく、人を魅了するんだから。大丈夫、大丈夫さ。」


 完成した短編が視界に入る。そして、いつの間にか、それを手に取っていた。


「本当の小説。」




「おい、おい、僕、通った。僕は通ったのだ。」


 主人の書斎のど真ん中で友は紙を見せびらかした。息が荒く、興奮している。


「良かったな。」

「僕の小説が通ったよ。印税や売上が振り込まれる。そうしたら、僕の生活は少し楽になるかもしれない。」

「その前に、人々に自分の世界を見せられて良かったじゃないか。」

「ああ、そうだった。」


 友がまた、わあいわあいと嬉しがる度に、女中は気まずそうに目を背けた。主人の表情を察したのか、答えが想像つく問いをした。


「お前は通ったのか。」


 主人は少しの沈黙の後、「いいや。」と答えた。


「そうなのか。」


 ぱちぱちと火鉢が鳴る。


「……そういえば、他の小説もありませんでしたか。それは応募なさらないの。」


 沈黙を遮ったのは、女中である。この時も目を逸らしたままであった。


「短編か。」

「ええ。」

「あの小説はいい。読まないでくれ。」


 益々不味くなった空気は三人を飲み尽くした。




 数週間後、友から同人誌を作らないかと誘われたので、また新しく作った小説を書いて載せた。

 また仕合せになるような明るい小説を書いた。誰に見せても安心できる小説。

 このような言葉が出てくる。


「少年よ。風を切って、走り抜けろ!」


 その同人誌は幾分か売れた。嬉しい心持ちでいた。主人は仕合わせでいた。

 友と居酒屋で呑んでいると突然、言葉を打ち明かされた。


「お前は本当に小説を書いているのか。小説というものが、分かっているのか。」


 主人は内心焦った。本当に小説を書いていないことが見透かされたのだ。あの短編を見せようかとも思った。俺はお前よりも小説を愛していると非道なことも考えた。


「分かっているよ。」

「なら、ならば、お前の小説は足りないのだ。僕は噓を吐いた。すまない。僕は物足りなさを感じている。お前は一定の心臓なのだ。何も驚かず、愛さず、病にも侵されず。僕はお前の作品を読んでみたい。」


 主人は友の前でさえ、本当を見せれなかった。過去に傷ついたからである。


「俺は俺の小説を書いたのなら、小説を書くのをやめる。」

「どうして。」

「怖いのだ。二六時中、恐怖が俺を襲うのだ。俺の内心を知った者が日本中にいると思ったら、俺は怖くてたまらない。俺は小説を書いたら、やめるよ。」

「生涯通してか。」

「ああ。」

「それならば、もう、お前と一所に書けないのか。」

「友でいることには変わりはない。」

「そうだな。」


 それから、主人は小説を書いた。机に向かってずっとずっと小説を書いていた。女中は黙ってその姿を眺めては、そっと隣に茶を置いていき、友は決して宅には来なかった。

 



 そして、これは、男が書く小説である。

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