決めるということ
町の朝は、相変わらず静かだった。
だが、昨日と違う点が一つある。
「……音がするな」
ガルドが言った。
金属を叩く音。
木を削る音。
広場の脇、崩れかけた作業台の前で、
昨日の若い男が、工具を手にしている。
「もう直してるのか」
ユウキが声をかけると、男は少し驚いた顔で振り向いた。
「あ、はい」
「戻ってきたら、放っておけなくて」
台の脚を削り、歪みを調整している。
動きはぎこちないが、迷いはない。
「……昨日までは?」
レオルが聞く。
「直そうとは、思ってました」
男は正直に言った。
「でも、いつかでいいって」
「で、今は?」
ミーナが聞く。
「今やらないと」
男は、手を止めずに言う。
「また失くす気がして」
ユウキは、それ以上何も言わなかった。
⸻
町を歩く。
倉庫の前で、年配の女性が箱を開けている。
中身は、布と壊れた金具。
「それ、使うの?」
マルタが自然に聞いた。
「……使わない」
女性は少し考えてから言った。
「でも、捨てる」
「初めて?」
「ええ」
言いながら、箱に《廃棄》と札を貼る。
その瞬間、
空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
ミーナが小声で言う。
「……また減りました」
「残留器、二体分くらい」
「数えてたのか」
ガルドが苦笑する。
「仕事ですから」
⸻
昼前。
ロウが、ユウキたちを広場に呼んだ。
「話がある」
集まったのは、町に残っている人たち。
多くはない。
だが、全員だ。
「昨日」
ロウは言った。
「掃除屋に、手を出すなと言われた」
ざわり、と空気が動く。
「だが」
ロウは続ける。
「何もしないとは、言われてない」
視線が、ユウキに集まる。
「俺は、決めるのが怖かった」
ロウは、正直に言った。
「間違えたら、全部終わる気がしてな」
誰も否定しない。
「だが」
ロウは、深く息を吸う。
「もう、放置する方が怖い」
沈黙。
それは、昨日までとは違う沈黙だった。
「全部は無理だ」
ロウは言う。
「でも、一つずつなら、決められる」
その言葉に、
何人かが、ゆっくり頷いた。
ユウキは、一歩前に出た。
「俺は、手伝わない」
全員が驚いた顔をする。
「代わりに」
ユウキは続ける。
「判断の結果だけ、拾う」
ミーナが補足する。
「決めた後に出る“不要物”だけを回収します」
「決める前には、触りません」
「都合がいいな」
ガルドが言う。
「清掃屋は、だいたいそうだ」
少し笑いが起きた。
⸻
その日の午後。
《拾得物最適化指令》は、
ほとんど反応しなかった。
拾う物が、少ない。
それはつまり、
勝手に置かれた物が減っているということだった。
「……仕事減ってない?」
レオルが聞く。
「いい兆候だ」
ユウキは答える。
町は、まだ変わらない。
倉庫もあるし、箱も残っている。
だが――
それぞれに、札がつき始めていた。
《使う》
《捨てる》
《直す》
期限も、誰の判断かも書かれている。
「判断に名前がつくと」
ミーナが言う。
「責任も残ります」
「それでいい」
ユウキは言った。
「消えるよりマシだ」
⸻
夕方。
ロウが、焚き火の前で言った。
「残留器、今夜は出ないだろう」
「出ない」
ユウキは断言する。
「今日は、動いたから」
「全部じゃないぞ」
ロウが言う。
「全部じゃなくていい」
ユウキは答える。
「止まらなきゃ」
風が吹く。
焚き火の火が、揺れる。
町は、
急には変わらない。
だが、
止まったままでもなくなった。
⸻
その夜。
ユウキは、道具袋を整理していた。
《とりあえず拾っとく》
《ゴミじゃない(※当社比)》
《誰も見ていない価値》
どれも、反応が薄い。
「……静かだな」
ガルドが言う。
「いい夜だ」
ユウキは答えた。
遠くで、
誰かが木箱を閉じる音がした。
それは、
残留器の音ではなかった。
「……なあ」
レオルが言う。
「俺たち、何しに来たんでしたっけ?」
ユウキは、少し考えてから答えた。
「通過だ」
「ただし、止まらずにな」
火が、静かに燃えている。
町も、
少しだけ、動いていた。
町を発つ準備は、静かに進んでいた。
荷は少ない。
最初から通過前提だった。
「……思ったより、仕事したな」
ガルドが背伸びをする。
「ほとんど喋っただけですけどね」
レオルが笑う。
「判断は、体力を使う」
ユウキは淡々と言った。
そのとき。
ピクリ、と
ユウキの感覚が引っかかった。
強くはない。
警告でもない。
だが、確かに――反応。
「……ちょっと待て」
ユウキが足を止める。
ミーナが即座に確認する。
「《誰も見ていない価値》が微反応しています」
「強度は低。ですが……継続的です」
「場所は?」
「……町外れ。旧街道側」
ロウが、荷車を止めた。
「そっちは、もう誰も使わん」
「道も半分埋もれてる」
「だからだ」
ユウキは言った。
⸻
旧街道は、確かに放置されていた。
舗装は割れ、
草が伸び、
道標は倒れたまま。
「……ここ、完全に忘れられてますね」
レオルが言う。
「通らない道は、存在しないのと同じ」
ミーナが淡々と補足する。
ユウキは、地面を見ていた。
「……これだ」
蹴飛ばすと、
土の中から、小さな金属音。
錆びた、細長い箱。
「宝箱?」
ガルドが身構える。
「違う」
ユウキは首を振った。
「保管箱だ」
箱の側面には、
ほとんど読めない刻印。
《灰棚 中継管理》
「……中継?」
ロウが目を見張る。
「昔、この町が通過点だった頃の」
ミーナが言う。
「物流管理用ですね」
「開ける?」
レオルが聞く。
ユウキは一瞬、考えた。
そして、
《清掃者権限・改》を起動。
――判定開始。
「……問題なし」
「管理放棄物扱いだ」
蓋を開ける。
中にあったのは――
金でも宝石でもない。
古い帳簿。
破れた地図。
木製の札。
「……ガラクタ?」
ガルドが首を傾げる。
だが。
ミーナの目が、わずかに見開かれた。
「……違います」
「これは……記録です」
帳簿をめくる。
そこには、
この町を通過した荷の記録。
人の名前。
日時。
数量。
「……これ」
ロウが息を呑む。
「消えた商人たちの……」
「行方不明じゃない」
ユウキは言った。
「通過しただけだ」
「でも……」
ロウは言葉を失う。
「誰も、覚えてない」
ユウキは、
《零価再定義》を起動。
――価値判定、再構築。
「……金銭価値は、ほぼゼロ」
ユウキは言った。
「だが」
帳簿の上に、
淡い光が走る。
「意味の価値は高い」
ミーナが続ける。
「これがあれば」
「この町が“何もなかった場所”ではないと証明できます」
「……証明して、どうなる?」
ガルドが聞く。
「道が、戻る可能性が出ます」
ミーナは答える。
「完全じゃなくても、“寄る理由”になる」
ロウは、帳簿を両手で持った。
「……誰も見てなかった」
「誰も、覚えてなかった」
「だから残ってた」
ユウキは言った。
「捨てられなかったからな」
レオルが、小さく息を吐く。
「ゴミ拾いって」
「本当にゴミを拾ってないですよね」
「ゴミじゃない」
ユウキは即答した。
「※当社比」
町に戻る。
ロウは、帳簿を掲示板の横に置いた。
《旧街道・通過記録》
《閲覧自由》
「見る人、いますかね」
ガルドが言う。
「今はいない」
ユウキは答えた。
「でも」
指で掲示板を叩く。
「“在った”って事実は残った」
その瞬間。
ミーナが、周囲を見回した。
「……反応が、完全に消えました」
「《誰も見ていない価値》、沈静」
「拾ったな」
ガルドが言う。
「いや」
ユウキは首を振る。
「見える場所に置いただけだ」
⸻
出発前。
ロウが、深く頭を下げた。
「……礼を言う」
「掃除じゃなかったが」
「掃除だ」
ユウキは言った。
「見えなくなってた物を、見える場所に戻した」
「また、止まるかもしれんぞ」
「その時は」
ユウキは肩をすくめた。
「また、判断すればいい」
町を出る。
背後で、
掲示板の紙が風に揺れた。
誰も見ていない価値は、
誰かが見た瞬間、役目を終える。
「……次、どこ行く?」
レオルが聞く。
ユウキは、前を見た。
「決まってない」
「だから、進む」
境界原の向こうに、
新しい道が伸びている。
そこにもきっと、
誰も見ていない価値が転がっている。
ユウキは、
それを拾う準備だけは、
いつでもできていた。
町を離れて、半刻ほど。
境界原に戻る途中、
背後から、足音がした。
「……追手?」
レオルが振り返る。
「違う」
ユウキは即答した。
「慌ててる音だ」
ほどなく、
息を切らした青年が現れた。
昨日、工具を失くした男だった。
「ま、待ってくれ!」
ガルドが身構えるが、
男は両手を上げる。
「違う、違う!」
「文句じゃない!」
ユウキは立ち止まった。
「どうした?」
男は、息を整えながら言った。
「……修理、終わった」
「それで……決めた」
「何を?」
レオルが聞く。
男は、少し照れたように笑う。
「倉庫の一つ、開ける」
「修理場にする」
ミーナが目を瞬く。
「……今すぐ?」
「今すぐ」
男は頷く。
「放置してたら、また止まる」
ユウキは、
その言葉を聞いて、
ほんの少しだけ口角を上げた。
「いい判断だ」
男は、意を決したように続ける。
「それで……」
「あんたらに、これ」
差し出されたのは、
古い金属製の札。
《灰棚 中継補助》
「使い道は?」
ユウキが聞く。
「正直、分からん」
男は正直に言った。
「でも……捨てる気はない」
ミーナが、そっと確認する。
「……管理補助用の認証札ですね」
「古いですが、有効です」
ユウキは受け取った。
――《なんか使えそう判定》。
反応:弱
だが、確かに“残る”。
「預かる」
ユウキは言った。
男は、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
「拾ってくれて」
「拾ってない」
ユウキは訂正する。
「返しただけだ」
男は、一瞬きょとんとしたが、
やがて笑った。
「じゃあ……」
「次は、俺が拾う番だな」
その言葉を残して、
男は町へ戻っていった。
⸻
再び歩き出す。
「連鎖、始まりましたね」
ミーナが言う。
「小さいけどな」
ガルドが答える。
「それでいい」
ユウキは言った。
「一気に動くと、壊れる」
レオルが、空を見上げる。
「……でも」
「町、完全に救ったわけじゃないですよね」
「救ってない」
ユウキは即答した。
「判断を返しただけだ」
境界原の草が、風に揺れる。
残留器の気配は、もう無い。
「なあ」
ガルドが言う。
「この先も、こういう町ばっかか?」
「多いだろうな」
ユウキは答えた。
「ギルドが崩れて、道が変わった」
ミーナが付け加える。
「世界中に、
“置き去りにされた役割”が発生しています」
ユウキは、
歩きながら、
道端の小石を蹴った。
――《路傍の神託》。
微弱な反応。
「……次」
ユウキは言う。
「この先」
「似た匂いがする」
「町?」
レオルが聞く。
「まだ分からん」
ユウキは答える。
「でも」
少しだけ間を置く。
「今度は、人じゃないかもしれない」
ガルドが、にやりと笑った。
「それはそれで、面倒そうだな」
「仕事だ」
ユウキは淡々と言った。
「拾うか、拾わないか」
「決めるだけだ」
彼らは、
境界原の向こうへ進む。
誰も見ていない価値が、
また一つ、
静かに待っている場所へ。




