通られなくなった道
峠道は、地図に載っていなかった。
正確に言えば、
「載せる意味がなくなった」道だった。
「……これは、道か?」
ガルドが足元の石を蹴る。
「かつては」
ミーナが淡々と答えた。
「今は、維持されていません」
舗装は途切れ、
案内標識は倒れ、
風に削られた石積みが、かろうじて“人の手”を主張している。
「後回しの末路、って感じだな」
ユウキは言った。
レオルが周囲を見回す。
「でも、不思議ですね」
「完全に危険なら、封鎖されるはずなのに」
「封鎖するほど重要じゃなかった」
ユウキは即答した。
「だから、放置された」
峠の中腹。
風が強くなり、
雪とも霧ともつかない白が視界を削る。
ミーナが足を止める。
「反応あり」
「魔力でも瘴気でもありません」
「じゃあ何だ?」
「……人の痕跡です」
「しかも、最近」
全員が緊張する。
だが、敵意は感じない。
戦闘の気配もない。
代わりにあるのは――
生活の匂いだった。
焚き火の跡。
簡易的な風除け。
修繕された荷車。
「ここ……」
レオルが目を細める。
「人が“通ってる”」
「でも、町の人は知らなかった」
ガルドが言う。
「そりゃそうだ」
ユウキはしゃがみ込み、地面を見る。
「ここを使ってる連中は――」
一拍。
「“町に行かない理由がある”」
その言葉の直後。
「――正解」
低い声が、風に紛れて聞こえた。
全員が一斉に振り向く。
岩陰から現れたのは、
武装した集団……ではなかった。
旅装の男と女。
老人と、若者。
剣も槍も持っているが、構えはない。
「ここは通行禁止じゃない」
先頭の男が言う。
「でも、歓迎もしてない」
ガルドが一歩前に出るが、
ユウキが手で制した。
「掃除の途中だ」
ユウキは言った。
「邪魔する気はない」
男は一瞬、怪訝な顔をしたが、
次に、苦笑した。
「……掃除、ね」
「確かに、必要かもしれない」
ミーナが静かに問う。
「あなたたちは?」
「この道を使う理由は?」
男は、少しだけ視線を逸らした。
「行き場が、他に無い」
「それだけだ」
その言葉は、
ユウキの耳に、やけに馴染んだ。
「なるほど」
「じゃあ、ここは“通られなくなった道”じゃない」
ユウキは立ち上がる。
「“追い出された連中が使ってる道”だ」
空気が、一瞬だけ張る。
だが――
誰も否定しなかった。
「……話、聞かせてもらえるか?」
ユウキは続ける。
「掃除するかどうか、決める前に」
男は、短く息を吐いた。
「いいだろう」
「どうせ、隠すほど立派な話じゃない」
峠の風が、少しだけ弱まった。
ここはダンジョンじゃない。
古代文明も、機械も出てこない。
ただ――
世界からはみ出した人間たちが、
まだ生きている場所だった。
峠の風を避けるように、簡易的な天幕が張られていた。
焚き火の周りには、十数人。
多くは旅人の格好だが、
その目には「移動中の人間」特有の落ち着きがない。
「ここを使ってるのは、俺たちだけじゃない」
先頭の男――名をハルドと名乗った――が言う。
「でも、表の街道は使えない」
「理由は?」
レオルが聞く。
ハルドは肩をすくめた。
「理由はいくつもある」
「税を払えない」
「身分証がない」
「所属してた組織が消えた」
「……あるいは、戻る場所が無い」
ガルドが眉をひそめる。
「犯罪者か?」
「違う」
即答だった。
「少なくとも、俺たちは違う」
「ただ――」
ハルドは焚き火を見つめる。
「“守られなかった”だけだ」
その言葉に、
ミーナの指がわずかに動いた。
「国境管理局の再編後ですね」
「……はい」
「ギルドが崩れたあとも、似た話は増えました」
ミーナは淡々と補足する。
「登録が消えた人間は、制度上“存在しない”」
「存在しない人間は、街に居られない」
ユウキが言った。
ハルドは、ゆっくり頷いた。
「だから、この道だ」
「通る人間が少ない」
「監視もない」
「見つかっても、誰も責任を取らない」
「便利だな」
ガルドが吐き捨てるように言う。
「不便だよ」
ハルドは苦笑した。
「生きてる実感が薄い」
焚き火の向こうで、
若い女が子どもに毛布をかけている。
「雪国へ向かう?」
ユウキが聞いた。
「……途中まで」
「その先は?」
「決めてない」
ユウキは、足元の道を見た。
踏み固められている。
だが、整備されてはいない。
「この道、掃除されてないな」
「できないからな」
「じゃあ、するか」
全員が一瞬、ユウキを見る。
「……え?」
ハルドが間の抜けた声を出す。
「掃除」
ユウキはあっさり言う。
「落石も多いし、雪も溜まる」
「放っておくと、死人が出る」
「いや、待て」
「俺たちが通ってるだけだ」
「だからだ」
ユウキは道の先を指差す。
「通ってる人間がいるなら、道は“生きてる”」
「生きてる道を放置するのは、趣味じゃない」
ミーナが小さく息を吐く。
「……あなた、本当に掃除の人ですね」
「今さらだろ」
ハルドはしばらく黙っていたが、
やがて、深く頭を下げた。
「……助かる」
「礼は?」
「いらない」
ユウキは即答した。
「ただし条件がある」
ハルドが顔を上げる。
「この道を使うなら、壊すな」
「ゴミはまとめろ」
「雪崩の兆候を見つけたら、印を残せ」
「……それだけ?」
「それだけ」
ガルドが笑った。
「規則、増えたな」
「でも、守れる」
レオルが言う。
「守れば、通れる」
ハルドは、ゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
「この道は、俺たちが使う」
「でも――」
一拍。
「俺たちだけの道にはしない」
ユウキは、その言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「それでいい」
峠の向こう。
白い世界が、うっすらと見えている。
「雪国は、もう近い」
ハルドが言った。
「寒いぞ」
「慣れてる」
ユウキは肩をすくめる。
「冷たい場所は、だいたい面倒だ」
ミーナが空を見上げる。
「天候、悪化します」
「吹雪になりますね」
「じゃあ」
ユウキは道具袋を背負い直す。
「今夜はここで休む」
「明日、掃除しながら進む」
ハルドは目を瞬いた。
「……同行するのか?」
「勝手に」
ユウキは言った。
「道は共有物だ」
焚き火の火が、少しだけ強くなった。
この峠は、
もう“捨てられた道”じゃない。
まだ名前はないが、
確実に使われ始めた道だった。
夜は、思ったより静かだった。
風は冷たいが、痛いほどではない。
吐く息が白くなるかならないか、その境目。
境界原の夜は、音が少ない。
虫も鳴かず、獣の気配も薄い。
代わりにあるのは、
霧だ。
地面を這うように、低く、ゆっくりと広がってくる。
視界を奪うほどではないが、距離感が狂う。
「……視程、落ちてきてます」
ミーナが静かに言う。
「雪じゃないのが、逆に嫌だな」
ガルドが小さく舌打ちする。
「音が死ぬ」
レオルも周囲を警戒している。
焚き火は最低限。
明かりは外に漏らさない。
境界原では、
“見せない”ことが防御になる。
そのときだった。
――カチャ。
金属が触れるような、乾いた音。
「止まれ」
ユウキが低く言う。
全員が動きを止める。
霧の向こう、
何かが動いている。
人の背丈ほど。
輪郭は歪で、一定していない。
「……モンスター?」
レオルが小声で聞く。
「違う」
ユウキは即答した。
「でも、生き物でもない」
霧が薄れた一瞬、
それが見えた。
金属片。
壊れた道具。
布切れ。
どこかで見たような“残り物”。
それらが、
無理やり“形”を保って歩いている。
「……残留器か」
ミーナが呟く。
「名前ついてたのか」
ガルドが眉をひそめる。
「学術名です」
「便利だな」
残留器は、
こちらを“見る”ことはしない。
視線も、殺気もない。
ただ――
人の持ち物に、近づいてくる。
「……来るぞ」
ガルドが構える。
「待て」
ユウキが制した。
残留器は、
ハルドたちの荷の方へゆっくり進む。
袋の口。
緩んだ紐。
放り込まれたままの道具。
そこに、
反応している。
「奪う気だ」
レオルが言う。
「いや」
ユウキはしゃがみ込んだ。
「“回収”だ」
ユウキは、
地面に置かれた雑多な荷を見た。
壊れた鍋。
使わない刃。
濡れた布。
「……分けてないな」
「時間がなくて」
ハルドが答える。
「問題ない」
ユウキは短く言った。
そして、声を張る。
「全員、荷を一度下ろせ」
「使うものと、使わないものを分けろ」
「今か!?」
「今だ」
有無を言わせない声だった。
人が動く。
荷が地面に置かれる。
その瞬間、
残留器の動きが一瞬、鈍った。
「やっぱりな」
ユウキは呟く。
「こいつら、
“捨てられたまま”に反応してる」
「じゃあ、どうする?」
ガルドが聞く。
「決めるだけだ」
ユウキは、
壊れた鍋を拾い上げる。
「これは?」
「使えない」
「じゃあ処分」
少し離れた場所に置く。
次に、
濡れた布。
「乾かせば使う」
「保留」
最後に、
刃こぼれした短剣。
「直す予定は?」
「……ない」
「処分」
一つずつ、
判断する。
そのたびに、
残留器の体から、
小さな部品が落ちていく。
カラン、カランと。
「……減ってる」
レオルが目を見開く。
「仕事を奪われてるのよ」
ミーナが言う。
「“拾う理由”が消えてる」
最後の一つが決まったとき。
残留器は、
その場で崩れた。
音もなく、
ただの“物”に戻る。
霧の中には、
何も残らない。
しばらく、誰も動かなかった。
「……倒してないよな?」
ガルドが言う。
「倒してない」
ユウキは立ち上がる。
「片付けただけだ」
ハルドが、
崩れた残骸を見つめる。
「……あれ、俺たちの荷か?」
「一部な」
ユウキは頷いた。
「だから言っただろ」
「まとめろって」
ハルドは、
深く息を吐いた。
「……道が生きてるって、こういうことか」
「通るなら、責任が出る」
ユウキは淡々と答える。
「それだけだ」
夜は、再び静かになった。
霧は残っているが、
もう何も近づいてこない。
「……ユウキ」
レオルが言う。
「これ、雪国に近づいたら増えるか?」
「多分な」
「雪のせいじゃない」
ユウキは、
遠くの闇を見た。
「“判断を後回しにした場所”ほど、増える」
焚き火が、小さくはぜる。
境界原の夜は、
冷たい。
だが、
凍えるほどではない。
まだ――
引き返せる場所だ。




