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異世界転生したのに職業欄が「無職(要相談)」から動かず、最速で追放された結果、生活費のためにゴミ拾いしています  作者: Y.K
第10章

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線が引かれた朝

その朝、王都はいつもより静かだった。


鐘の音は鳴った。商人も動き始めた。荷馬車も予定通り通る。

それでも、どこか一拍遅れている。人々が無意識に周囲を確かめながら歩いているような、妙な間が街にあった。


再開発区画の入口に、簡易の柵が設けられていた。

木製で、低く、跨げば越えられる程度のものだ。警備兵は立っていない。ただ、杭に括り付けられた札がある。


――安全確保のため、関係者以外の立ち入りを制限します。


強い言葉は使われていない。

命令でも、禁止でもない。

それでも、その一行が線そのものだった。


ユウキは少し離れた場所から、その柵を見ていた。

いつもの道。いつもの時間。

ただ一つ違うのは、足が自然と止まったことだ。


「……始まったか」


独り言だった。


柵の向こう側に、イオの姿が見えた。

位置が変わっている。昨日より、さらに端へ。

人の流れから、もう一歩分、外。


「おはよう」

ユウキが声をかけると、イオは一瞬だけ驚いたように目を上げ、それから頷いた。


「おはよう」

声は変わらない。だが、周囲を見る視線が増えている。


「柵、来たな」

「うん」


イオはそれ以上何も言わなかった。

不満も、怒りも、安心もない。ただ、受け取っている。


通りすがりの人々は、柵を見て、イオを見て、目を逸らす。

避ける動きが、昨日よりはっきりしていた。

誰も声を荒げない。誰も追い払わない。

ただ、近づかない。


「動く気は?」

ユウキが聞く。


「今は、動かない」

イオは答えた。「動いたら、“試験”が失敗になる」


試験。

その言葉が、ユウキの胸に引っかかった。


「成功したら、どうなる?」

「次の段階に進む」


それは管理の言葉だ。

人の言葉じゃない。


ユウキは柵の前にしゃがみ込み、地面に落ちていた小さな釘を拾った。スキルが反応する。失われたもの。拾えるもの。


「俺がこれを拾うのは、誰も困らない」

ユウキは言った。「でも」


言葉が続かない。

拾えないものが、目の前に立っている。


「困る人はいるよ」

イオは静かに言った。「俺が、ここにいると」


それは責任転嫁でも、自嘲でもない。

事実の提示だった。


遠くで、管理局の職員が立ち止まり、柵を確認しているのが見えた。視線がこちらに向く。イオを見る。ユウキを見る。

記録するような目だ。


「……今日は、ここまでにする」

ユウキは立ち上がった。


「うん」

イオは頷く。


去り際、ユウキは振り返り、柵を見る。

低い。簡単に越えられる。

それでも、越えなかった。


越えた瞬間、これは“対抗”になる。

そうなれば、事態は一段階進む。


街は回っている。

正しさも、秩序も、予定通りだ。


その中で、線は引かれ、誰もそれを壊していない。


ユウキは歩き出す。

袋は軽い。

朝の空気が、やけに冷たかった。


最初に来たのは、苦情ではなかった。


「確認なんですけど」

「一応、聞いておきたくて」

「今後どうなるんでしょうか?」


そんな言い回しで、マルタの机に人が集まり始めた。

声は低く、穏やかで、怒りを含んでいない。だが、全員が同じ方向を見ている。


再開発区画。

境界の人たち。


「今は試験運用です」

マルタは何度もそう説明した。「強制ではありません」


「でも、線は引いたんですよね」

商人の男が言った。責める口調ではない。ただ事実確認だ。


「はい」

「じゃあ、越えたらどうなるんです?」


その問いに、マルタは一瞬だけ言葉を探した。

「……注意、です」


「それだけ?」

「今のところは」


男は頷いた。「分かりました」


分かった、と言われるたびに、マルタの胃が重くなる。

理解されたのではない。納得されたのでもない。

ただ、情報が共有された。


昼過ぎ、今度は別の相談が来る。

「子供を通らせたくなくて」

「夜、通り道に使うのは不安で」


誰も“追い出してくれ”とは言わない。

代わりに、“守ってほしい”と言う。


「何かあったんですか?」

マルタが聞くと、皆同じ答えを返す。


「何も」

「でも、何か起きそうで」


その「何か」が、形を持たないまま、街を歩き始めている。


午後、巡回担当が報告に来た。

「柵の周り、特に問題はありません」

「接触も?」

「今のところは」


“今のところ”。

その言葉が、今日だけで何度出たか分からない。


マルタは帳簿を閉じ、立ち上がった。

「現場、見てくる」


再開発区画の入口。

柵はそのまま。札もそのまま。

人の流れだけが、微妙に変わっている。以前より遠回りする者が増え、立ち止まる者が減った。


少し離れた場所で、イオの姿を見つけた。

立っている。動いていない。

それだけで、周囲との距離が浮き彫りになる。


マルタは近づき、声をかけた。

「困ってる?」


イオは首を振った。「困ってない」


即答だった。

それが余計に、胸に来る。


「不安は?」

「ある」


正直な答えだった。


「何が一番?」

イオは少し考え、「分からない」と言った。「分からないことが、一番」


マルタは息を吐いた。

現場は壊れていない。

秩序も保たれている。


それでも、歪みが溜まり始めている。


戻り道、マルタは管理局の建物を見上げた。

まだ、正式な動きはない。

だが、現場の声は、確実にそこへ向かっている。


「……遅いんだよ」


誰に向けた言葉でもなかった。

制度にか、街にか、それとも自分自身にか。


夕方の風が、柵の札を揺らした。

音は小さい。だが、耳に残る。


それは、叫び声でも衝突でもなかった。


ただ、足が止まっただけだ。


夕暮れ時、再開発区画の柵の前で、荷を抱えた男が立ち尽くしていた。商人ではない。労働者でもない。日雇いの、よくある顔だ。遠回りをしようとして、ふと足を止めた。


柵の向こうに、イオがいた。


男は一瞬、迷ったように視線を彷徨わせた。柵は低い。跨げば終わりだ。だが、札が目に入る。「立ち入り制限」。その文字が、思ったよりも強く効いた。


「……なあ」


男が声をかけた。

イオは顔を上げた。


「ここ、通れるか?」

「通れるよ」

「でも……」


男は言葉を切った。

通れる。

でも、通らない。


それだけのやり取りだった。怒号もない。罵倒もない。

ただ男は、ゆっくりと踵を返した。


その背中を、誰かが見ていた。

誰かが、学んだ。


少し離れた場所で、子供が石を拾い上げ、何気なく投げた。狙いはなかった。ただの暇つぶしだ。石は地面に当たり、跳ね、イオの足元で止まった。


「やめなさい!」


母親の声が飛ぶ。

子供は驚いて手を引かれ、その場を離れる。


誰もイオを責めていない。

誰も傷つけていない。


それでも、空気が変わった。


ユウキは、その一部始終を少し離れた場所から見ていた。

袋は空に近い。拾うものはなかった。

それでも、足が動かなかった。


「……越えなかったな」


自分に言い聞かせるように呟く。

柵を。

一線を。


越えなかったから、何も起きていない。

越えなかったから、誰も止めに来ない。


それが一番、まずい。


イオは何も言わず、石を拾い上げ、柵の内側へ放った。音は小さい。だが、その仕草が、妙に落ち着いていた。


「慣れてるのか?」

ユウキが声をかけると、イオは少し考え、「多分」と答えた。


「人は、越えないって決めるときが一番早い」


その言葉に、ユウキは何も返せなかった。


遠くで、管理局の巡回が立ち止まり、様子を確認している。記録は取らない。注意もしない。

“問題なし”。

その判断が、今日も積み上がる。


マルタは少し遅れて現場に来た。

状況を一目見て、理解した。


「……起きてない。でも」


ユウキと目が合う。

彼女は小さく首を振った。


「次は、起きる」


誰も悪くない。

誰も越えていない。

それでも、一歩分だけ、世界が狭くなった。


夕暮れの影が伸び、柵の内と外をはっきり分ける。

その境目に立つイオの姿が、やけに小さく見えた。


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