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異世界転生したのに職業欄が「無職(要相談)」から動かず、最速で追放された結果、生活費のためにゴミ拾いしています  作者: Y.K
第10章

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線を引くという仕事

リィナの机の上には、今日だけで三十七枚の書類が積まれていた。


数だけ見れば大したことはない。だが内容が重い。依頼書ではない。報告でもない。相談と申請、その間にある曖昧な紙ばかりだ。どれも、誰かの生活に直接つながっている。


彼女は一枚ずつ確認し、判を押し、棚に差し込んでいく。書式は整っている。項目も埋まっている。だが、埋められなかった欄がいくつかある。そのたびに、ペン先が止まった。


「……対象外、か」


小さく呟いて、言葉を飲み込む。


制度は整った。再編されたギルドは、以前よりも公平で、透明で、誤魔化しがきかない。だからこそ、判断が重くなった。曖昧に受け入れることが、できなくなった。


一枚の書類を手に取る。

居住地:王都周辺。

種族:記載なし。

職歴:なし。

推薦人:なし。


不備ではない。嘘もない。ただ、足りない。


「……マルタさん」


呼びかけると、向かいの机で帳簿をまとめていたマルタが顔を上げた。「どうしたい?」


「この人、どう思いますか」


マルタは書類を受け取り、ざっと目を通した。眉がわずかに下がる。「難しいね」


それ以上でも以下でもない。正直な感想だ。


「規定上は、受け付けられません」

「そうだね」

「でも……」


リィナは言葉に詰まった。“でも”の先に、規定はない。


以前のギルドなら、この時点で終わっていた。門前払い。話は記録にすら残らない。だが今は違う。受け取った以上、判断しなければならない。


「リィナ」

マルタは静かに言った。「線を引くのも、仕事だよ」


分かっている。分かっているから、苦しい。


リィナは書類を机に戻し、別の用紙を取り出した。判断欄に、まだ何も書かない。代わりに、備考欄に短く記す。


――現行制度では対応不可。

――ただし、経過観察対象。


それは逃げでもあり、精一杯でもあった。


窓の外を見る。街は活気づいている。交易品が運ばれ、人が行き交い、未来が語られている。成功の風景だ。正しい選択の積み重ねが、確かに形になっている。


その端で、制度に引っかからない存在が、静かに取り残されている。


記録係として、リィナはそれを見なかったことにはできない。

だが、書けば切り捨てになる。

書かなければ、無責任になる。


ペンを握る手に、力が入った。


「……正しいって、なんだろ」


答えは出ない。

それでも、彼女は今日も線を引く。


それが、この街を回しているからだ。


ユウキは王都の裏通りを歩いていた。


交易が始まってから、表通りはきれいになった。掃除の手も人手も足りている。だから彼の足は自然と、人が見ない場所へ向かう。壁際、倉庫の裏、再開発から外れた通路。拾うべきものは、いつもそこに残る。


今日は、壊れた荷車の部品を一つ、布の切れ端を二つ、錆びた留め金を一つ。どれも小さなものだが、スキルは反応した。失われ、置き去りにされ、価値が残っている。分かりやすい仕事だ。


「……あ」


通路の奥に、人影があった。

イオだった。


昼間よりも距離は近い。だが、会話をしようという雰囲気ではない。ただ、同じ場所を共有しているだけだ。ユウキは何も言わず、拾ったものを袋に入れる。


しばらくして、イオが口を開いた。

「今日は、人が多い」


「表通りはな」

「裏は、減った」


その言い方に、ユウキは手を止めた。


「追い出された?」

「違う」

イオは首を振る。「線を引かれた」


その言葉は、どこかで聞いた表現だった。ユウキは思い当たる顔を浮かべる。記録係の少女。整った字で判断を書く人間。直接会話をしたことはないが、街の空気から存在は感じていた。


「書類か」

「多分」


イオは笑わなかった。怒ってもいない。ただ、事実として受け取っている。


「俺は、拾えない」

ユウキは言った。前にも言った言葉だ。

「知ってる」

イオは即答する。「でも、来ると思ってた」


「なんで?」

「拾えないって分かってる人は、見捨てない」


その理屈に、ユウキは返す言葉を失った。


袋の中身を確認する。今日拾ったもの。価値はある。行き先もある。だが、目の前の存在は、どこにも行き先がない。捨てられているわけでも、失われているわけでもない。


「線を引いた人は、悪くない」

イオが言った。「引かなきゃ、街が壊れる」


「……そうだな」


「でも」

イオは一拍置いた。「線の外に立ってる人は、増えてる」


風が吹き、紙屑が足元を転がった。ユウキはそれを拾い上げる。スキルが反応し、袋に入る。簡単な作業だ。


「この街、前に進んでるよ」

ユウキは言った。「ちゃんと」


「うん」

イオは頷いた。「だから、ここにいる」


それが何を意味するのか、ユウキにはすぐに分かった。

前に進く街に、ついていけない人間が残る場所。

それが、この裏通りだ。


「また来る」

ユウキは言った。


イオは返事をしなかった。ただ、その場から離れなかった。


ユウキは歩き出す。袋は軽い。拾うものは減っている。それは良い兆候だ。けれど、背中に残る感覚は重かった。


拾えるものが減るほど、拾えないものが、はっきり見える。


そのことを、彼はもう無視できなくなっていた。


マルタは、昼を過ぎても席を立てずにいた。


相談窓口は閉めたはずなのに、人は途切れない。直接来られない分、書類が回ってくる。リィナが分類した束を受け取り、現場判断が必要なものだけを抜き出す。それだけで、指先が重くなった。


「……これもか」


紙に目を落とす。

職業訓練申請、却下。

居住支援要請、対象外。

短期雇用斡旋、保留。


理由はすべて妥当だ。制度に照らせば、何一つ間違っていない。


それでも、机の上に積み上がる却下の山は、以前より確実に高くなっている。


「文句、来てますよ」


部下が控えめに声をかけてきた。

「どこから?」

「……再開発区画の周辺です」


マルタは一瞬だけ目を閉じた。

来ると思っていた場所だ。


「“昔はもっと融通が利いた”とか、“新しいギルドは冷たい”とか」

「分かってる」


分かっている。だからこそ、苦しい。


以前のギルドは、確かに融通が利いた。だが同時に、切り捨ても早かった。助けられる人と、見捨てられる人の差は、もっと残酷だった。


今は違う。

救えないときも、理由が残る。

記録が残る。

判断した人間の名前が残る。


「……正しいことしてるんだけどね」


マルタは独り言のように言った。

誰も否定しない。否定できない。


夕方、窓の外を見る。再開発区画の向こう、まだ整備されていない一角に、人影が見える。数は増えていない。だが、消えてもいない。


「リィナ」


呼ぶと、彼女はすぐに顔を上げた。疲れは隠せていない。


「境界の人たち、どうする?」

リィナは一瞬、言葉に詰まった。「……制度上は」


「分かってるよ」

マルタは先に言った。「でも、現場では“問題”になり始めてる」


盗みも暴動も起きていない。ただ、存在が目につき始めている。それだけで、街は不安になる。


「このままだと、誰かが“処理しろ”って言い出す」

マルタの声は低かった。「制度じゃなくて、感情でね」


それが一番、まずい。


「……ユウキさんは?」

リィナがぽつりと聞いた。


マルタは少しだけ笑った。「あの子は、拾えないものを拾おうとして、拾えないって分かってる顔してる」


それは、誰にもできない役割だ。


「私たちは、拾えないものに線を引く側だ」

マルタは机に手を置いた。「だから、ちゃんと重さを感じないといけない」


外では、街が回っている。交易は順調だ。成功と言っていい。

その裏で、正しさの重さが、確実に蓄積している。


マルタは書類をまとめ、決裁印を押した。

その音は、思ったより大きく響いた。


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