期限が与えられる
朝、ユウキは少し早く目が覚めた。
理由ははっきりしている。
静かすぎた。
王都の朝は、もっと音がある。馬車、露店の準備、遠くの鐘。
だが今朝は、それらが一拍遅れて聞こえる。
「……来てるな」
ベッドから起き上がった瞬間、机の上の白紙が目に入った。
昨日まで、何も書かれていなかったはずの紙。
今は違う。
――期限:三日
それだけが、はっきりと書かれていた。
「短いわね」
ミーナが、もう起きていたらしく、壁際から声を出す。
「十分だろ」
ユウキは紙を畳む。「向こうは、俺が“拾うか拾わないか”で迷うと思ってない」
ミナが、机の上にひょいと飛び乗る。
「これ、命令?」
「違う」
ユウキは首を振る。「通告だ」
扉の外が、わずかに騒がしい。
宿の主人が廊下を走り、客が何人か顔を出している。
「何かあった?」
ユウキが聞くと、主人は顔を引きつらせた。
「広場で……人が倒れた。怪我じゃない。何も起きてないのに、動かなくなった」
ユウキは、即座に察した。
「拾われなかったな」
現場は広場の端だった。
昨日、人型が立っていた場所と、ほぼ同じ。
倒れていたのは中年の男。呼吸はある。脈も正常。
だが、意識がない。
《なんか使えそう判定》
反応は、完全な沈黙。
「……ゴミじゃない」
ユウキは呟く。
ミーナが低い声で言う。
「でも“処理対象”ではある」
男の懐から、紙片が一枚落ちた。
拾い上げると、そこには小さな印。
――例の徽章と、同じ刻印。
「回収済、か」
ユウキは男を見下ろす。
拾われなかった問題。
処理されたことになっている何か。
そして、期限は三日。
「……やっぱり来たな」
これはもう、放置できない。
拾うか、拾わないか――では終わらない。
どう扱うかを決める段階だ。
ユウキは立ち上がった。
「行こう」
「どこへ?」
ミーナが聞く。
「昨日の倉庫だ」
ユウキは答える。「“処理済み”の奥に、まだ触ってないものがある」
紙片の文字が、指先でかすかに滲んだ。
――期限:三日(変更不可)
選択肢は、もう狭まっている。
倉庫は、前と何も変わっていなかった。
棚は整い、通路は空き、埃すら目立たない。
だが、ユウキは迷わず、奥へ向かう。
「ここね」
ミーナが足を止める。
閉鎖案件の札。
処理済、精算完了、責任部署解散。
昨日と同じ表示だ。
ユウキは棚の一つを引き出した。
中には、書類がある。量は少ない。だが、どれも途中で止まっている。
「報告未提出……調査中断……判断保留……」
ミーナが低く息を吐く。
「終わってない」
「終わったことにしてるだけだ」
《なんか使えそう判定》
反応は、やはり出ない。
代わりに、触れるな、という圧がある。
「……これ、拾えないわね」
ミーナが言う。
「拾うと、制度が壊れる」
ユウキは書類をそっと戻す。「でも、拾わないと人が倒れる」
背後で、紙が擦れる音がした。
振り向くと、別の棚から書類が一枚、床に落ちている。
誰も触っていない。風もない。
「……動いた?」
ユウキは一歩近づく。
落ちた書類には、赤い印が押されていた。
――未回収
それだけ。
「管理局の印じゃない」
ミーナが即座に言う。
「でも、回収者の言葉だ」
ユウキはしゃがみ込み、書類を拾い上げた。
今度は、わずかに反応があった。
《拾得物最適化指令》
だが、いつもの“回収”ではない。
保留の最適化。
「……なるほど」
ユウキは理解した。
これはゴミじゃない。だが、放置もできない。
棚の奥から、低い音がした。
木が軋むような、紙が擦れるような音。
保管されていた“処理済み案件”が、少しずつズレている。
「これ、三日も持たないわね」
ミーナが言う。
「ああ」
ユウキは頷く。「期限は、人じゃなくて“これ”に付いてる」
つまり、三日後。
この倉庫にあるものは、勝手に溢れ出す。
人が倒れるどころじゃ済まない。
「……全部拾えば、止まる」
ミーナの言葉に、ユウキは首を振った。
「それは最悪の解決だ」
「拾った瞬間、誰も責任を取らなくなる」
ユウキは立ち上がる。
「やることは一つだ」
「拾わずに、処理する?」
ミーナが聞く。
「違う」
ユウキは言った。
「拾える形に、戻す」
それは、これまでやってこなかった仕事だった。
倉庫の奥で、また一枚、書類が落ちた。
期限は、確実に進んでいる。
倉庫を出た瞬間、空気が変わった。
重くなるわけでも、寒くなるわけでもない。
ただ、観測されている感覚がはっきりした。
「……来たな」
ユウキがそう言うと、背後に“人型”が現れる。
性別も年齢も分からない。輪郭が安定しない存在。
だが、今回は逃げなかった。
「判断は下ったか」
淡々とした声。
アーカイブだ。
「下った」
ユウキは即答する。「全部拾わない」
「想定内だ」
アーカイブは頷いた。「では、どうする」
「拾える形に戻す」
ユウキは言う。「責任者を、存在させる」
ミーナが小さく目を見開く。
「それ、制度に踏み込むわよ」
「最初から踏み込まれてた」
ユウキは倉庫の方を振り返る。「踏み荒らされたまま放置されてる」
アーカイブは一瞬、沈黙した。
その間、周囲の音がわずかに遅れる。
「君の役割は回収だ」
「修復ではない」
「違う」
ユウキは首を振る。「俺は“拾う人間”だ。壊れたままじゃ拾えない」
アーカイブの輪郭が、わずかに揺れた。
それは、否定ではなかった。
「三日だ」
アーカイブは言う。「三日後、ここは溢れる」
「分かってる」
ユウキは答える。「だから、その前に“名前”を戻す」
「……危険だ」
「だろうな」
ユウキは一歩、前に出た。
「でもさ」
声音は軽い。「誰かがやらないと、また“処理済み”になる」
ミナが、ユウキの肩に手を置く。
「ミナも、手伝う」
ミーナは一瞬迷ってから、頷いた。
「責任、重いわよ」
「重い方がいい」
ユウキは言った。「軽いまま捨てられるより」
アーカイブは、静かに後退する。
「記録する」
それだけを告げて、気配が薄れる。
ユウキは深く息を吐いた。
「……よし」
これはゴミ拾いじゃない。
清掃でもない。
拾える形に戻すための仕事だ。
三日間で、終わらせる。
失敗すれば、誰も倒れない代わりに、
誰も助からなくなる。
ユウキは、倉庫へと引き返した。




