処理済みのはずでした
王都管理局の倉庫は、静かだった。
静かすぎる、と言ってもいい。
人の出入りは少なく、棚は整然と並び、床には目立ったゴミもない。書類上では、ここは「整理完了」の区画だった。
「……終わってる、よな」
ユウキは、棚の前で立ち止まった。
札には確かにそう書いてある。
――閉鎖案件・処理済。
なのに、棚の奥が暗い。
ユウキは手袋をはめ、奥へ一歩踏み込んだ。足元で、紙が擦れる音がする。視線を落とすと、封も切られていない書類束が落ちていた。
「……あれ?」
ミーナが後ろから覗き込む。
「記録だと、ここは空のはずよ」
ユウキは書類を拾い上げた。重い。紙の重さだけじゃない。
《なんか使えそう判定》
反応は、曖昧だった。
いつもの「拾え」という感じがしない。
「……これ、ゴミじゃないな」
「でも保管物でもない」
ミーナが言う。「番号が途中で切れてる」
さらに奥へ進むと、似たような束がいくつも出てきた。どれも分類されていない。破棄も保管もされていない。ただ、置き去りだ。
ガルドが腕を組む。
「片付け忘れってやつか?」
「違う」
ユウキは首を振った。「忘れてるなら、もっと雑になる」
棚は整っている。床も掃除されている。
なのに、問題だけが残っている。
ミナが、床に落ちた札を拾った。
「……しょり……ずみ……」
「処理はしたんだろうな」
ユウキは言った。「少なくとも、そういうことになってる」
ユウキは一瞬、いつもの癖でスキルを使おうとした。拾えば終わる。まとめて回収して、再分類して、きれいにすればいい。
でも、手が止まった。
これはゴミじゃない。
そして――拾ったら、何かが消える。
「……今日は、拾わない」
ミーナが、少しだけ驚いた顔をする。
「珍しいわね」
「処理と回収は、別だ」
ユウキはそう言って、書類を元の場所に戻した。
倉庫を出ると、管理局の職員が待っていた。
「何か問題は?」
「ええ」
ユウキは即答した。「でも、ここで片付ける話じゃない」
職員は一瞬、困った顔をする。
「ですが……書類上は、もう――」
「知ってます」
ユウキは遮った。「処理済みですよね」
その言葉に、職員は何も言えなくなった。
倉庫の扉が閉まる。
中に残ったのは、整った棚と、拾われなかった問題だけ。
ユウキは歩き出す。
今日は、掃除が進まなかった。
それなのに――
胸の奥に、嫌な感触が残っていた。
管理局の執務室は、倉庫とは対照的に騒がしかった。紙の擦れる音、羽ペンの走る音、魔導端末の低い駆動音。人は多く、仕事も動いている。
だが、その中心にある机の上は、妙にきれいだった。
「ユウキ君の報告は受け取った」
中級管理官が、記録板から目を離さずに言う。「ただ、倉庫の件は問題ないはずだ」
「問題はありましたよ」
ユウキは立ったまま答える。
「書類上では、な」
管理官は淡々と続ける。「閉鎖案件は精算済み。担当部署も解散している。責任の所在も、すでに――」
言葉が、少し詰まった。
「……整理されている」
ミーナが一歩前に出る。
「整理されている、というのは“解決した”とは違います」
「だが制度上は同義だ」
管理官は顔を上げ、初めてユウキを見る。「解決できない問題は、存在しない扱いになる」
ユウキは、その言葉を反芻した。
「存在しない、ですか」
「そうだ。でなければ、管理が破綻する」
理屈としては正しい。
だからこそ、厄介だった。
「じゃあ」
ユウキは静かに言う。「あの倉庫に残ってた書類は、何です?」
管理官は一瞬、言葉に詰まる。
「……過去の過程だ。結果が出た以上、意味はない」
「結果は出てません」
ユウキは首を振る。「誰も引き取ってない。誰も責任を取ってない。ただ、終わったことにしてるだけだ」
管理官は眉をひそめた。
「君は現場の人間だな」
「ええ」
「だから全体が見えない」
管理官はそう結論づけた。「我々は“残せない問題”を処理する必要がある」
ミナが、ユウキの後ろで小さく呟く。
「……のこせない……」
管理官は気づかない。
「拾えばいい、という話ではない」
管理官は続ける。「君のスキルなら可能だろう。だが、それは制度を甘やかす」
その言葉に、ユウキの指が僅かに動いた。
「甘やかす?」
「そうだ」
管理官ははっきり言った。「君が拾えば、次も拾うことを前提に動く者が出る」
その瞬間、ユウキははっきり理解した。
――だから、残っていたのだ。
拾われることを前提に、
問題を“置いておく”仕組みが、すでにできている。
「……なるほど」
ユウキは頷いた。
「だから、今日は拾わなかった」
管理官は一瞬、言葉を失う。
「それは……非効率だ」
「ええ」
ユウキは認めた。「でも、効率のいい嘘は、あとで高くつきます」
部屋の空気が、少しだけ冷えた。
管理官は、しばらく黙り込んだあと、記録板を閉じる。
「この件は、保留にする」
それは妥協ではない。
先送りだ。
ユウキはそれ以上、何も言わなかった。
部屋を出るとき、ミーナが小声で言う。
「嫌われたわね」
「たぶん」
ユウキは答える。「でも、前からだと思います」
廊下を歩きながら、ユウキは一つだけ確信していた。
問題は、もう“ゴミ”ではない。
拾うかどうかを選ばされる段階に来ている。
その夜、ユウキは宿の一室で装備の手入れをしていた。
特別な戦闘もなく、汚れも少ない。それでも、手を動かしていないと落ち着かなかった。
テーブルの端に、昼間はなかった紙片が置かれている。
「……?」
拾い上げると、ただの白紙だった。
文字はない。印もない。だが、紙質が妙に古い。
《なんか使えそう判定》
反応は、出なかった。
その瞬間、部屋の空気が変わる。
冷えるわけでも、圧がかかるわけでもない。ただ、誰かが“記録を止めた”感触があった。
「今日は拾わなかったな」
声は背後ではない。
壁からでも、天井からでもない。
最初から、そこにあったみたいな声だった。
「……そうだな」
ユウキは振り向かない。
相手が誰かは、もう分かっていた。
「正しい判断だ」
声は淡々としている。「処理済みの問題を回収すると、履歴が壊れる」
「履歴は、もう壊れてる」
ユウキは答えた。「だから残ってた」
少し、間があった。
「理解が早い」
声は評価でも警戒でもなく、ただ事実として言った。「君は、回収者向きではない」
「そうだろうな」
ユウキは肩をすくめる。「俺は、拾えるものしか拾わない」
「違う」
声は即座に否定した。「君は、“拾っていいもの”を選んでいる」
紙片の端が、わずかに揺れた。
風はない。
「今日は、それを拒否した」
声は続ける。「だから記録されない」
「……それ、褒めてる?」
「警告だ」
ユウキはようやく振り向いた。
そこには、誰もいない。
「次は?」
ユウキは問いかける。
少しだけ、空気が重くなる。
「次は、拾わないことで誰かが困る案件だ」
声は静かに言った。「管理局では処理できない。だが、放置もできない」
「ゴミじゃないな」
「ゴミではない」
紙片に、わずかに文字が浮かぶ。
すぐに消えたが、ユウキには読めた。
――保留中:未分類/期限未設定
「期限は?」
「まだだ」
声は言った。「だが、近い」
気配が薄れていく。
「名乗らないのか?」
ユウキが聞く。
一拍置いて、声が返る。
「今は不要だ」
「名は、判断のあとでいい」
次の瞬間、部屋はいつも通りだった。
紙片も、ただの白紙に戻っている。
ユウキはそれを折り、ポケットにしまった。
「……拾わない判断も、仕事か」
誰に言うでもなく呟く。
その夜、ユウキは珍しく夢を見なかった。
代わりに、朝起きたとき、はっきり分かっていた。
次の案件は、拾うかどうかで終わらない。




