拾う者の歩き方
山に入ると、空気がさらに重くなった。
鉱石の匂い、獣の匂い、そして――古い魔力の残滓。
「ここから先は、ドワーフの古坑道だ」
ブラムが言う。「今はもう使われていない。だが……」
「だが?」
レオルが聞く。
「“残りやすい”」
ユウキが代わりに答えた。「人も、物も、感情も」
ミーナが小さく苦笑する。
「ほんとに、そういうところだけ勘がいいわね」
ユウキは返さず、足元にしゃがみ込んだ。石屑、折れた木片、錆びた金具。どれも価値がなさそうに見える。
「……《なんか使えそう判定》」
ユウキが呟くと、視界の端に淡い反応が走る。
だが今回は“回収”されない。
「拾わないの?」
ガルドが首をかしげる。
「今は違う」
ユウキは立ち上がる。「これらは“残ってる”だけだ。失われてない」
シェルザが、その様子を静かに観察していた。
「……拾わぬ判断も、仕事か」
「ええ」
ユウキは頷く。「拾うと、壊れるものもありますから」
坑道の奥へ進むにつれ、壁に古い刻印が現れ始めた。ドワーフ文字と、ワーウルフの爪痕が重なった、不揃いな印。
「ここだ」
ブラムが足を止める。「誓いを交わしたのは、この先」
だが、坑道は途中で崩れていた。岩と土砂が積み重なり、通路を塞いでいる。
「迂回路は?」
ミーナが聞く。
「ない」
ブラムは首を振る。「だから放置された」
ユウキは少し考え、背中の袋を下ろした。
「じゃあ、掃除しますか」
「掃除……?」
レオルが聞き返す。
次の瞬間、ユウキは手袋をはめ、地面に手をついた。
《零価再定義》
《対象:崩落瓦礫》
《分類:廃棄物 → 通行障害》
瓦礫が、ゆっくりと“意味を変える”。
ただの岩だったものが、“片付ける対象”として再定義され、重さが抜けていく。
「おい……軽いぞ!?」
ガルドが驚く。
「片付ける前提なら、持てないと困るでしょう」
ユウキは淡々と言い、瓦礫を一つずつ退かしていく。
そのとき、ミナが立ち止まった。
「……ここ……」
小さな指が、岩陰を指す。
誰も気づかなかった場所。だが、そこだけ空気が違った。
ユウキの視界に、はっきりと反応が走る。
《冥途回収》
《対象:未返却の誓い》
ユウキは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありましたよ」
それは、宝石でも武器でもない。
欠けた金属片。古く、鈍く、しかし確かに“残っていた”もの。
誓紋の欠片だった。
ユウキの掌の上で、誓紋の欠片は微かに熱を帯びていた。金属とも石ともつかない質感。だが、触れた瞬間に“情報”が流れ込んでくる。
「……これ、記録媒体ですね」
ミーナが静かに言う。「魔法的な意味で」
ユウキは頷き、誓紋を地面にそっと置いた。
「拾っただけじゃ終わらない。これは……再生するタイプだ」
《路傍の神託》
《対象:誓紋の欠片》
《状態:長期未参照》
淡い光が広がり、坑道の壁に影が映し出される。過去の光景だ。誰かの記憶ではない。“約束そのもの”の記録。
そこにいたのは、若き日のドワーフたちと、まだ今ほど鋭くない目をしたワーウルフの戦士たち。そして、その背後に巨大な影――ドラゴン。
「山は、共有する」
ドワーフの代表が言う。「掘り尽くさぬことを誓う」
「境界は、固定しない」
ワーウルフの代表が続く。「季節と流れに応じて譲る」
ブラムの顔が、歪んだ。
「……そんな条文、残っていない」
「残さなかった」
シェルザが低く言う。「だが、誓った」
映像はさらに続く。ドラゴンが、最後に一つ付け加える。
「争いが起きたときは、互いに武器を取る前に“探せ”」
「失った理由を。忘れた原因を。奪われたのが何だったのかを」
光が消え、坑道に静寂が戻る。
「……戦う前に、拾え」
ユウキが小さく呟く。「そういう約束だったわけだ」
ガルドが頭を掻く。
「面倒くせぇが……筋は通ってるな」
ブラムは、しばらく誓紋を見つめてから、重く口を開いた。
「我らは、掘りすぎた。記録を信じ、記録にないものを切り捨てた」
シェルザもまた、一歩前に出る。
「我らは、怒りを育てすぎた。話す前に、牙を向けるほどにな」
二つの視線が交わる。だが、まだ完全には重ならない。
「返すべきだな」
ブラムが言う。「だが……どちらに?」
ユウキは首を振った。
「どちらにも違う」
全員がユウキを見る。
「これは、持つものじゃない」
ユウキは静かに言った。「思い出すためのものだ。だから――」
誓紋を、地面に置く。坑道の中央、両者の間に。
「ここに置きましょう。奪えば、また同じことになる」
沈黙ののち、シェルザがゆっくりと頷いた。
「……拾う者らしい判断だ」
その瞬間、坑道全体が微かに震えた。上空から、重く、懐かしい気配が降りてくる。
「ほう……」
低い声が、空気を揺らす。「正解に近い」
岩の隙間から、金色の光が差し込む。ドラゴンが、再び彼らを見下ろしていた。
誓紋を地面に置いた瞬間、坑道に差し込む金色の光が強まった。岩肌に映る影が、ゆっくりと輪郭を結ぶ。巨大な頭部、静かに揺れる角、長い時間を経た鱗。
「……ほう」
ドラゴンは低く声を漏らした。その視線は、ユウキではなく、地面に置かれた誓紋に注がれている。
「まだ、動くか。これが」
誓紋の欠片が、わずかに震えた。表面に刻まれていた文様が、今まで見えなかった細部を浮かび上がらせる。摩耗で消えたと思われていた文字。だがそれは消えていなかった。ただ、呼ばれていなかっただけだ。
ミナが、はっと息を呑む。
「……なまえ……」
ユウキも気づいた。
誓いの条文ではない。契約条件でもない。最後に、小さく刻まれた一行。
――旅の終わりに、我らは名を呼び合う。
その下に、拙い文字で刻まれた名前。
ドラゴンの瞳が、大きく見開かれた。
「……これは……」
声が、わずかに揺れた。
「なぜ……この名が、ここに……」
シェルザもブラムも、言葉を失っていた。彼らは知らない。だがユウキは、直感的に理解した。これは“裁定者の名”ではない。
かつて、ただの旅人だった頃の名だ。
ドラゴンは、ゆっくりと誓紋に顔を近づける。巨大な存在が、まるで壊れ物を扱うように慎重に。
「……思い出した」
長い沈黙の後、そう言った。
「我がまだ小さく、空を飛べず、山にも縛られていなかった頃……共に旅した者がいた」
低く、遠い声。
「人間だ。小さきもの。剣も魔法も未熟で、だが……よく拾う者だった」
ユウキの胸が、微かにざわつく。
「壊れた靴、折れた道具、誰かの後悔……それらを“無駄にするな”と言ってな」
ドラゴンは、ゆっくりと息を吐いた。
「名を呼ばれるのは……何千年ぶりだ」
誓紋が、静かに光を収める。
「この約束を、我が忘れていたのだな」
ドラゴンは続けた。「いや……忘れたふりをしていた」
その視線が、ドワーフとワーウルフの双方に向く。
「ならば裁定を下そう」
空気が張り詰める。
「誓いは、有効だ。争いは、ここで終わりとする」
「ただし――」
ドラゴンはユウキを見る。
「拾ったのは、お前だ。ゆえに、我は“命令”ではなく“頼み”を言う」
ユウキは肩をすくめた。
「だいたい予想はついてます」
「この誓紋を、王都へ運べ」
ドラゴンは言った。「ドワーフの代表と、ワーウルフの代表を乗せてな」
シェルザとブラムが同時に目を見開く。
「逃げ場は与えぬ」
ドラゴンは淡々と続ける。「空の上で、誓いをもう一度“声に出して”確認してもらう」
そして、わずかに口角を上げた。
「……久しぶりに、背に誰かを乗せるのも悪くない」
ユウキは小さく笑った。
「じゃあ、送迎付きの依頼ってことで」
ドラゴンは、低く笑った。
「やはり、似ているな。あの拾う者に」
誓紋は、もうただの欠片ではなかった。
それは――思い出された名前と共に、再び“約束”になった。




