引き受けるということ
ノアは、窓辺に座っていた。
朝の光が、薄く部屋に差し込んでいる。
以前なら、ただの朝だった。
だが今は、期限内の朝だ。
「今日は、いい天気ですね」
ノアはそう言って、外を見た。
声に抑揚がある。
言葉の選び方も、以前より少しだけ迷っている。
“戻りかけている”兆候だ。
「……眠れたか?」
「はい」
ノアは頷く。「夢も見ました」
ユウキは、それ以上聞かなかった。
夢の内容を聞けば、
《残滓No.01》が反応する可能性がある。
今は、静かに保たせる必要があった。
「管理局から、連絡は?」
「来ました」
ノアはあっさり言う。「“最終確認”だそうです」
その言葉に、期限の匂いが混じる。
部屋の空気が、わずかに揺れた。
ユウキは、インベントリを開く。
《世界から捨てられた手》
その下に、新しい警告が表示されている。
適用対象:役割未割当市民
処理方式:保留(人格)
条件:管理者指定必須
管理者――
つまり、責任者。
指名できるのは、一名だけ。
「……俺しかいないよな」
呟くと、背後で足音がした。
「確認に来ました」
カルディアだ。
今日は一人ではない。
第三の回収者も、同席している。
部屋が、一段階静かになる。
「ノア・ケース、最終フェーズに入る」
カルディアが告げる。
「第四の選択肢を適用する場合、
管理者登録を即時に行う必要がある」
「登録したら?」
「期限は対象から移る」
第三の回収者が淡々と補足する。「君へ」
「俺に何が起きる?」
「未確定状態の共有」
「処理不能リスクの累積」
「最悪の場合、強制是正」
要するに――
ユウキが“対象”になる。
「……聞いていいですか」
ノアが、初めて割って入った。
三人の視線が向く。
「それ、僕は知ってていい話ですか?」
ユウキは、少し考えてから答えた。
「本当は、知らない方がいい」
「でも?」
「でも、もう“知らない側”じゃないだろ」
ノアは、少し笑った。
「そうですね」
彼は、深く息を吸う。
「もし……僕が消えるより、
あなたが重くなるなら」
そこで言葉を切った。
「それでも、やりますか?」
部屋が静まり返る。
第三の回収者は、何も言わない。
カルディアも、口を挟まない。
選択は、ユウキだけのものだ。
ユウキは、ノアを見た。
消えかけていた輪郭。
戻り始めた感情。
そして、自分のインベントリ。
保留。
中断。
引き受け。
「……ゴミ拾いってさ」
ユウキは、ゆっくり言った。
「捨てるか、拾うか、
ずっと二択だと思ってた」
インベントリのカーソルが、
管理者指定の欄で止まる。
「でも今は、三つ目がある」
引き受ける。
それは、軽くしない選択だ。
ただ、
消させない選択。
ユウキは、指を伸ばした。
ユウキは、指を押した。
《世界から捨てられた手》の表示が、即座に切り替わる。
管理者指定:ユウキ
対象:役割未割当市民
処理方式:保留(人格)
一拍。
登録確認中
その瞬間、空気が沈んだ。
重力が増したわけじゃない。
音が消えたわけでもない。
ただ、世界が――
一段、慎重になった。
ノアが、小さく息を呑む。
「……寒く、ない」
それは報告だった。
以前なら、処理直前に起きていた兆候だ。
感覚が薄れる前触れ。
だが今回は、逆だ。
手の震えが止まり、
呼吸が、一定になる。
《残滓No.01》が、はっきり反応した。
共鳴:安定
共有率:上昇
ユウキの胸に、
知らない重さが落ちてくる。
工房の匂い。
直らない時計。
失敗した時の苛立ち。
それらが、ノアの感情と重なって流れ込む。
「……っ」
膝に力が入らない。
すぐ横で、ミーナが支えた。
「来たわね」
「ああ」
カルディアが、端末を操作する。
「観測値、急変……だが暴走なし」
第三の回収者が、静かに告げた。
「人格保留、成立」
それは、初の成功例だった。
「期限は?」
ユウキが息を整えながら聞く。
「対象ノアの期限は、停止」
第三の回収者は続ける。「代替期限を設定」
表示が、切り替わる。
管理者期限:ユウキ
残り時間:未定(動的)
「……未定?」
「君の状態に依存する」
淡々とした声。「限界を超えれば、是正が入る」
カルディアが、視線を上げた。
「理解しているな」
「ああ」
「君が壊れれば、ノアも戻る」
「分かってる」
それでも、
後悔はなかった。
ノアが、恐る恐る立ち上がる。
「……僕、今」
彼は胸に手を当てる。
「ちゃんと、ここにいます」
それだけで、十分だった。
その瞬間、
ユウキのインベントリに新しい表示が追加された。
管理中案件:人格保留01
負荷:低→中(変動)
“低”は、もう存在しない。
マルタが、静かに言った。
「おめでとう、とは言えないわね」
「だな」
「でも」
彼女は微笑んだ。
「ゴミ拾いとしては、正しいわ」
拾って、
捨てず、
完成させず、
持ち続ける。
第三の回収者が、一歩下がる。
「本案件は、前例として登録する」
それは宣言だった。
「だが覚えておけ」
ユウキを見る。
「君が倒れた瞬間、
この選択肢は“失敗”として記録される」
「……望むところだ」
第三の回収者は、初めて一瞬だけ黙った。
そして、消える。
部屋に残ったのは、
生きているノアと、
重くなったユウキ。
どちらも、まだ“途中”だ。
変化は、その日の夕方だった。
ユウキは、清掃用具を片付けていた。
いつもの動作。
いつもの倉庫。
――なのに。
「……あれ?」
手が、止まった。
バケツを持ち上げるだけで、
腕に妙な疲労が走る。
筋肉の疲れじゃない。
呼吸も乱れていない。
なのに、重い。
《世界から捨てられた手》が、警告を出す。
管理者負荷:上昇
要因:共鳴維持/人格保留
「もう来たか」
ユウキは苦笑した。
早すぎる、というほどではない。
むしろ――想定通り。
外に出ると、レオルが駆け寄ってきた。
「ユウキ! 大丈夫ですか?」
「顔に出てる?」
「はい。いつもの半分くらい元気ない」
「的確だな」
ミーナが、端末を見ながら言う。
「管理局、ざわついてるわよ」
「そりゃそうだろ」
「“人格保留”が成立したせいで、
未確定物の扱い基準が揺らいだ」
つまり――
真似される可能性が出た。
「危険思想扱いね」
「だろうな」
屋上に上がると、ノアがいた。
風に当たりながら、街を見下ろしている。
「……少し、分かるようになりました」
ノアが言う。
「何が?」
「あなたが、重くなる理由」
ユウキは答えなかった。
代わりに、隣に立つ。
「僕の中に、まだ“途中”がある」
ノアは続ける。「それを、あなたが支えてる」
「支えてるってほどでもない」
「いえ」
ノアははっきり言った。
「完成させないでくれてる」
その言葉に、ユウキは目を伏せた。
遠くで、管理局の塔が夕焼けに染まる。
その最上層で、カルディアは報告を受けていた。
「管理者ユウキ、初期負荷確認」
「人格保留案件、安定」
「是正判断、保留」
カルディアは、短く息を吐く。
「……厄介な前例だ」
第三の回収者が、淡々と応じる。
「だが、有効」
「有効であっては困る」
「世界は、困ることを許容する」
カルディアは黙り込んだ。
彼には分かっている。
この選択肢は、
広まれば秩序を変える。
だが同時に――
維持できる者が、ほとんどいない。
倉庫に戻ったユウキは、椅子に座り込んだ。
息を整え、インベントリを開く。
管理中案件:人格保留01
状態:安定
管理者負荷:中→上昇傾向
まだ耐えられる。
だが、永遠ではない。
「……ゴミ拾いも、楽じゃなくなったな」
それでも、やめる気はなかった。
途中で止める。
完成させない。
消させない。
その代わり、
自分が重くなる。
それが、この仕事の正体だ。
ノアは生きている。
ユウキは、まだ立っている。
それでいい。
今は。




