ギルドがなくなった日の、その後
冒険者ギルドの建物は、まだそこにあった。
看板は外され、受付カウンターは布で覆われ、掲示板には何も貼られていない。
「……静かになったわねぇ」
マルタは掃除用の布を絞りながら、ぽつりと言った。
いつもなら朝から騒がしかったホールは、今は自分の足音だけが響く。
「人がいないギルドって、こんなに広かったんですね」
リィナは書類棚の整理をしながら答えた。
残されたのは、冒険者名簿、未処理依頼、そして大量の“途中で終わった記録”。
「広いし、寒いし……なんだか落ち着かないわ」
「でも、仕事は減りましたよ」
「そうねぇ」
マルタは苦笑した。「クレームも、無茶な依頼も、責任押し付けも、全部なくなった」
代わりに増えたのは、事務的な後処理だけだ。
「管理局の人、また来てましたね」
「ええ。書類の山だけ残して」
「役所ですね……」
二人は顔を見合わせて、少し笑った。
しばらくして、リィナが小さく口を開く。
「……ユウキさん、大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ」
マルタは即答した。「あの子、心配されるの苦手だもの」
「でも、冒険者じゃなくなって……」
「最初から、冒険者らしくなかったじゃない」
マルタは布を置き、腕を組む。「拾って、直して、誰にも怒られずに帰ってくる。あれ、冒険じゃなくて生活よ」
リィナは少し考えてから、頷いた。
「確かに……」
受付の奥、使われなくなった机の引き出しから、リィナは小さな袋を取り出した。
「これ、前にユウキさんが落としていったんです」
「何かしら?」
「飴です。……多分、マルタさんの」
「やだ、あの子ったら」
マルタは袋を受け取り、くすっと笑った。
「拾うもの、間違ってないわね」
その時、外から声がした。
「すみませーん、ここ、もう使ってないんですか?」
振り返ると、若い冒険者崩れが二人、困った顔で立っている。
「依頼板、なくなったって聞いて……」
マルタは一瞬だけ迷い、それから穏やかに言った。
「もう冒険者の仕事は扱ってないの。でも――」
リィナが静かに続ける。
「管理局の窓口なら、別の仕事があります。危なくないとは言いませんが、ちゃんと帰れます」
若者たちは顔を見合わせ、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
二人が去った後、マルタは息を吐いた。
「世界、ちゃんと回ってるわね」
「ええ」
リィナは書類棚を見渡す。「形は変わりましたけど」
マルタは袋から飴を一つ取り出し、口に入れた。
「それに、あの子が拾ってる限り、大丈夫よ」
リィナは小さく笑った。
「ええ。きっと、また面倒なものを拾ってきます」
ギルドはなくなった。
でも、人は困るし、仕事は残る。
だから今日も、二人はここにいる。
管理外区画の入口に、封印札が一枚だけ貼られていた。
新しい。だが、管理局の様式ではない。
「……これ、誰の仕事?」
レオルが札を指さす。
「管理局じゃないわね」
ミーナは一目で否定した。「規格が違う」
「冒険者でもねぇな」
ガルドが鼻を鳴らす。「字が丁寧すぎる」
ユウキは黙って札を外した。
視界に、反応は出ない。
【拾得物最適化指令:沈黙】
【回収対象なし】
「……やっぱり、反応しない」
「前と同じ?」
「うん。何も“拾うな”って言われてる感じ」
中は、整っていた。
通路は片付けられ、罠は解体され、危険物は影も形もない。掃除の質が高すぎる。
「清掃、完璧じゃない?」
ミーナが呟く。
「しかも、余計なものまで持ってってない」
ユウキは床の擦れ跡を見た。「必要なものだけ、正確に」
奥の小部屋。
そこには、空の台座があった。周囲に、何かが置かれていた痕跡だけが残る。
【零価再定義:未反応】
【未割当物件:検出不可】
「……持ってかれたな」
ガルドが言う。
「しかも、世界に痕跡を残さずに」
ミーナが続ける。
ユウキは、インベントリの奥を意識した。
金属箱は、静かなままだ。
「俺と違う」
ユウキは言った。「拾った“あと”を消してる」
「できるの?」
レオルが不安そうに聞く。
「できる。……やり方を知ってれば」
その瞬間、壁際に落ちていた紙片が、風もないのに転がった。
【路傍の神託:断片】
――回収完了。記録は残すな。
ユウキは紙片を拾い、苦笑した。
「……メモを落とすなよ」
「ギャグにするところ?」
ミーナが半目になる。
「する。しないと、気分が重くなる」
出口へ戻る途中、レオルが小さく言った。
「その人……敵ですか?」
「分からない」
ユウキは正直に答えた。「少なくとも、雑じゃない」
「褒めてない?」
「評価はしてる」
外に出ると、札が一枚、追加で貼られていた。
同じ字だ。だが今度は短い。
――次は、触るな。
「……忠告?」
ガルドが眉をひそめる。
「警告ね」
ミーナが即答する。
ユウキは札を見て、肩をすくめた。
「了解。じゃあ――正直に書く」
誰も止めなかった。
第三の回収者は、確かに存在する。
そして、ユウキのことを知っている。
それだけで、十分に面倒だった。
報告室の空気は、いつもより重かった。
ユウキが差し出した書類を、エルディン=クロウは黙って読み進めている。
ページをめくる音だけが、規則正しく響いた。
「……封印札、非公式。清掃痕跡あり。回収対象、検出不可」
エルディンは淡々と読み上げ、最後の一文で止まった。
「――“次は、触るな”」
顔を上げる。
「この文言を、そのまま書いたのは君か?」
「はい」
ユウキは即答した。「そのまま書かないと、後で面倒になるので」
「正しい判断だ」
それだけ言って、エルディンは書類を閉じた。
「……怒られないんですか?」
レオルが恐る恐る聞く。
「怒る理由がない」
エルディンは淡々と答える。「これは“命令”ではない。“意思表示”だ」
「意思表示?」
ミーナが眉をひそめる。
「そうだ。相手は、君たちを排除していない。ただし、干渉も望んでいない」
「じゃあ敵じゃない?」
ガルドが聞く。
「敵かどうかは未確定だ」
エルディンは即答する。「だが、管理局としては――」
彼は一瞬だけ言葉を切った。
「関与できない案件と判断する」
部屋が静まり返った。
「放置、ですか?」
ユウキが聞く。
「監視だ」
エルディンは訂正した。「記録は取る。だが、介入はしない」
「それ、現場に丸投げじゃないですか」
「役所の仕事は、線を引くことだ」
エルディンは感情なく言った。「この件は、線の外だ」
ユウキは少し考えてから、頷いた。
「分かりました。じゃあ――拾わない」
「それでいい」
だが、エルディンは続けた。
「ただし、一点だけ」
「何です?」
「相手が“触るな”と言ったのは、管理局に対してではない」
ユウキは目を細めた。
「……俺に、ですか」
「そうだ」
エルディンは初めて、はっきりとした調子で言った。
「第三の回収者は、君を同類と認識している」
レオルが息を飲む。
ミーナは黙ったまま、書類の端を押さえた。
「同類って、光栄なのか嫌なのか分からないなぁ」
「光栄ではない」
エルディンは否定する。「警戒対象だ」
ユウキは苦笑した。
「……世界のゴミ拾い、思ったより狭い世界ですね」
「狭いからこそ、目立つ」
エルディンは視線を落とす。「君は、すでに目立っている」
話はそれで終わった。
管理局を出た後、誰もすぐには口を開かなかった。
「……拾わない、で済むと思います?」
レオルが小さく聞く。
「済まないわね」
ミーナが即答する。
「向こうから来る可能性もある」
ガルドが腕を組む。
ユウキは空を見上げ、肩をすくめた。
「まぁ、その時はその時だよ」
インベントリの奥で、金属箱は相変わらず沈黙している。
だが――
沈黙していること自体が、今は一番の異常だった。




