掃除は途中で止められない
未公開区画の空気は、少しだけ変わっていた。
「……今日は、ここまでにしときますか」
ユウキがそう言うと、レオルが驚いたように振り向く。
「え、まだ奥がありますよね?」
「あります」
ユウキは頷いた。
「でも、これ以上は“掃除”じゃなくなりそうなので」
ミーナが、黒い箱と棚を交互に見て小さく息を吐く。
「賢明ね。これ以上触ったら、仕事じゃ済まなくなる」
「俺は別に、仕事が増えても――」
「増え方の問題よ」
即座に遮られる。
ガルドは腕を組み、奥の暗闇を睨んでいた。
「……気配、重くなってるな」
「はい」
ユウキはゴミ袋の口を結び、箱と証拠類をまとめて一か所に寄せる。
「仮置き、完了です」
「“仮置き”って言葉、ここで使っていい?」
「掃除用語なので」
ミーナはもう突っ込むのを諦めた。
その時、遠くで小さな振動が伝わってきた。
ドン、という鈍い音。
レオルが顔を上げる。
「……誰か、来てません?」
「来てますね」
ユウキは落ち着いた声で答えた。
「多分、複数」
ガルドが苦笑する。
「噂、回るの早えな」
「未公開区画ですから」
ユウキは淡々と言った。
「誰かが“困る”場所です」
ミーナは目を細める。
「つまり、困る人が来る」
「はい」
しばらくして、足音がはっきりと聞こえ始めた。
統一されていない靴音。
慣れていない足運び。
そして、やけに焦った声。
「……ギルドですね」
ミーナが断言する。
「理由は?」
「こういう時、必ず一番遅くて一番うるさいから」
レオルが不安そうに剣を握る。
「どうします?」
ユウキは少し考え、それから答えた。
「掃除は、途中で止められません」
「……つまり?」
「見られても困らないように、整えておきましょう」
そう言って、床に落ちていた封印札を揃え始める。
「え、今から?」
「今からです」
ガルドが吹き出した。
「来る側が焦って、こっちが整理してるの、逆だろ」
「散らかってると、誤解されますから」
「何をどう誤解するんだ……」
だが全員、手を動かし始めていた。
数分後。
通路の奥に、灯りが揺れる。
聞き慣れた、そして聞きたくなかった声が響いた。
「な、なんだここは……!」
ユウキは顔を上げ、軽く会釈した。
「お疲れさまです」
ギルド職員たちが、言葉を失う。
整然と並べられた“ゴミ”。
分類された危険物。
そして、清掃用具を持ったユウキたち。
沈黙の中、誰かが震える声で言った。
「……なぜ、ここにいる」
ユウキは、いつも通り答えた。
「掃除です」
その一言で、
ギルド側の“予定”が音を立てて崩れ始めた。
未公開区画の奥で、空気が完全に止まった。
ギルド職員は四人。
全員が中堅以上で、顔には「場数を踏んできた自負」と「想定外に来てしまった焦り」が同時に浮かんでいる。
「……誰が、ここに入れと言った」
最初に口を開いた男は、声を低く抑えていた。
ユウキは、封印札を揃えながら顔を上げる。
「誰にも言われてません」
「は?」
「未公開区画なので、依頼も指示もありませんでした」
その場にいた全員が、一斉に嫌な予感を覚えた。
「だが、立入禁止だぞ」
「はい。自己責任と書いてありました」
男は一瞬言葉に詰まり、すぐに言い直す。
「そ、それは一般冒険者向けの話だ!」
「俺、冒険者扱いじゃないので」
即答だった。
ミーナが小さく咳払いをする。
「清掃補助は、冒険者登録外。ギルド規約どおりよ」
職員の一人が慌てて口を挟む。
「い、いや! 問題はそこじゃない!」
彼は、棚に並んだ箱や記録水晶を指さした。
「それらを、勝手に回収したのか!?」
「拾いました」
「回収と言え!」
「拾いました」
言い換える余地がなかった。
ガルドが腕を組み、低い声で言う。
「なあ、それ“管理物資”か?」
職員は一瞬、視線を逸らした。
「……管理予定だった」
「“だった”な」
レオルが思わず呟く。
男は話題を変えるように咳払いをする。
「よし、確認しよう。君たちは――」
ユウキを見る。
「この物品が“危険”だと理解していたか?」
「はい」
「では、なぜ触った?」
「危険だったので」
「……?」
「放置されてたので、掃除しました」
沈黙。
職員の一人が、声を荒げた。
「つまり! 君は危険物だと分かっていて、独断で扱ったと言っている!」
ユウキは少し考えた。
「独断ではないです」
「ほう?」
「清掃の判断です」
その瞬間、ミーナが小さく息を吸った。
「その言い方、やめなさい」
「なぜです?」
「今の発言、完全に地雷だから」
だが遅かった。
男は、勝ち誇ったように口角を上げる。
「聞いたな? 危険物を独断で――」
「ちょっと待て」
ガルドが前に出た。
「独断って、誰の指示が必要なんだ?」
「それは……ギルドだ!」
「管理してたのか?」
職員は、言葉に詰まる。
「……していた、と言える」
「じゃあ記録は?」
「それは――」
レオルが、棚の前に立つ。
「ここにある記録水晶、全部未登録ですよ」
職員たちの顔色が、一段階白くなる。
ミーナが淡々と追撃する。
「管理していた物が、未公開区画に放置。記録なし。封印不完全」
肩をすくめた。
「どこからどう見ても、不法投棄よ」
完全に、逃げ道が塞がった。
男は、声を絞り出す。
「……これは、確認のためだ」
「確認、終わりました?」
ユウキが聞く。
「……まだだ」
「じゃあ」
ユウキは、ゴミ袋を持ち直した。
「掃除、続けますね」
職員の一人が、思わず叫んだ。
「待て! それ以上触るな!」
ユウキは、きょとんとした。
「でも、散らかってます」
その一言で、ギルド側の最後の余裕が砕け散った。
彼らは理解した。
ここで何を言っても、言質を取られるのは自分たちだと。
そしてこの瞬間、
ギルドが「存在しないことにした未公開区画」は、
完全に“現場”になった。
しばらくの沈黙のあと、ギルド職員の一人が一歩前に出た。
「……分かった」
声は低く、無理に落ち着こうとしている。
「その物品は、こちらで引き取る」
ミーナが即座に反応した。
「触らない方がいいわよ」
「こちらは専門だ」
「記録も管理もない専門?」
軽く鼻で笑われる。
職員は聞こえなかったふりをして、黒い箱に手を伸ばした。
「封印は――」
「待て!」
レオルが思わず声を上げる。
「それ、不完全で――」
遅かった。
箱に触れた瞬間、空気が歪んだ。
低い唸り声のような振動が、区画全体を揺らす。
「な、なんだこれは!」
職員が手を離そうとするが、箱が離れない。
「だから言ったのに……」
ミーナが額を押さえる。
ユウキは、静かに一歩前へ出た。
「それ、掃除前の状態に戻ってます」
「は?」
「触ったことで、散らかりました」
次の瞬間、箱の封印が一段階だけ剥がれた。
魔力が噴き出す。
「うわっ――!」
だが、暴走はそこで止まった。
ユウキが、清掃用の盾を箱の前に差し込んでいた。
《清掃者権限・改》
盾に刻まれた紋様が淡く光り、暴れかけた魔力を押し戻す。
ガルドが、唖然とした声を出す。
「……止めた?」
「一時的にです」
ユウキは答えた。
「掃除が終わるまでは」
職員は、完全に腰を抜かしていた。
「な、なぜ……」
「散らかってたので」
ミーナが冷静に言う。
「今の一件、全部見たわね」
彼女は、壁に残った魔力痕を指さす。
「不用意接触、封印破損、危険区域での事故」
「……!」
「完全に、管理責任案件よ」
レオルが小さく付け足す。
「しかも、目撃者多数です」
職員たちは、言葉を失った。
ガルドが腕を組み、ため息をつく。
「で、どうする?」
ユウキは、ゴミ袋を閉じ直す。
「掃除は中断します」
「え?」
「これ以上は、清掃補助の範囲を超えます」
静かに言った。
「なので、ここから先は――」
少し考えてから、続ける。
「状況確認が必要です」
その言葉に、職員の顔色が変わった。
それは、
王都が使う言葉だった。
「報告は?」
「俺はしません」
ユウキは即答した。
「俺、関係者じゃないので」
ミーナが頷く。
「でも、現場は残る」
レオルが視線を職員に向ける。
「触りましたよね」
完全に、詰みだった。
遠くで、複数の足音が響く。
落ち着いた、規律ある歩調。
「……来たか」
ガルドが呟く。
通路の奥に、王都の紋章が見え始める。
ユウキは、盾を背負い直した。
「じゃあ、今日はここまでですね」
まるで、
掃除を切り上げるだけの口調で。
その日、未公開区画は正式に封鎖された。
そして同時に、
ギルドが「管理していないことにしていた物」は、
すべて“存在していた”ことになった。
後始末が必要になったのは、
ユウキではなかった。




