非公開区画、清掃対象です
その依頼は、掲示板に貼られていなかった。
正確に言えば、「貼られていた形跡だけが残っていた」。
朝の清掃当番を終えたユウキがギルドに顔を出すと、受付横の掲示板の端に、剥がした跡の紙屑が残っていた。いつも几帳面に整えられている場所にしては、やけに雑だ。
「……これ、なんですか?」
ユウキが指さすと、近くにいた職員が一瞬だけ視線を泳がせた。
「そ、それは……ええと……」
言葉を濁す職員の代わりに、後ろから声が飛んできた。
「気にしなくていいわよ」
マルタだった。いつものように小さな袋を差し出してくる。
「はい、今日の分。喉にいい飴」
「ありがとうございます」
素直に受け取ってから、ユウキはもう一度掲示板を見る。
「でも、剥がした跡があるってことは、依頼ですよね」
マルタは一瞬だけ黙り、それから小さく肩をすくめた。
「正式な依頼じゃない、ってことになってるだけよ」
「……なるほど」
分かったような、分からないような説明だったが、ユウキはそれ以上追及しなかった。代わりに、紙屑の端に残っていた文字を読む。
《清掃対象:未公開区画》
《立入制限あり》
《責任所在:――》
最後の行は、途中で破られていた。
「未公開区画って、ダンジョンの奥ですか?」
「ええ」
今度は、横からリィナが静かに答えた。
「地図にも載っていない区画です。封鎖扱いですが、実際には……放置されています」
「放置」
その言葉に、ユウキは少しだけ表情を曇らせた。
「それ、掃除してないってことですよね」
リィナは、わずかに目を伏せる。
「ええ。管理記録もありません」
「じゃあ、ゴミが溜まりますね」
即答だった。
周囲の職員が一斉に息を呑む。
「い、いや、危険だから――」
「危険物なら、なおさらです」
ユウキは当たり前のことを言うような口調だった。
「放置が一番危ないですから」
マルタが、ゆっくりと頷いた。
「……そうね。誰かがやらなきゃいけない」
「誰もやらないなら、俺がやります」
ユウキはそう言って、ゴミ袋を肩に担ぐ。
「依頼じゃなくても、清掃対象なら問題ないですよね」
リィナは、少しだけ微笑った。
「非公開なので、記録も残りません」
「じゃあ、気楽ですね」
その言葉に、なぜか周囲がざわつく。
職員の一人が、耐えきれずに小声で呟いた。
「……本当に、何も考えてないのか」
聞こえていたが、ユウキは気にしなかった。
未公開区画。
管理されていない場所。
責任の所在が、どこにも書かれていない依頼。
「行ってきます」
そう言って出ていく背中を、誰も止められなかった。
その日の夕方、王都の地下で、ひとつ目立たない扉が開らかれたことを、まだ誰も知らない。
未公開区画の入口は、拍子抜けするほど雑だった。
「……これ、封鎖って言うんですか?」
ユウキが指でつつくと、立入禁止の札がくるりと回る。
《立入禁止》
《※自己責任》
「自己責任って便利な言葉だな……」
そう呟きながら、ユウキはゴミ袋を背負って中へ入った。
数歩進んだところで、彼は足を止める。
「……うわ」
床一面に散らばるのは、壊れた武器、割れた魔導具、用途不明の箱、そして封印札の束。どれも「とりあえず奥に捨てた」感が強い。
「分別、してないな……」
ユウキがため息をついた、その時だった。
「ちょ、待て! なんで先に入ってるんだ!」
聞き覚えのある声と一緒に、奥から人影が現れる。
「……あ、レオル」
剣を持ったレオルが、呆然とした顔で周囲を見回していた。
「ユウキさん!? ここ、未公開区画ですよ!?」
「未公開だから掃除しました」
「意味が分かりません!」
続いて、後ろからミーナが顔を出す。
「……やっぱり来てると思ったわ」
額を押さえながら、床のゴミを見る。
「これは……ひどい。管理放棄にも程があるわね」
「ですよね」
最後に、天井近くの瓦礫をどかしながらガルドが出てきた。
「おいおい、なんだここ。ゴミ捨て場か?」
「はい」
「即答!?」
ガルドは笑いながらも、落ちていた鎧を持ち上げる。
「これ、完全に壊れてる――」
次の瞬間、鎧が淡く光った。
《零価再定義》
《防御値:異常》
「……ん?」
ガルドが腕を通す。
「……あれ? やけに軽いし、硬いぞこれ」
「清掃用具です」
「清掃用具の性能じゃねえ!」
ミーナがすぐに割って入る。
「待って。それ、捨てたらダメなやつでしょ」
ユウキは頷く。
「なので拾いました」
「“なので”で済ませないで」
レオルが封印札を一枚持ち上げ、顔を引きつらせる。
「こ、これ……不完全封印ですよね?」
「はい」
「なんで床に落ちてるんですか!?」
「たぶん、捨てたからです」
沈黙。
ガルドが周囲を見回し、低く唸った。
「……誰だよ、ここ管理してたの」
「記録、ありませんでした」
ユウキの淡々とした一言で、空気が一段冷える。
その直後、天井から「ミシッ」と嫌な音がした。
「……あ、これもダメですね」
ユウキが盾を構えると同時に、瓦礫が落下する。だが清掃用の盾に当たった瞬間、粉々に砕け散った。
レオル、ミーナ、ガルド。三人同時に固まる。
「……それ、清掃道具?」
「ゴミ拾い中に拾いました」
「拾い物の範囲超えてるでしょ……」
ユウキはゴミ袋を持ち直す。
「というわけで」
真顔で言った。
「ここ、一緒に掃除しません?」
三人は顔を見合わせる。
レオルが小さく呟いた。
「……俺たち、冒険者ですよね?」
「清掃も冒険です」
「そういう問題じゃない!」
こうして未公開区画の奥で、
いつものメンバーによる異常な清掃作業が始まった。
作業開始から、十分も経っていなかった。
「……ユウキさん」
レオルが、やけに慎重な声を出す。
「これ、拾っていいんですか?」
指さした先にあったのは、黒い箱だった。大きさは手提げ鞄ほど。だが、箱の周囲だけ空気が重い。
「えーっと……」
ユウキはしゃがみ込み、スキルを走らせる。
《なんか使えそう判定》
《忘却物の葬送者》
一瞬、説明文が表示されて、すぐ消えた。
「……あ、これ」
ユウキは箱から手を離した。
「捨てたらダメですね」
「どれくらい?」
ミーナが即座に聞く。
「世界規模で」
「アウトじゃない!」
ガルドが思わず叫ぶ。
「なんでそんなもんがゴミ置き場にあるんだよ!」
「たぶん」
ユウキは真顔で答えた。
「隠したかったんだと思います」
沈黙。
レオルがごくりと喉を鳴らす。
「……これ、ギルドに報告した方が……」
「やめときなさい」
ミーナが即答した。
「“管理してない物”を“管理してました”って言い出すだけよ」
「……ああ」
全員、納得してしまう。
ガルドが腕を組み、箱を見下ろす。
「じゃあ、どうする」
「掃除です」
ユウキは言い切った。
「正しく保管して、危険じゃない状態にする。それが清掃なので」
「定義が強引すぎる……」
だが、誰も反論できなかった。
その時だった。
箱の奥から、さらに嫌な気配がした。
「……まだあります」
ユウキが指さした壁の裏。瓦礫をどかすと、封印札で雑に覆われた棚が現れる。
「おいおい……」
ガルドが低く唸る。
「ここ、倉庫じゃねえか」
「倉庫じゃなくて」
ミーナが封印札を一枚めくる。
「証拠置き場ね」
棚の中には、記録水晶、契約書、破損した魔導印、血痕の残る道具。
レオルの顔が青くなる。
「……これ、全部」
「はい」
ユウキが頷く。
「捨てられてました」
数秒の沈黙のあと、ガルドが乾いた笑いを漏らした。
「はは……ギルド、終わったな」
「まだです」
ユウキはゴミ袋を開く。
「終わるかどうかは、これからです」
三人が同時にユウキを見る。
「掃除って」
ミーナがため息混じりに言った。
「ここまでやる仕事だった?」
「最初に言いましたよ」
ユウキは、淡々と。
「拾わない判断も、仕事です。でも――」
箱と棚を見回す。
「これは、拾わないと危ない」
その瞬間、遠くで微かに魔力が揺れた。
未公開区画のさらに奥。
まだ誰も触れていない“ゴミ”が、眠っている。
「……奥、行きますか」
レオルが恐る恐る言う。
ユウキは、いつも通り頷いた。
「掃除が終わってないので」
こうして未公開区画は、
清掃対象から事件現場へと変わった。
そしてこの日、
ギルドが「存在しないことにしていた物」が、
静かに息を吹き返し始めた。




