強行の理由
朝は、あっさり来た。
城の外で、鳥が鳴く。
昨日までと、何も変わらない。
だが――
空気だけが、違っていた。
「……来るな」
ガルドが、城壁の上から呟く。
ミーナは、すでに地面に膝をついていた。
「複数の魔力反応」
「統制されています」
「王国だ」
ユウキは、短く言った。
遠く、境界線の向こう。
旗が見える。
討伐軍ではない。
勇者でもない。
封鎖部隊。
「やっぱり、壊れなかったのが気に入らないか」
ガルドが舌打ちする。
エルネストは、静かに城門の前に立っていた。
武器は持たない。
「彼らは」
エルネストが言う。
「“片付かなかった”理由を、許容できない」
「だろうな」
ユウキは答える。
「異常は、処理されて初めて安心できる」
封鎖部隊は、一定距離を保ったまま止まった。
前に出てきたのは、官服を着た男。
剣も盾も持っていない。
「魔王エルネスト」
男は声を張る。
「貴殿の領域において、危険兆候を確認した」
エルネストは、答えない。
代わりに、ユウキが一歩前に出る。
「確認したのは、あんたらだろ」
ユウキは言った。
「異常は、なかった」
男は、ユウキを見て眉をひそめる。
「掃除屋か」
「君たちの報告は、承知している」
「なら」
ユウキは続ける。
「引き返せ」
男は、首を振った。
「できない」
理由は、単純だった。
「壊れない魔王は」
男は言う。
「管理できない魔王だ」
空気が、張りつめる。
レオルが、思わず声を上げる。
「そんな理由で……!」
「理由は十分だ」
男は冷たく言う。
「管理できない危険は、排除される」
エルネストが、初めて口を開いた。
「なら」
低く、静かな声。
「私を倒せばいい」
男は、わずかに口角を上げた。
「そのつもりだ」
ユウキは、首を振った。
「違う」
そう言って、前に出る。
「倒す気はない」
「壊す気もない」
男は、苛立ちを隠さない。
「君が決めることではない」
「決める」
ユウキは言い切った。
「ここは、壊れてない」
一瞬、沈黙。
封鎖部隊の後方で、魔導装置が展開される。
「……来るぞ」
ガルドが身構える。
ミーナが、ユウキを見る。
「どうします?」
ユウキは、深く息を吸った。
拾えない。
倒せない。
逃げられない。
それでも――
壊させない。
「……俺が前に出る」
ユウキは言った。
エルネストが、静かに問いかける。
「それは、君の役目か?」
「違う」
ユウキは答える。
「でも――」
一歩、踏み出す。
「誰かがやらないと、壊れる」
魔導装置が、起動音を立てる。
魔王城を囲む空気が、
ゆっくりと歪み始めた。
魔導装置は、砲ではなかった。
刃も、火も、雷もない。
ただ――
空間を固定するための装置だ。
「……結界固定具」
ミーナが、低く言う。
「対象領域を“動かないもの”として定義します」
「それ、どうなる?」
レオルが聞く。
「歪みが、逃げ場を失います」
ミーナは即答した。
「内部から、壊れます」
封鎖部隊の男が、淡々と宣告する。
「魔王領を、管理下に置く」
「可変要素は、排除する」
エルネストが、静かに笑った。
「それは……」
「私を殺すより、酷いな」
「同義だ」
男は答えた。
「違いは、記録に残るかどうかだ」
装置が、起動段階に入る。
空気が、硬くなる。
まるで、世界そのものが息を止めたように。
地下の“未処理”が、反応を始める。
「……来る」
ガルドが歯を鳴らす。
ユウキは、一歩前に出た。
《即時回収対象:不成立》
《隔離継続:限界》
《破壊予測:急上昇》
「……ああ、分かってる」
小さく呟く。
拾えない。
壊せない。
止められない。
「それでも」
ユウキは、顔を上げる。
「管理する気なら、責任も全部引き取れ」
封鎖部隊の男が、眉をひそめる。
「何を――」
ユウキは、装備袋に手を入れた。
取り出したのは、
古びた札と、記録用の金属板。
チートアイテムではない。
だが、嫌われる道具だ。
「ミーナ」
「はい」
「これ」
ユウキは札を渡す。
「王国名で、登録しろ」
ミーナの目が、わずかに見開かれる。
「……所有権、ですか?」
「そう」
ユウキは言う。
「管理したいなら、逃げ道を塞ぐ」
金属板が、淡く光る。
《零価再定義》
発動対象:管理権限
価値ではない。
所有でもない。
責任だけを、再定義する。
「……何をした」
男の声が、揺れる。
ミーナが、淡々と読み上げる。
「魔王領および内部封印対象」
「管理権限、王国に仮移譲」
「同時に――」
一拍置く。
「破壊時の全責任、王国側に帰属」
空気が、凍る。
「馬鹿な……!」
男が声を荒げる。
「そんなもの――」
「管理するって」
ユウキは言った。
「そういうことだ」
魔導装置が、軋む。
固定しようとした空間が、
拒否反応を起こしている。
「……止めろ!」
誰かが叫ぶ。
「無理です!」
技術者が叫び返す。
「装置が……」
「責任定義が、上書きされて――」
エルネストは、呆然とユウキを見る。
「……君は」
「魔王より、厄介だな」
「よく言われる」
ユウキは答えた。
装置が、強制停止する。
結界は、解除される。
壊れなかった。
だが、壊せなくなった。
封鎖部隊は、動けない。
ここで何かが起きれば、
それは“王国の事故”になる。
男は、歯を食いしばる。
「……撤退だ」
旗が、下げられる。
部隊は、ゆっくりと下がっていく。
静寂。
風が、戻る。
地下の“未処理”は、再び沈黙した。
エルネストが、深く息を吐く。
「……私を、守ったな」
「違う」
ユウキは首を振る。
「壊させなかっただけだ」
「それを」
エルネストは、静かに言う。
「守ると、言う」
ユウキは、答えない。
ただ、地面を見て言った。
「……片付くまでな」
封鎖部隊の気配が、完全に消えた。
城の前庭に残ったのは、
踏み荒らされなかった草と、
何事もなかったかのような空気だけだ。
「……終わった?」
レオルが、恐る恐る言う。
「終わってない」
ユウキは即答した。
「一段落しただけだ」
ミーナが、金属板の状態を確認する。
「責任定義は、生きています」
「王国側が、ここを“壊せなくなった”のは事実です」
「ざまぁみろ、だな」
ガルドが短く笑う。
「自分で管理するとか言い出すからだ」
城の前で、エルネストは静かに立っていた。
魔王。
だが、今この場で最も重い立場を背負っているのは――
彼ではない。
「……王国は」
エルネストが言う。
「私を放置するだろう」
「たぶん」
ユウキは頷いた。
「触ると面倒だって分かったからな」
「それで、私は」
エルネストは、少しだけ言葉を探す。
「魔王で、あり続けるわけか」
ユウキは、しばらく黙っていた。
答えを、用意していない。
「……あんたが決めろ」
そう言った。
「魔王でいるか」
「ただ、ここにいるか」
エルネストは、ゆっくりと息を吐く。
「……不思議だ」
小さく笑う。
「魔王になってから」
「初めて、選択肢を渡された」
レオルが、思わず口を挟む。
「えっと……」
「魔王じゃなくなる、ってことですか?」
「分からない」
エルネストは正直に答えた。
「ただ――」
城を見回す。
「ここは、まだ片付いていない」
「私が離れれば、壊れる」
ユウキは、その言葉を否定しなかった。
「なら」
エルネストは、静かに言う。
「私は、ここにいる」
「魔王として?」
「いいや」
エルネストは首を振る。
「管理者として、だ」
ガルドが、目を丸くする。
「管理者って……」
「世界が、押し付けてきた」
エルネストは言う。
「だから、世界が来るまで、預かる」
ユウキは、その言葉を聞いて、
ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。
「……それなら」
そう言って、装備袋を閉める。
「俺の仕事は、まだ終わらない」
「また来るのか?」
エルネストが問う。
「壊れそうになったらな」
ユウキは答える。
「拾えないまま、守りに」
沈黙。
それは、悪くない沈黙だった。
ミーナが、静かに言う。
「報告は、どうしますか?」
ユウキは、少し考えてから答える。
「こう書く」
《対象区域:旧境界地帯》
《状況:管理者確認》
《危険度:変動なし》
《備考:継続監視》
「……また、異常なしですね」
レオルが苦笑する。
「異常はある」
ユウキは言った。
「でも――」
城を見る。
「片付いてないだけだ」
エルネストは、その背中を見送った。
掃除屋は、英雄にならない。
魔王も、倒されなかった。
だが――
世界は、少しだけ壊れにくくなった。




