異常のない異常
「……もう一度、確認してくれ」
王都の会議室で、同じ言葉が三度繰り返された。
地図の中央。
旧境界地帯に引かれた、薄い赤線。
「掃除屋班の報告は?」
年配の男が問う。
「異常なし、です」
部下が答える。
「構造安定、居住痕あり、侵攻兆候なし」
「魔王は?」
別の声が被せる。
「……生存、推定」
「ただし、活動兆候はなし」
沈黙。
誰もが、同じことを考えていた。
「……おかしい」
男が低く言う。
「“魔王が何もしていない”など、あり得ない」
部下が、慎重に口を開く。
「ですが、事実として――」
「事実が間違っている」
男は遮った。
「壊れていないのは、壊す準備が整っているからだ」
机に、別の書類が置かれる。
《対応案:第二段階》
内容は、簡潔だった。
•調査範囲の拡大
•民間依頼への切り替え
•現地圧力の増加
「掃除屋だけでは、様子見が過ぎる」
男は言う。
「“刺激”が必要だ」
部屋の空気が、重くなる。
⸻
一方、ユウキたちは宿にいた。
朝の光が、窓から差し込む。
「……静かですね」
レオルが言う。
「静かすぎる」
ガルドが答える。
「嵐の前だ」
ミーナは、依頼一覧を眺めていた。
「旧境界地帯周辺の案件が、増えています」
「内容は……」
紙を一枚、示す。
《物資輸送・護衛》
《対象区域:境界近接》
《報酬:高》
「……露骨だな」
ガルドが言う。
「圧をかけに来た」
ユウキは即答した。
「壊れるかどうか、試すつもりだ」
「それって」
レオルが不安そうに聞く。
「人を、使って?」
「そう」
ユウキは頷いた。
「壊れたら、“事故”にできる」
ミーナが、静かに拳を握る。
「異常なし、という判断が」
「都合が悪いのですね」
ユウキは、少しだけ考えた。
「……次は」
そう言って、立ち上がる。
「拾わない、じゃ済まない」
ガルドが、にやりと笑う。
「やっと、来たか」
「まだだ」
ユウキは首を振る。
「今回は――」
言葉を選ぶ。
「壊させない」
外では、別の冒険者たちが集まり始めていた。
高報酬。
簡単そうな護衛。
魔王領“近く”だが、安全と書かれている。
誰もが、気づいていない。
それが――
異常を起こすための依頼だということに。
ユウキは、窓の外を見た。
あの城を思い浮かべる。
「……エルネスト」
名を、初めて心の中で呼ぶ。
「今回は」
小さく呟く。
「拾うかもしれない」
境界へ向かう街道は、いつもより賑やかだった。
鎧の擦れる音。
馬車の軋む音。
軽口と笑い声。
「……多いですね」
レオルが周囲を見回す。
「多すぎる」
ユウキは即答した。
護衛依頼の看板が、街道沿いにいくつも立っている。
同じ文言。
同じ報酬。
同じ“安全”の二文字。
「魔王領近接だってのに」
ガルドが鼻で笑う。
「ずいぶん気前がいい」
ミーナは、地面に視線を落とした。
「足跡が、増えています」
「急増です」
ユウキの装備袋が、微かに鳴った。
《異常兆候検知》
《即時回収対象:未成立》
《破壊予測:上昇》
「……来てるな」
ユウキが呟く。
少し先で、別の冒険者パーティが休憩していた。
軽装。
新人混じり。
「護衛、楽勝らしいぜ」
誰かが笑う。
「魔王?動いてねぇんだろ?」
別の声が続く。
「何も起きなきゃ、それで終わりだ」
ユウキは、足を止めた。
「ミーナ」
低く呼ぶ。
「はい」
即答。
「この人数が、一斉に入ると」
ユウキは続ける。
「何が起きる?」
ミーナは、即座に計算する。
「地脈負荷が跳ねます」
「結界、均衡点が崩れます」
「魔王のせいにできる」
ガルドが言った。
「うまい話だな」
レオルが、唇を噛む。
「でも……」
「みんな、知らないだけですよね」
「知らないのが、一番使いやすい」
ユウキは言った。
街道の先。
境界線が、近づく。
空気が、わずかに重くなる。
その時――
遠くの城で、何かが動いた。
エルネストは、塔の上に立っていた。
人の流れが、見える。
増えている。
明らかに、意図的だ。
「……なるほど」
彼は、目を細める。
世界は、彼を倒す前に、
壊れる理由を作りに来た。
「人を、投げ込むか」
城の内部で、何かが軋む。
封じているものが、反応する。
人の数。
人の意思。
それらが、刺激になる。
「……これ以上は」
エルネストは、静かに言う。
「耐えられないな」
一方、境界の手前。
ユウキは、冒険者たちの前に立った。
「ここから先」
声は大きくない。
だが、通る。
「今日は、入らない方がいい」
ざわめき。
「なんだ?」
「誰だよ」
ユウキは、理由を並べない。
「壊れる」
それだけ言った。
笑い声が起きる。
「脅しか?」
「護衛の邪魔すんな」
ガルドが、一歩前に出る。
「忠告だ」
「聞かないなら、止めねぇ」
空気が、張りつめる。
ユウキの装備袋が、はっきりと鳴った。
《即時回収対象:成立予測》
《破壊点:接近》
「……選べ」
ユウキは言った。
「入るか」
「戻るか」
誰も、答えない。
だが――
世界は、もう答えを待っていなかった。
境界線の手前で、風が変わった。
強くはない。
だが、流れが乱れる。
「……来る」
ミーナが言った。
その直後だった。
街道脇の地面が、わずかに沈む。
音は小さい。
転倒者もいない。
――事故未満。
だが。
「おい、今の……」
冒険者の一人が足元を見る。
次の瞬間、
さらに奥で、同じ沈み込み。
連鎖だ。
「地盤が動いてる!」
誰かが叫ぶ。
ユウキは、即座に動いた。
「ガルド、右!」
「レオル、後ろを止めろ!」
声は短い。
判断は迷わない。
ガルドが前に出て、進路を塞ぐ。
「ここまでだ!」
「戻れ!」
「ふざけるな!」
冒険者の一人が反発する。
「依頼は――」
「依頼は“安全”だった」
ユウキが言う。
「今は、違う」
装備袋が、強く鳴った。
《即時回収対象:成立》
《対象:負荷集中点》
《破壊予測:高》
ユウキは、地面に手をついた。
拾う。
だが、奪わない。
《零価再定義》
価値が、地面から引き剥がされる。
沈み込みの原因。
“誰も管理していない負荷”。
それを、一時的に引き受ける。
「……何だ、それ」
冒険者たちが、言葉を失う。
沈みは、止まった。
完全ではない。
だが、これ以上広がらない。
「今だ」
ユウキは言う。
「戻れ」
「次は、止められない」
ざわめきの中で、
数人が、最初に引き返す。
それが、流れを変えた。
「……戻るぞ」
「今日はやめだ」
街道は、逆方向に動き始める。
⸻
その様子を、城から見ていた者がいる。
エルネストは、はっきりと理解した。
止めた。
壊れる前に。
倒そうとも、封じようともしていない。
ただ――壊させなかった。
「……なるほど」
城の内部で、軋みが収まる。
人の流れが減ったことで、
封じているものが、再び沈黙する。
「これは……」
初めてだった。
勇者でも、王国でもない人間が、
彼を倒さずに、彼を守ったのは。
「……掃除屋、か」
名も知らない。
顔も見えない。
だが、確信した。
「あれは」
エルネストは、静かに言う。
「片付け方を、知っている」
⸻
境界線の外。
ユウキは、ゆっくり立ち上がった。
息は、少し荒い。
「……間に合いました?」
レオルが聞く。
「ぎりぎりだ」
ユウキは答える。
「次は、もっと早く来る」
ミーナが、遠くの城を見る。
「魔王……」
「見ていましたね」
「見てたな」
ガルドが言う。
「気分悪ぃ」
ユウキは、首を振った。
「悪くない」
そう言って、城から目を離さない。
「……話す時が、近い」
誰も否定しなかった。
もう、避けられない。
魔王エルネストと、
掃除屋ユウキ。
初めて、同じ“判断”をした者同士が、
向き合う時が。




