後処理依頼
依頼書は、一番下にあった。
掲示板の隅。
期限も報酬も、妙に曖昧な紙。
《調査・確認》
《対象区域:旧境界地帯》
《立入制限あり》
《討伐不要》
「……あからさまだな」
ガルドが言った。
「触りたくない仕事です」
ミーナは淡々と補足する。
「討伐不要、がわざわざ書いてある」
レオルが首を傾げる。
「それって、逆に変じゃないですか?」
「変だな」
ユウキは認めた。
「だから、ここに残ってる」
周囲では、
高報酬の護衛依頼や、
分かりやすい討伐案件が、次々に剥がされていく。
この紙だけが、
誰にも拾われない。
「調査って」
ガルドが肩をすくめる。
「何を調べるんだ?」
ユウキは、紙を指で押さえた。
「“壊れてないかどうか”」
「……は?」
レオルが間の抜けた声を出す。
「壊れたら分かる」
ユウキは続ける。
「だから、壊れる前を見る」
ミーナが、地名を確認する。
「旧境界地帯……」
「魔王領の外縁ですね」
その言葉で、周囲の空気がわずかに変わった。
近くにいた冒険者が、視線を逸らす。
受付の職員も、一瞬だけ黙る。
「……なるほど」
ガルドが低く笑う。
「だから討伐不要、か」
「倒したら終わるなら」
ユウキは言った。
「こんな依頼、出ない」
依頼書の下部には、手書きの一文があった。
《状況次第で、追加判断を許可する》
「判断丸投げですね」
ミーナが言う。
「いつも通りだ」
ユウキは答えた。
受付に向かうと、職員は少しだけ言い淀んだ。
「……確認ですが」
「本当に、受けますか?」
「受ける」
ユウキは即答する。
職員は、ほっとしたような、
困ったような顔で書類を渡した。
「正式な依頼記録は、残りません」
「報告も、簡易で構いません」
「助かる」
ユウキは言った。
「記録は、後で重くなる」
外に出る。
空は、よく晴れている。
「魔王領、か」
レオルが少しだけ緊張した声を出す。
「領って言っても」
ガルドが言う。
「今は、ほとんど動いてないらしいぞ」
「動いてないのが、一番厄介です」
ミーナが静かに言った。
「壊れているか、壊れかけている」
ユウキは、装備袋を確認する。
特別な準備はしない。
いつも通りだ。
「行こう」
そう言って、歩き出す。
魔王を倒しに行くわけじゃない。
世界を救いに行くわけでもない。
ただ――
壊れていないかを、見に行くだけ。
その足音が、
魔王エルネストの城へと、
静かに近づいていくことを。
まだ誰も、言葉にしていなかった。
旧境界地帯は、思ったより静かだった。
草は伸びているが、荒れてはいない。
道も、崩れていない。
「……拍子抜けですね」
レオルが言う。
「だから、厄介なんだ」
ガルドは周囲を睨みながら答える。
「魔王領って聞いて、これだぞ」
ミーナは、地面に残る痕を見ていた。
「人の往来は、あります」
「少数ですが、定期的に」
「住民か?」
ガルドが聞く。
「分かりません」
ミーナは首を振る。
「避難民か、あるいは……」
ユウキは、何も言わずに歩いていた。
装備袋が、鳴らない。
《危険検知》
《即時回収対象》
どちらも、反応なし。
「……変だな」
ユウキが呟く。
「何がだ?」
ガルドが聞く。
「魔王領に入った感触が、ない」
ユウキは答えた。
「圧も、魔力も」
境界標識の残骸を越える。
そこから先も、同じだった。
壊れていない。
だが、整ってもいない。
「誰かが」
レオルが言う。
「手入れしてる?」
「違う」
ミーナが即座に否定する。
「“壊れないようにしている”だけです」
ユウキは、その言葉に頷いた。
「最低限、だな」
しばらく進むと、古い建物跡が見えてきた。
村だったらしい。
屋根は落ちているが、
壁は補強されている。
「……人、いますね」
レオルが声を落とす。
遠くに、動く影。
逃げる様子はない。
武器も構えていない。
ただ、様子を見ている。
「敵対してない」
ガルドが言う。
ユウキは、手を上げた。
「近づくな」
「まず、見る」
腕の金属板が、微かに反応する。
《評価対象:居住痕》
《価値判定:不明》
《危険度:低》
「……居場所だ」
ユウキは言った。
「捨てられた場所じゃない」
ミーナが、静かに息を吸う。
「魔王が、支配している形跡がありません」
「じゃあ」
レオルが戸惑う。
「魔王って……」
「いる」
ユウキは即答した。
「ただ――」
言葉を探す。
「片付けてないだけだ」
風が、少しだけ変わった。
遠く、丘の向こう。
石造りの建物が見える。
城だ。
大きくはない。
威圧感もない。
だが、確かにそこにある。
ミーナが、城の方向を見て言う。
「……中心点です」
「ここ一帯の“歪み”は、あそこに集まっています」
ガルドが舌打ちする。
「歪みって言われると、急に嫌だな」
「でも」
レオルが小さく言う。
「攻めてくる気配、ないですよね」
「攻めない」
ユウキは答えた。
「攻められない」
全員が、ユウキを見る。
「ここは」
ユウキは続ける。
「止まってるんじゃない」
「支えてる」
沈黙。
城から、鐘の音が一つ。
警戒ではない。
合図でもない。
ただ、時間を知らせるような音。
「……行くか」
ガルドが言う。
「いや」
ユウキは首を振った。
「今日は、近づかない」
「え?」
レオルが驚く。
「依頼は“確認”だ」
ユウキは言った。
「魔王に会うのは、仕事じゃない」
ミーナが、ゆっくり頷いた。
「確かに」
「今触ると、判断を誤ります」
城は、何も言わない。
ただ、そこにある。
「一度、戻る」
ユウキは踵を返す。
「報告書は――」
少し考えてから、続けた。
「“異常なし”で出す」
ガルドが笑った。
「正気か?」
「正気だ」
ユウキは言う。
「壊れてない」
「今は、それで十分だ」
城の上で、
誰かがこちらを見ている気配がした。
だが、声は届かない。
魔王エルネストは、
まだ姿を見せない。
それでいい。
――片付けられないものは、近づきすぎると壊れる。
それを知っている者だけが、
この境界を、越えずに戻った。
報告書は、短かった。
《対象区域:旧境界地帯》
《状況:異常なし》
《補足:構造安定、居住痕あり》
《継続観察を推奨》
それだけだ。
受付の職員は、紙を二度見した。
「……異常、なし?」
声が少し裏返る。
「なし」
ユウキは淡々と答えた。
「今は」
「魔王領、ですよね?」
「中心城塞も、視認したと――」
「視認した」
ユウキは頷く。
「壊れてなかった」
職員は、言葉に詰まる。
後ろで、別の職員が耳打ちする。
「……“討伐前調査”のはずだぞ」
ミーナが、静かに言った。
「討伐、とは書いてありません」
紙に視線を落とす。
確かに、どこにもない。
「……」
職員は、深く息を吐いた。
「上に、回します」
「どうぞ」
ユウキは答えた。
「急がなくていい」
それが、いちばん困る言葉だった。
⸻
同じ頃。
王都の一室で、別の紙が机に置かれていた。
《旧境界地帯:異常なし》
報告を読んだ男は、眉をひそめる。
「……異常が、ない?」
部下が答える。
「はい」
「魔力暴走も、侵攻兆候も確認されず、と」
「馬鹿な」
男は低く言った。
「“あそこ”が、無事なはずがない」
部下は、言葉を選ぶ。
「掃除屋班の報告です」
「例の……」
「ああ」
男は、苛立ちを隠さず頷いた。
「拾うな、と言っている連中か」
報告書を、机に伏せる。
「厄介だな」
「壊れないと、処理できない」
⸻
その夜。
城の塔の上で、
エルネストは、久しぶりに目を開けていた。
風が、穏やかだ。
侵入の気配はない。
結界も、揺れていない。
それでも――
何かが、確かに触れた。
倒しに来たわけではない。
様子を見に来たわけでもない。
壊れていないかを、確かめに来ただけ。
その事実が、
じわりと胸に残る。
「……異常なし、か」
小さく、笑う。
そんな報告を、
この城が受け取ったのは、初めてだった。
「なるほど」
世界は、
いつも“壊れたから来る”。
だが今回は――
壊れていないから、帰った。
エルネストは、城の外を見る。
もう、人の姿はない。
それなのに、
初めて“次”を意識していた。
「……次は」
独り言のように呟く。
「逃げ場が、なくなった時だな」
魔王エルネストは、玉座に戻る。
今度は、目を閉じなかった。




