片付けられない者
城は、ずっと静かだった。
風の音も、遠くで崩れる岩の音も、
ここまでは届かない。
エルネストは、玉座に座ったまま動かない。
動く必要が、なかった。
ここは、世界の端に近い。
正確には――
世界が押し込めた場所だ。
侵略はしていない。
領土を広げる気もない。
人間の町に、興味すらない。
それでも、彼は魔王と呼ばれている。
理由は単純だった。
彼がここにいることで、
外に出てはいけないものが、外に出ていない。
城の地下深く。
壁の向こう。
彼自身の内側。
古い失敗。
誰かが途中で投げ出した力。
封じるには遅く、
消すには危険すぎたもの。
それらを、彼は“預かっている”。
誰かが決めたわけではない。
だが、誰も引き取らなかった。
だから、残った。
「……またか」
エルネストは、微かに目を開ける。
外の空気が、少しだけ動いた。
人が来る気配。
勇者か。
王国の兵か。
それとも、どこかの討伐隊か。
違いはない。
片付けに来る者は、いつも同じだ。
倒せば終わると思っている。
終わらせれば、責任が消えると思っている。
だが――
彼が消えれば、ここにあるものは溢れ出る。
それを説明しても、理解されなかった。
理解されたことも、あった。
それでも、止まらなかった。
「……次は、どんな片付け方だ」
エルネストは、玉座から立ち上がらない。
期待はしない。
絶望もしない。
ただ、待つ。
世界がまた、
間違った終わらせ方を選びに来るのを。
その時だった。
気配が、少し違う。
重さがない。
殺意もない。
正義の匂いも、薄い。
代わりに――
妙に、静かだ。
「……?」
エルネストは、初めて首を傾げた。
城の外。
世界の側。
そこから来るのは、
討伐ではなく、確認の足音。
彼は、小さく息を吐いた。
「……また、間違った片付け方が来る」
そう呟きながらも、
なぜか、その声には
ほんのわずかな揺らぎがあった。
城の外壁に刻まれた紋章は、
すでに半分が削れている。
かつては、はっきりと読めたはずの文字。
――魔王城。
誰が刻んだのか。
いつからそう呼ばれるようになったのか。
エルネスト自身も、正確には覚えていない。
分かっているのは一つだけだ。
この名が与えられた日から、
彼は「倒される側」になった。
魔族の王として君臨した覚えはない。
軍勢を率いた記憶もない。
人間の国を滅ぼそうとしたこともない。
それでも――
世界は彼を魔王エルネストと定義した。
理由は単純だ。
彼が“ここ”にいることで、
世界が壊れずに済んでいるから。
封じている。
抱え込んでいる。
押し付けられたまま、返せずにいる。
それらを処理できない世界にとって、
彼は都合のいい名前だった。
「魔王」。
倒せばいい存在。
討伐すれば、終わったことにできる存在。
だが、終わらない。
終わらせてはいけない。
それを知っているのは、
ここに押し込められた本人だけだ。
「……魔王、か」
エルネストは、静かにその名を口にする。
怒りはない。
誇りもない。
あるのは、
終わらせ方を間違え続ける世界への、諦観だけ。
城の外で、足音が近づいている。
勇者ではない。
討伐隊でもない。
もっと、別の――
処理を請け負う者の気配。
魔王エルネストは、玉座に座ったまま、目を閉じた。
「さて……」
声は低く、静かだった。
「今度は、どこまで分かっている?」




