善意の形
依頼は、やけに丁寧だった。
掲示板の中央。
他より少し良い紙。
文字も、整っている。
《共同清掃・補助要員募集》
《目的:町の美観維持》
《報酬:食事付き/相談可》
「……胡散臭ぇな」
ガルドが即断した。
「善意が前に出すぎています」
ミーナも同意する。
「昨日の反省が、別方向に振れていますね」
レオルは、依頼書をじっと見る。
「でも……」
「悪くは、なさそうですけど」
ユウキは、紙の端を指で押さえた。
力が、ほとんど入っていない。
貼った人間が、迷っている証拠だ。
「これは」
ユウキが言う。
「“押し付けないつもりで押し付ける”やつだ」
「どういう意味です?」
レオルが聞く。
「善意ってのは」
ユウキは続ける。
「責任を薄めると、広がる」
ガルドが笑う。
「全員でやれば、誰のせいでもない、ってか」
「そう」
ユウキは頷く。
「で、最後は“できる奴”に寄る」
掲示板の前に、数人が集まり始めている。
「あの人たち、昨日の……」
レオルが小声で言う。
露店の店主、運送屋、若い職人。
昨日”
考えさせられた側”だ。
「……あ」
レオルが気づく。
「こっち、見てます」
期待。
というより――安心。
「あの掃除屋がいれば大丈夫」
そんな空気。
ユウキは、一歩下がった。
「……取らない?」
ガルドが聞く。
「取らない」
ユウキは即答した。
ミーナが、静かに理由を添える。
「これは、既に“集団の仕事”です」
「個人が入ると、役割が歪みます」
その時、
依頼を出したらしい中年の女が、こちらに気づいた。
「あ、あなたたち……」
声をかけてくる。
「昨日の……」
「違う」
ユウキは、やんわり遮った。
「今日は、違う」
女は、戸惑った顔をする。
「でも……」
「一人じゃ不安で……」
「だから」
ユウキは言った。
「一人でやらない」
女は、言葉を失った。
代わりに、
隣にいた若い職人が、口を開く。
「……俺、やりますよ」
「昨日の続きみたいなもんだ」
運送屋も、渋々頷く。
「半日なら、付き合う」
少しずつ、
人が役割を引き受けていく。
ユウキは、それを見届けるだけだった。
「……冷たいですね」
レオルが、小さく言う。
「冷たいんじゃない」
ユウキは答える。
「これは、拾う前の段階だ」
掲示板から離れる。
背中に、まだ視線は残る。
だが――
“全部任せる安心”は、成立しなかった。
「今日も、拾わない日か」
ガルドが言う。
「まだ分からん」
ユウキは、前を見たまま答えた。
「善意は、形を変えて転ぶ」
風が吹く。
依頼書の紙が、少しだけ揺れた。
それは、
次に壊れる場所を示す合図だった。
清掃は、順調に始まった。
通りの両端から、少人数ずつ。
誰かが指揮を執るわけでもなく、
声をかけ合いながら、ゆっくり進む。
「……案外、うまくいってますね」
レオルが言った。
「最初はな」
ガルドが答える。
「善意は、出だしだけは綺麗だ」
ユウキは、少し離れた場所から見ていた。
袋を持たない人間。
道具を持ち寄った人間。
そして――慣れていない動き。
「……危ないな」
ユウキが小さく呟く。
ミーナも気づいた。
「力の配分が、統一されていません」
「経験差が大きい」
その時だった。
「よいしょ――!」
誰かの声。
直後に、金属が跳ねる音。
「――あっ!」
清掃中の男が、重い部品を落とした。
反射的に、隣の女が避ける。
だが、避けた先に――
別の人間。
「危な――」
間に合わない。
ユウキが、思わず一歩踏み出す。
だが――
ガシャン、と音がして、
部品は地面に落ちただけだった。
怪我人はいない。
一瞬の沈黙。
「……だ、大丈夫?」
「ごめん、今の――」
誰も責めない。
誰も怒らない。
だが、空気が少しだけ変わった。
「……今の、危なかったですね」
レオルが言う。
「誰の責任でもない」
ミーナが答える。
「ですが、事故予備軍です」
清掃の手が、少し遅くなる。
「無理しないで!」
「重いのは、二人で!」
声が増える。
だが、それ自体が――混線を生む。
ユウキは、地面に落ちた部品を見た。
重さ。
角度。
人の位置。
《なんか使えそう判定》
反応:中
危険度:上昇
対応:要判断
「……拾うか」
ユウキが、独り言のように言う。
ガルドが、ちらりと見る。
「迷ってんな」
「迷ってる」
ユウキは認めた。
「今拾うと、善意を壊す」
「拾わないと?」
レオルが聞く。
「次は、当たる」
ユウキは即答した。
清掃に参加していた女が、こちらを見る。
「あの……」
遠慮がちに声をかける。
「さっきの、ちょっと怖くて……」
ユウキは、彼女の後ろを見る。
人の配置。
道幅。
残っている重量物。
「……一度、止めよう」
ユウキが言った。
「え?」
「もう少しだけ、整理してから再開だ」
女は、ほっと息を吐いた。
「ありがとうございます……」
それは、礼だった。
だが――
それが一番、危ない合図でもある。
ガルドが、小さく言う。
「来たな」
ユウキは、ゆっくり息を吐いた。
「……まだ、拾ってない」
そう呟く。
善意は、
壊れる寸前が一番、重い。
「……一回、ここで切ろう」
ユウキの声は、大きくなかった。
だが、不思議と通った。
清掃に参加していた人たちが、動きを止める。
「切る、って?」
運送屋が聞く。
「今日は、ここまで」
ユウキは言った。
「続きは、別の形にする」
ざわつき。
「でも、まだ半分も――」
誰かが言いかける。
「半分やった」
ユウキは遮った。
「だから、十分だ」
ミーナが一歩前に出る。
「今のやり方は、善意に頼りすぎています」
「慣れていない人が、重量物を扱うのは危険です」
「じゃあ、どうすれば……」
中年の女が不安そうに言う。
ユウキは、地面に置かれた部品を指した。
「分ける」
それだけ言った。
「重いもの」
「鋭いもの」
「軽いもの」
一つずつ、指を折る。
「重いのは、職人と運送屋」
「軽いのは、他の人」
「鋭いのは――」
一拍、置いて、
「今日は触らない」
「……触らない?」
レオルが聞き返す。
「触らない」
ユウキは頷く。
「“やらない勇気”が足りてない」
ガルドが、鼻で笑った。
「善意ってのは、止まれねぇからな」
人々は、顔を見合わせる。
だが、誰も反論しなかった。
さっきの音。
さっきの一瞬。
それが、全員の頭に残っている。
「……じゃあ」
若い職人が言う。
「今日は、できる分だけやる」
「それでいい」
ユウキは答えた。
役割が、自然に分かれる。
声は減り、
動きは遅くなる。
だが――
危うさは、消えた。
ユウキは、一歩下がる。
《零価再定義》は、使わない。
《なんか使えそう判定》も、沈黙したまま。
今日は、能力の出番じゃない。
「……結局」
レオルが小声で言う。
「ユウキ、拾わなかったですね」
「拾う必要がなかった」
ユウキは答えた。
「善意が、仕事になったから」
夕方。
清掃は、予定より早く終わった。
完全ではない。
だが、誰も怪我をしていない。
「……ありがとうございました」
中年の女が、深く頭を下げる。
「礼はいらない」
ユウキは言った。
「次は、やり方を決めてからやれ」
女は、少しだけ笑った。
「……はい」
通りを離れる。
背中に、拍手はない。
感謝の声も、控えめだ。
それでいい。
「今日の仕事」
ガルドが言う。
「何だったんだ?」
ユウキは、少し考えてから答えた。
「止める仕事」
「それも、善意を」
夕暮れが、町を包む。
拾わなかった。
だが、壊れなかった。
善意は、
形を整えられて、残った。




