責任の置き場
アルセイン統治王国・第三監査局。
朝だった。
だが、空気は夜より重い。
「……報告を」
局長が、短く言った。
長机の端に立つ男――
ルディオ=カーンは、立ったまま動かなかった。
顔色は悪い。
鎧は外され、礼装に着替えている。
だが、背筋だけは無理に伸ばしていた。
「第十八監査案件」
ルディオは、抑えた声で言う。
「召喚者セイルの件について……」
「“件”?」
局長が眉を上げる。
「記録では、召喚資産の喪失だが」
「……喪失ではありません」
ルディオは言い切った。
「回収です」
一瞬、沈黙。
次の瞬間、
数名の監査官が、同時に顔をしかめた。
「言葉遊びはいい」
「結果は同じだ」
「違います」
ルディオは、珍しく食い下がった。
「能力は奪われていない」
「人格も、破壊されていない」
「なら何だ」
局長が言う。
「なぜ命令が通らない」
その問いに、
ルディオは答えられなかった。
沈黙が、
そのまま“回答”になる。
「……つまり」
局長が静かに言う。
「王国の命令体系が、外部に介入された」
「はい」
「しかも、破壊ではない」
「無効化でもない」
「“正規処理”だと主張している、と」
「……その通りです」
局長は、書類を閉じた。
「最悪だな」
誰も否定しない。
「破壊なら、敵だ」
「無効化なら、違法だ」
局長は続ける。
「だが“回収”は違う」
「こちらの管理不備を、突かれる」
一人の監査官が、口を挟んだ。
「ですが、命令共鳴は王国専用――」
「だった」
局長は遮った。
「だった、だ」
机を、指で叩く。
「命令に依存しすぎた」
「召喚者を、道具扱いした」
「しかも、それを“効率”と呼んだ」
視線が、ルディオに向く。
「現場判断は?」
局長が問う。
「……速さを、優先しました」
ルディオは答える。
「規定通りです」
「規定通り、か」
局長は、小さく笑った。
「規定が壊れた時、誰が責任を取る?」
ルディオは、唇を噛んだ。
「……私です」
「いいや」
局長は首を振る。
「お前一人では足りない」
部屋の空気が、さらに冷える。
「本件は」
局長は宣言した。
「監査戦闘部の運用方針そのものが問われる」
「今後の対応は?」
別の官が聞く。
局長は、迷わず答えた。
「追撃は、しない」
ざわめき。
「なぜです!?」
ルディオが思わず声を上げる。
「簡単だ」
局長は言う。
「追えば追うほど、“正しさ”を示される」
ルディオは、拳を握った。
あの掃除屋の顔が、脳裏に浮かぶ。
淡々と。
否定もせず。
ただ、拾っていった。
「……では」
ルディオが、低く言う。
「我々は……」
「処理する」
局長は、はっきり言った。
「内部から」
書類が、机の中央に置かれる。
《運用再編案》
《召喚者管理規定・暫定凍結》
《責任者名:ルディオ=カーン》
ルディオの喉が、鳴った。
「……左遷、ですか」
「いいや」
局長は首を振る。
「現場復帰だ」
ルディオは、顔を上げる。
「最前線で、“管理できない現実”を見てこい」
「それが、お前の仕事だ」
逃げ場はない。
ざまぁは、
剣でも、魔法でもない。
肩書きが剥がれ、理念だけが残る。
ルディオは、深く頭を下げた。
「……了解しました」
その背中を見ながら、
局長は一言だけ、呟いた。
「……掃除屋、か」
「厄介な仕事人を、相手にしたものだ」
場面は、切り替わる。
街道。
ユウキたちは、いつも通り歩いていた。
「……静かだな」
ガルドが言う。
「追撃、来ませんね」
レオルが周囲を見る。
ミーナは、淡々と答えた。
「来ません」
「来られない、が正確です」
ユウキは、何も言わない。
ただ、袋の中身を確かめる。
拾ったもの。
返したもの。
引き取った責任。
「……次は?」
レオルが聞く。
ユウキは、前を見たまま答えた。
「次は――」
「“拾いすぎた王国”の後始末だ」
空は、晴れている。
だが、
出来事は、もう始まっていた。
現場は、地味だった。
派手な魔獣もいない。
戦果を誇れる依頼もない。
あるのは――
遅れて噴き出した問題だけだ。
「……次は、どこだ」
ルディオが、地図を見ながら言う。
「北搬送路、第三支線」
現地責任者が答える。
「召喚労働者の暴走です」
「暴走?」
ルディオが眉をひそめる。
「命令が、通らなくなりました」
責任者は淡々と言った。
「作業を拒否しています」
ルディオの胸が、嫌な音を立てた。
――セイルと、同じ。
現場に着くと、
数人の若者が、資材の前で立ち尽くしていた。
召喚者だ。
首元には、かつて命令紋が刻まれていた痕。
だが今は、薄く残るだけ。
「……働け」
ルディオは、反射的に言った。
返事はない。
一人が、恐る恐る口を開く。
「……理由を、聞いてもいいですか」
「理由?」
ルディオが詰まる。
「なぜ、それを運ぶのか」
「なぜ、今日なのか」
「なぜ、俺たちがやるのか」
――以前なら、考える必要のない問い。
「……規定だ」
ルディオは、そう言うしかなかった。
若者は、静かに首を振った。
「それ、もう通らないんです」
別の召喚者が言う。
「命令が、頭に響かない」
「怖くもない」
「……なら、どうすれば動く」
ルディオは、声を低くした。
沈黙。
そして、一人が答えた。
「説明してください」
「ちゃんと」
その言葉は、
剣よりも重かった。
ルディオは、理解してしまった。
管理とは、命令ではない。
説明だ。
責任だ。
判断だ。
「……この資材は」
ルディオは、時間をかけて言葉を選んだ。
「明日の雨で、流出する」
「止めないと、下流が被害を受ける」
若者たちは、顔を見合わせる。
「それなら……」
「手伝う意味は、ありますね」
動き始める。
遅い。
だが、確実だ。
現地責任者が、呆然と呟く。
「……今まで、こんなこと……」
「なかっただろうな」
ルディオは答えた。
その直後、別の報告が飛び込む。
「南区画!」
「召喚兵が、命令を拒否しています!」
またか。
移動。
説得。
説明。
判断。
一日で、三件。
どれも、剣は振らない。
魔法も使わない。
ただ、
話す。決める。責任を負う。
日が沈む頃。
ルディオは、地面に腰を下ろした。
「……おかしい」
呟く。
「何も、違法じゃない」
「だが……」
疲労が、骨に染みる。
その時、補佐官が、恐る恐る言った。
「……監査官」
「これ、例の“掃除屋”の影響では……」
ルディオは、即答しなかった。
代わりに、空を見る。
セイルの顔が、浮かぶ。
あの軽くなった表情。
「……そうだな」
ルディオは、やっと認めた。
「俺たちは、“命令を押し付けていた”」
補佐官は、息を呑んだ。
「では……」
「修正する」
ルディオは言う。
「逃げない」
「これは、王国の仕事だ」
その背中は、
もう“偉い官僚”のものではなかった。
だが――
確実に、地に足がついていた。
一方、その頃。
街道の先。
ユウキは、いつものように立ち止まり、
道端の壊れた標識を起こしていた。
「……相変わらずだな」
ガルドが笑う。
「派手なことは、来ないな」
レオルが言う。
ミーナが、静かに答えた。
「来ています」
「もう、十分に」
ユウキは、標識を直し終え、手を払う。
「壊れたのは、仕組みだ」
「人じゃない」
袋を背負い直す。
「次は、もっと分かりやすい仕事がいいな」
その言葉が、
次の章への合図だった。
夜。
北搬送路の臨時宿舎は、静かだった。
昼間の騒ぎが嘘のように、
召喚者たちは各々の寝床で休んでいる。
命令は、ない。
だが混乱も、ない。
「……報告書、終わりました」
補佐官が、疲れた声で言った。
ルディオは、灯りの下で紙を見ていた。
《本日処理案件:七件》
《武力介入:ゼロ》
《違反処理:ゼロ》
《遅延:多数》
《事故:ゼロ》
「……皮肉だな」
ルディオが呟く。
「遅れて、止めて、説明して」
「それで事故が出ないとは」
補佐官は、言葉を探しながら言う。
「……以前なら」
「速さが、正義でした」
「そうだ」
ルディオは頷く。
「速ければ、命令できた」
「考えなくてよかった」
紙を置く。
「だが今は」
「考えないと、誰も動かない」
沈黙。
補佐官が、恐る恐る聞く。
「……それは、失敗でしょうか」
ルディオは、すぐに答えなかった。
外を見る。
焚き火のそばで、
召喚者の一人が、別の者に何かを説明している。
命令ではない。
相談だ。
「……失敗ではない」
ルディオは、ようやく言った。
「ただ――」
言葉を区切る。
「管理ではなかった」
その瞬間、
補佐官は理解した。
王国が失ったのは、
召喚者ではない。
**“楽な支配”**だ。
「……本国は」
補佐官が言う。
「納得しません」
「だろうな」
ルディオは苦笑する。
「だが、もう戻れない」
「なぜです?」
ルディオは、机の端を見た。
そこには、今日使われなかった命令符がある。
触れなかった。
触れられなかった。
「一度、知ってしまったからだ」
「命令がなくても、人は動く」
そして――
命令があっても、人は壊れる。
「……掃除屋」
ルディオは、低く呟いた。
名も告げず、
思想も語らず、
ただ“拾って”いった男。
「俺たちは」
ルディオは続ける。
「管理できないものを、管理しようとしていた」
補佐官は、黙って頷いた。
夜明け。
現場を離れる準備が始まる。
召喚者の一人が、ルディオに声をかけた。
「あの……」
「何だ」
ルディオは答える。
「昨日は……」
若者は言葉を探し、
「……ちゃんと、説明してくれて」
「ありがとうございました」
礼だった。
報告書には、載らない。
ルディオは、一瞬だけ目を伏せ、
そして、頭を下げた。
「……こちらこそ」
それが、
彼の敗北宣言だった。
一方、街道。
ユウキたちは、もう次の町に向かっている。
「……終わったな」
ガルドが言う。
「ええ」
ミーナが答える。
「王国は、しばらく動けません」
レオルが首を傾げる。
「追われないんですか?」
「追う理由がない」
ユウキは淡々と答えた。
「壊してないからな」
袋を肩にかける。
「管理不能ってのは」
ユウキは続ける。
「手に負えないって意味じゃない」
一歩、踏み出す。
「手に持つべきじゃないって意味だ」
朝日が、街道を照らす。




