用途が残ったまま
彼は、名を名乗らなくなって久しかった。
名を呼ばれる必要が、もうなかったからだ。
アルセイン統治王国の補助局に所属していた頃、
彼には識別番号があり、
用途があり、
配置があった。
今は、そのどれもがない。
「……今日も、異常なし」
そう呟く声は、
誰に届くでもなく、
廃屋に吸い込まれる。
彼は召喚者だった。
正確には、元・召喚者だ。
召喚された当初、
彼の能力は“扱いやすい”と評価された。
《広域感応》
周囲の危険兆候を早期に察知する能力。
派手さはない。
だが、数値化しやすく、
被害軽減に向いている。
アルセイン統治王国は、
その点を高く評価した。
――評価、まではよかった。
問題は、その後だ。
危険が減るにつれて、
彼の能力は“目立たなく”なった。
何も起きない。
被害も出ない。
それは成果だったはずだ。
だが――
成果は、数字にならなかった。
「異常なし」は、
報告として弱い。
次第に、
より派手な能力を持つ召喚者が前に出され、
彼は後方へ回された。
期限付き配置。
補助任務。
そして、解除。
「……召喚契約、終了」
淡々と告げられた言葉を、
彼は今でも覚えている。
解放、ではない。
用途切れだ。
王国は、彼を拘束しなかった。
処罰もしなかった。
追放すらしなかった。
ただ、
“使わなくなった”。
それだけだ。
今、彼は
王国領外の小さな町で、
倉庫の管理をしている。
危険は、ほとんどない。
だから、
《広域感応》は鳴らない。
鳴らない能力は、
存在しないのと同じだ。
「……静かだな」
呟いた瞬間、
胸の奥が、わずかに疼く。
感応ではない。
ただの癖だ。
危険があってほしい、
と思ってしまった自分に、
彼は少しだけ嫌悪した。
危険があれば、
役に立てる。
役に立てれば、
存在理由が戻る。
「……違う」
小さく首を振る。
アルセイン統治王国は、
正しかった。
彼を切り捨てたわけじゃない。
最適配置をしただけだ。
だから――
誰も、悪くない。
悪くないからこそ、
この空白は、どこにも向けられない。
倉庫の外で、
ごみが風に転がる音がした。
彼は、少しだけ外を見る。
誰も拾わない。
今すぐ困るわけじゃない。
「……行かなくていい」
自分に言い聞かせるように呟く。
もう、
呼ばれていない。
それなのに――
胸の奥では、
まだ用途を探している感覚が残っていた。
能力は、
切られていない。
ただ、
使われていないだけだ。
彼は、
それを“自由”と呼ぶには、
まだ少し時間が足りなかった。
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彼女は、自分が何回目の配置かを覚えていなかった。
覚える必要が、なかったからだ。
アルセイン統治王国の召喚者として呼ばれてから、
彼女は常に“次”を待っていた。
次の指示。
次の現場。
次の期限。
「今回の配置は七日間」
補助局の担当官は、淡々と告げた。
「想定被害は低いが、再発率が高い」
つまり、
失敗が許されない現場だ。
「……分かりました」
彼女は、即答した。
即答できることが、
評価につながると知っていたから。
彼女の能力は《局所再現》。
一度起きた事象を、
“同条件で再発させる”能力。
事故の再現。
犯罪手口の再現。
災害兆候の再現。
検証には最適だった。
同時に――
精神を削る能力でもあった。
「今回は、これを」
担当官が渡した資料には、
過去の被害記録がびっしり並んでいる。
数字。
再現条件。
成功率。
感情は、含まれていない。
彼女は、資料を受け取った。
手が、少しだけ震えたが、
誰も気づかない。
再現を始めると、
世界は一気に“狭く”なる。
視界。
音。
痛み。
起きたことを、
起きた通りに、
何度でも。
「……っ」
歯を食いしばる。
能力は、正確だった。
正確すぎて、
“逃げ場”がない。
再現が終わるたび、
担当官は満足そうに頷く。
「良好だ」
「この調子で続けてくれ」
続ける。
それが、
期限内の役割。
夜、仮設宿舎で、
彼女は一人になる。
《局所再現》は、
勝手に鳴ることはない。
だからこそ、
自分から思い出してしまう。
再現した光景。
再現した声。
「……私」
小さく呟く。
「何やってるんだろ」
答えは、出ている。
役に立っている。
被害は減っている。
アルセイン統治王国は、
彼女を守っている。
医療もある。
報酬もある。
期限も明確だ。
「……なのに」
胸の奥が、
空っぽになる。
期限があるから、
頑張れる。
だが、
期限があるからこそ――
終わりを考え続けてしまう。
七日後、
彼女はどうなる?
次の配置か。
後方送りか。
あるいは――
「……考えるな」
自分に言い聞かせる。
考えないことが、
一番うまく回る。
翌日、現場へ向かう途中。
通りの端で、
誰かがごみを拾っているのが見えた。
雑多な袋。
汚れた手袋。
仕事でも、
任務でもない。
ただ、拾っている。
彼女は、
ほんの一瞬だけ、足を止めた。
《局所再現》は、
その光景を再現しない。
再現する必要が、ないからだ。
「……」
呼び止めようとして、
やめた。
期限内だ。
今は、
自分の役割がある。
彼女は、前を向く。
背中に、
何も言わない視線を感じながら。
アルセイン統治王国は、
今日も正しい。
だからこそ――
彼女はまだ、
ここから動けない。
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朝は、静かだった。
ラグド交易環から一日分離れた街道脇。
人通りはあるが、急いでいる者はいない。
「今日は平和だな」
ガルドが伸びをする。
「そうですね」
ミーナは周囲を見回しながら言う。
「依頼板も、通常案件のみです」
ユウキは、無言で袋を持って歩いていた。
拾う。
分ける。
捨てる。
特別な作業は、ない。
「……なあ」
レオルが言う。
「昨日まで、あんなことがあったのに」
「今日は、これだけですか?」
「これだけだ」
ユウキは即答した。
路肩に落ちていた金属片を拾い、
中身を確かめ、
不要と判断して戻す。
拾わない判断。
「町は、何も変わってない」
ユウキは言った。
「変わったのは、見てる側だけだ」
ガルドが笑う。
「つまり、俺たちが疲れてるだけか」
「それもある」
ユウキは肩をすくめる。
通りの向こうで、
荷車が軋む音がした。
だが、止まる前に誰かが支える。
足元を見て、進路を少し変える。
事故には、ならない。
「……あ」
レオルが気づく。
「昨日の場所、補修されてます」
「当然だ」
ミーナが答える。
「止めたから、直せた」
ユウキは、それを横目に見るだけだった。
評価もない。
拍手もない。
ただ、
“壊れなかった結果”だけが残る。
「……これでいいんですか?」
レオルが、少しだけ不安そうに聞く。
ユウキは、袋の中を覗いた。
今日拾ったものは、少ない。
「いい」
短く答える。
「壊れなかったなら、それで終わりだ」
「でも」
レオルは続ける。
「誰がやったか、分からないままですよ」
ユウキは、歩みを止めなかった。
「分からない方がいい」
そう言った。
「“やった奴”が出てくると、次もやらされる」
ガルドが、納得したように頷く。
「使われるってやつか」
「そうだ」
ユウキは肯定する。
「拾った瞬間に、責任が発生する」
道端で、子どもが転びそうになり、
大人が手を伸ばす。
それだけで済む。
能力はいらない。
判断も、軽い。
「……静かですね」
ミーナが言う。
「静かな日は」
ユウキは答えた。
「掃除屋が一番楽な日だ」
袋の口を縛る。
今日の仕事は、終わり。
遠くの町では、
誰かが期限内で走り、
誰かが評価され、
誰かがまだ使われている。
だが、ここには関係ない。
「帰るか」
ユウキが言う。
「飯は?」
ガルドが聞く。
「いつもの」
ユウキは答えた。
誰も特別なことを言わない。
誰も、なんとも言わない。
それでも――
速すぎた町は、一度止まった。
それだけで、
十分だった。
拾われなかったものが、
今日も路肩に残っている。
だが、
それは“まだ使える”という意味ではない。
“今は、触らなくていい”
というだけだ。
ユウキは、袋を肩にかけて歩き出した。
掃除屋の日常は、
今日も何事もなく終わる。
――そして、
次に拾うべき“厄介なもの”は、
まだ、先にある。




